寺山 いずみ (養護教諭)

2018年11月 1日 (木)

【第552回】 愛しのレベッカ

 今年5月に、Rebecca Lee(レベッカ リー)さんが、金沢に来ました。レベッカさんは、アメリカ人で、今から25年ほど前に、本校で英語を教えていました。ああ!と、思い出してくれる卒業生がいたら、うれしいです。
 勉強熱心なレベッカさんは、日本語が上手で、一緒に食事をしたり、旅行をしたり、良い友人でした。レベッカさんがアメリカに帰国した後も、3回会いに行きました。その時は、彼女の両親、姉妹、おばあ様に、お世話になりました。レベッカさんも、新婚旅行を兼ねて、素敵な韓国人の彼と金沢に来ました。当時、レベッカカップルと一緒のときは、韓国・アメリカ・日本の3か国!国際的!!!と、感じていました。
 そして、今回は、大きくなった息子アダム君と、20年ぶりの来日。私が彼女に会うのも15年ぶりぐらいです。
 不思議なことに、過ぎた年月も出来事も関係なく、当時に戻って、話し・笑い、過ごすことが出来て、とても楽しかったです。
 四半世紀たっても、国籍が違っても、今なお続くレベッカさんとの友情は、私が金城で得た宝物です。
 そして、最近の遊学館はもっと、すごい!英語のマーク先生はアメリカ、駅伝のジョス君はケニアから、野球部の張君は台湾、アメリカからの留学生のマックス君と、とても国際的です。また、フランス(ナンシー)のノートルダム・サン=シジスベール校と姉妹校になって2年。生徒同士の交流もそろそろ始まりそうです。
 この出会いが、何年後もみなさんの宝物になると素敵だなぁ~と、思います。
 11月4日で創立114年を迎える母校の歴史に、沢山の思い出が重なるこの頃です。

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2017年6月 8日 (木)

【第481回】 「お母さんは金城卒業生」

 以前、職員会議で副校長先生が、「本校の在校生の2割強は、お母さんや兄弟・姉妹、または、祖母などの家族が、本校の卒業生です。」と、話していました。その時は、「ふ~~ん。」と、思っただけでしたが、なるほど!と思ったのが、今年の卒業式でした。
 歌劇座の入り口で立っていると、「いずみちゃん!久しぶり~」と、高校の同級生のえみちゃんです。「もう、卒業なんやね~おめでとう!」と、私。
 卒業式後の歌劇座前では、「ほらほら、お母さん、保健室の先生よ」と、保健委員長だった、あやかさん。「保健室の先生!覚えているわ」と、お母さん。「先生、息子がお世話になりました」と、挨拶してくださるお母さん。見覚えのある顔です。「お母さん、卒業生ですよね」と、お聞きすると、「はい。保健委員の○○ちゃんと、何度か保健室にお邪魔しました」など、今までになく、金城卒業生のお母さんに声をかけて頂き、うれしくて、懐かしい時の流れを感じました。親子2代!いいですね~。
 あと、数年後には、遊学卒業生の『お父さん』からも、声がかかるでしょうか?楽しみです。
 そして、4月!新しくなった体育館がいっぱいになるほどの、多くの新入生を迎え、金城卒業生である私が、思うことは、本校の建学の精神である「良妻賢母」や、金城時代の校訓◎礼儀正しく質素であること◎勤勉で互いに努力すること◎素直で明朗であること◎清潔で優美であること は、時代錯誤のようにも思えますが、今も昔も変わらない常識や礼儀は、大切ではないか!いうことです。男女共学となって20年を超し活気のある遊学館高校ですが、女子教育を90年以上に渡って行って来たことに誇りを持って、その伝統に恥じない生徒の育成をしていきたいと、金城卒業生のお母さんに会って、より強く思いました。
 親子3代!金城・遊学館です。と、言われるように・・・・。

2016年1月 7日 (木)

