2013年7月11日 (木)

【第287回】 星に願いを  ~もうすぐ君に逢える~福田 圭一 (保健体育)

 先日は母校の大学の石川県同窓会がありました。
総会・大学近況報告(学長は石川出身で今回、来られました)
また講演会・懇親会とあり、温泉に浸かり、普段会うことのない先輩方(そうそうたる面々です。)や後輩と交流して来ました。多くの卒業生がいるなかで、所用もあり参加できない方もいらっしゃったのですが、皆さん母校に誇りを持っておられることを改めて実感しました。また私のような者にも企業で活躍されている先輩や教育現場で(特に部活動の一線で)活躍されている先生方から真剣なお話が聞けて凄く力が漲る一日となりました。(その気持ちが持続できない弱い自分です 笑)後輩たちは教員が多かったのですが、野心に満ち溢れギラギラとしていて、自分も負けられないなと思った反面、『違う競技で良かったー。あいつらと戦ったら危ない』という自分の憶病な部分を再確認しました。笑

 朝、温泉にもう一度浸かり、おいしい朝食を食べて午後からの練習をする為に気分よく学校に来ました。丁度、嫁さんからの電話『今日、何時に帰ってくる?』とのこと(優しい口調ではありません)『6時頃じゃないか』と電話を切り、中部日本大会前ということもあり集中して熱く活動を終え、気づくと5時20分。やばい、慌てて帰ったのですが、6時25分くらいでした。家には嫁さん、2人の子供たちの姿はなく・・・。

 着替えていると、母屋から母親が来て一太朗ら『お父さん待っとってもこんし俺ら七夕いくわ』と言って、ちょっと前に出たということ。そうか今日は七夕かとダッシュで父に車で送ってもらい途中で合流しました。私たちの地元は、とある神社に七夕を持って行きお参りするという風習があります。うちの七夕の短冊には3歳の娘が『アンパンマンになりたい』と書いていました。自分も2,3のお願いをし、家に帰りました。(欲張りですかね)

 2014年の年初め。『今年はおねぇちゃんたちとディズニーランド行ける?』という自分の子供たちの願いと、(我が家では春高バレーに出場すれば試合後、ディズニーに行くということになっています 笑)自分一番の願いを叶えるため、知恵をしぼり、仲間としっかりと準備をして、残念ながら同じ夢が叶わず破れた卒業生の魂も込めて夢にチャレンジします。熱い夏を乗り切り、

  『 行くぞ! 春高 』

2013年7月 8日 (月)

【第286回】 『戦おう、人生をかけて。』H. J. (英語)

18歳。とにかく先生になりたかったあの頃。

でも幼い頃からの夢を叶えるには、
とりあえず大学に進むことが絶対条件でした。

デキの悪かった、というより努力が全く足りていなかった自分は
当然のように大学受験に失敗。
友人から『かわいそうに』という目で見られながら
予備校へ進む屈辱感を今でも忘れません。

夢に対しての自分の実力のなさ、
『浪人生』として世間から見られる恥ずかしさ
(今となってはどうってことないけど)、
次こそ受からなきゃ、という大きなプレッシャー。

あまりにも辛くて、あまりにも惨めで、あまりにも親に申し訳なくて、
たくさん涙を流しました。

1日の大半を『高校時代もっとやっときゃよかった』と思って過ごしたあの1年間。
楽しそうに笑顔で過ごす人たちが羨ましくて仕方がなかった日々。
何とも言えないマイナスな感情との戦いでした。

全ては、高校時代に努力しきれなかった自分の責任。
あの辛さは簡単には言葉にできないけど、
間違いなく言えることは
『高校時代はがんばるべきだ』ということです。

 

もっともっと戦ってほしい。

 

勉強!進路!!

『いかにも先生が言いそうなこと』かもしれないけど
でも事実なんです。

高校入試も大切だったけど
高校卒業後の進路って、人生を大きく変えてしまいます。
良くも、悪くも。

そのためにも、テストではいい点を残してほしい。
成績は貯金。
将来欲しいモノができたとき、
貯金がなければ当然買えません。

将来行きたい進路が見つかったとき、
成績が足りなければ行けません。

そう考えると、中間テストや期末テストだって人生をかけた戦いなんです。

『戦う』というと、部活等を思い浮かべるかもしれません。
勝利や自己ベスト、仲間とのかけがえのない思い出作り・・・
それらももちろん、大切です。

でもそれだけじゃないんです。

ほんのわずか成績が足りなくて、
推薦入試が受けられなかった。

あと少しでも1年生2年生のうちに点数を取っていれば
もっといい思いができたのに。

3年生になってこんな言葉がよく出てきます。
三者懇談で担任から『残念ながらこの成績では・・・』と言われ、
親の前で涙を流す生徒もいます。
生徒が辛いのは当然ですが、親も担任も辛いんです。みんな辛いんです。

