2013年8月15日 (木)

【第292回】 チョークと応援メガホンとMi. Y. (英語)

私が遊学館高校で教え始めてから5年目になります。教員として嬉しく思うのは、生徒たちが素直で明るく、教師の私は楽しく教えられることです。時々「授業の進み方が速すぎます。」と苦情を言われることもありますが、そんな時は自分の得意なフランス語の話をしたりします。例えばフランス語では語尾の子音字は読まないことが多いので、Paris は「パリス」ではなく「パリ」であり、また restaurant は「レストラントゥ」ではなく「レストラン」となることなどです。このようにして日本語・英語・フランス語の共通点や相違点に目を向けさせ、言語に対する興味を持ってもらうようにしています。

さて授業の終了チャイムが鳴って職員室に戻る全ての教員の手はチョークで汚れています。私も他の教員たちと同様に右手はチョークだらけです。そんな手を洗いつつふと思ったことがあります。チョークで手が荒れるのだから野球のピッチャーの手も荒れているのだろうな、と思ったのです。今年私はクラス会長がピッチャーであるクラスを担当しています。私と生徒たちとの接点は教室の他に野球の応援があるのです。

遊学館野球部と私の出会いは2009年の北信越大会県予選だったと思います。前年に家内を亡くして落ち込んでいた私は、休日は魚釣りに没頭していたのですが、たまたま担当クラスに野球部の選手が多かったので、その生徒たちを励ましてやろう、と思い、野球場へ出かけました。選手たちのひたむきさと保護者応援団の熱心さ、外野へ飛んでいく白球、勝利の喜び、全てが私には新鮮でした。私は選手たちに励まされている自分をみつけました。その試合から私は観客から応援団になりました。

野球場で私のいるところは保護者応援席です。私は自分を保護者の一員として考えています。試合に出ている選手たちはもちろん、ベンチ入りできずに応援に回っている生徒たちも、またマネージャーの女生徒も、みんな私の息子・娘たちなのです。私に元気を与えてくれる大切な子供たちなのです。他の保護者の皆さんと共に、彼らの活躍を願い、力一杯メガホンを振っています。

今年、本校は残念ながら甲子園に出場することはできませんでした。生徒会長のN君は涙を流しながら私の手を握り、「後輩をよろしく頼みます。」と言いました。もちろん私はこれからも遊学館野球部を応援し続けるつもりです。

私に高校野球の素晴らしさを教えてくれた2009年の野球部は甲子園への出場はできないまま卒業しましたが、彼らのうちの一人は大学野球で頑張っています。私は卒業後も彼ら野球部員たちがしっかり人生を歩んでいってくれることを願っています。

2013年8月 8日 (木)

【第291回】 『まっくろくろすけの応援』道上 ちひろ (英語)

