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2016年4月14日 (木)

【第421回】 さくら道上 ちひろ (英語)

先日、兼六園にお花見に行きました。日本には数え切れないほどの花があるのに、なぜ桜を愛でることだけを“お花見”と言うのだろう・・・。普段は花より団子派の私が、なぜかそう思った。

なぜ昔から、桜は日本人の心を魅了し続けるのでしょうか。「さくら」という題名の名曲も数多くある。

あの、淡く優しいピンク色、美しく咲き誇って、いつの間にか散ってしまう儚さのためなのか。そんなことを考えながら兼六園を歩いていた。

その時、友人が言った。「1995年1月17日に阪神・淡路大震災が起きたとき、西宮市の夙川という桜並木になっている花見の名所も震度7の揺れで大きな被害を受けた。川の堤防は活断層の影響で段差になり、橋が壊れるなど悲惨な状況だった。」

「震災の混乱と悲しみから、夙川の桜のことなど誰ひとり考えもしなかった。でも、その年の春、夙川の桜は、いつもと変わりない綺麗な花を咲かせた。」

そのとき、誰もが咲いてくれてありがとう・・・そう思い、とても喜んだそうです。

美しいからだけでなく、儚いからだけでもない。そこには何にも負けず、どれだけ年月を経ても、変わらず咲き誇る強さが日本人の心を打つのかもしれません。

日本人にとって桜は他の花にはない、何か特別なものであることは間違いないのでしょう。

“お花見”日本人はなぜ、桜を愛でることだけを“お花見”と呼ぶのでしょうか・・・。

280414