2016年4月21日 (木)

【第422回】 訪れた国いろいろ光谷 和子 (芸術)

 H23年から縁あってこの学校へ来ましたが、それより前は絵描き一本生活でした。20代のある日、「日本にいては刺激が限られている、そうだ外国へいこう!」と思い立ちました。それから10年ほど、海外と日本を往復しました。訪れた国は20カ国以上、その中で留学を通して実際に住んでみた国は3カ国で、ドイツ、スペイン、メキシコでした。その後も、住むことを目的として、絵描きにとって歓迎される国・創作の刺激がある国はどこかを探し回りました。先進国は治安は良かったのですが、どこも同じような完成された刺激でした。その為、それ以外の国へ向かいました。結局はイスラム文化に惹かれてトルコの空気が肌に合い、イスタンブールでちょっとデザインの仕事をしました。というわけで、個人的に色々なところを見てきた中で、ちょっと印象に残っている国のエピソードを取り留めなく紹介します。

 私は遺跡が好きなので、2006年メキシコで個展するついでにマヤ・アステカのピラミッドに登りに行きました。そこで、メキシコ南部、チアパス州のサンクリストバル周辺にはマヤの末裔の村があると聞き、そこを訪れました。サン・フアン・チャムラ村へは、スコールの中、馬に乗って山越えをして村にたどりつきました。険しいけもの道を馬が一歩一歩ぬかるむ土の中の足場を慎重に確認しながら歩みます。すぐ下は崖です。「馬力」を実感しました。そして、スコールってのはいきなり降るんですね。今まで青空だったのが、急にどこからともなく黒雲が湧き出てきてみるみる空を覆う。それからバケツをひっくり返したような水が落ちてくる。降ると、夏でもフリースがいるくらい寒くなる。1時間ほどもすれば雨はあがり、また青空に戻る。さっきの黒雲はどこかへ消えていったのです。ああこれがスコールか、と体で納得しました。
 また、このサンクリストバルという町の近郊には、別のマヤの村(あるいはゲリラの村)が点在しています。その1つ、アクアテルという村に行きました。そこには壁画が幾つかあります。有名なチェ・ゲバラの運動(サパティスタ民族解放軍)に共感・リスペクトした住民やゲリラの手によって描かれました。軽トラの荷台に家畜と共に乗せてもらい、山頂には雲がかかっているような高い山を3つぐらい越えて見に行きました。その絵は教会や家々の壁に無造作に描かれています。画家が描いた絵ではなく技巧的ではないですが、その拙さはかえって強烈なメッセージ性をアピールしてきます。その雰囲気やインパクトは強く、はるばると見に行ったかいがありました。

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 国の貧富の差は視界に入ってきます。カンボジアに行った際には、地雷の有無とか、水を得る手段(井戸)の有無とか、もうほんとに生きるための基本が整備されてないことに胸を痛めました。先進国の協力で地雷を除去したり、井戸を掘って命を繋いでいます。地雷によって親を亡くした子供たちに少しばかり寄付をしました。すると6歳ぐらいの女の子が恥らいながら一輪のプルメリアの花を手のひらに載せてくれて「Good luck, for your life」と拙い英語で言ってくれました。それが心に残っています。ミャンマーも、生活の為の整備が徹底されていない国でしたが、仏教信仰の厚い国で、その分、豊かであると感じました。6年生ぐらいの男女には出家の義務があります。誰でも寺院にいくと食べ物やある程度の教育を無償で受けられます。飢えはありませんでした。

