2011年1月12日 (水)

【第166回】年末年始T. C. (英語)

お正月。みなさんはどうお過ごしでしたか。
私は今年の冬は東京の方に行ってきました。初詣に初めて明治神宮を訪れました。
やはり日本のお正月はいいですね。
今年は家族とおせち料理を食べる事ができなかったものの、外は雪が降り、お店、ホテル様々な場所から正月の音楽「春の海」が聞こえ、前には門松が飾ってある。これこそ日本のお正月ですね。

私は海外旅行をするのが趣味で、今までいろいろな場所を訪れました。
その中でもアメリカのニュ―ヨークとオーストラリアのシドニーで年を越しました。
そこで、今回はそれぞれの国での年越しを紹介したいと思います。

まずはニューヨーク。
日中は-1度、夜は-5度くらいまで気温がぐっと下がります。
その中、各国からこのためだけに人々が集まります。
それはタイムズスクエアーでのカウントダウンです。

何年か前まではカップヌードルの看板が掲げてあったことで有名だったこの場所では、有名な歌手や司会者などの芸能人が年明けカウントダウンを行うのです。
しかしそれは、前方でやっているため後ろにいる人は全くと行っていいほど見えません。
しかもその場所へ入る事ができるのは午後1時まで。つまり0時までの11時間を凍えながら待たなければ行けないのです。もちろん、一度入ってしまえば出る事ができず、何万人もの人がおしくらまんじゅうをしている状態なので座る事も許されません。

そんな状況でなぜ人々は待っているのだろう?と思っていると突然音楽がなり、前方ではショーが始まりました。そしてあまり覚えてはいないのですが、たしか午後9時から1時間ごとにどこからか紙吹雪が空から大量に降ってくるのです。そしてどこから来たのか2004年と書かれた眼鏡や帽子などが無料で配られました。

そうしたサプライズがあり、あっと言う間に時間が経ち、そしていよいよカウントダウン。
何万人もが一斉にカウントダウンをするものですから地響きに近いものがあり、3、2、1、Happy New Year!!!!みんな大騒ぎです。
その場で出会った人々とハグをし、周りではキスをしたりプロポースをしている人がいました。(映画の様ですが、本当にありました)さすが、アメリカですね。

そしてオーストラリア、シドニー。
ここは南半球に位置しているため12月下旬は猛暑。
ここでもわたしはたくさん人が集まるハーバーブリッジが見えるオペラハウス前にいました。ここでも入場制限がありましたが、シートを敷いて座ることができました。
しかし、なんと言っても真夏。ものすごく暑い。日を遮るものが一切なく直射日光を浴びながら日が沈むまでの約5時間待ちました。(帰って背中を見ると真っ赤になり皮がむけていました。)

日が沈むと、私たちが陣取っている下の階ではハウス音楽がかかりパーティーが始まりました。そして、午後7時くらいになるとハーバードブリッジを間近でみようとプランニングした
ハーバークルーズが、きらきらとイルミネーションを輝かせて湾へ出ていきました。
これもまた夜の海に輝いてすごく素敵でした。

そしていよいよカウントダウン。
ここではどんな事が起こるのかとどきどきしながらまっていると、ブリッジ中心が光りだしました。そして一斉に花火が打ち上げられ、ブリッジ自体も花火に包まれ夜空が輝きました。
また背の後ろにあるオペラハウスでもブリッジより遠方でも花火が打ち上げられ、まるで昼間のようでした。花火の迫力、演出が素晴しく、終わった後は何も言う事ができませんでした。
ニューヨークでの年越しはもういいですが、この場所はもう1度来たいと思いました。

こうして、旅をしてきた私ですが、やはり毎回思うのが少しでも英語を話せた方が倍楽しめる!ということ。
「Hawaiiは日本語が通じるから。」と言ってもやはり少しでも英語で現地の人と会話した方が、大半の日本人が知らないレストランやきれいなビーチに行けたり、その国の風土や文化そして国民性も知ることができます。だから私は海外旅行へ行くと必ずその国民と会話をします。
今まで13カ国旅をしましたが、やはり国際語は英語です。
せっかく違う国へ旅行するのなら、誰だって倍楽しみたいですよね。

2011年1月 5日 (水)

【第165回】負けることについてTa. Y. (英語)

 小学生の息子がある日持ち帰ったお便りにある言葉がありました。
それは「きちんと負けたことがありますか?」という言葉でした。

 息子は最近カードゲームに夢中です。
コンピューターゲームも頻繁にやり、勝ち負けに一喜一憂しています。
その他にも、持久走、縄跳び、オセロ、勝ち負けがでるような事が様々行われる中で、泣いたり、もめたり、怒ったり、落ち込んだりする息子を見ながら、私の心にもやもやとしたものが少しずつ溜まっていたからだと思います。

