2016年3月17日 (木)

【第417回】 色彩 ~そこにある風景in my heart~福田 圭一 (保健体育)

先日、3年生442名が遊学館を卒業し巣立っていきました。
福田ホームの41名、女子バレーボール部の7名もここに含まれています。

今年度の卒業式は、初めての3年生の担任ということもあったのですが、
それ以上に、この卒業式を最後に第一体育館が取り壊され、新体育館へと1年かけて生まれ変わります。遊学館にお世話になり、一番多くの時間を共にした場所でした。

 
体育館での最後の行事がこの卒業式であったのですが、本当に素敵な式となりました。
体育館も卒業生と共に有終の美を飾れました。お疲れ様。
(先生ブログ414回 中村先生担当参照)

この体育館でどれだけの先輩が汗を流したのだろうか?
先輩たちの思いや願いは受け継がれていますか?

今日、3月14日は体育館の外観はまだ残っていますが、フロアーや内壁は全て剥がされています。

皆さんは進化論をご存知でしょうか。
生物の進化は未だ多くの謎に包まれていますが、
この進化論には有名なラマルクとダーウィンの説があります。

 
なぜキリンの首が長いのか、という事でよく説明されていますが、ラマルクは「用・不要説」「獲得形質の遺伝」を唱えました。ラマルクによれば、首の短いキリンが高い場所の葉っぱを食べようとして首を伸ばす努力をしたから首が長くなったと。
そして、子孫にそれが受け継がれていきました。
つまり、親キリンの努力、経験値がDNAに書き込まれるという説でした。

 
これに対して、後に「種の起源」で有名なダーウィンは「自然選択・適者生存説」を唱えました。こちらの説では、首の短いキリンと長いキリンが混在していたのだが、首の短いキリンは自然淘汰されていき首の長いキリンだけが生き残ったと。
つまり、親キリンの努力や経験値がDNAに書き込まれることはないというのです。

 
現在ではこのダーウィンの説が支持され、進化論の定説になっているそうです。

 
しかし、最近になって新たな説が生まれています。それは親キリンの努力や願いが体のどこかに記憶され、子孫に受け継がれていくというもの。ラマルクが唱えた進化論と同様に、今の世代では考えられなかった願いが、次の世代へ受け継がれるかもしれない。

そんな希望の願いが含まれた説なのです。

それならば、金城からの先代の思い、強い願いが、少しずつ進化してその努力がいつかカタチになりますように。

女子バレーボール部の今年の卒業生もキャリアがあった訳ではありません。(ホントに)最後まで、もがいて、あがいて、その取り組みが後輩たちに伝わりました。

 
卒業時には、しっかりとした色がついたステキな人物に成長したと思います。 これから君たちに出逢う人たちが笑顔になり、そして人と人を繋げる優しいパスを出してあげてくださいね。(^_^.)!

 
第一体育館と、そしてこの体育館から卒業していった君たちへ、
ありがとうございました。
 

2803171春高バレー代表決定戦。
当日は遊学の応援で会場を埋め尽くしましたね。
チーム遊学サイコー。 感謝、感謝。(^_^.)  

 

2803172大会前の確認シート。
体育館での取り組みの成果が充分に発揮されましたね。

   

28031733年9組。みんな頑張れよ。

 

2803174保護者の皆様もありがとうございました。
ステキな姉さんたちでした。(何人かは年下 笑)

 

2803175それぞれの道へ・・・。

2016年3月10日 (木)

【第416回】 金沢今昔物語N. M. (地歴・公民)

 前回の先生ブログで私は金沢の地名に関することを書きました。今回も金沢の歴史と現在の遊学館高校に関するネタを1つ紹介します。ちなみに、今回書く内容を学問分野では「歴史地理学」といいます。

 江戸時代に城下町として栄えた金沢。加賀100万石と言われる豊かな農業生産高や手工業で発展を遂げ、当時の日本で有数の経済力を誇っていました。そんな江戸時代の寛文7年(1667年)の金沢の様子を示した地図に「寛文七年金沢図」というのがあります。これは現在石川県立図書館に所蔵され、石川県の重要文化財に指定されています。最近は便利な世の中になり、インターネット上でこの地図を拡大して見ることができます。
https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/ImageView/1700105100/1700105100100060/kanbun-kanazawa/

2803101寛文七年金沢図(石川県立図書館所蔵 掲載許可済)

 この図では金沢城を中心に上に東、下に西という今の地図表記とは異なる方位で金沢市中が描かれています。一見すると、どこがどこだか判別しにくいですが、所々にヒントとなる「場所」があります。例えば、青色で記された線。これは江戸時代に整備されたと思われる水路です。これらは現在でも鞍月用水や辰巳用水やその支流として残っています。流路もほぼそのままです。この水路の曲がり具合を現在の地図と比較すると場所の特定が容易にできます。また、金沢市内に残る細い路地もこの図に描かれているものがあるのでさらに詳しく知ることができます。

