2015年12月17日 (木)

【第405回】 「成長」T. M. (英語)

 夏休み前あたりから私は放課後に301の教室で受験のための勉強を教えている。きっかけはある映画の話をしたときに、「本気で変わりたいなら努力しなさい。そうすれば変われるから。」と話をしたことだったと思う。それから3年生2人でスタートした勉強も夏休みの間に4人になり、今ではたまに2年生も顔を出し勉強するようになった。

 初めは隣に座って教えないと全く勉強が進まなかった生徒も今では自分で計画を立て、1人で集中して勉強できるようになった。そして将来のことを話すようにもなった。勉強をスタートしたときの2人は「もっと早くから始めておけばよかった。」と何度も言っており、後輩にも勉強の大切さを話しているようだ。

 当然のことながら受験には合否があるので、うまくいくこともあれば、うまくいかないこともある。しかし合否だけでは無く、私は彼らが自ら行きたい大学に挑戦するようになった姿勢やその過程での努力も評価してあげたい。また受験勉強を通じて学んだ多くことは彼らの人生において大きな収穫となると信じている。

「どうせ~」や「~しても意味が無い。」という言葉が口癖のようになっているなら是非一緒に勉強しよう。本気で変わりたくて努力して変わった生徒はたくさんいますよ。

2015年12月10日 (木)

【第404回】 言志四録の思い出T. H. (数学)

 人は少壮の時に方(あた)りては、惜陰を知らず。知ると雖(いえど)も、太(はなは)だしくは惜しむに至らず。四十を過ぎて已後(いご)、始めて惜陰を知る。既に知るの時、精力漸(ようや)く耗せり。故に人の学を為(おさ)むるには、須(すべか)らく時に及びて志を立て勉励するを要すべし。不(しから)ざれば即ち百悔すとも亦(また)竟(つい)に益無からむ。
 佐藤一斎の「言志四緑」にある文である。この文と出会ったのは私が高校3年生の時だ。学校の図書館で、漢文の参考書を眺めている中で出会った。当時、結構時間を無駄にしていたので耳の痛い言葉でもあり、何故か心に残った。教師になってから受験生を担当したときなど、何度もこの言葉を用いている。長い教師生活の中で、ずっと付き合うことになった言葉である。
 受験勉強の中で、様々な出会いや発見がある。私は理系であったため、漢文の勉強などはあまりする方ではなかった。ただ、そのときは、目前の課題として仕方なく取り組んでいた。当時面白いと感じて取り組んでいたものでも、現在は殆ど覚えていないものも多い。何が数十年後の自分の心に残るか誰もわからない。
 受験生諸君、受験勉強は苦しい。しかし、その中で自分の一生の宝物になるようなものに出会えるかもしれない。今はそれを信じて好き嫌いを言わずに取り組むしかない。センター試験も近い。合格を目指して頑張れ。

2015年12月 3日 (木)

【第403回】 生徒と先生Ta. Y. (英語)

  志望校合格を目指し、昼休みや放課後3年生と時間を過ごしている。始めたばかりの頃と比べると、取り組み方や学力にも良い変化が見られ手応えを感じる一方、生徒のマイペースっぷりにがっくりすることもたびたびある。毎回きちんと出席する者、言い訳付きで一部分のみやってくる者、プリント自体なくす者・・・。「本番まで後○○日!!」とこちらはやらせたいこと満載で焦っているのに、本人たちが呑気に構えているのを見ると、”自己責任なんだから放っておけばいいんじゃないか。わざわざ時間を割いているのに私だけ頑張っているんじゃばかばかしい。今日はもう止めようか。”という思いがぐるぐる回る。
       そういう時に思い出す1人の生徒がいる。
  1年の時に授業を受け持ったその生徒は特に目立ったわけでもなかったが、席替えをしても毎回なぜか最前列の同じ席にいるので(担任に要望して認められていたからだと後で知る)自然と話す機会が増えた。2年になり授業で直接顔を合わせることがなくなっても、定期テスト前、放課後よく質問しに来た。ついには「△△大学に行きたいから受験勉強をみてほしい」と言って来た。正直その時は“難しいな、頑張っても届くだろうか”と思ったが、放課後私のところに来る毎日が始まった。出した問題を全てこなし、暗記すべき単語や構文も同時進行で覚えてくる。模試の結果の悪さに泣くこともあったが、蓄積されていった学力はその子の武器となり、そして自信につながっていった。“この努力を何とか実らせてあげたい。結果を出せるようにしなくては。”と私にもプレッシャーの日々だった。
   そして2月、志望校に見事合格。
  この夏休みの帰省時に連絡があり、他数人の生徒と一緒に会う機会があった。「向いてないかもしれないけど、先生になりたいから教職を取っているのだ」と聞いて嬉しくなった。「中学の時は学校が嫌いで休んでばかりだった。1年の時たまたま英語のテストが良くて先生に褒められて、もっと褒められたいからますます頑張って、ってしているうちに英語が好きになり、得意教科になり、今の大学に入れた。夢もできた。先生に会えたから遊学に来てよかった。」みたいな事を言われてじんときた。
私自身覚えてもいないそんなことがきっかけになるんだ、と驚きもした。
あの時間は私にとってもかけがえのない時間であり、大切な思い出となった。
   人を「教え育てる」事はこの生徒のように決して成功ばかりではない。私も含め先生たちは失敗したり、立ち止まったりしながら日々模索している。
    “さあ、やっぱり今日の放課後も頑張ろう!”