【第407回】 同窓会と言う《タイムマシン》・・・・・

明けましておめでとうございます。今年は、暖かい冬ですね。
 昨年9月、吹奏楽部の定期演奏会の時、歌劇座の前を歩く私に「いずみちゃん~」と後ろから誰かが呼びました。い・ず・み・ちゃん???振り返ると「あら~えみちゃん・・・・」高校の同級生です。「やっと、会えたね。うちの息子今、遊学に通っているの。何時か会えるかな~と、思っていたのよー」と、高校時代にタイムスリップ!嬉しい再会をしました。
 同級生と言えば、一年半ほど前から数回、小学校の同窓会がありました。「生まれて半世紀!一度、みんなで会いませんか?」との誘いでした。私は5年生の時、小松から金沢に転校して来たので、新竪町小学校で過ごしたのは、1年半ぐらいでしたが、30年以上ぶりの同級生との再会!なんとも、不思議な感じでした。懐かしい顔・・・変わらない顔・・・変わった顔・・・知らない顔?知らない私???。
女子高・女子短大を出た私には、男の子の同級生も新鮮でした。みんな、いい感じのおじさんになっていて、紳士的で、女の子は、頼りがいのあるお母さん、自立した女性で、とても、居心地のいい時間でした。
記憶にない自分にも、会いました。「平野さんにお昼の放送でUFOを流してもらったのを覚えているわ~」とか「平野さん合唱コンクールで指揮して、みんな言うこと聞いてくれん・・・って、困っていたね」など、そんなことがあったような・・・・(汗;)
こんな事があったとか、誰がどうしているとか、先生に会ったとか、話が尽きません。ホント、30数年前にタイムスリップです。
 タイムスリップと言えば、本校の第一体育館は、昭和39年に出来ました。翌年、加藤二朗先生の校葬が真新しいこの体育館で行われたそうです。それから半世紀が過ぎ、第一体育館も、この3月の卒業式を最後に建て替えられることになりました。私も学生時代から、集会・体育の授業など思い出のある体育館ですが、この一年は、特に思い出深いものになりました。夏!野球部の甲子園出場の壮行式。その後の全校生徒での応援練習は遊学の一体化を感じ。冬!バトントワリング部の全国大会優勝報告会。華麗な演技をスクリーンで見て、この体育館の最後の年にすばらしいと・・・胸が熱くなりました。
 第一体育館は、入学式で沢山の生徒を迎え、卒業式で沢山の生徒を送り、部活動で沢山の部員達が汗を流しました。みなさんが未来で過去にタイムスリップした時、この体育館での思い出を、語ってくれたらうれしいなと思います。
 新しい一年も、みなさんの未来も素敵に過ごせますように。

2014年8月14日 (木)

【第340回】 夏の修行!永平寺に行きました。

7月末に、永平寺に行って来ました。一泊二日の参籠(さんろう)です。永平寺に宿泊し、禅寺の修行生活に触れることにより、各々の信仰を深めることを目的としたものです。姉に誘われて、甥っ子と三人で行きました。
 永平寺は今から約770年前に、道元禅師によって開かれた座禅修行の道場です。厳しそうなイメージがあり、はじめは緊張しましたが、終わってみれば、何とも、すがすがしい体験でした。
 一日目16時までに上山(到着)し、説明を聴き、入浴。17時30分に薬石(夕食)。参籠研修では、食事は大切な修行で、偈文を唱え、食事に感謝しわが身の行いを反省していただきます。おいしい精進料理です。しかし、私語は厳禁!必ず器を持って食べるなど、高級レストランでも、こんなに緊張はしないでしょう、と思いました。この食事で、私が一番印象に残ったのが、「私はこの食事をいただくに値する人間か?」という教えでした。ご飯を食べる時に、考えたこともないことでした。皆さんはどうですか?
 18時50分から座禅・法話・映画です。初めての座禅です。20分ほどですが、自分の煩悩の多さにあきれながら、鈴虫の鳴き声に聞き入りました。法話は、良いお話でした。なるほどと思った教えは「霧の中を歩けば、覚えざるまに、衣しみる。良き人にちかづけば、覚えざるまに、良き人になりけり」意味はそのままなのですが、霧の中を歩いていれば、知らず知らずに着ているものが湿る。それと同じに、良い人の側にいれば、知らず知らずに良い人になっている。と言うことです。良き人を良き環境と置き換えることも出来ます。家庭・学校・職場、私は良い環境に居るだろうか?また、良き人となっているだろうか?答えは、見つかりません。21時開枕(消灯)早いけど、床につきました。
 二日目4時30分起床(この日は、休日?で、一時間遅い起床でした)5時朝課。法堂で朝の読経が始まり、見学をします。修行僧の一糸乱れぬ動きと読経は圧巻です。その後、諸堂の案内。歴史のある建物は、見応えがあり、案内するお坊さんは、さわやかなイケ面でした。7時小食(朝食)やはり、修行でした。その後下山(出発)。
 いろいろ、思うことのあった永平寺でしたが、毎日の暑さを理由に怠惰に過ごしてしまう私です。良き人を探して、良い夏休みにしたいと思います。暑い日が続きますが、みなさんも、元気に良き人になって下さい。

