2009年11月18日 (水)

【第109回】情熱の勝利!!オリンピック開催地Y. M. (地歴・公民)

 2016年のオリンピック開催地はどこに決まったかご存じでしょうか?
残念ながら東京は落選してしまい、ブラジルのリオデジャネイロに決まりました。そのニュースを聞いて、ふと昔のことを思い出してしまいました。

今から15年前、私はブラジルのサンパウロという大都市から500キロぐらい離れた小さな町にいました。日本で出会ったサッカーのブラジル人コーチからもっと多くのことを学びたいと思い、ブラジル行きを決めました。自費で行くとはいえ大学在籍中ということもあり両親は反対というよりも戸惑っていましたが、1年で必ず日本に戻ってくるという約束で両親に許してもらいました。

 本来の目的はサッカー。しかし、それ以外の多くのことをブラジルという国で学ぶことができました。

 何がすごいって、国民が一生懸命なことをもっているということです。私の印象では必ずしも働くことに対しては一生懸命ではないような気がしましたが…。

 1994年にその地に降り立ったのですが、この一年はブラジル国内でいろいろなことがありました。F1レーサーのアイルトン・セナがレース中に事故死をしました。その時はすべてのテレビ番組がアイルトン・セナの葬儀を放送し、町の店も臨時休業、サッカーのプロチームも確か3日ぐらい練習が休みになりました。全国民が悲しんでいました。

 そうかと思えば7月にはアメリカで開催されたサッカーのワールドカップでブラジル代表は優勝して歓喜に包まれました。私がいた小さな町でも夜中までクラクションを鳴らし、荷台に乗っている少年がブラジル国旗を振りまわしながら走っている車を何台も見かけました。

 年が明けると1月には新聞の1面に戦後の焼け野原のような光景の写真が掲載された記事がありました。なんと現在の日本の様子と書かれていたのでびっくりしました。
阪神淡路大震災です。この時、私の仲間たちは自分の家族を心配するかのように気遣ってくれました。

そして2月になるとみなさんもご存じだとは思いますが、カーニバルがあります。特に上記で触れたリオデジャネイロは世界中から観客が集まってきます。カーニバルは大都市で開催されるだけでなく、各都市、町ごとで規模はまちまちですが行われています。この期間は特に国民の休日でもないのですが、当たり前のように仕事を休んで大盛り上がりです。

 ブラジルは発展途上国で日本人が当たり前と思っている生活もできない人たちがたくさんいます。仕事がない人、仕事がないから食べることにも不自由し、そんな状況から生き残るために罪を犯したりと、非常に不安定な生活を強いられている人たちがたくさんいます。

 しかし、うれしい時、悲しい時に心底表現できる姿は日本人として羨ましさを感じました。
 国民性といったらそれまでですが、不安定な生活の中で、日本人の我々であればそちらのほう(苦しい生活)が気になって夢中になれることがあっても、気持ちが向けられないのではないかと思います。
 大変だけれども苦しい状況だけれども夢や希望を持つことで生きるエネルギーを蓄えて、それが支えとなって未来へ突き進んでいくことが大切だと学びました。

 最初に触れた、オリンピックを開催する予定のリオデジャネイロは治安も悪く、それ以外のこともいろいろな問題を抱えている都市ですが、オリンピック開催の熱意がどの都市よりも感じられたという報道が流された時、ブラジル人の熱意に国際オリンピック委員会も心を動かされたのだなと思いました。

 リオデジャネイロでのオリンピック開催に思うことは、生活が苦しい状況の貧しさはあっても、心が貧しくなることのないブラジル国民のパワーの強さです。
 私も含めて時間に追われて生きている日本人が持っていくことが必要な心ではないでしょうか?