2015年11月26日 (木)

【第402回】 人生の残り時間T. Y. (国語)

先月の終わりに小・中学校毎日のように遊んでいた友人を亡くしてしまいました。

人は誰かが亡くなった時に、改めて誰にでも死というものが訪れるということを意識します。
人生の残り時間を考えます。

私は今、三年生の担任をしていますが、もう卒業まで100日を切りました。
残りの時間の使い方を、クラスを8つのグループに分けて考えさせています。(2学期から)
グループに分けたのは、個人の責任やメンバー同士のコミュニケーションを重視するためです。 企業などでも、プロジェクトチームや委員会などのように小グループで活動することが多いと思い、クラスでもグループ(クラスではチームと呼んでいます)で学校生活を送っています。

私とチームミーティングをして、現状の把握と改善策をメンバーで考え、頑張っています。
私はミーティングで厳しいことを言います。当たり前にしなければいけないことから細かい事まで指摘します。そして、改善策についても不十分であれば、何回も考えさせます。
そこまで求めなくてもと思うこともありますが、常に一歩前、二歩前までを要求します。

なぜならば・・・

我々「先生」(先に生まれた者)は、先に生まれて得た経験値を後から生まれた子達に伝えなければなりません。特に、失敗したこと、より良い人生になるようなアドバイスを伝えていかなければなりません。それが、厳しい要求になり、煙たがられても伝えていかなければなりません。3年生は大学等に進学するとしても、高校を出たら社会に出ることになります。
おそらくここが社会に出る最後の砦になると思います。
社会では口うるさく指摘、指導するよりも、関わらないという選択を周りの人はするでしょう。

この取り組みが正解なのかわかりません。
答えは卒業した後にわかるのかもしれません。
我がクラスの生徒がこの取り組みをしていて良かったと思う日が来てくれればと願って日々奮闘しています。

人生の残り時間は人によって違うものであり、どれくらいあるのか分かりません
その限られた時間の中で、私と出会って良かったと思ってくれる人が一人でも増えるように頑張りたいと思います。

2015年11月19日 (木)

【第401回】 苦い思い出は経験値へT. M. (理科)

 大学時代に必須科目の量子力学Ⅰを2回単位落とした経験がある。初年度は教授が話す内容が全く理解できず、大学の授業の単位の取り方も分からず受講した。
 初めて単位を友達と違って落とした時、自分の勉強に対する甘さがあることを自覚し、後期の量子力学Ⅱは必死になって本を読んで単位を獲得した。次の年、量子力学Ⅰを1つ学年下の学生と聞く教室の違和感はあったが、卒業するために必要だと努力をした。
 それでも何故か単位を落とした。
 教授に抗議に行ったが、教授は「高宮、お前は基本が全く分かっていない」とその一言でその場は帰らされた。教授がいう基本とは何か分からなかった。本当に分からなかった。
 その当時はまだ、小柴昌俊さんが自然に発生したニュートリノの観測の成功からノーベル物理学賞を受賞する前で、素粒子の存在は『もっとも確からしい』という、99.9%は確かであるが、断定することは難しいという推定の時代であった。私は『確からしい』という物理学で頻繁に使用する言葉が理解できず苦戦をしていた。素粒子は論文内に多く存在し、授業の教材にも計算で証明され、確かに存在しているのもだと私は思い込んでいた。
 存在する素粒子は、全世界で観測することが出来ず、物理学者は存在の断定を誰よりも先は発表したい気持ちが研究者にあった。山ほどいる研究者の一人が教授であったのだ。私はまだ、未熟であり、『確からしい』という言葉のもつ深い意味も分からなかった。
 今年、ニュートリノの振動の発見により質量があることが認められ、梶田隆章さんもノーベル物理学賞を受賞した。
 まだまだ、未知の世界が多い物理学の世界で『確からしい』という言葉が『確かだ』になることを私は楽しみにしている。ただ、『確からしい』という言葉は苦い思いが脳裏に浮かび、あの頃を思い出すので嫌いだ。
 遊学生はこの先、勉強・部活動・人間関係で何か悩み・分からないときが来る。そんなときは、大人や友達に相談しよう。何か力になるかもしれない。
 大人は人生でその経験を何度も歯を食い縛りながら乗り越え、悩んだ経験値は生徒・学生より高い。悩みや分からないことは一人で考え込まないで欲しい。

 あの時の私は誰に相談したかな。