今年もまた、暑い暑い夏がやってきた。

今年は梅雨明けも遅く、蒸し暑さもきつく感じる。

遊学館にとってこの時期はなんと言っても、夏の甲子園石川県予選大会である。

この時期、授業に行き野球部の生徒を見ると、

「きっと試合のことで頭がいっぱいなんだろうな」、

「いつも以上に、この時期は疲れているんだろうなぁ~」

となんとなく思う。

「この構文は大切だから必ず覚えておいてね!」

という私の言葉も、この時期の彼らには、全く聞こえていないかもしれません。smile

それでも、眠気に打ち勝とうと頑張って授業に臨んでいる姿があります。

大会が始まり、1回戦のハラハラを打ち破り、準決勝の日を迎えた。

野球部の勇姿を見るために、そして勝利を願いたくさんの生徒が応援にやってきた。

応援団の先生や生徒たちは汗だくになりながら朝から準備をしている。

体育会系でもなく、スポーツ観戦からもほど遠い私も、この時ばかりは万全の紫外線

対策で応援に臨む。

頑張っている野球部の生徒や応援の生徒には大変申し訳ないが、

応援時の私の服装は、黒いズボンに黒いTシャツ、黒いつば広帽子に、黒いロング

手袋、そして真っ黒サングラス。

まさに、“まっくろくろすけ”である。catface

応援に来る途中にコンビニに立ち寄った。

遊学館の対戦チームの応援Tシャツを着た人達を目にしたとき、なんとなく力が入り、

まっくろくろすけも「頑張って、負けないで!」

という気持ちになる。

試合が始まり、スタンドでは真っ黒に日焼けした野球部員たちが汗だくになりながら、

応援ダンスと共に惜しみないエールを送り続けている。

これぞ、正真正銘“まっくろくろすけの応援”である。炎天下4時間もの間、

勝利のため、仲間のために応援し続ける。とても素晴らしいことである。

同点のまま13回を迎えた。勝ちたいという選手たちの頑張りと応援する人たちの

気持ちがひとつになったのか、さよならホームランで勝利することができた。

試合が終わり、球場に止めてある車に乗り携帯電話を見ると、友人や兄から

メールが届いている。

「遊学館勝ったね、よかったね!あの応援面白いね!」、

「明日、仕事休みやしテレビで応援するわ!」など。

決勝戦では星稜高校には一歩及ばなかったけれど、野球部のみんなの頑張っている

姿を通し、きっとたくさんの遊学生が、

「自分も部活動がんばろう」、「私も受験勉強がんばろう」

「僕も頑張れるものを見つけないと!」と思ったはずです。

野球部のみなさんお疲れさまでした。また来年も頑張ってください。

遊学館の人たち、そして遊学館以外のたくさんの人たちが、野球部のみんなのことを

応援しています!!

2013年8月 2日 (金)

Vol.19 大丈夫。私たちが日々やっていることは間違いない。自信を持とう!松田 淳 (地歴・公民)

 久々にこの“教員一覧”の自分のコーナーを見て、ずっと投稿していなく恥ずかしい限りです。一時は「定期的に更新する!」と決めていた初心はどこに行ってしまったか…。大いに反省です。これでは生徒に偉そうなことは言えませんね。(笑)

今週火曜日、本校は全校登校日でした。多くの先生方が遠征や出張でいなかったので、朝の校門での遅刻指導にピンチヒッターとして出ていました。今、本校の正面の道路は側溝の工事をしており、多くの工事関係の方や安全誘導の方がお仕事をされています。
 3名ほどの方とご挨拶方々、お話をさせていただきました。昨日の小松の梯川の増水の話、道幅が広くなり助かることなど、蒸し暑い朝でも、大変爽やかな笑顔での会話でした。
そのなかで心から嬉しかったこと。「ここの生徒さんは本当に挨拶してくれますね。“こんにちは”とか“ありがとうございます”とか。いい学校ですね。」と いただいたひと言です。そのあとに体育館で行なわれた全校集会で、生徒全員に向かって、「大丈夫。私たちが日々やっていることは間違いない。自信を持と う!」と呼びかけました。
 もちろん、まだまだ未熟な面も多々あるので、生徒に対しては“日々声かけ・日々鍛錬”と心に言い聞かせています。その遊学館の基本的な生活姿勢が褒められたことは正直、心から嬉しいです。
 教師になって28年目、現在50歳。若い世代の先生、そして、大人のみなさんに心から伝えたい。生徒たちを肯定的に、かつ希望を持って接すれば生徒たちはそのように伸びていきます。“鏡の法則”です。自分の心の有り様はそのまま生徒に伝わるものです。  ですから、私自身、生徒より先に挨拶します。生徒より大きな声で挨拶します。それを自分の教師を続けていくうえでの信念としています。

 今日は、久しぶりに金沢には夏の青空が戻ってきました。また、蝉のにぎやかな声が聞こえてきます。 Japan Cupマーチングバンド・バトントワリング全国選抜大会まで、あと28日…。

職員室の机上のPCより

2013年8月 1日 (木)

【第290回】 感動半分と残念半分の準決勝・決勝M. K. (数学、情報)

 7月27日(土)、28日(日)と2日間、野球部が甲子園を目指した戦いを観ることができ、今は、残念な思いが半分と、感動した思いが半分といったところか?

