2009年10月21日 (水)

【第105回】希望中村 ゆかり (国語)

 一雨ごとに寒さが増す季節を迎えた。
高校3年生にとっては、それぞれの進路を選択しなければならない人生の岐路に立たされる時期でもある。

 先日上陸した台風は列島を縦断し、各地に様々な爪あとを残した。
予測していたほどではなかったにしろ、農作物には大きなダメージを与え、交通機関はマヒした。県内でも突風にあおられ、樹木が倒れたり、小中高のほとんどの学校が休校の措置をとった。昨年の浅野川の氾濫といい、近年の災害は温暖化の影響もあってか集中的な豪雨や、竜巻といった激しい様相に変化しているように思われる。

 1991年に日本を襲った「台風19号」は、津軽地方全域にわたって大きな被害を与えた。特産品を生産しているリンゴ農家にとっては、死活問題となるほどの打撃であった。手塩にかけて育ててきたリンゴの実が、あたり一面に無残な姿で転がっている。その様子を目の当たりにした人々の気持ちは、どんなに辛かったことであろう。

実際に再建を断念して生産農家を辞める人もあったそうだ。しかし、その危機を救ったのは、ほかならぬ「リンゴ」であった。台風の後、木に残ったものを「落ちないリンゴ」と銘を打ち、
全国の受験生に向けて販売したのである。「リンゴ」は飛ぶように売れ、農家に希望が生まれた。窮地に立たされても負けることなく、努力と工夫を重ねる姿勢には頭が下がる。

 本校の3年生もそれぞれに本番を迎えつつあり、就職試験や、推薦入試に向けての準備に余念がない。終礼後に面接練習をしたり、志望動機を文章にしたりと、遅くまで残って奮闘している。

早朝、放課後と時間を惜しんで毎日質問をしに職員室にやってくる生徒には先のリンゴ農家ではないが、本当に頭が下がる。自分自身の進路なのだから当然のことをしているわけではあるが、先生方の指示を仰ぎ、努力を重ねる姿を見るたび、晴れて自分達の希望する進路に進んでほしいと強く感じる。

 ともあれ、台風一過の青空は、まさしく秋晴れそのものである。
これから本番を迎える受験生達の前途にエールを送ってくれているかのようで清々しい。
彼らの努力が報われ、朗報をもたらしてくれることを心から祈りたい。

2009年10月14日 (水)

【第104回】教育実習本 茂通 (地歴・公民、福祉)

教育実習として来ている学生が、一生懸命に授業をしている。
多分、自分自身の高校時代とを重ねているであろう。
でも、試行錯誤しながら頑張っている姿を見ると、励ましたくなってくる。

そのような中で、ある生徒が声をかけてきた。

「将来、先生になりたい。」
「教育実習の時は、絶対ここで実習したい。」
「必ず来るので面倒見てほしい。」

このような内容を、強い思いをもって伝えてきた。
私の中でうれしい気持ちが込み上げてくることを感じた。
それは、私たちの仕事に強い関心を持ってくれたことが理由ではない。

夢と希望を持ち、生き生きとした表情で話している姿に、
なぜか成長した姿が重なって見えたからだ。

さまざまなことが待っていると思うが、それを乗り越え、
一段と成長した姿が、数年後に見られるかと思うと、楽しみで仕方がない。

何かに向かって必死に頑張る姿は、やはり素晴らしい。

2009年10月 7日 (水)

【第103回】駅伝シーズン到来M. Y. (保健体育)

 秋も深まり、いよいよ駅伝シーズンがやってきました。
全国高校駅伝競走大会石川県予選は、11月3日(火)に小松市で開催されます。
その大会に向け本校の生徒達も、他校の生徒達も厳しい夏の合宿を乗り越えてきたと思います。本校の場合、例年、夏に3回の合宿を行います。今年度も3~4回の合宿を行いました。

 どの合宿も厳しい練習でしたが、生徒達も頑張ってくれ、誰も途中で脱落することなくすべての練習をやりきってくれたと思います。その厳しい練習をやりきった自信が、これからの駅伝シーズンに大きくつながってくると思います。

 秋のシーズンが始まり、新人大会、記録会などに出場しているほとんどの者が自己ベストを更新し、いい形で駅伝シーズンに入っていけそうに思えます。

 また、先日、2年生の五郎谷俊が、国体の少年A男子10000mに出場し、18位と結果はよくありませんでしたが、自己新記録および石川県高校新記録の30分13秒48で走ってくれました。まだまだ、課題はありますが、今後の走りに繋がってくると思います。

 そして、10月4日(日)、今シーズン、初の駅伝大会に参加してきました。鳥取県の倉吉市で行われた、日本海駅伝です。この大会は、全国から100校以上の強豪校が参加する大会です。夏につけた力をためそうと思い参加しましたが、結果は2時間12分33秒の31位、予定していたタイムより1分~2分も遅いタイムでした。しかし、課題もたくさん見つかり、これを、11月3日までに修正していきたいと思います。

 また、卒業生も頑張っています。東洋大学に進学した、山本憲二(2年)が10月12日(月)に行われる全日本選抜出雲駅伝のメンバーとしてエントリーされました。卒業生の頑張りに負けないように在校生もみんなで力を合わせ頑張っていきたいと思っております。

2009年9月 9日 (水)

【第100回】天国と地獄向江 大輔 (地歴・公民)

