2012年6月21日 (木)

【第235回】 『麗子像』と歴史ロマン光谷 和子 (芸術)

 ちょうど私のデスクが第二職員室の英語の先生方の隣にあります。
そこでちょっと小耳にはさんだところによると、3年Rの教科書にでてくる岸田劉生の作品『麗子像』が「とても不気味だ!」という評判でもちきりだそうですね。
本物の作品はもっと油絵の質感と色味が美しいのですが・・・。
それにしても麗子さん、なんだか人間味のない表情をしていると思いませんか?
――――はい、実はその感想で正解なんです。
なんでそのような表現になったのか2つの視点から見てみましょう。

【その1 謎の微笑について】

 岸田劉生が麗子像の手本としたのはレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた『モナ・リザ』という説があります。では、この有名な『モナ・リザ』の表情に着目してみましょうか。無表情の中に口元だけが微笑していますね、このような微笑を“アルカイックスマイル”といいます。これは我々日本人も日々の中で見たことがある笑みなんですよ、そうです、仏像の笑みです。
 この仏像の表情の様式はどこから来たかというと、シルクロードを通って日本に伝わったんです。紀元前300年代にマケドニア国(現ギリシャ)の王様・アレキサンダー大王という人が、ギリシャからインドにまで遠征にいったんです。これでギリシャの文化がオリエントの文化と混ざることになりました。オリエントはラテン語で「日が昇る方角」を意味するオリエンス(Oriens)が語源ですから、西側諸国からみて東側(アジア)がオリエント地域にあたります。というわけで西の文化が東に伝来した結果、ギリシャ彫刻の様式が仏像の様式になったわけです。この仏像の微笑の様式は、紀元前6世紀頃のギリシャ時代のアルカイク美術に見られる特徴でした。このアルカイク美術においては、いかに静止像に動きを与えるかが造形課題でしたので、生命感と幸福感を演出するためのものとしてアルカイックスマイルが流行したんですね。
 さてさて、では、これらギリシャ時代における彫像の主なモデルは誰だったのでしょうか?――――それは、ギリシャ神話の神々と英雄達でした。
想像してみてください、人間が神様の表情を作るのはさぞかし大変だったと思いませんか。神様は誰も見たことありませんから、像を制作する職人はさぞかし悩んだでしょうね。
「神様の顔?きっと生命感と幸福感に満ち溢れた表情だけどもどこか人間離れした表情だろうな・・・」と。
そう思い悩んだ末にアルカイックスマイルという様式にたどり着いたのでしょうね。

【その2 技法からの視点】  

 岸田劉生に影響をあたえた画家に、デューラー(15-16cドイツ)とゴヤ(18-19cスペイン)がいます。デューラーは“キアロスクーロ”という技法を用いました。これは光と影の対比によって画面中に劇的な効果を生み出す技法で、日本語でいえば“明暗法”にあたります。ゴヤは晩年、聴覚を失い『黒い絵』シリーズと呼ばれる明暗法をも使用した劇的で恐ろしい内容の作品群を生み出し、人間の持つ偽りない内面を表現することを重要視しました。
 さて、『麗子像』に話を戻しますと、あの皆さんに不評だった人間味のない表情は、元を辿ればギリシャの神々のものだったんですね。そりゃあ、人間味のない表情だったわけです。人間が神様の表情を想像して作り上げた不自然な笑みでした。さらに岸田劉生は“明暗法”という技法も使用しつつ、内面性(美や神聖さ)を表現しようとしていました。このなんでも「劇的なように」見せることができる技法の効果によって、もともと不自然だった笑みがより一層と劇的に不自然な笑みに見えたのでしょうね。

 このように、作品の背景に思いを馳せてみるとなんだかロマンを感じませんか?
ただただ不気味で不評だった『麗子像』が、なんだか一種の神秘的な雰囲気の中、静けさの伴う美しさや、一種の神聖を帯びてキラキラと輝いて見えてきたりは・・・しませんかね???