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2013年5月 2日 (木)

【第277回】 巴里の日本人

 少し前の話になりますが、年末から新年にかけて、パリに行って来ました。今回の旅行の目的は二つ。

 一つは、オランジェリー美術館に、きものを着てモネの図柄の西陣の帯を締めて行き、モネの睡蓮の前で写真を撮ること。なのに・・・残念ことにオランジェリー美術館は写真撮影禁止(4年前は写真が撮れたのに・・・)になっていて、達成することは出来ませんでした。でも、美術館で一緒になった外人のカップルが、帯をとても褒めてくれました。睡蓮の絵画と西陣織の睡蓮を堪能してくれたようでした。

 二つ目の目的は、きものを着てオペラ座に行くことです。パリにはオペラ座が二つあります。言わずと知られたガルニエと新オペラ座とも言われるオペラ バスティーユです。それぞれ2回、計4回通いました。バレエ・オペラは素晴らしく、とても楽しみました。

 さて、きものの効果は??? 絶大でした。バスティーユではクリスマスツリーの前で、写真を取られたり、家族写真の中に入ったり。また、「ジャパン・レディー」と、囁かれたりしました。
 ガルニエでは、売店で「ありがとう」と日本語で挨拶され、休憩のときには、素敵なマダムが近づいて来て「あなたは美しいです」と2回繰り返し去っていきました。一番の出来事は、『シンデレラ』のオペラの時です。舞台横の小部屋のような9席を仕切った3列の一番後ろの席で、舞台が半分しか見えません。残念に思っていたら、一つ前の席のムッシュが、「マダム、この席にどうぞ。私はいつでも来られますから」(フランス語も英語も分からないので、推測ですが)と、席を代わってくれました。まぁ~うれしい。舞台が見えます。確かに・・・チケット代もほぼ3倍ですから。「メルシィー」を連発する私でした。一張羅を着て挑んだ甲斐がありました。
 オペラ座の建物はすばらしく、舞台も最高で、敬意を示した和装で行って良かったです。パリの人々も敬意を持って受け入れてくれるのだと、実感しました。

 オペラ座以外でも、きもの効果は絶大です。ガルニエ近くのブランドショップでは、「何か、お手伝いしましょうか?」「着物で来店した方は初めてで、うれしいです。」と、悠長な日本語でフランスの店員さんが声をかけてくれます。高級食品店でお買い物も、○○さん~と日本人の店員さんを呼んでくれます。地下鉄の駅では、ナイスガイが「いいねぇ~」とジェスチャーしてくれます。街や地下鉄で注目されながら、おもしろかったことは、みんな、目線が頭から順に下を見ていくのですが、足元のお草履で、ピタッと止まることです。「この人、なんでこんなビーチサンダルなの?」と。思っているに違いありません。着物は知っているけど・・・草履は?

 日本の民族衣装で日本人を主張しながらの旅行もいいものです。なぜなら、洋服で歩いていると、「アニョンハセヨ」とか「ニ―ハオ」って声をかけられます。東洋人は、みんな一緒のようです。

 最終日、モンマルトルを散策する私の前方から日本のカップルが・・・・女性は着物です。「なんで?モンマルトルで、き・も・の???」と思う私・・・「そうか~元旦です・・・。やられた!」と思った私でした。日本のお正月!きものですよね。

2012年1月12日 (木)

【第215回】 「心新たに、お習いことを・・・・」

 明けまして おめでとうございます 2012年初のコラム・・・緊張します。

 お正月は、きもの・書きぞめ・正月花と日本の美が感じられ、私にとって、楽しい時期です。成人式の振り袖も、華やかでしたね。

 新しい年を迎え、今年も自分磨きに頑張ろうと思い、私の習いごとについて、書きたいと思います。

 私は習字・お花・着付け・バレエを習っています。今まで、いろいろチャレンジしましたが、バレエ以外は、結局、日本の伝統に帰ってきます。

 最初に始めたのは、習字でした。私は、字を書くことが苦手で、これでは、いけない!と思い、就職して間もなく習い始めました。20年を超えるキャリア?です。しかし「字は体を表す」と言われますように、やんちゃ!で、なかなかうまくなりません。習い始めの頃は、筆も持てず、書けるのか?と不安でした。そんな私に先生は「あなたは、線がいいわね。線は人が持って生まれた天性ものだから、うらやましいわっ!」と、上手に褒めてくださり、現在に至ります。

