2015年11月12日 (木)

【第400回】 「目標」園下 真史 (数学)

 早いもので、成人式を迎えてから3年、社会人となってから色んな先生にお世話になりながらも半年の歳月が経った。季節の節目に行われた高校のクラスの同窓会では、久しぶりに会う顔ぶれに思わず当時の気分になってはしゃいだが、仕事の話になると活き活きとした顔で話す者からあまり自信なさげに話す者もいた。
 高校生活を思い返してみると、平素から自信を持って「俺は○○大学に行く!」と公言していた友人は今の進路に納得して進めているような気がする。
 それに対して当時から進路もなかなか定まらず、なんとなくで学生生活を送っていた友人は今の仕事に不満を持っているように感じた。
 私は3年生の授業は持っていないのであまり生徒達と進路の話をしたことはないが、成績が良い生徒の話を聞いてみると「私は○○の専門学校を目指しています。」と話したり、目標を持って高校生活を送っているようだった。
 逆になかなか授業に身に入らない生徒に将来のことを聞いてみても、あまり自分の将来のビジョンが見えていないようだった。
 では私の高校生活はどうだったかというと、私自身は高1のときから数学の教師を志していたので(少なくとも数学については)真剣に授業に取り組んでいたと思う。
 人生一度きりの学校生活、悔いを残さないように生徒達にはだらだらと過ごすのではなく、「目標」を持って精進していってほしいし、私自身も教師という職業は生徒の将来に良くも悪くも影響を与えるのだという意識をもって、「園下先生に習って良かったです」と言ってもらえることを「目標」として、授業を真剣に行うことはもちろん、授業以外でも生徒達に積極的に接していきたいと思う。

2015年11月 5日 (木)

【第399回】 まさか、教え子が甲子園にS. K. (数学)

 今年の遊学館高校の野球は、盛り上がりました。私は七尾高校との試合を県立球場に観戦に行きました。これでも昔から勝負の世界をよく経験してきているので、「大事な試合に、おれが行ったから負けたのだ」と勝手に考えたりしてしまうので、多分勝ってくれるだろうとの思いもあって、七尾高校戦を見に行きました。しかし、相手の投手は軟投で、意外に点が入らなかったのです。日差しが強くなったので、相手側のスタンドで観戦しましたら、なんと数学を教えていたG君が代打で打席に入りました。あの子のパワーならスタンドもありえると思っていましたが、三振に倒れたのです。何やら肩に力が入っているように見えました。やはり高校野球は難しいもんだなあと痛感しました。しかし、その後、勝ち進んで見事に甲子園にコマを進めたのには感動しました。
 体育館の壮行会では、選手のユニホーム姿は、美しかった。それだけでも一人一人の人生に輝く一ページになるのです。
 この私も、前の学校で野球の応援(団長)に行ったことがあるのです。創部間もないころで、応援団もないので、バトン部とブラスバンドで行ってこいと指示されて行ってきました。穴水高校との試合の応援に行ったのです。試合の方は。20点以上の大差でコールド負け。相手は2番手、3番手の投手を出してきましたが、ほとんどヒットは打てなかったのです。試合終了の後、バスに乗ろうとしたら、恥ずかしながら急に涙が止まらなくなったのです。周りの者たちは、余りの大敗に、先生は悔しすぎて、泣き出したのだと思っていたようですが、実のところ、あの女学校がこうして高校野球に出られた、試合ができた、そのことの感動で、胸が爆発したのであったのです。スコアボードに自分の高校の名前が出たのを思い出してしまうと、さらに嗚咽が倍加しました。わたしは、小学生のころから野球にはそれなりの、思い入れがあったのだと、自分を見つめています。
 そのあと、縁あって、この学校に勤めさせていただき、なんと現実に数学を教えていた生徒が甲子園に行ってくれるとは、自分の人生に驚いています。神様のいたずらかもしれませんが、余りにも出来すぎている自分の人生に、これまた感動しました。しかも全国の強豪相手に1勝してくれるとは。
 私は、勝敗にはあまりこだわっていません。勝負というものは、何しろ、一つしかないものをお互いに死力を尽くして奪い合うのですから大変です。数学の問題のように、ただ解いてくださいと、黙っているわけでなないのですから。人間と人間の勝負は、それは大変です。
 高校生の部活動などいつも、勝負はついて回ります。相手も勝とうとしています。そのとき、相手に勝とうとするのではなく、今の自分にとって一番ふさわしい結果が与えられるんだという、信念を持つということです。もし敗退という結果が与えられたとすれば、それは今の自分にとって一番ベストな結果だと信じることです。その後の努力がさらなる君の成長を促すのです。いつも考えてほしいことは、みなさんの人生の一つ一つの結果には、何らかの意味があります。その意味を問いかけて、さらなる前進を続けてほしいことです。

