【第826回】「都会志向やめます」Ko. M. (英語)
私は、石川県の中央部に位置する小さな町に生まれた。その町には山も河川も水田もなく、あるのは海岸と砂丘であった。いわゆる何もない田舎である。住んでいる家からは、耳を澄ませば波の音が聞こえるほどであった。当時、それが心地よかった。高校生になると金沢駅まで列車(当時は電車ではなくディーゼル)とその先は自転車で通学した。小さい時から金沢には何度も行ってはいたが、見える景色や会う人たちはガラッと変わり、少し大人になった気分だった。要するに毎日がとても刺激的であった。例えば入学した時、犀川の河原の桜並木がとても綺麗だった。川のない町に生まれた者にとって、その景色はとても新鮮に見えた。さらに通学途中で香林坊や片町などの繁華街があった。何しろ大きな書店やデパートがあり、食欲をそそる飲食店もたくさんあった。片道1時間半の通学時間は苦痛もあったが楽しみの方が勝った。こうして自分の中で都会志向が始まったのである。
大学受験では更なる大都会への欲求が爆発し、東京に行くこととなる。東京を目指した理由は、単純に日本一の大都会だからである。まずは言葉の習得である。石川県の方言は田舎者扱いされた。「どこの言葉?」とか「どこの出身?」と聞かれるのが、恥ずかしかった。だから、一生懸命、標準語をマスターした。不思議なことに、自分で標準語を話しているつもりでも関東の人たちには違和感があるらしい。悔しくてイントネーションを一つ一つ改善させた。時々、同郷の友人と話す時もあったが、お互いに標準語で話すのはさすがに照れ臭く、小さな声で話し慣れている方言で話した。
東京は田舎者の集合体であるともいわれる。初めて会った人から出身地を聞かれて、石川県と答えると、その反応はいろいろである。「へぇ~、石川県。寒いんでしょう?」「雪が多いんでしょう?」と否定的な発言が多かった。言っている人たちは悪気がないのはわかっているが、自分の故郷に対して悪口を言われているように聞こえた。これとは反対に金沢は認知度やイメージがよく、「金沢、いい所なんでしょう。」「今度行ってみたい。」「寿司が食べたい。」という人もいた。
大学を卒業し、その後の就職もやっぱり東京。すっかり都会人になりすましていた。当時私は旅行会社に勤務していたので、お客さんを外国に案内することもあった。世界の大都会といえばニューヨーク。その他にもロンドン、パリ、フランクフルトなどをよく訪れた。ある時、何故か人がいっぱいいる大都会は落ち着かなくなってきた。齢をとったためだろうか。理由は小さな町の存在であった。ヨーロッパには人口が1万人未満でも魅力的な街が数多く存在する。中世の戦乱期には、街を守る城壁を張り巡らせ、今もなお当時の街並みやその町の伝統文化が残されている。例えば、方言や郷土料理や伝統産業などである。大都会とは対照的ではある。私は次第にこれらの小さな町が愛おしく感じるようになった。同時に、自分の生まれた町や高校時代に通学した金沢を軽視していたのではないかという疑念を抱くようになった。地方だからとか方言だから恥ずかしいというのは、全く意味がない。自分を育ててくれたこの土地に誇りを持たなければならない。これからは郷土の良さを発信することが大切であると強く感じたのである。それには郷土についての知識を身につけなければならない。少し調べてみると、明治時代初期、意外なことに石川県は都道府県別で人口が1位であった。もちろん東京や大阪よりも多かったことになる。当時の石川県は都会だったのかもしれない。
最後に、能登半島地震では、多くの方が愛する人を失ったり、家を失ったりと想像を絶する悲しい思いをしたことだと思う。能登には真っ黒の能登瓦をのせた伝統的デザインの建物が多いが、民家が倒壊した映像を見ると胸が痛い。郷土を愛する能登の人たちの生活が一日でも早く平穏に復することを祈りたい。