 続けていると、ある日突然、気づくことがあります。それまで、何度も先生に注意されていても出来なかったのに・・・「あっ!筆ってこうやって立てるんだー」とか、「この字の線の向きはこっちなんだー」とか。

 先生のお手本を真似ても、決して同じにはなりません。他の人たちも、みんな違う字です。隠しても、隠しきれず出てくるのが、「個性」なのだと、感じました。

 そして、いかに、この個性を隠し、コントロールできるか!が、課題です。つまり、大げさですが、自分との戦いです。習字を書きながら、日常の生活も一緒だな~と、思います。自分の感情をどのように、コントロールするか?いつまで、たっても、「出来た!」と思えないから、今も続けています。今年は、きれいな「かな」の線が書けるようになりたいです。かなは、日本の文字ですから。

 今、一番はまっているのは、着付けです。自分で着られればいいなぁ~と、軽い気持ちで始めたのですが、6年たちました。その間に、章道流の講師となり、後は、師範代のみです。お振袖の着付けもするようになりました。

 きものの世界も深く、きもののTPOや染織の産地、制作工程、色柄や帯の織り方、半衿や伊達えりの付け方まで、幅広く知識が必要です。

 今や、きものは日本の文化、民族衣装と言われますが、ほんの100年ぐらい前は、普段着だったのに・・・、日本人は、どこから文化を捨てたのでしょうか?世界で、自分の国の民族衣装を着るのにお金を出す人は、いるのでしょうか?自分できものが着られると、とても楽しく、心豊かになります。日本人でよかったなぁ~と、感じます。

 母から子、子から孫へと伝えられるはずの文化。金城から遊学館へと続いて行く歴史のようです。微力ながら私も、伝えて行きたいと日々思っています。

 長く続けられる、趣味はいいものです。たくさんの出会いがあり、仲間も出来ます。人生の素晴らしい先輩にも会えます。今年、あなたも何か始めてみませんか?

2010年4月14日 (水)

【第129回】 沢村先生…

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沢村先生

 万花の春にさきがけて、白梅が清き香を放ちはじめたころ、
恩師で、同僚で、大先輩の沢村寿代先生が亡くなられました。
 金城高校時代、私は授業を受け持たれませんでしたが、
生徒指導の恐い先生で、全校集会の後、服装検査で沢村先生の前を通るときの緊張感は、今もリアルに思い出されます。
 私が教育実習に来たとき、毎日、実習ノートを提出しコメントを書いてもらったことも思い出されます。やっぱり、恐かったです。

 私が母校に就職し、三年目から、保健室で一緒に机を並べました。
7年くらい一緒に過ごしたと思います。
とても、厳しいはずの、沢村先生の女性らしさ、
教師としてのこだわり、夫を思う妻の顔、娘さんを思う母の顔、
いろんな面で、とても、魅力的な沢村先生を発見することが出来ました。
この、優しくて女性らしい人(見た目ではなく)が、
厳しい先生になるのは、大変な努力が必要だったと思います。
母校と生徒に対する愛がなければ出来るものではありません。