2015年10月29日 (木)

【第398回】 やってみないとわからないS. Y. (理科)

  私は毎週土曜日の遊学講座『菜園』の巡回担当をしている。
先週の土曜は安納芋の収穫だった。
掘ってみると、ものすごく大きい芋が出現。
生徒も注意深く、途中で折れないように周りの土を除けて作業する。
私もスコップで参戦。
いつの間にか、私が生徒よりもワクワクしながら掘っていた。
10分か、20分か、どれくらい経ったかは分からないが、大きな芋がいくつも連なって、その全貌を現した。
土の中にいたときには分からなかったが、大変立派に育っていた。
掘ってみなければ分からない。
そう思った。
 その日の昼から本校の女子バレー部が決勝、次の日には本校のサッカー部が準決勝、と盛りだくさんな週末だった。
選手だけでなく、応援に駆けつけた生徒も頑張ったすばらしい試合だった。
スポーツもやってみないとわからない。
 3年生にとっては今が受験シーズンの真っ只中。
1人1人の将来に向けたチャレンジがそこにある。
これもまた、やってみないとわからない。

2015年10月 8日 (木)

【第397回】 思わぬ幸運S. J. (地歴・公民)

朝、日本人が2日続けて
ノーベル賞を受賞したニュースを
テレビで見ました。

そこで思い出したのが
昔、雑誌で脳科学者が話していた
「セレンディピティ」という言葉です。

それは「思わぬ幸運に偶然出会う力」
「偶然をとらえて幸運に変える力」
といった意味の言葉だそうです。
Aを追及していたら
偶然にBという幸運に出会うということ。

科学の重要な発見には
「セレンディピティ」が大きな役割を
果たしているらしいとのこと。
ノーベル賞を受賞した田中耕一さんは
試薬の配合を間違えたことで
大きな発見をしたのだとか。

今回受賞した大村さんも
ゴルフが趣味で
ゴルフ場の土も採取したところ
貴重な微生物を発見したとのこと。

そんな思わぬ幸運に出会う方法は?

とにかく行動を起こすことだそうです。
「目標が見つからないから何もしない」
という人がいますが
脳科学の立場からすると
目標というのは行動する中でからしか
見つからないものだそうです。
何かを本気で求めている人には
幸運が舞い込んでくるのかもしれませんね。

中学3年生のみなさんは
受験勉強に必死に取り組んでいると思います。
高校に入学したら
ぜひいろんな事に挑戦してほしいと思います。
遊学館もいろんな「セレンディピティ」に出会える場所です。
部活に、勉強に、遊学講座に。
遊学館に入学して本気で何かに打ち込めば
あなたも将来ノーベル賞をとれるかもしれません!

2015年10月 1日 (木)

【第396回】 根拠のない自信嶋田 司 (数学)

 夏に懐かしい友人と20年振りに再会した。彼は1年前に会社を立ち上げ,経営者になっていた。1年後にこういう会社になってほしいとビジョンをえがき,目標に向かって一つひとつの事に誠心誠意尽くせばきっとうまくいくと,燃えていた。想像できないほどの不安と様々なプレッシャーがある中,彼は「確固たる自信はないが,根拠のない自信はある。」と話してくれた。彼が会社を立ち上げるまで,大変な苦労を重ねてきたのだろう。その努力と行動力が根拠のない自信を生んでいるのだと思った。
 根拠のない自信をもった人間は強いかもしれない。不安であれこれ考え込んで行動に迷いが生じるよりも,根拠のない自信でも自信をもった方が迷いなく行動に集中できる。受験勉強にも同じことが言える。少々失礼だが,過去にも根拠のない自信をもって受験勉強に臨んだ生徒が国公立大学に合格している。その生徒は,自分は○○大学に合格するという明確なビジョンをえがき,自分は成功すると信じ,ひたすら勉強に励んだ。
 受験生の諸君,ここからが勝負だ。根拠がなくても,やればなんとかなる,合格できる,と信じて勉強の集中してもらいたい。やるしかないのだ。