 このような観点で遊学館周辺を見ると、興味深いことに気づきました。  

2803102

 上の2枚の図を見てください。左が現在の地図、右が同じ場所を「寛文七年金沢図」から拡大して方位を現在のものに合わせて示したものです。両図に同じ色の丸で囲んだ部分がいくつかあります。これは江戸時代の面影を残し、現在でも利用されている道路や水路です。図の上、黄色で囲んだところは遊学館高校からローソン金沢本多町三丁目店へ行く途中で曲がるところです。赤色は鱗町交差点近くの北陸銀行と石川県幸町庁舎の間にある水路です。緑色と青色はそれぞれ地点特定の際に参考になる特徴的な曲がり方をする地点を示したものです。他にも幸町周辺に江戸時代の道をそのまま利用した道路があることも分かります。

 このようにみていくと、遊学館高校周辺は江戸時代の様子をよく残しているのが分かります。そして現在遊学館高校の建っている場所はなんと遊学館は江戸時代の町割り・区割りの中にあるのです(オレンジ色の四角で囲んだ一画)。遊学館高校の門から出て、犀川大通りに向かう道(黒色)も江戸時代の道路をそのまま踏襲しているようです。

 350年前からある道を歩いたり、自転車で通行したりできる遊学館高校の通学路は貴重なものかもしれません。

2016年3月 3日 (木)

【第415回】 春よ、来い西村 美恵子 (英語)

   童謡「春よ、来い」を知っていますか。
     春よ、来い。早く来い。
     歩き始めたみいちゃんが、
     赤い鼻緒のじょじょ履いて、
     おんもに出たいと待っている。
歌の中の女の子と同じ名前で呼ばれていた幼い私が、この歌を自分の歌だと思い込んでいたのか、おそらくは生まれて初めて歌っていた歌のように思えるのだ。じょじょという言葉は知らなくても、赤い鼻緒なら、履物だとわかる。“おんも”という語は使っていたから、おんもに出たい気持ちは共感できる。
   それが、童謡「お正月」になると、少し違う。
     もういくつ寝ると、お正月。
     お正月には、凧あげて、独楽を回して遊びましょ。
     早く来い来い、お正月
この歌は自分たちの歌ではない、と子供心にも思っていた。何が違うのかおわかりですか。
   私はここ金沢で生まれ育った。お正月は、みぞれや雪が降るのが当たり前で、凧あげは春にならないとできなかった。もちろん、歩き始めたばかりのみいちゃんよりも、大きくなった子供たちは、雪がたくさん降った後は、外を駆け回り、雪合戦、雪だるまやかまくらづくり、そりやスキーで遊んだりと雪遊びができるのだけれど、それも雪がやんでいる時だけなのだ。冬は、天気が悪くて普通なのだ。春になれば、外で思いっきり遊べる。春にさえなれば・・・。春を待つ気持ちは、日本海側の地域の人々にとって、特に強いのではないだろうか。ちなみに、「春よ、来い」の作詞者は糸魚川出身で、ほかの作品には、「都の西北」など。
   そんな春を待ち望む気持ちは、小学校から始まる学校生活の中で別の意味合いを重ねて行く。春は、卒業・進級・入学・入社などの季節である。その前には受験もある。人との別れがあり、新しい出会いがある。新しい生活がはじまる。不安や期待でパンパンに膨らんだ心に春を待つ気持ちが重なり、息苦しいほど心がざわざわする。いや、正確には、そんなときが私にもあったということなのだが、しかしながら、いまだに、春が近づくと、私にはこの症状が出るのだ。もちろん毎年、3年生が卒業し、新1年生がやって来るわけだから、私はただ見守っているだけなのであるが。
   今年は新年早々、心が一足飛びに春になったかのような素敵なニュースが届いた。
   プロ野球選手をしていた卒業生が、昨年秋、戦力外通告を受けていたのだが、この春から鍼灸学校へ進学、しかも昼間鍼灸院でアルバイトをして生計を立て、夜間部で勉強をするとのこと。けがに泣かされ続け、1軍で思うように活躍できなかった彼の、鍼灸師として選手たちの力になりたいという選択に、心からの拍手を送りたい。一人前の鍼灸師になる春よ、早く来い。
   それと、もうひとつ、正月2日の箱根駅伝で2年続けて山登りをした卒業生が、駅伝部のある企業に就職か決まったとのこと。今後は実業団駅伝にも注目しなければ。彼が社会人としてのスタートを切る春がもうすぐそこまで来ている。
   3月1日遊学館高校を卒業するみんなに素晴らしい春が来ますように。
   4月に遊学館高校に入学する生徒の皆さん、いっしょに良い春を迎えよう。
   みんなみんなにとびっきりの春よ、来い!