 1992年の「伝統」(つたえ)に、沢村先生のインタビューが載っています。
家族の事とか、いろいろ沢村節満載なので、先生を思い出してもらえればと思います。

【沢村先生の巻】

 毎日を厳しくも暖かく見守ってくださっている沢村先生にインタビューしました。

 委員 まず最初に生年月日、家族構成を教えてください。
 沢村 19××年、11月9日。主人と女の子が3人おります。
 委員 どうして先生になろうと思ったのですか?
 沢村 若さを保ちたかったから。
 委員 教師をしてよかったと思う時はどんなときですか?
 沢村 いい子がたくさん育っていってくれること。
 委員 今の金城生のどこが悪いと思いますか?
 沢村 公私の区別ができない。
     私生活でのおしゃれはいい。だけど切りかえて金城の規則を守ることがへた。
 委員 では、金城と他校の生徒の違いはなんでしょうか?
 沢村 他校の生徒のことはよく分かりません。他へ行ったことがないから。
     金城生は素直な生徒が多いと思う。
 委員 金城の校則についてどう思いますか?
 沢村 人間生活、当然!
 委員 で、では(話をかえて)今、転職するとしたら何をしますか?
 沢村 ダンサーになりたい!
 委員 え?(少し驚く)
 沢村 何でもいいから踊りたい!タップでもなんでも。夢です!あこがれです!
 委員 もし、生まれ変わるとしたら何に?
 沢村 考えたことない・・・ね。また、人間になりたい。
 委員 男、女のどちらに?
 沢村 男になったことがないのでやっぱり女かなー。
 委員 高校時代の思い出を何か教えてください。
 沢村 バレーボールをしていました。
 委員 今まで読んだ本で印象に残っている本は何ですか?
 沢村 「青春の門」。
 委員 先生が好きな言葉は?
 沢村 「努力」しかない。
 委員 尊敬している人は誰ですか?
 沢村 特に・・・。誰もいない。
 委員 誰も、ですか?
 沢村 しいていうなら、母親かな。
 委員 人生最大の失敗は何ですか?
 沢村 先生になったこと。(笑)
     普通の主婦になればよかった。
 委員 初恋はいつですか?
 沢村 中学校の頃、今の旦那さま?。(バスケットボール部だったそうです。)
     家も近くて500メートルくらい。初恋から結婚まではいろいろあったけどね。
     求められたから結婚した。
 委員 旦那様とのなれそめは・・・?(でも、初恋がすでに旦那さまですよね。)
 沢村 幼なじみ。
 委員 最近、気になることは?
 沢村 子供の結婚。(三人の娘さんは二十代だそうです。先生も「母親」ですね。)
 委員 最後ですが、今年の方針をお願いします。
 沢村 (少し間をおいて・・・・。)
     努力すること。若さを保つこと。
 委員 どうもありがとうございました。

 今は万花の春、桜に沈丁花、木蓮に雪柳、水仙にすずらんが咲き誇っています。
405名の新入生を迎え新学期のスタートです。
大好きな沢村先生のご冥福を祈りながら、母校と先輩方に感謝しがんばっていきたいと思います。
 卒業生のみなさん、沢村先生の思い出話をしに、来てくださいね。

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沢村先生似顔絵 [「伝統(つたえ)」より]

2009年6月17日 (水)

【第90回】「保健室からの風景」と「在校生の力」

 新校舎も完成し、怒涛の4月・5月が過ぎました。

 昨年は、教室確保のため、保健室は円筒3階の狭い場所に移動し、多々不便ではありました。が…中庭に面した窓からの風景はなかなか良いものでした。季節ごとの花々を見下ろし、第一学館の1階から4階の廊下が一望できました。生徒や先生、職員の方の動きがよく見え、第一学館全体を制覇した気分になれる風景でした。

 今年、保健室は第一学館に戻りました。場所は変わり、トイレの横で手洗い場もあり、とても便利のよい場所です。ただ、4月、保健室の引越しは、なかなか進まず、荷物の移動は4月8日の入学式の後でした。

野球部・バトン部・バスケット部の生徒たちが荷物を円筒3階から1階を通り、第一学館2階の保健室まで運んでくれました。重たいベッドや書籍を力強く運ぶ男子生徒、「これは、何処に置きますか?」「この部品は、ここに入れておきました」と細かい心配りをしてくれる女子生徒。

生徒たちの手際のよい作業で、荷物移動は終了。本当に助かりました。ありがとう。ダンボール箱に囲まれ新学期スタートです。検診をしながら、保健室の片付けもします。目の回る忙しい毎日…。

 そんな4月のある土曜日に「先生、何か手伝いますか?部活紹介まで時間があるので」と、一人の体の大きな男子生徒…。ひたすら、荷物と格闘していた私に神様からの贈り物です。山になっていた空のダンボールをまとめて、何回も往復し捨ててくれました。
ダンボールが片付いてうれしいのはもちろん、思いがけないやさしさに感動し励まされ、無事に4月を乗り越えました。ありがとう。

 そして今、保健室の廊下越しの窓からは、円筒校舎はなくなり、駐輪場になる途中です。県工とその向こうの緑が見えます。去年、一年間円筒校舎で過ごしたので、思い出がいっぱいでき、もう、寂しくはありません。

 おかげさまで、保健室は心地よい空間になりました。
やさしく、力持ちの生徒たちに感謝します。ありがとう。

2008年10月 8日 (水)

