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2024年3月28日 (木)

【第828回】「In life, it’s not where you go, it’s who you travel with.」S. R. (国語)

In life, it’s not where you go, it’s who you travel with.
「人生においては、どこに行くかではなく誰と行くかが重要だよ」

 スヌーピーという朗らかなキャラクターを媒介にその見た目から想像できないような本質的風なことを伝えられると、ハッと何かに気づかされた気分になり、そのことを必要以上に真摯に受け止めてしまう気がします。私自身もこのスヌーピーのことばにふんわりと同意していたのですが、「いや、『どこ』も大事だな」と思わせられたことがあり、今日はそれについて書いていこうと思います。

 先日、vanvanV4で軽音楽部の卒業ライブを行いました。ご来場いただきましたみなさん、本当にありがとうございました。おかげさまで部員も私も楽しく過ごすことができました。私自身ホール・学校・教室ではなくライブハウスで演奏する・してもらうことにこだわりがあり、創部3年目にして部員の皆さんとその目標(わがまま)を達成できたこと、嬉しく思っています。「ライブハウスのライブは『音楽のライブ』の意味だけでなく『生きている』という意味を併せ持っている」ということを時折耳にします。隣の人の体温、目が痛くなるほどの照明、頭の中で響く爆音、ライブハウスという暗闇の中で五感で感じるすべてが自分の「生」を認識させてくれる。高校生という青春真っただ中のみんなにこの思い・経験を少しでも味わってもらいたくて、ライブハウスでの活動を目標にしてきました。ライブ終わりの部員のみんなの生き生きとした表情がとっても素敵で、V4という「場所」がみんなをこの顔にさせてくれたんだとふと思った時「どこ」の大切さに気づかされました。そして遊学館高校を卒業していく3年生が「軽音部という居場所があってよかった」ということを伝えてくれた時、これも「どこ」だなと直感的に思い、「いつでもここに遊びに来てください」ということばを返しました。

 いつでも帰ってくることができる「場所」があることは私立の高校という「場所」を選んで入学し卒業したみなさんの特権です。
 「誰」はもちろん大切です。ただし、みなさんは自分の意志で自分が自分らしく輝ける「どこ」も選択していってほしいです。


今年卒業していった軽音楽部の3年生へ
202403283年間(2年間)、楽しかったね。
ライブハウスが君たちにとって心動く場所であり続けますように。
次の場所での活躍を祈りつつ、私もここで輝き続けます。

2024年3月21日 (木)

【第827回】「この上もない楽しみだ」S. T. (数学)

私には2人娘がいまして、その娘が2人とも1月末からミニバスを始めました。
即、子どもとお揃いのバッシュを買い、一緒に履いて喜んでいます。
初めて一月程なのでまだまだ2人とも下手くそですが、一生懸命練習しています。
ドリブルをつけなかったのができるようになり、レイアップできなかったのが打てるようになり、練習試合で上級生相手にシュートを決めるなど、日に日に成長を見せて驚かせてくれます。

このブログのタイトルとした~この上もない楽しみだ~ですが、漫画『SLAM DUNK』にて湘北高校がインターハイ出場を決めた際に、素人なので一人居残り練習をさせられる桜木花道の
「この天才もIH間近でヒマじゃねぇ
 オヤジの道楽につきあってるワケにはいかないんだよ」
この一言に対して桜木のシュート練習を見守りながら、日々成長するその姿を眺める安西先生の思ったことが
「道楽か…そーかもしれんね」
「日一日と…成長が はっきり見てとれる」
「この上もない楽しみだ」
です。

まさにその心境。この上もない楽しみ。

この仕事は人の成長が見てとれます。
遊学館で何か一つでもいいので惜しむことなく熱量を注ぎ、私の道楽に付き合ってもらえればなと思います。

2024年3月14日 (木)

【第826回】「都会志向やめます」Ko. M. (英語)