2009年11月11日 (水)

【第108回】夢山本 雅弘 (保健体育)

ニュウヨーク2009年MLBワールドチャンピオンにニューヨークヤンキースが輝いて、そのMVP(最高殊勲選手)に松井秀喜選手が選ばれました。松井選手の自著の中で「ヤンキースがワールドチャンピオンになって、自分がMVP選ばれるような選手になりたい」と、述べています。

ある新聞記事に夢を実現した松井選手はすばらしい…と、書いてあった。また、松井選手は7年間、彼の生き様である「耐えて勝つ」をつらぬき彼の夢を獲得した…、とも記事に書いてありました。

誰もが「夢」を持ち、その夢を実現するために努力をして、その夢を実現することが理想の生き方であるが、理想どおりいかないのも人生なのかもしれません。「夢」には実現が比較的やさしいものと、非常に困難なものもあると思います。

私は中学1年の時から体育の先生になるのが夢で、その夢が実現して今日に至っています。これは、やさしいものの中にはいるのかもしれません。松井選手の実現した夢は夢の中の夢のような、ほとんど困難なものです。その、困難な夢を実現したからこそ報道で大きく賞賛されているのでしょう。しかし、どんな夢であろうが差別すべきでないことも確かです。

私は教員になって36年になります。
授業の中で「自分の夢」について問いかけていますが、その答えかたが大きく変わってきているように思います。私の若い頃はほとんどの生徒が「公務員になりたい」「飛行機のパイロットになりたい」「看護婦になりたい」等々、夢に溢れる答えが返ってきました。

しかし、最近の生徒はごくわずかの生徒しか答えてくれません。多くの生徒が「わかりません」「ありません」「まだ考えてないです」等、さみしい答えが返ってきます。「今は夢を持っても実現が難しい世の中だから…」「昔と違うから…」と、言ってしまえば終わることかもしれません。しかし、実現しなくても夢を持ち、夢に向かって努力する姿が大切であることには間違いないはずです。

今年は政治の世界も大きく変わろうとしています。
これを期に、若い世代が夢を持てる世の中に変わってほしいものです。
以前のように、眼が輝いて自分の夢を大きな声で答えられる若者が増えてほしいものです。

2009年11月 4日 (水)

【第107回】受験真っ只中…Y. H. (英語)

 今年は、3年ぶりに3年生の担任です。私のクラスは3-3組。
新校舎になり、全てのものが真新しく、生徒も私も心地好い学校生活をスタートさせました。
ひとつ気になるのは校舎内がガラス張りであること…。

我がクラスは職員室や校長室からも近いということもあって、生徒たちはかなり緊張した日々を送っていたようです。その状況が好転したのか、1学期の生徒たちの授業態度は良好で成績に反映しました。担任としては、「この状況が続いてくれればいいな・・・」と思っていましたが、最近は徐々にガラス張りの環境にも慣れ、少し気が緩んでいるようです。生徒いわく、自分らしさを出せるようになったそうです。 

ただいま、3-3組は受験真っ只中…気が緩んでいた生徒も、真剣さを取り戻し受験の準備にいそしんでいます。中にはすでに合格通知をもらった生徒、試験が終わり合格発表を待っている生徒、出願を終え受験勉強に励んでいる生徒、それぞれの状況でお互いを励まし合い、またアドバイスを与えながらクラス全員が合格を目指し、ひとつになっている様子を見るととても嬉しく思います。

 「今日、合格通知が届いたよ。」とある生徒が言うと、全員から拍手が沸き起こります。
とても和やかで、温かい雰囲気です。みんなが友達の合格を、自分ごとのように一緒に喜んでいます。

 私は3年生の担任がとても気に入っています。生徒はこれまでと違って他力本願から自力でものごとを行うようになり、また甘えがなくなり一人の大人として会話ができるようになるからです。一人ひとりの生徒の3年間の成長が垣間見れる嬉しいひと時です。

 これからまだまだ受験を迎える生徒がいます。私は少しでも彼らの役に立てるようにアドバイスをしていきたいと思います。そして、3-3組のみんなが笑顔で卒業できるように取り組んでいきます。

2009年10月28日 (水)

【第106回】PS僕は元気です福田 圭一 (保健体育)

 今更ですが、インターネットや携帯電話が普及し、何処にいても世界の状況が分かり、簡単に連絡を取れるというツールが増えてきました。便利になった反面、一昔では考えられなかった事件が多発しているのも事実。

