2012年3月 8日 (木)

【第222回】 計算機と数学林  悠帆 (数学)

 最初のコンピュータが発明されてから、かれこれ70年が経とうとしている。今やコンピュータはどこにでもあり、誰もが使うことのできるものとなった。しかし、コンピュータを日本語に訳せと言われたら、意外と困る人が多いのではないのだろうか。コンピュータは一般的に電子式計算機と訳され、その名の通り人間には不可能な高速演算を可能とするものである。コンピュータの発達により、その補助を得ることで多くの数学的な疑問は解明されてきた。しかし、相変わらず数学上の問題は多く、コンピュータを利用するが故の問題というものもまた、登場してくることとなる。

 そんな問題の一つとして、巡回セールスマン問題という有名な問題がある。セールスマンがある場所から出発し、いくつかのポイントを経て帰ってくる。そのときの最短経路を求めよという問題である。この問題を厳密に考えるとすると、すべてのルートに対して移動距離を計算し、最短経路を探すこととなる。経由するポイントが少なければコンピュータはすぐに最短経路を導き出すであろうが、経由するポイントが数百などとなってくると計算にかかる時間は膨大なものとなってしまう。他にも、大きな数の素因数分解も解くのに膨大な時間がかかってしまうことが知られている。この性質は暗号にも使われている。

 このような、求めるのに膨大な時間がかかる問題に「本当に短時間で求める方法はないのか?」という疑問に対し、100万ドルの賞金がかけられている。数学に限らず、「○○ができる」ということの証明は簡単だが、「○○はできない」ということの証明は難しい。まさにその代表例のような問題である。興味があれば「P≠NP予想」について調べてみよう。

2012年3月 1日 (木)

【第221回】 卒業Y. H. (数学)

 本日、第16回卒業証書授与式が行われます。
 教員として卒業式に参加するのは3回目になりますが、今年の卒業式は特別なものを感じます。それは、今年卒業する3年生は、私が教員になって初めて教えた生徒だからです。
 あれからもう3年が経ったと考えると、いろいろな想いが込み上げてきます。

 最初は不安ばかりで、自分が教えたいことを言葉や板書にすることができなくて悩んだり、質問に答えても「わからない」と返ってきたり、教員いう仕事の厳しさを日々感じていました。しかし、ここまで続けられたのは、周りの先生方のお力もありますが、一番は生徒が何気なく言う、「わかったよ、先生ありがとう」という言葉のおかげです。この言葉に、私は幾度となく助けられました。助けられてきたおかげで、今年度、担任をもつという新たな道に進むこともできました。数学だけ教えていたときでは考えられないような日々が続いています。生徒とぶつかることもありますが、とても幸せな毎日を過ごしています。

 

 卒業生のみなさん
 みなさんは今日、遊学館高校を卒業し、4月から新しい世界に足を踏み入れます。楽しみな気持ちもあると思いますが、不安な気持ちもたくさんあるのではないでしょうか。私も3年前の今頃は、不安な気持ちと戦っていました。けれど、ここまで進めたのは、私が1人ではなかったからです。みなさんも1人ではないのです。周りには家族、友達がいます。すぐには会えなくても、ずっと一緒なのです。そして、みなさんのことを応援しています。私も、一生懸命応援していきます。
 年を追うことに、新たに出会う生徒もいましたが、授業をもつことが減っていきましたね。けれど、あいさつしてくれたり、廊下で話をしたり、数学の質問をしてくれたり、とてもうれしかったです。教員1年目の生徒があなたたちで本当に良かったと思います。ありがとう!!
 これから先、みなさんが自分の夢に向かって進んでいけることを、祈っています。
 卒業おめでとう!!