 各国に共通した「発展」の実感としては特に足元のアスファルトを見れば分かります。都市から離れれば離れるほど、主要道路以外は舗装されていない赤土や黄土の地面です。雨が降ると、ぬかるんで病気が蔓延する温床になり、土が乾燥すれば空気中に舞いあがって呼吸と共に肺に入り、気管支系の異常をもたらします。カンボジアでもミャンマーでも空気中に土が舞い上がって咳がでますが、行った中で一番ひどく感じたのは、ガンジス河のほとりインドのベナレスという町でした。見渡す限り、様々な動物の糞で地面が完全に覆われていました。せめて乾いた糞を選んで踏んで歩いていました。この舗装されてない土と動物の糞が混ざったものが空気中に舞いあがります。しばらく滞在すると変なカラ咳がでるのです。
 強烈なインパクトのあったインドでは2週間滞在し、たまたま2度、命の危険を感じました。乗っていたバスが爆発しそうになって虎に襲われる危険性と、ニューデリーの同時多発テロ(2006)にちょうど遭遇しました。幸い無事に帰って来れました。インド人はテロが起こった現場でも「すぐ道路を片づけるからNo problem」と言ってきます。とても前向き思考で、ざっくりしていて、パワフルな国です。
 パワフルついでに。今から10年前のことだったからかもしれませんが、インドにはカーストの職業の関係として体の部分が欠損した人達が沢山いました。両足がない、両手がない、右手しかないとか、背骨が反対側に曲がっていてブリッジしながらしか歩けないとか。初めて見た時には大変驚きました。デリーの駅前に行くと、ドワーッと寄ってきて、あっという間に囲まれます。ホームにもいますし、電車にも乗ってきます。彼らは喜捨(「貧しい人に喜捨(お金などの施し)すれば、来世は報われる」という仏教思想)をされるために、積極的に手を差し出しながら人々の間を練り歩きます。仕事としてお金はもらって当然なので、積極的に堂々と接してきます。その堂々とした積極性はたいしたもので、彼らだけではなくインド人全体がそうでした。常に交渉が必要でした。さっき交渉したのに、また金額を上乗せして請求してくる。そういうことを1時間おきぐらい毎回異なるインド人がするので、初めの数日は心が折れそうになりました。
 インドでは個人旅行で2週間ほど滞在したのですが、最後のほうは動物と自然と人間が共存する暮らしに慣れました。ハイウェイの脇の草原にはキリンの群れが見え、ベンガルトラもいる。肉食動物から逃れてきた草食動物の群れが人間のいる村に逃げ込んでくる。その向こう、マハラジャの宮殿の池では野生の象の家族が水浴びしている。近づくと踏まれて殺されるので注意が必要だ。町中に動物園のように様々な動物が住んでいる。ヒンズーの神様と関係ある動物(牛、猿、ねずみ、蛇、象など)は殺してはいけないが、放置状態。牛は人間のゴミを食べて生きている。遺跡にたむろする猿、顔が黒く白い毛に覆われた群れは目を合わせてはいけない、威嚇をしてきて大変危険。野犬は群れて、ハイウェイで死んだ動物を食べて生きている。このような、動物と人間の一種のナチュラルな共存社会がこの地球上で存在する場所があったのかと感嘆しました。しかしながら、色々と突っ込みどころのあるインドです。一生に1度は見てきてはいかがですか。

 百聞は一見にしかず、海外に行くとあなたの価値観が変わると思います。ぜひ、若くて体力があるうちに世界を回って見聞を広げてきてください。

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2016年4月14日 (木)

【第421回】 さくら道上 ちひろ (英語)

先日、兼六園にお花見に行きました。日本には数え切れないほどの花があるのに、なぜ桜を愛でることだけを“お花見”と言うのだろう・・・。普段は花より団子派の私が、なぜかそう思った。

なぜ昔から、桜は日本人の心を魅了し続けるのでしょうか。「さくら」という題名の名曲も数多くある。

あの、淡く優しいピンク色、美しく咲き誇って、いつの間にか散ってしまう儚さのためなのか。そんなことを考えながら兼六園を歩いていた。

その時、友人が言った。「1995年1月17日に阪神・淡路大震災が起きたとき、西宮市の夙川という桜並木になっている花見の名所も震度7の揺れで大きな被害を受けた。川の堤防は活断層の影響で段差になり、橋が壊れるなど悲惨な状況だった。」

「震災の混乱と悲しみから、夙川の桜のことなど誰ひとり考えもしなかった。でも、その年の春、夙川の桜は、いつもと変わりない綺麗な花を咲かせた。」

そのとき、誰もが咲いてくれてありがとう・・・そう思い、とても喜んだそうです。

美しいからだけでなく、儚いからだけでもない。そこには何にも負けず、どれだけ年月を経ても、変わらず咲き誇る強さが日本人の心を打つのかもしれません。

日本人にとって桜は他の花にはない、何か特別なものであることは間違いないのでしょう。

“お花見”日本人はなぜ、桜を愛でることだけを“お花見”と呼ぶのでしょうか・・・。

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2016年4月 7日 (木)

【第420回】 また新たな年度が始まるM. K. (数学、情報)

 2016年3月1日(火)442名の卒業生が第一体育館での最後の卒業式。その時自分の気持ちの中には2つの別れがありました。
 一つは、私自身が3年生のクラスを受け持ち、自分のクラスを始め、卒業していく3年生に頑張れと送り出す。それは卒業していった学校で過ごした時間以上に今後の生活が大切であり、人生を決める大切な時間となっていくわけですから、今は卒業して行った生徒達が目指す方向へ向かって頑張ってもらいたいです。これは別れというよりは「送る」ということの方が当てはまっているのかもしれません。それに卒業生となった442名だっていつまでも過去にとらわれていたら、肝心なやるべき事が疎かになるというものでしょう。もしどこかで出会うときがあれば、気軽に声をかけてもらえばありがたいです。
 そしてもう一つは、これまで沢山の行事を行ってきた第一体育館が50年余りの年月を経て取り壊しとなったことです。今現在、第一体育館の取り壊しが行われ、毎日大きな音を立て天井や壁が剥がされていく音を聞くと一抹の寂しさを感じます。私も生徒を前にして紹介を受け、自己紹介をさせていただいた場所がこの第一体育館でした。あれ以来、この体育館には随分お世話になったと今更のように感謝の言葉しか思い当たりません。来年3月に第一体育館は新しく生まれ変わりますが、壊されていく姿を見るとやはり寂しさが感じられます。これが「別れ」というものでしょう。
 卒業式から3週間後の3月22日(火)。入学説明会が金沢歌劇座で開かれ、490名の新入生を迎えることとなり、いつまでも以前のことを引きずっているのではなく、次に向けて気持ちを変えていかねばならないことを新入生の姿から目覚めさせられた気がしました。
 今年は桜の開花が平年より5日早く咲き、春の訪れが早くなりました。私自身も春の始まりを告げる景色を見て、感慨に浸っているのでなく、やるべき仕事や目的に向かって取り組んでいかなければならないと感じたしだいです。今、「賽は投げられた」ということでしょう。

