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2019年6月13日 (木)

【第583回】 「人間は万物の尺度である」松田 淳 (地歴・公民)

 2019年6月11日(火)本日の3年生『倫理』の授業で取り上げた言葉が、古代ギリシャの代表的ソフィスト、プロタゴラスが語った「人間は万物の尺度である」という言葉です。
 プロタゴラスは、真理の基準は一人ひとりの感じ方・とらえ方によって変化するもの、それまでの絶対的な「真理」と考えられてきたものは人間のとり決めに過ぎない、一人ひとりの判断が物事の真偽を決めるのだとしたのです。
 ひと通りの説明を終えて、この「人間は万物の尺度である」という言葉に賛成か(受け入れられるか)、反対か(抵抗感を感じるか)とクラスの生徒たちに聞いてみました。

【賛成派】・一人ひとりの考えが尊重されるようなイメージを持つ。やる気がわく。
     ・自分のことは自分で判断すべきだと言われているよう。
     ・様々な意見や価値を認めるべきだと思う。
     ・今やっていることを見直すきっかけになるような言葉。
     ・人間には“考える”という能力が与えられている。存分に発揮すべき。
     ・ひとつの考え方、一人の考え方に縛られる必要は無い。多様であるべき。

【反対派】・“万物”という言葉がひっかかる。そんなに人間って偉いか。
     ・人間って傲慢(ごうまん)だ。人間だけがこの星に生きているのではない。
     ・一人ひとりの判断がすべて正しいとは限らない。
     ・この世の中が収拾つかず、まとまらないような気がする。
     ・人間の許容量には限界がある。本当にすべてを判断できるのか。
     ・いじめや体罰が人それぞれの考え方によって認められることにならないか?

 高校生の感性はとても良いですね。ハッと気づかされます。私が高校生の時にこのような考え方や発言ができたかなぁと振り返ります。
 高校時代は正義感が強く、大人の正しい行為には共感し、ズルい行為には見抜く力を持つ。かといって、自分自身の弱さや能力の限界がわかるがゆえに困難から避けたい、楽をしたいとも思う。ゆえに、その尺度は一人ひとり様々であり、日々、揺れ動いている!?
 実は、実験をしてみました。あるクラスには解説として賛成派の意見を先に紹介しました。すると、賛成論・反対論では賛成論が多数になる。別のクラスには、反対論から先に解説する。結果、議論の場では反対論が多くなる。(もちろん誘導していませんよ。)
 それだけ高校生は純粋というか、まっすぐに物事を吸収する。(吸収してしまう。)
 さて、今日の授業を受けた皆さん!
 世の中はある意味、「人間は万物の尺度」でなければならない。でも反面、「人間は万物の尺度」でないこともたくさんある。それを見極めるためには、バランスよくいろいろな教科の考え方を学ぶべきです。そして、いろいろな人に出会って、いろいろな考え方に触れることが大切です。
 3年生のみなさん!卒業して進学する人、働く現場に入る人といろいろな進路に進むでしょう。社会に出て、しばらくしたらもう一度、「人間は万物の尺度か?」と聞いてみたい。大人になった皆さんは、どのように答えるでしょうか?
 まずは、高校生としての今の感性を大切にして、高校時代に何を考えていたか記憶に留めておいてくださいね。一つひとつが成長へのステップなのです。