2016年2月25日 (木)

【第414回】 第一体育館の思い出中村 裕行 (地歴・公民)

  来たる3月1日(火)の卒業式が終わると、第一体育館の取り壊しが始まる。沿革をたどれば「昭和39年11月に完成し、60周年記念行事を行う」とあるから、私より少し若いが満51歳のかなり年期の入った体育館ということになる。
 リードバンド部の顧問を務めていた若い頃は、定期演奏会前のステージ練習でこの体育館をよく使った。最近でいえば、バドミントン部の顧問として3年ほど前までは部員達とこの体育館で文字通り汗と涙(?)を流した。公共施設などではよく、利用人数を集計したりしているが、練習試合などで本校の第一体育館を訪れた人も含めれば、利用人数はかなりの数になることだろう。
 遊学館高校はスポーツや部活動の盛んな学校であるが、必ずしも練習環境が充分であるとはいえない。この第一体育館も、男女バレーボール部、バドミントン部、バトントワリング部、剣道部が交代で使う他、朝練ではサッカー部、上のギャラリーでは男女駅伝競走部がストレッチ運動など、常に多くの部が混在し、かなりの稼働率となっている。大会が重なる時期には「ステージだけ使わせて」と懇願されたこともあるし、事あるごとにF教諭は「本当にどのクラブも譲り合いの精神をもちながら、切磋琢磨し高め合っている」と“チーム遊学”を強調している。
 1年後には、冷暖房や走路を備えた新体育館が完成する。7年前に新校舎(第二学館)が完成した時、初めて足を踏み入れた生徒達の歓声が懐かしく思い出される。バレー部のサーブ練習も助走が効くだろうし、高く投げ上げたバトンが天井を突き破ることもなくなるだろう。この1年間は部活動も苦しいジプシー生活を送ることになろうが、新体育館を夢に、そして舞台に更なる飛躍を期してほしい。
 最後に…、来たる3月1日の卒業式には、卒業生とともに第一体育館にも有終の美を飾ってもらいたいと願うばかりである。

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2016年2月18日 (木)

【第413回】 「辻占」中村 ゆかり (国語)

『足るを知る』― 今を満ち足りたものとし、現状に不満を持たない者は、満ち足りた心で生きていける。己の身の程を知り、それ以上を望まない事が、豊かに生きるということである ―

 2月10日、今年度の「遊学生の主張コンクール」が実施された。1,2年生全員が日頃考えていることや感じていることを冬休み中の課題として800字程度で主張文を書き、各クラス代表者を1名選出して発表する。今年は例年以上に素晴らしい発表内容が多く、どのクラスも本当に健闘したと感じられるコンクールであった。
 冒頭は今年の私のクラスの代表生徒の主張タイトルに続く言葉である。彼女は家族恒例としている辻占で、今年引いた『足るを知る』という言葉の意味を知ることによって、自身の十七年間を振り返った内容の主張文を書いた。
 反抗期の中学時代に「努力したら絶対いいことあるし、楽しいことたくさん待っとるよ。」と見放すこと無く声を掛け続けてくださった中学校の先生方、辛いとき悩み事を聴いてくれ、笑顔にしてくれた先輩や仲間達、そして十七年間、道を逸(そ)らすことのないように厳しくも愛情を注ぎ育ててくれた両親、これまで自分を支えてくれたすべての方々に心からの感謝を伝えたいという思いが綴られていた。
 彼女の溢れんばかりの思いの詰まった主張文。加賀の正月の縁起菓子として親しまれてきた辻占を毎年恒例とするステキな御両親のもとで育ち、たくさんの方々の支えがあってこそ今の幸せな自分があることに気づくことができた。まさに「足るを知る」である。そうした自身の思いを上手く言葉に載せて表現できたことは、授業とは別の場面での生徒の成長ぶりを見ることができて嬉しい限りである。私はここ数年、クラスの生徒達の主張文を3学期の成績表とともに保護者の方々へ送付している。生徒一人一人が今の自分を見つめ、自分の言葉でまとめた文章に目を通すことで、それぞれが考えていることを保護者の方々にも共有して頂きたいと考えているからだ。私同様、我が子の成長を実感して頂けることと思う。

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 来年、人生二度目の大きな岐路に立つ彼女は、併設校への進学を目標としている。
 文は努力を重ねて自身の目標を達成し、将来の夢を実現することで支えてくれた方々に「ありがとう」を伝えたいと締めくくられた。