2012年2月23日 (木)

【第221回】 トイレでベサメ・ムーチョN. A. (数学)

 「ベサメ・ムーチョ」は外国のムード歌謡です。
 私の母はこの曲がたいへん好きでした。スペイン語で書いた歌詞が、家のトイレの壁に張ってありました。(ちなみに、大事なことは壁に貼れ、特に大事なことはトイレに貼って覚えよ、というのが実家に伝わる便強法でした。)

 母は50歳を過ぎたころ、何を思ったのか、急に英語の勉強にとりつかれました。その勢いはとどまるところを知らず、家の壁という壁は英文だらけ。大学で英語の教師をしている弟が舌を巻くぐらいでした。
 実家でトイレに入ったとき、ついにその勢いが、英語に飽き足らず、スペイン語にまで及んだことを知りました。

 昨日知らなかったことを今日知っている、夕べ判らなかったことが今朝判る、そのことが単純に嬉しい。だからもっともっと勉強したくなる・・・・母はよくそんなことを言っていました。
 13年前、一人暮らしをしていた母は、67歳で亡くなりました。そのとき、遺品の中から、NHKの英会話テキストやノートが大量に出てきました。
 そして、予想通り、その中にはスペイン語のテキストもありました。

 私たちは、「・・・・のための勉強」という発想に慣れすぎてはいないでしょうか。「大学合格のための勉強」はその典型でしょう。しかし、学ぶことは、何かの手段ではなく、それ自体が目的であり歓びであったはずです。
 戦前の小学校を出ただけの母にとって、語学の勉強は、足を踏み入れるだけで心踊る世界であったに違いありません。

 ところでベサメ・ムーチョってどういう意味でしょう。このコラムを書くにあたって、意味を調べてみました。
 「ベサメ」は意外にも「キスして」という意味でした。また「ムーチョ」は、英語の「much」にあたる言葉であることもわかりました。
 ベサメ・ムーチョとは、直訳すれば、「キスして、いっぱい」。死を目前にした母が、トイレでつぶやき続けた歌は、「キスして、いっぱい」でした。

 昨日まで知らなかったことを今日知っていることは、素晴らしいことです。
 しかし、知らないほうがよかったと思うようなこともあります。

 ベサメ・ムーチョに乾杯!

2012年2月16日 (木)

【第220回】 英語、好き?西村 美恵子 (英語)

 時々私は生徒たちに尋ねる。“英語、好き?”

”うーん、やっぱり自分で文の意味考えてわかったらうれしいし、好きかなー。“
(そうそう、できたらうれしいよね。)“好きとかじゃなくて、受験に必要だから・・・。”(現実的ですね。)“嫌い!難しい単語はたくさんあるし、意味が変わる語もあるし、文法もいろいろあって全部覚えきれない!”(まったくその通りですね。でも日本語も同じだと思いませんか?)“俺日本人だし、日本語できるからいい!”(なんて寂しいことを言ってんの。日本語の中にたくさん入っているカタカナ語、意味わかって使っているの?コンピューター用語は英語じゃないの。日本人の生活がどれほど多くの英語に囲まれていることか、ゲームだって、インターネットだって。そのうえネットでは世界と繋がっているし。)

 英語を教えている者として当然のことながら、英語がすきだと聞くとうれしいのだが、私自身中高生だった頃英語が得意科目でもなく、好きでもなかった。けれども英語の勉強は一生懸命していた。子供のころテレビでよくアメリカのドラマや映画を見ていて、ほとんどが吹き替えだったけれど予告の部分では英語が流れたりした。そんなわからない言葉がわかる人になりたいなと漠然と思っていた。高校生の頃、私の大好きだったものは洋画(もちろん字幕で見ました)と洋楽だった。当時映画はほとんど二本立てで客の入れ替えがなかったので、あるとき朝から映画館に入って大好きな映画を3回見たこともあった。(続けて5本の映画を見たことになる。家庭用ビデオはまだなかった時代ですから)。またある映画のサウンドトラックレコードを買って、歌詞カードの英語をすべてノートに写してわからない語句の意味を調べたりして覚えて口ずさんでいた。映画のせりふや歌を聞いてすぐ理解できるようになりたい・・・そんな思いだけで英語を勉強していた。せりふも歌も、学校で習う英語も、受験の英語もすべて同じ英語なのだから、英語の勉強はあまり苦にならなかった。例えば英文を読んでいて、ある歌の歌詞で覚えた語に出会うと、うれしくなって、その歌が頭の中を回りだすといった風に。英語が使われている世界と私を結ぶ道具が英語であった。好き嫌いではなく、どうしても必要な道具であった。