2016年3月31日 (木)

【第419回】 遊学館での1年間H. M. (英語)

遊学館へ来て、はや1年。教師として働き始めて、はや1年。
長いようで、短かった1年が、まもなく終わろうとしています。

思えば1学期。
何をどう教えればいいのか、どう生徒に接すればいいのかが分からず、ただただ葛藤の日々でした。
学校という場所にも慣れず、とにかく毎日を過ごすことに精一杯でした。

時は流れて2学期。
ようやく日常のリズムがつかめ、授業をすることにも(少し)慣れてきたように感じました。
どうすれば分かってもらえるだろう、楽しい授業になるだろうと、考えない日はありません。

そして3学期。
みんなと一緒に過ごせる時間、授業時間を指折り数えました。
それは、とてもとても寂しい時間でもありました。

私は、この3月で遊学館を離れ、4月から新しい学校へ行きます。
どんな学校だろうとわくわくする気持ちと、遊学館を離れることの寂しさ。
今もずっと複雑な気持ちでいっぱいです。

今このブログを書いていても、思い出すのは、みなさんのことばかりです。
授業で関わってくれた生徒、部活で関わってくれた生徒、テスト前勉強で一緒に頑張った生徒、担任代理でホームへ行ったときに関わってくれた生徒。その他、私に関わってくれた生徒…。
数えればきりがありません。どうもありがとう。

遊学館は、イメージ通り、あいさつがよくできる高校です。
そして、とても人間味に溢れ、元気で明るい生徒達が多いです。
そんな素敵な学校で、みなさんと過ごせたことに感謝し、次へと生かしたいと思います。

1年という短い期間でしたが、みなさん、どうもありがとうございました。

楽しかったなぁ
辛いこともあったけど、良かったなぁ
良い友達ができたなぁ

メリハリのある高校生活を送り、無事に卒業してくれることを願っています。
そして、またいつかみなさんにお会いできる日を楽しみにしています!

2016年3月24日 (木)

【第418回】 時間Y. Y. (英語)

時間が経つのはとても早いもので、遊学館高校で教え始めてから一年が過ぎようとしています。
一年間という短い間でしたが今年度で遊学館を離れることとなりました。
遊学館に関係する全ての方々には感謝の気持ちでいっぱいです。

この一年間を思い返すと様々なことがありました。
今年度は一年生3クラス三年生3クラスの他、遊学講座も担当させていただきました。
バドミントン部にも少し関わらせていただきました。
少し前まで学生だったこともあり昨年の四月は全てが新鮮で、何をするにもとても緊張していたことを覚えています。
授業をすること、質問を受けること、プリントを作ること、
全てが初めての経験で、うまくやっていけるのか深く悩んだこともありました。
当初の授業は何をしていいか分からず、指示も曖昧で生徒には理解できなかったことも多かったと思います。
それ以降どんな授業をすれば生徒が興味を持ってくれるのか試行錯誤を繰り返しました。
遊学館は素直で優しい生徒が多く、普段の授業、遊学講座、部活動で新しいことを試そうとするとき、すんなりと積極的に付き合ってくれました。
色々と挑戦出来たことによって確実に成長できました。正しい言い方なのかは分かりませんが、生徒に教えていることよりも生徒から学んだことのほうが多い一年間でした。

今年度授業を持っていた1年生、2年生が卒業するまでいられないのは寂しいです。
しかしただ寂しい悲しいだけでは駄目だと思います。この一年間の経験を活かして、次に会ったときにはお互い成長したと言い合える存在になりましょう。

私自身若くて未熟なのでみんなに一方的に『頑張れ』とは言いません。
代わりに私が大切にしていることのひとつを紹介します。

楽しい時間は早く過ぎるが、つまらない時間はとても長く感じるとよく言われます。
当然つまらない時間は早く終わってほしいと思うでしょうが、私はそんな退屈な時間も大切にするように心がけています。
楽しい時間も退屈な時間も同じ価値ある時間です。
せっかく同じ時間を過ごすのなら、より充実させたほうがいいと思いませんか?
退屈な時間も自分を成長させてくれる何かが絶対にあります。
全ての時間を精一杯過ごすことによって新たな自分を発見できると考えています。

もし良いなと思ったら心の片隅に置いておいてください。

遊学館高校にはみんなの様々な時間を彩ってくれる環境があります。
授業、部活、遊学講座、放課後、先生、そして何より身近にいる仲間たち。
全てがみんなの高校生活を充実させてくれるでしょう。人生のなかのたった3年間ですが、とても大切な3年間です。決して無駄にすることがないように、と願っています。

それではまた逢う日まで...