保健体育以外にも商業科目でビジネスマナーを担当する者として生徒に、『社会に出て大切な事のひとつに電話の対応』と指導していますが、私自身も対応には気をつけねばと感じる部分が多くあります。

便利なことに携帯に登録してあれば、相手が誰か分かるようになっており友人だと『おう、どうした?』という風に電話に出たり、逆に大学時代の恩師などからの電話には姿勢がよくなり目の前に相手がいないにも関わらず頭を下げたりする自分がいます(笑)

自宅への電話であれば『今日はもう遅いから明日にしよう』とか異性に電話する時は『福田と申しますが、○○さん居られますか?』と緊張し、父親がでようものならその時点で『電話を切りたくなる』事もあった時代…(私はそんなことはしていませんが)『親や家族が電話に出るから挨拶をし、本人に繋がる』今はこの手間が省けた分、『自分の子供はどんな友人と付き合っているのか?』と感じる親御さんも多いのでは…。

デートなどでも前日に待ち合わせの場所、時間をしっかり決めておかないと大変なことになる。その為、時間にも厳しかったように感じます。(一昔前のトレンディードラマではヒロインが近くにいるのに逢えなかったり、雨の中、何時間も待つというシチュエーションがあったのに)
今だったら考えられませんがそんな時代でした。

だからこそ今、丁寧な言葉使いやこころを込めた手紙が喜ばれるのだろうと思います。自分も大学時代を共に過ごした仲間たちとも連絡を取る事も多くは無くなりましたが…。

最後に便利なツールを使って『自分がこの遊学館で生徒と共に元気で活躍している所を知ってもらえるよう』今年こそ女子バレー部員と最後の春高バレー、代々木の出場を達成できるようこのホームページで良い報告ができるよう頑張ります。

2009年10月21日 (水)

【第105回】希望中村 ゆかり (国語)

 一雨ごとに寒さが増す季節を迎えた。
高校3年生にとっては、それぞれの進路を選択しなければならない人生の岐路に立たされる時期でもある。

 先日上陸した台風は列島を縦断し、各地に様々な爪あとを残した。
予測していたほどではなかったにしろ、農作物には大きなダメージを与え、交通機関はマヒした。県内でも突風にあおられ、樹木が倒れたり、小中高のほとんどの学校が休校の措置をとった。昨年の浅野川の氾濫といい、近年の災害は温暖化の影響もあってか集中的な豪雨や、竜巻といった激しい様相に変化しているように思われる。

 1991年に日本を襲った「台風19号」は、津軽地方全域にわたって大きな被害を与えた。特産品を生産しているリンゴ農家にとっては、死活問題となるほどの打撃であった。手塩にかけて育ててきたリンゴの実が、あたり一面に無残な姿で転がっている。その様子を目の当たりにした人々の気持ちは、どんなに辛かったことであろう。

実際に再建を断念して生産農家を辞める人もあったそうだ。しかし、その危機を救ったのは、ほかならぬ「リンゴ」であった。台風の後、木に残ったものを「落ちないリンゴ」と銘を打ち、
全国の受験生に向けて販売したのである。「リンゴ」は飛ぶように売れ、農家に希望が生まれた。窮地に立たされても負けることなく、努力と工夫を重ねる姿勢には頭が下がる。

 本校の3年生もそれぞれに本番を迎えつつあり、就職試験や、推薦入試に向けての準備に余念がない。終礼後に面接練習をしたり、志望動機を文章にしたりと、遅くまで残って奮闘している。

早朝、放課後と時間を惜しんで毎日質問をしに職員室にやってくる生徒には先のリンゴ農家ではないが、本当に頭が下がる。自分自身の進路なのだから当然のことをしているわけではあるが、先生方の指示を仰ぎ、努力を重ねる姿を見るたび、晴れて自分達の希望する進路に進んでほしいと強く感じる。

 ともあれ、台風一過の青空は、まさしく秋晴れそのものである。
これから本番を迎える受験生達の前途にエールを送ってくれているかのようで清々しい。
彼らの努力が報われ、朗報をもたらしてくれることを心から祈りたい。