【第58回】同窓生の力

 私事で、恐縮ですが…7月に結婚式を挙げました。

暑い季節にもかかわらず、披露宴には理事長先生はじめ、金城の恩師、同僚の先生方に来ていただき、とても、幸せな時をすごしました。

式場のお花は、遊学館の卒業生が飾ってくれました。学生時代から、冗談で「私の結婚式は、海くんがお花をレイアウトしてね!」と、話していました。夢が現実になりました。

 二次会は、遊学館の一期生の保健委員5名が、幹事をしてくれました。打ち合わせのため、何度も保健室に足を運んでくれる、元委員長!大阪から話し合いに来てくれる、元副委員長。それを、サポートするトリプルまゆみ…。まるで、高校時代の保健委員会活動のようにテキパキと仕切っていきます。

 去年、みんなで集まったとき、来年は卒業して10年目「10年目の野望…」「みんなで何かやりたいね。」そんな話をしていました。私の為に、「10年目の野望」を、使ってしまって…。ごめん!

 当日の二次会は、懐かしい卒業生が30人くらい来てくれました。みんな、しっかり大人で、とても頼もしく思えました。今までの金城・遊学館での自分の歴史を見ているようでした。

 クラスを持たない、養護教諭ですが、多くの生徒に支えられて来たのだと実感しました。「先生冥利に尽きる」、うれしく・楽しく・幸せな一日でした。

 11日8日、金沢スカイホテルで、金城同窓会総会があります。「先生、総会来ますか?」メールが届いています。「はい、みんなに会いたいから、行きますよー」卒業生のみんなに、また、会えるのを楽しみにしています。

 最後に、こんな私の野望?に付き合ってくれる、優しい夫のために、微力ではありますが「金城の良妻・賢母」の良妻をとりあえず、実践していきたいと思っています。
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2007年12月26日 (水)

【第20回】金城四方山話

 今は、男女共学となり、野球やサッカーなど男子のスポーツも盛んな、我が母校ですが。
 私が通っていたころは、金城高校という女子高でした。高校入学から四半世紀が過ぎました。
思い出を少しだけ…

 私が入学した時、今の第一学館は昭和3年に建った、木造二階建ての瓦屋根の校舎でした。卓球場も木造の瓦屋根で、木の床から地面がのぞけました。木造校舎の中央には階段があり分厚い一枚板で出来ていて、手すりも一枚板でした。袴をはいた女子生徒が行きかうのが似合いそうなノスタルジアなこの階段が私は大好きでした。その校舎から今の校舎に建て替えられ、新しい教室に入ったとき、とてもうれしかったのを今でも思い出します。

 当時、一年生の授業には、「礼法」の時間がありました。遠衛是子先生が授業してくださったのですが、学務員の広瀬さんも遠衛先生に習ったそうです。礼法の授業は、学校の歴史・良妻賢母・挨拶の仕方・人として、などでした。その中で、制服の白線と校章について教えてもらいました。

本校のセーラー服の白線は、外側が太く内側が細い二本線です。これには二つの意味があります。
一つは「親子線」、細い内側の線は子供で、その周りを(守るように)囲む太い線は母親を表しています。
二つ目は「女性」を表しています。細い線は、女性の繊細さと優しさ、太い線は女性の強さと忍耐力です。

校章は校歌(詳しくは【第2回】井口先生のコラムを)の3題目にも出てくる白梅を表しています。寒い冬を乗り越えて春先一番に清い花を咲かせるのが白梅です。雪の結晶の中に咲く白梅を表したのが本校の校章です。

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校章の文鎮

 余談になりますが、私が高校生のとき髪型は衿にとどくときは二つ結びに、制服の白線にとどいたら三つ編みに二つ結ぶのが、校則で決まっていました。当時からなんと、時代錯誤な!と思っていたのですが、その校則の意味が分かったのが、母校に勤めてからでした。体育館で整列する生徒を後ろから見たときです。きれいに整然と並ぶ白線!集団の美!とても、感動したのを覚えています。

 高校3年生では「教育」の授業がありました。私は、現理事長の加藤晃先生に習いました。加藤二郎著の「先生ごころ」を読んでくださったのを覚えています。
ちなみに、広瀬さんは、加藤二郎先生に習われたそうです。
そのお話は、次回機会がありましたら…

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先生ごころ

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