 私は、石川県の中央部に位置する小さな町に生まれた。その町には山も河川も水田もなく、あるのは海岸と砂丘であった。いわゆる何もない田舎である。住んでいる家からは、耳を澄ませば波の音が聞こえるほどであった。当時、それが心地よかった。高校生になると金沢駅まで列車(当時は電車ではなくディーゼル)とその先は自転車で通学した。小さい時から金沢には何度も行ってはいたが、見える景色や会う人たちはガラッと変わり、少し大人になった気分だった。要するに毎日がとても刺激的であった。例えば入学した時、犀川の河原の桜並木がとても綺麗だった。川のない町に生まれた者にとって、その景色はとても新鮮に見えた。さらに通学途中で香林坊や片町などの繁華街があった。何しろ大きな書店やデパートがあり、食欲をそそる飲食店もたくさんあった。片道1時間半の通学時間は苦痛もあったが楽しみの方が勝った。こうして自分の中で都会志向が始まったのである。
 大学受験では更なる大都会への欲求が爆発し、東京に行くこととなる。東京を目指した理由は、単純に日本一の大都会だからである。まずは言葉の習得である。石川県の方言は田舎者扱いされた。「どこの言葉?」とか「どこの出身?」と聞かれるのが、恥ずかしかった。だから、一生懸命、標準語をマスターした。不思議なことに、自分で標準語を話しているつもりでも関東の人たちには違和感があるらしい。悔しくてイントネーションを一つ一つ改善させた。時々、同郷の友人と話す時もあったが、お互いに標準語で話すのはさすがに照れ臭く、小さな声で話し慣れている方言で話した。
 東京は田舎者の集合体であるともいわれる。初めて会った人から出身地を聞かれて、石川県と答えると、その反応はいろいろである。「へぇ~、石川県。寒いんでしょう?」「雪が多いんでしょう?」と否定的な発言が多かった。言っている人たちは悪気がないのはわかっているが、自分の故郷に対して悪口を言われているように聞こえた。これとは反対に金沢は認知度やイメージがよく、「金沢、いい所なんでしょう。」「今度行ってみたい。」「寿司が食べたい。」という人もいた。
 大学を卒業し、その後の就職もやっぱり東京。すっかり都会人になりすましていた。当時私は旅行会社に勤務していたので、お客さんを外国に案内することもあった。世界の大都会といえばニューヨーク。その他にもロンドン、パリ、フランクフルトなどをよく訪れた。ある時、何故か人がいっぱいいる大都会は落ち着かなくなってきた。齢をとったためだろうか。理由は小さな町の存在であった。ヨーロッパには人口が1万人未満でも魅力的な街が数多く存在する。中世の戦乱期には、街を守る城壁を張り巡らせ、今もなお当時の街並みやその町の伝統文化が残されている。例えば、方言や郷土料理や伝統産業などである。大都会とは対照的ではある。私は次第にこれらの小さな町が愛おしく感じるようになった。同時に、自分の生まれた町や高校時代に通学した金沢を軽視していたのではないかという疑念を抱くようになった。地方だからとか方言だから恥ずかしいというのは、全く意味がない。自分を育ててくれたこの土地に誇りを持たなければならない。これからは郷土の良さを発信することが大切であると強く感じたのである。それには郷土についての知識を身につけなければならない。少し調べてみると、明治時代初期、意外なことに石川県は都道府県別で人口が1位であった。もちろん東京や大阪よりも多かったことになる。当時の石川県は都会だったのかもしれない。
 最後に、能登半島地震では、多くの方が愛する人を失ったり、家を失ったりと想像を絶する悲しい思いをしたことだと思う。能登には真っ黒の能登瓦をのせた伝統的デザインの建物が多いが、民家が倒壊した映像を見ると胸が痛い。郷土を愛する能登の人たちの生活が一日でも早く平穏に復することを祈りたい。

2024年3月 7日 (木)

【第825回】「私は踊るアホです」小森 眞里奈 (国語)

「踊る阿保に見る阿保、同じ阿保なら踊らにゃ損損」

人はみな人生を苦しみ悩み、もがくアホです。何でも上手くいって見えるあの人も、何もかも手に入れて見えるあの人だってきっとそう。こんな人生という苦難に放り出され悩む私たちは、みんなアホ。

それならば!「見るアホ」 つまり、すかしてカッコつけた傍観者になるのではなく、「踊るアホ」 = 今をがむしゃらに精一杯生きて楽しむアホになりましょう!「踊るアホ」になるために、人の熱い姿をたくさん見て、感じて、一緒に一喜一憂したいと思っています。

世の中にはたくさんの熱い人がいます。私は、運動も音楽も芸術も出来ないけれど、できる限り現地へ応援に行って、鑑賞にいって、参加して、沢山の感動や熱い感情を共有させてもらっています。まだ幼いわが子たちにも、人の熱い姿を見て、肌で感じて欲しくて、一緒にいろんな場所へお邪魔しています。おすすめは、ライブ!そして、試合やお祭りです。

「他人ごと」を「自分ごと」のように楽しみ、喜ぶことができたなら!人生は何倍も輝き、彩るのではないでしょうか。

遊学館にも一緒に熱くなれるチャンスがたくさんあります。自分の熱くなれるモノがまだ見つかっていなくても!一緒に応援しましょう!一緒に踊るアホになりましょう!一度きりの人生、踊らにゃ損損!

20240307