ある朝,職員室の電話が鳴った。
「Nさんという方からお電話です」
Nさんという名前は,自分の記憶の中ではたった一人しかいない。
小学校5年生と6年生の2年間,クラスの担任をしていただいた先生だ。
書道の師範でもあり,その達筆ぶりは,教科書の手本として載るほどだった。
第二次世界大戦時には出兵され,苦労されたお話は今でも強く印象に残っている。
「おぉ,渡辺君か!」
まさかと思ったが,受話器から聞こえたのは,紛れもない,N先生のお声だった。
もう90歳になるという先生のお声は,わずかにかすれて聞こえはしたが,あの頃と同じように力強かった。
お互いの近況を交わしながら,先生が私のことを覚えていてくださったこと,
そしてわざわざお電話をくださったことに,感謝と感動を覚えた。
私が先生のクラスの生徒になったとき,先生はすでにベテランの貫禄たっぷりだった。
悪ガキ連中もそばを通るときは緊張したものだった。
私も悪友たちと先生を手こずらせたクチだ。
運動会の練習では,いつまでもダラダラとおしゃべりをしていて,案の定,先生から目をつけられた。
こんな時先生は,まるで下っ端の兵士を懲らしめるように
「目をつぶれ!歯を食いしばれ!」
と言って,強烈なビンタを見舞われた。
それが頬を直撃したときは本当に痛かった。
いつも叱られていた私は,何度も先生の平手打ちを受けるうちに要領を覚えた。
その大きな手が当たる瞬間,大げさに体を振って,痛くないようにしていたのだ。
それも先生はお見通しだったはずだ。
だがそんなときも先生は,それ以上私たちを追い詰めることをされなかった。
厳しさの中の優しさ,暖かさを教えてくださっていたのだと思う。
先生のクラスで学んだ2年間は,私の人生の中で,貴重な思い出となっている。
先生,ごめんなさい。
今の時代で,ご自分が力で制する教師だったように受け取られると,不本意でしょう。
しかし理由があって叱られるのだから,当然ですよね。
私は先生のご指導で学び,成長することができました。
先生には畏怖の念こそあれ,嫌だと思ったことは一度もありません。
本当にありがとうございます。
N先生以外にも,素晴らしい恩師との出会いがあるが,文字数の都合上,またの機会に書きたいと思う。
学校生活で教えていただいた中で忘れられないのは,厳しい先生が多い。
どうしてだろう。
実はそういう先生は厳しいばかりではないのだ。
言い方を変えれば,本気で接してくださった先生ばかりだ。
厳しさと同じぐらいの愛情を感じられれば,生徒にとって,一生の恩師になるのだと思う。
現代の中高校生や若い世代の人たちに言いたいことがある。
道徳的な価値観や判断基準は,時代の変化に伴って,変わるものだ。
現代は非常に速いスピードで,価値観が変化している。
まさに今は過渡期と言っていい。
今は正しいと言われることが,数年のうちに変わることもあるだろう。
私は厳しいながら,本気で関わってくださる先生方に学び,成長することができた。
決して力や強い言葉による教えを肯定するのではない。
しかし,深い愛情と強い精神力が基盤となって,日本の発展の礎を築いた時代があったことも知っておいてほしい。
誤解がないように願いたいが,私が尊敬する先生方も,生徒を傷つけることは一つも望んでいなかったはずだ。
方法論は様々だが,体当たりで教育に携わる先生に,生徒が学び,成長する。
一つの理想であるかもしれないが,その状態が当然であるとも言える。
過去を知らない,声の大きな人たちと,現代の速い変化にとまどいと疑問を抱く者たち。
今はその両者が混在する時代だろう。
お互いを理解しながら,新しい時代を築いていけたら素晴らしいだろうと思う。