 7月27日(土)準決勝vs金沢高校戦。昨年は、1年生大会を含めて4連勝中とはいえ、さすがに金沢高校は簡単に勝たせてくれないということを改めて思い知らされた気がする。そして延長戦に入ってから、遊学館はなかなかヒットが出ず、遊学館高校3年生野球部の夏はこれで終わりなのかという思いにさらされた。ただ遊学館は投手陣が豊富であり、打線が必ず打ち崩してくれるという思いが通じたのか、藤口君がサヨナラホームランを放ち、諦めないことの大切さを学ばされた気がした。

 7月28日(日)決勝vs星稜高校戦。新チームになってから1度も勝ったことがないということだったが、春の北信越優勝校は遊学館という思いがあり、先発ピッチャーもわかっており、遊学館は必ず打ち崩せると信じていた。しかし、世間はどうも星稜高校が甲子園に行ってもらいたいように感じていた。それは、決勝戦の前日に簑島高校が29年振りの出場を成し遂げ、監督は尾藤監督。また、野球部の生徒から夏の全国高校野球の開会式には松井秀喜氏が参加するという話を聞き、試合前からちょっと嫌な予感を感じていた。そして試合は始まり、星稜が先制点をあげてからは、遊学館が追い上げるという展開だった。残りの8回、9回裏の2イニングは満塁のチャンスとなったが、どうしてもピッチャーを攻略できずにゲームセットを迎えてしまった感じがする。しかし、出場した選手、声を枯らしてまでも応援し続けた選手、暑い中を閉会式まで見届けていた生徒達を見ていたら、負けた悔しさは多分にあるが、負けて多くを学ぶことを自分自身改めて感じさせられた2日間だったように感じた。

 野球部3年生の高校野球はこれで終わり、次の進路に向けて頑張ってください。熱い戦いを見せていただき本当にありがとうございました。

2013年7月25日 (木)

【第289回】 『朝読書』M. N. (国語)

 毎日1時間目の授業の前に、「朝読書」という時間が設けられていますが、その時間に生徒が読んでいる本の表紙を眺めていても、かつての文豪たちの作品や、まして古典作品を読んでいる生徒の姿にはなかなか出会えません。
 古典というと難しいイメージからか、内容を理解する前に拒絶反応を示されることが多いように思います。難しい文法や聞きなれない単語によって苦手意識が芽生えてしまうために、物語自体の読解というところになかなか進めないのかもしれません。
 しかし、生徒に接していて興味深いことは、話の内容を理解できた瞬間に自分たちの感覚で考えてみることです。特に恋を題材に詠まれた和歌や恋心を描く物語への感情移入は、現代の小説へのそれと変わらないものがあるように感じられます。

『思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを』

 これは小野小町が詠んだ和歌です。

『あの人のことを想いながら寝たから夢に出てきたのだろうか。
 もし夢だとわかっていたなら、目を覚まさなかったのに。』

 この小野小町の詠んだ気持ちは現代人にも共感できるものではないでしょうか?またこの歌から、いろんな想像もできると思います。いい夢を見ていたのに、急に目が覚めてしまったのかな、きっといいところで目覚めてしまったんだろうな…と。
 生徒たちがこういった作品に共感を示す姿を見ると、微笑ましく思うと同時に、その感動を「ヤバイ」というオールマイティーな一言で済ませてしまうではなく、古人のように言葉尽くしで伝えられるようになってほしいと思わされます。
 言葉尽くしへの近道は言葉遊びではないでしょうか。言葉を駆使して「うまいこと言う」ことによって、「ヤバイ」の一言以外の、たくさんの言葉を使いこなせるようになるのではないかと思うのです。そしてそれが古人とさえリンクできる生徒たちの感性を内から外へと発信する力となり得ると感じます。
 このことから、古典文学・現代文学問わず、いつもは手に取らない本にもチャレンジし、いろんな作品に触れいろんな言葉を知り、感性と言葉を磨いていくそんな読書の時間を持ってほしいと思っています。