 私自身の生活でも、前日に大きな大会でいいところまでいって負けた生徒と接する事があります。彼らは意外なほどあっけらかんと明るくいつもの調子で話しかけてきます。気にしていないはずはないのに…。
負けを受け入れて、新しい目標に向けてそれを乗り越えようとしているのでしょう。そんな体験を何度か繰り返しそういう力をつけていく彼らには感心させられます。

 息子のお便りに先生が「きちんと負けたことがありますか」と書かれたのは、負けた子の事実の受け止め方に問題があると、日々感じ取っているからだと思います。負けることは悔しい、できるなら一生負けることから回避していたいという思いは誰にでもあると思います。

 生きている現実は他との比較・相対に支配される事が多くなります。
負けるという事実からは誰も逃げられません。だから、負けるという事実をどのように受け止めていくかは、生きていく上でとても大きな課題です。
負け方の正しい態度を育てておかないと、その敗北感を嫉妬や開き直りの感情に転化してしまいます。挫折を乗り越える力を育てることもできません。さらによくないことは、「負けるくらいならやらない」という逃避すらも生まれます。

 比較・相対はこのところすっかり悪者扱いされていますが、そうとは言い切れないと思います。比較する人やものがあるということは、それだけ自己を対象化でき、自分自身という存在を見つめる機会をつくり、その結果、自己のアイデンティティが確立されていきます。

 大人にとっても負け方は難しい。
そういう私も負けず嫌いだという点では、ちょっと負けない自信はあります。(笑)

2010年12月22日 (水)

【第164回】韓国語S. N. (英語)

Viewimg_4  2002年 サッカー ワールドカップ 日韓共同開催が、私が韓国語に興味を持ち始めた切っ掛けだった。

 それまで、日本から一番近い隣国なのに、全くと言っていいほど無関心だった。これを契機として、韓国ドラマがお茶の間に登場するようになった。日本全土を、特に中高年(?、自分も含まれるかもしれないが)中心に爆発的にヒットした「冬のソナタ」はまだ、皆さんの記憶に残っていることでしょう。

私も、ドラマには一喜一憂しましたが、韓国語を勉強し始めたのは、ハングル文字に関心を抱いたからです。あの記号のようなハングル文字は、組み合わせると、日本語の50音表に、ほぼぴったり合わせることができることに気付いたからです。つまり、韓国人は、日本語のひらがな言葉をつないで話していることになります。だから、韓国語の文章を読むのは、少々疲れます。日本語は、漢字があるので、視覚で意味を悟ることができますが、韓国語はいちいち読まなくてはなりません。

 でも、私の韓国語に対する興味は深まって、何か、生徒たちに役立たせることはできないものか、と考えるようになりました。
そこで、思いついたのが、この学校の特色でもある、毎週土曜日に開催の自主講座だったのです。なんとか、自主講座の一つに、韓国語講座を加えられないだろうかと思い、自主講座担当の教頭 中村裕行先生にお願いしたところ、受け入れて頂き、今日に至っているわけです。

 当初は、日本にワークホリディで来ていた、プサン出身の女子大生に講師になってもらいました。彼女たちも、最初は、戸惑いを感じていたようですが、生徒たちとの年齢も近いことから、1年も経過した頃には、和やかな雰囲気になっていました。彼女たちが、日本を去る日が来たとき、自習講座の生徒皆で、韓国語で手紙を書いて送ったことを思い出します。
あれから、私も、何度か、彼女たちから、近況を伝える便りをもらっています。

 その後の後任として、二人の金先生にお世話いただきました。
お一人の金先生は、お子さんの出産を機に、辞められ、もう一人の、金先生にバトンタッチされました。現在、講師としてお世話いただいているのが、このもう一人の金先生なのです。韓国語講座が軌道に乗るまで、私も、一緒に講座に関わりお世話させていただきましたが、今は、金先生お一人で、担当されています。

 今でも、金先生とは、定期的にお会いし、自主講座での困ったことや、悩みごとなどをお聞きし、より良い講座になるよう話し合っています。
金先生とお話をしていると、金先生のほうが、日本人より日本人らしいのではないかと思えることがあります。古き良き時代の日本人の礼儀正しさや、目上の人や、両親、恩師に対する敬いの気持ち、など、忘れかけた日本人の心の美しさを呼び戻させてもらっているような、そんな気付きがあります。

 今、思うに、あの時、本当に思い切って、韓国語の自主講座を作って良かったということです。いままで、あまり、アジア近隣諸国の中での日本の立ち位置を考えてこなかった私たち日本人にとって、この講座がきっかけとして、アジアの国々に当たり前に、目を向けてくれる若い人たちが育ってくれることを願ってやみません。

 どうか、この講座が、ずっと続いてくれることを願っています。

2010年12月15日 (水)