 言葉は習慣の一つだから、誰もが母語を何の苦労も無く身に付ける。けれども母語であっても、たくさんの言葉の意味を知り、覚え、そして使い方を学び続けるものである。まして習慣として身に付けることのない外国語である。習慣に代わる地道な努力や訓練なくして使えるようにはならない。しかし、机の前で鉢巻締めて勉強してというよりも(それも必要だけれど)見たり聞いたり読んだり口に出してみたり、五感すべて用いて楽しみながら覚えればよいのではないだろうか。言葉は道具である。道具は使うためにあるのであって、その道具を身に付ければその先に今までとは違う別の世界が広がっているといえるだろう。道具の種類は様々で、自分の望むものを身に付ければよいのである。中学の3年間で英語の基礎を学ぶ。いわゆる日常会話といわれているレベルだ。使える道具にするためには習って、慣れること・・つまりは使い続けることが肝心である。

 中学高校と6年間も学び続ける教科なのだから英語を使える道具として身に付けてほしい。そしてもっと広い世界を体験してほしい。私が生徒たちに尋ねる“英語、好き?”とは本当は“英語で何がしたい?”だったり“英語、楽しもうよ”なのである。

 そんな私でも、これまでに英語が大好きと思ったことが2度あった。大学1年で第2外国語としてドイツ語を学んだ時。英語がいかに簡略化された言語であるかを思い知ったわけだ。簡単になったから世界語になれたのかもしれない。そしてもう一度は、初めて乗った国際便の飛行機の中、周りはほとんどすべて中国人で、わけのわからない言葉にずっと囲まれていて悲しくなっていると、フライトアテンダント(当時はスチュワーデスと呼んでいたが)が英語で話しかけてくれた時。英語が懐かしく感じられて、意味がわかることがうれしくて、ありがたく思えた。そう考えてみると、好きだからここまで英語にかかわって生きて来られたのかもしれない。Yes, I love English very much!

2012年2月 9日 (木)

【第219回】 「四十にして惑わず」中村 ゆかり (国語)

 遊学館高校初任の年、「生徒指導だより」に載せる挨拶文を依頼された。

 『明るいクラス、元気なクラス、落ち着いたクラス…クラスにはそれぞれの雰囲気がある。そしてその雰囲気を作るのは、クラスの生徒一人一人である。みんながステキな顔ならば、素晴らしいクラスになる。そんなクラスを目指して、一人一人が持っている力を発揮しよう。』

といった内容のことを書いた。

 これまで数多くの生徒の「顔」と接してきた。それぞれの生きている毎日が、それぞれの表情に現れてくると日々、実感している。落ち着いた良い表情の生徒は、毎日の学校生活が充実しているのだろう。逆に、元気が無く冴えない表情の生徒は、悩み事があったり、生活習慣が乱れていたりするのであろう。個々人に色々な出来事があるのだろうが、それでも一人の生徒が入学して卒業するまでの3年間、様々な経験を積んで確実に成長を遂げていて、「大人」の顔に近づいていく。学校という場所だからこそ、そうした生徒の成長に関わることができるのである。

 あの時は、まさに生徒に向けて書いた文章だったが、この頃その初任当時の「自分」をふとしたときに、思い返すことがある。毎日多くの生徒の「顔」と接しながら、自分自身の「顔」は成長しているかどうか。孔子の言葉のように「不惑」と胸をはって言えるだろうかと。

 まもなく3年生は卒業の時を迎える。この学舎で生活した日々がそれぞれの「顔」を作ってきたことと思う。この遊学館で送った高校生活で培った経験、自信を胸に更なる飛躍を遂げてほしい。そして20年後、胸をはって「不惑」であると言えるようであってほしいと願う。