ということは、今しっかり戦って少しでも上を目指せば、
みんなが幸せになれるんです。

自分だけではなく、周囲を大いに巻き込んで
幸せな人生を歩んでください。

だからこそ、日頃のがんばりそのものが
人生をかけた大きな戦いなんです。

10年後のみんなは、どこでどんなことを考えていますか。
今の努力は必ず反映されます。

今この瞬間を楽に過ごして、将来後悔するか。
今やるべきことをやって、あとでいい思いをするか。

選ぶのはみんなです。

人生をかけた戦い。
日頃のがんばりを、もう一度見直してみませんか?

がんばる人たちを応援してくれる人たちが
必ずいますから。

  

写真は、今年担任をさせてもらっている3-5の生徒たちです。
中に昨年誕生した自分のこどもたち(ふたご)もいますが(笑)

10年後、幸せになってますように!

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2013年6月27日 (木)

【第285回】 黄金比Y. H. (数学)

「数学は何の役に立っているのか」

これは誰もが一度は考えた経験があるのではないでしょうか。実際に数学を「使う」人というのは少ないと思います。しかし、数学に「関わっている」人はこの世に多くいると思います。なぜなら、日常生活に数学の世界が広がっているからです。今回は、その一つを紹介したいと思います。

 美しいとされる、歴史的建造物や古代の美術品にはある共通点があります。その共通点とは、黄金比が使われていることです。約5:8の黄金比は、奈良の法隆寺やエジプトのピラミッド、ミロのヴィーナス、飛鳥の観音菩薩にも現れています。そして、その黄金比は現在でも、私達が目にするものに使われています。例えば、タブレット端末やデジタルカメラ、ゲーム機の形、そして、会社のロゴなど、視覚的に訴える図形や立体に多く使われています。

 現在、黄金比が使われているのは、古代の美しさに共通点があると気付き、見つけ出した人がいるからです。そのことを現在も利用し、何かを開発していて、それを利用する人が存在するということは、ほとんどの人は数学に「関わっている」ということになるのではないでしょうか。まだまだ、この世界には黄金比が隠れています。皆さんも見つけてみてください。そして、数学がいろいろな場所で、皆さんの「役に立っている」ことを知っていただけたら幸いです。

2013年6月20日 (木)

【第284回】 月と電子N. A. (数学)

 中学生の頃、ある学習塾でのことである。
 科学の先生が周期律表を黒板一杯に書いて説明していた。原子番号の若い順に水素、ヘリウム、リチウム・・・と原子記号を書いて、それぞれの原子構造が示してあった。そして先生は、「水兵リーベぼくの船・・・・」と書いて、このようにして表を覚えなさいと言った。
 私がその語呂合わせの素晴らしさに感動していたとき、一人の友達が質問した。
 「先生、その原子は月と地球みたいやけど、そこにミクロの人間が住んでるちゅうことはないやろか。」
 確かに水素原子は原子核のまわりを電子が一個回っていて、まるで地球と月である。ならばそこに人間のような生命体が存在してもよいではないかと彼は言うのである。何とも夢のある話である。
 教室にどっと笑いが起こった。しかしその先生は、一瞬不愉快そうな表情を見せたあと、再び「水兵リーベ・・・・」と続けたのである。
 この原子核のまわりを電子が回るという図は、もともとラザフォードが天体を模して考案したモデルである。だからそれが地球と月や太陽系に見えても何ら不思議はない。つまりその友達は、モデルにすぎないものを実際にそのような形をしているととらえてしまったのである。
 先生にしてみれば、原子モデルのことはすでに説明済みなので、何を馬鹿なことをと思ったのだろう。しかしここで先を急ぐのをやめて、科学的認識とは何かについて詳しく話してくれたなら、さぞかしためなっただろうと思う。また、周期律表が、世間の嘲笑を浴びながらも貫き通したメンデレーエフの信念の結晶であることに一言でも触れてくれれば、どれだけこの友達は勇気づけられたことだろう。わたしたちは、科学が「水兵リーベ」以上に創意工夫と知的冒険に満ちたものであることを知ったに違いない。
 ちなみに、原子が実際に原子核のまわりを円運動することは科学的に言ってありえないことである。しかし、原子の性質を記述するためには、電子の公転ばかりか、自転(スピン)まで考えるのである。これは光に波長はあるが、光が実際に波打っているのではないことにも似ている。つまり原子物理学のような微細なものを研究する分野では、目に見えないものを研究対象にしているので、その性質を記述することしかできないのである。