【第163回】引退試合

 高校野球は3年生の夏の大会で負ければ現役を引退となります。
遊学館高校野球部にはそれよりも一足早く毎年6月下旬にその試合を最後に選手とサポート(メンバー入りをあきらめ練習の補助)
に分かれる3年生の引退試合があります。遊学館のユニフォームに背番号を付けプレーするのは勝っても負けてもその日が最後となります。遠くはるばる関東や関西から寮生活をしてまで夢を掴みに来た生徒もいるのにと思うと毎年切ない気持ちになります。

 今年は6月23日夏の大会でメイン球場となる石川県立野球場で金沢学院東高校と6時試合開始となりました。

 私は遊学館高校に来て3年目になります。
今の3年生は入学したときからの成長を見ているので「今日が引退試合。」と思うと、いろいろなことが昨日のことのように思えてきます。

「プレーボール!!」

普段の練習では見たことのない好プレーの連続、あわやホームランという会心のあたり。
スタンドで応援していた3年生もいつの間にかベンチに入り精一杯の声援をおくり、ピンチの場面では主将が伝令に走りました。(伝令に走るのは彼自身最初で最後だと思います。)

 8―7で遊学館の勝利!!
 最後の最後までお互いに最後の試合にかける気迫がひしひしと伝わってきました。

スタンドには多くの学校関係者の方々や生徒、
保護者、遠く兵庫県から駆けつけてくれた卒業生もいました。
これだけ多くの方々に応援したいただける3年生は本当に幸せだと思いました。

今年の夏、遊学館は多くの方々の声援のおかげで5年ぶり4回目の夏の甲子園出場を果たし、阪神甲子園球場で2試合プレーしてきました。全国大会を肌で感じ生徒達も頑張って「心・技・体」の向上に努めています。
この夏の活躍は試合で活躍した選手たちもそうですが、サポートとしてチームの為に働いてくれたメンバー外の働きのおかげだと思います。

今年の夏は生徒達のおかげで自分自身、貴重な経験をさせてもらいました。

2010年12月 8日 (水)

【第162回】最終月に寄せてK. M. (国語)

今年もあっという間に12月となりました。 2010年もさまざまなニュースや話題が駆け巡りましたが、その中で皆さんの印象に残っているものは何でしょうか?

私はやはり、遊学館高校野球部が甲子園に出場したことです。
念願の出場に喜んだ生徒たちの姿、そして真夏の甲子園での元気なプレーや全校あげての応援は、今でも鮮明に思い出されます。

そしてさらにもう一つ、サッカーW杯南アフリカ大会での日本代表の活躍です。
もちろん、サッカーのワールドカップといえば世界中を巻き込む一大イベントで、ベスト16に残った日本代表の活躍といえば、誰もが思い出すことでしょう。

ただ、私がこの二つの出来事に関心を引かれたのは、勝ったからうれしいとか目的を果たしたからよかったとかいうことではありません。この二つのチームから受けたある印象があったからです。今まで以上に、チームが一つにまとまっているという感じを受けたのです。

日本代表が試合に勝てば、活躍した選手に目が向くのは当たり前ですが、それと同時に、今回は控えの選手の素晴らしいサポートを称賛する話も伝わってきました。控えに回れば悔しいはずです。それなのに、チームの勝利のために率先してピッチの外で動き回る控え選手の姿がありました。彼らの支えが試合に出る選手たちのモチベーションになり、チームの結束へとつながって、このよき結果の一つとなったとのことです。

そして、野球部もです。
それぞれの部活動の事情は、私自身関わりがないのでよくわかりませんが、どの部活動においても、試合に挑む前には必ずレギュラーメンバーの発表があります。それに「選ばれなかった…」と、勉強が手につかなくなるほど落ち込む生徒もいました。悔しさと不満で、チームから心が離れていく人もいることでしょう。しかしはたから見ていて、今年の野球部員たちからはそんな感じは受けませんでした。
ここでもやはり、試合に出ていない部員たちがレギュラーをサポートする姿が伝わってきます。(そこのところは、9月の山本雅弘先生ご自身のコラムが詳しいのですが…)
あの夏の甲子園出場は、試合に出ているレギュラーだけでとったものではありません。出ていない部員たちの貢献があったからこそ、それに対する感謝の気持ちが生まれ、みんなの思いが一つになってレギュラーの力となり、勝ち取った甲子園なのだと。

もちろん、どちらの出来事もさまざまなことが要因となっての結果です。
視野を広げれば、とかく人間関係においては、価値観が似ているとか目的意識が同じ人間同士で固まってしまうことが多いですが、
この学校の生徒を見る限り、そのようなことからは遠いように思います。誰も彼もが分け隔てなく応援し支え合う、そういう学校の雰囲気が、良き結果へと導かれた土台にあったのかもしれません。

さて、皆さんの2010年はいかがだったでしょうか?