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2021年12月 2日 (木)

【第708回】「マスクの下の素顔」M. H. (英語)

 11/30から期末試験が始まった。私が担当している科目が初めの方に集中していること、熱心な2年生の選抜クラスを担当していることなど、様々な事情が重なって、試験直前は生徒の下校時間ギリギリまで勉強に付き合う日々であった。世間より一足先に師走に突入した感がある。

 さて、4月から勤務することになった私は、1年生はもちろん、全ての人と、マスクをつけた姿で出会うという特殊な出会い方をした。つまり、鼻から下の姿が分からない状態からスタートした。時が経つにつれて、休憩時間の飲食などで顔全体が見える機会が出てきた。文字通り素顔が明らかになる瞬間である。実は口には出したことはないが、思っていたのと違うという印象を抱くことがしばしばあり、勝手なイメージを作っていたのだと気付かされる。
 私も生徒からマスクを外した姿を見たいと言われることもある。残念ながらそのリクエストに応えられる日は遠そうだが、私が職員室でお茶を飲んだりご飯を食べたりしているところを目撃した、と自慢げに話す生徒もいる。また、ある女子生徒は試験勉強がひと段落した時にカロリーメイトを食べようとしたが、食べている姿を私に見られたくないという理由で顔を背けて食べ始めた。乙女の恥じらいなのかもしれないが、こういう出来事も素顔を知らないからこその出来事のように思える。このように、マスクをつけているという状態は感染予防以外にも色々な彩りを日常に添えてくれている。

 素顔という言葉は、平時であれば内面を指すために使われる。同じように「化けの皮がはがれる」「猫をかぶっている」という言葉も、文字通り皮膚がめくれたり、さかなクンのようにかぶりものをかぶったりしているわけではなく、内面のある部分が現れたり現れなかったりする時に使う表現である。さらに言えば、性格を意味する英単語personalityの語源はラテン語のpersona(仮面)である。このように、人の内面を表す言葉には、物理的な側面から表現されているものがある。そして、これまでの経験からいうとただの喩えや言葉遊びではなく、外面を知ることと内面を知ることは本当につながっているように感じる。

 今年もそろそろ終わりが見えてきた。残り少ない期間であるが、これから生徒たちはどんな「素顔」を見せてくれるだろうか。