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写真 『世界で一番美しい元素図鑑』
 セオドア・グレイ 著
 ニック・マン  写真
 若林文高  監修
 武井摩利  訳

2013年6月13日 (木)

【第283回】 言葉と言語、そしてワード。西村 美恵子 (英語)

  何かの心理テストなのか、“あなたはこれから無人島に行きます。水や食料など最低必要なもの以外に、何か一つだけ持って行くことができます。あなたなら、何を持って行きたいですか”という問題があった。私は、あれこれ考えることもなく、“本”と答えていた。でもそのあとから、一冊だけなら何にしようとか、せめて数冊は必要だとか、真剣に悩んだりして。でも、今なら迷うことなく答えるだろう、“電子辞書”。

  私の持っている電子辞書は、一つは英語専門のものだが、もう一つはいつも授業に持って行く高校生向けのもの。それは日本語、英語関連の辞書ばかりでなく、社会や理科の各教科の用語集や小辞典、数学の公式集、百人一首にクラッシック音楽の一節、百科事典、ラジオ英語会話に数か国語のトラベル会話集等々、書ききれないくらい盛りだくさんの電子辞書である。私が高校生の時にこれを持っていたなら、もっと勉強していただろうに。

  その電子辞書の中で一番のお気に入りは、広辞苑。24万項目以上とかで、動植物の写真や図、野鳥などは鳴き声までも収録されている、もはや百科事典である。何か気になることがあると、まずは広辞苑から。例えば、自分自身が知っているつもりの日本語がどうも怪しいと思うとき。それに日々漢字も危うくなっているし。また広辞苑に載っていなければ金沢弁なのだと納得したり、流行りの言葉が載っていたら、ついに日本語になったかと複雑な気持ちになったり。カタカナ語もたくさん載っている。英語をそのままカタカナにしたものもあれば、いわゆる和製英語も載っている。そういえば、私はずっとワイシャツはTシャツのようにYシャツのことで、このYは襟の形なんだと思い込んでいた。宮永先生に“それは音からですよ。”と教えられた。white shirtが、ホワイトの強く発音される部分のワイだけが聞こえてできた言葉なのだ。広辞苑にもそのような説明が載っていた。同じ例は、かなり前になるが、小麦粉をメリケン粉と呼んでいたことがあった。メリケンはAmericanからきたのだろうと想像がついた。広辞苑によると、国産の小麦から作ったものはうどん粉、アメリカ産の小麦からのほうはメリケン粉と区別したとか。言葉は時代とともにあるものなのだとしみじみ感じさせる。言葉に限っても、知っているつもりでも、実は未だに知らないことはたくさんある。知らないことに気付いていないことはさらにたくさんあるだろう。だから知ることは邂逅であり、うれしいこと、幸せなことなのだ。

  もともと日本語は外国語である漢字を文字として使用したのだから、言葉(中国語)もたくさん入ってきた。和語がもともとの日本語、漢語が中国語から来た言葉(音読み)。それに和語に同じ意味の漢字を当てて表した言葉(訓読み)。また日本に入った時期により漢字の音も漢音、呉音,唐音などがありそれも忠実に読み方に取り入れた。(漢字一文字を一音だけに限定して用いた韓国語がうらやましくなるところだが)日本で作られた漢語もある。そのうえ外来語である。古いものは漢字が当てられていたりするがほとんどがカタカナ語である。特に文を書くとき、漢字、ひらがな、カタカナと3種類の文字を使い分けなければならない。その上アルファベット文字も用いられている。留学生に日本語を教えていて一番気の毒に感じるのはこの使い分けである。言葉の由来を想像できないとわけられないだろう。英語のカタカナ語は英語を母語にする人にすぐに理解してもらえる気がするが、実際はアクセントや音が違いすぎて元の英語に気付いてもらえないようだ。でもこのことは日本人の学生も実は大差ないことのように思える。生まれた時から多くの外来語の物と言葉に囲まれて生きてきて、どれが元々の日本語か、外来語かなどと音だけで判断できるだろうか。それは学生に限らず、日本人すべてに言えることだろう。

  言葉は誰にとってもはじめは音である。しかしながら、成長するにつれて文字を学び、いわゆる読み書きができるようになっていく。つまり母語でさえも、しっかり学習しないと、正しく言葉を使うことはできないのだ。日本語では漢字の読み書きに加え、カタカナ語の意味を正確に把握する必要がある。カタカナ語検定なんてどうでしょう。

  英語を教えていて、英語と日本語の間を行ったり来たりしていると、言葉遣いのちょっとした違いが気になってしようがない。一種の職業病かも。そのため増々重くなっていくのでしょうか、私の電子辞書依存症!