2012年6月14日 (木)

【第234回】 思い出谷内田 京子 (国語)

 4月下旬に、卒業生2人と食事をしました。大学をこの春卒業し、公立中学校に勤めているK君と、専門学校を卒業し、大企業に勤めて3年目になるU君。私は、彼らの1年次の担任でした。7年前、遊学館に入学してすぐの彼らは、元気いっぱいのわんぱく坊主!!
勉強に部活にがむしゃらに頑張っている姿がとても印象的でした。

 たくさんおしゃべりをして驚いたのが、高校時代の些細な出来事が、大切な思い出になっている事。入学してすぐにクラスで自己紹介をした時の話、○○先生の口癖、国語の授業中に「羅生門」の音読で盛り上がった事など。私はその頃を思い出し、笑いが止まりませんでした。                   
 K君が、中学1年の担任として、悩みながらも前に前に進もうとしている姿。U君が大企業に勤めながら、さらなる目標を見つけ、自分の人生を切り拓こうとしている姿に感心し、私も2人に負けないように頑張らなくては・・・と思いました。
 日常の些細な出来事が、思い出として彼らの心に残っているように、私自身、毎日の朝礼や掃除時間を大切にして、生徒との大切な思い出を作っていきたいと思います。

 さぁ、今週は体育祭です!!遊学生のみなさん、ルールを守って思い出深い体育祭にしましょう!!

120614

2012年6月 7日 (木)

【第233回】 F2FM. M. (英語)

 めまぐるしくデジタル化が進んでいる。私は携帯電話での通話やメールが精一杯であるが、パソコンや携帯電話などは現代人にとってなくてはならないものになっている。

 本校でも携帯電話の持ち込みが許可され、高校生たちにとってもますます肌身離さず持ち歩く必需品となっているようだ。(もちろん校内での使用は禁止です。)

 確かに、いつどこにいても連絡がとれる携帯電話や、用件のみを簡潔に相手に知らせることができるメールなどは大変便利である。

 F2F。Face to face(面と向かって、向き合って)の略語であるが、これが本来のコミュニケーション手段ではないだろうか。

 先日、県高校総体サッカーの決勝戦を全校応援で観戦することになった。当日、朝から生徒たちは目を輝かせて「サッカー決勝だね!」「がんばってほしいね!」と激励の言葉が飛び交っていた。午後、生徒たちは試合会場へ向かい、目の前の選手たちに大きな声援を送った。そして試合後、選手たちはまっすぐに観客を見てお礼を言った。

 本当に伝えたいことはやはりF2Fで伝えたい。パソコンの普及により、さまざまな情報伝達手段はあるが、目の前にいる相手の表情、口調、声のトーン、身振り手振りなどを見ながら自分の気持ちを正しく伝え、お互いに理解しあえる人間関係を築く術を身に付けていきたいものである。

2012年5月31日 (木)

【第232回】 一つのきっかけM. Y. (保健体育)

 県高校総体陸上競技が他の競技より1週間早く、5月24日(木)~5月26日(土)まで西部緑地公園で行われました。

 この冬は、積雪も多く十分な練習ができなかったうえ、故障者も多くチームでまとまった練習がなかなかできず、なかなか悪い流れが変わりませんでしたがあるきっかけで、初心に帰れ流れが変わってきたような気がします。

 そのきっかけとは、春休みに東海大学の施設をお借りして行った春季合同合宿です。
この合宿には、秋田工業(秋田)、報徳学園(兵庫)、拓大一(東京)、美方(福井)、東海大三(長野)が参加しました。

 この合宿でいろんな先生方とお話をさせていただいたり、一緒に練習をさせていただくうちに、とにかくがむしゃらに頑張らなければという気持ちになれました。

 いつもそうですが、自分達だけで練習していても気づかない事が合同合宿で気づく事がたくさんあります。こういった合宿に参加させていただいてる事に感謝して、練習、大会に臨みたいと思います。

 さて、県総体の結果ですが、4名の選手が北信越大会に出場することになりました。
(詳しい結果は、ホームページでご覧下さい)今年のインターハイは、地元北信越の新潟県で行われます。春合宿でお世話になった先生方にで会えるよう、一人でも多くの生徒が出場できるように頑張らせたいと思います。

Moriga

2012年5月24日 (木)

【第232回】 「風薫る」M. M. (国語)

 遊学館は金沢の都心にあるのに、この学校へ行くと、私はいつも豊かな森の中にいる思いがします。
 ましてこの五月は新緑が匂い立って、風薫るという言葉がぴったりのいい季節です。私は国語を担当していますから、いつもありきたりの言葉を使わないようにしていますが、時にはそのありきたりの言葉でないと表現できないことがあります。
 この季節の遊学館がそうです。この学校は建学以来百余年ですが、今このあたりを吹き渡っている風は、千年の昔から吹いている五月の風、まさに匂い立つ五月の風ですね。
 この学び舎で青春のひとときを過ごす生徒たちも、教師の私たちも、その風の中にいる。そう思うと、ふと悠久を感じます。