むかし、むかし、天国と地獄の両方に行った事がある人のお話。

ある人が地獄に行きました。地獄には、綺麗な花が咲き、水が流れ、それはそれは美しい場所でした。

ある人が、地獄の道をさらに進んでいくと大きな建物が見えてきました。

その建物の中には地獄の亡者たちがたくさんいました。

その時、大きな鐘の音が『ガラーン・ゴローン』と鳴り響き、地獄の亡者たちが大きなテーブルの周りに座り始めました。そして、テーブルの上にはたくさんのおいしそうな料理が運ばれてきました。

どうやら食事の時間のようです。

さらに、よく見ると地獄の亡者たちの手には
自分の腕よりも長い箸を手に縛り付けられていました。

さて、いよいよ食事のスタートです。

地獄の亡者たちは我先にと食べ物をつまみ、自分の口元へ運ぼうとしますが箸が長すぎて食べられません。そうこうしている間に食事終了の合図がなり、テーブルの上にあった美味しそうな料理はグチャグチャに飛び散りひどい有様でした。しかも地獄の亡者たちは一口も食べられないまま食事の時間が終わってしまいました。(よく見ると地獄の亡者たちの体型は痩せてガリガリでした。)



次にある人は、天国に行きました。

天国も地獄と同じでそれはそれは美しいところでした。

ある人が天国の道を進んでいくと地獄にあった建物と同じ建物が見えてきました。中に入ると、ちょうど『ガラーン・ゴローン』と大きな鐘が鳴り響き、どうやら天国でも食事の時間のようです。

地獄と同じように大きなテーブルの周りに天国の住人たちが座り、たくさんのおいしそうな料理が運ばれてきました。もちろん天国の住人たちにも自分の腕より長い箸が手に縛り付けられています。

さて、いよいよ天国でも食事がスタートしました。

ですが、天国の住人たちはみんな美味しそうに料理を食べています。

さて?どうやって天国の住人たちは料理を食べることができたのでしょうか??

答えは簡単ですね。そうです。

天国の住人たちは長い箸で自分の向こう側の相手に食べさせてあげていたのです。そして、天国の住人たちはおいしい料理をお腹いっぱい食べることができました。

天国も地獄も実は同じ場所。
ただ違うのは、思いやり与える心
わかち合う心があるかないか。これが天国か地獄かの分かれ道。

クラス内や部活内・自転車で道路を走っているとき、公共の施設や乗り物を利用したとき、どこかのお店に入ったときなどなど、自分の身近なところに当てはめてみて下さい。

地獄は、一瞬で天国に変わります。

2009年9月 2日 (水)

【第99回】留学とは…道上 ちひろ (英語)

 今日、交換留学生としてカナダから女の子がやって来ました。
彼女は1年間遊学館で日本語、日本の文化、それ以外にも多く学ぶことになります。
自らが生まれ育った土地を離れ、家族や友人と別れてきた彼女には、寂しさや不安な表情は全くなく、新しい土地での生活に期待を膨らませていることが手に取るように感じられました。

 彼女の姿を見ていると、私自身が大学時代にアメリカで過ごしていたことを思い出しました。
念願だった留学が現実となり、意気揚揚とアメリカへ向かいました。
しかし、期待とは裏腹に英語が思うように話せない、聞いても理解できない、英語を勉強しに来たのだから、アメリカ人以外とは話したくない。新しい文化には馴染めない、食べ物は油まみれ、待てどもバスは来ない…。なんでこんなところに来てしまったのだろうという、後悔ばかりの毎日が続きました。

 そんなある日、同じ授業を受けていた韓国人の女の子が話しかけてくれました。
「私のアパートでパーティーをするんだけど来ない?」
そう誘われて、おもいきって行ってみました。そこには、彼女をはじめ、アメリカ人、ブラジル人、トルコ人、アラブ人など様々な国の人たちが来ていました。

 そこで、私の留学生活を大きく変える出来事が起こりました。
それぞれ国籍も言語もちがう10人余りの人々が、英語というひとつの言語でつながっているのです。ある時は一斉に大笑いし、ある時は、真剣な表情で相手の話に耳を傾ける。またある時は、共感し、大きくうなずく。言葉の持つ力を心の底から実感した瞬間でした。言葉が通じれば、心も通じあえるのです。心が通じれば共感が生まれ、喜びにつながるのです。

 このことをきっかけに、私のアメリカ生活は大きく変化しました。
自分から、多くの人たちに話しかける、聞き取れなくても何度も聞き返す、新しい文化も受け入れるように努力する。それからは、多くの友人ができ、会話も上達していきました。たくさんの人たちに出会い、様々なことを学び、私の人生にとってかけがえのない経験となりました。

 1年間というのはあっという間で、別れの時が近づいたある日のことでした。
初めて、私をパーティーに誘ってくれ、ずっと仲良しだった彼女は私に言いました。
「私は、おじいちゃんに小さいころから、日本人とは仲良くしてはいけない、日本人は韓国人にひどいことをたくさんしてきたんだよ、といわれてきたの。」
「でも、ここで、あなただけでなくたくさんの日本人に出会えて本当によかった、私は日本人のことが好きになれたから。」

彼女のその言葉を聞いたとき、”留学”という言葉の本当の意味を知ったような気がしました。留学とは、その国の言語を学ぶこと、と思っている人は少なくないと思います。しかし、留学とは言語や文化を学び、そこから、心を通わせ、お互いを理解し合うことなのかもしれません。

 今回、カナダからやってきた彼女にも、1年を通し、自分にとっての留学の意味を見つけてもらいたいと願っています。