メイン

2009年6月17日 (水)

【第90回】「保健室からの風景」と「在校生の力」寺山 いずみ (養護)

 新校舎も完成し、怒涛の4月・5月が過ぎました。

 昨年は、教室確保のため、保健室は円筒3階の狭い場所に移動し、多々不便ではありました。が…中庭に面した窓からの風景はなかなか良いものでした。季節ごとの花々を見下ろし、第一学館の1階から4階の廊下が一望できました。生徒や先生、職員の方の動きがよく見え、第一学館全体を制覇した気分になれる風景でした。

 今年、保健室は第一学館に戻りました。場所は変わり、トイレの横で手洗い場もあり、とても便利のよい場所です。ただ、4月、保健室の引越しは、なかなか進まず、荷物の移動は4月8日の入学式の後でした。

野球部・バトン部・バスケット部の生徒たちが荷物を円筒3階から1階を通り、第一学館2階の保健室まで運んでくれました。重たいベッドや書籍を力強く運ぶ男子生徒、「これは、何処に置きますか?」「この部品は、ここに入れておきました」と細かい心配りをしてくれる女子生徒。

生徒たちの手際のよい作業で、荷物移動は終了。本当に助かりました。ありがとう。ダンボール箱に囲まれ新学期スタートです。検診をしながら、保健室の片付けもします。目の回る忙しい毎日…。

 そんな4月のある土曜日に「先生、何か手伝いますか?部活紹介まで時間があるので」と、一人の体の大きな男子生徒…。ひたすら、荷物と格闘していた私に神様からの贈り物です。山になっていた空のダンボールをまとめて、何回も往復し捨ててくれました。
ダンボールが片付いてうれしいのはもちろん、思いがけないやさしさに感動し励まされ、無事に4月を乗り越えました。ありがとう。

 そして今、保健室の廊下越しの窓からは、円筒校舎はなくなり、駐輪場になる途中です。県工とその向こうの緑が見えます。去年、一年間円筒校舎で過ごしたので、思い出がいっぱいでき、もう、寂しくはありません。

 おかげさまで、保健室は心地よい空間になりました。
やさしく、力持ちの生徒たちに感謝します。ありがとう。

2008年10月 8日 (水)

【第58回】同窓生の力寺山 いずみ (養護)

 私事で、恐縮ですが…7月に結婚式を挙げました。

暑い季節にもかかわらず、披露宴には理事長先生はじめ、金城の恩師、同僚の先生方に来ていただき、とても、幸せな時をすごしました。

式場のお花は、遊学館の卒業生が飾ってくれました。学生時代から、冗談で「私の結婚式は、海くんがお花をレイアウトしてね!」と、話していました。夢が現実になりました。

 二次会は、遊学館の一期生の保健委員5名が、幹事をしてくれました。打ち合わせのため、何度も保健室に足を運んでくれる、元委員長!大阪から話し合いに来てくれる、元副委員長。それを、サポートするトリプルまゆみ…。まるで、高校時代の保健委員会活動のようにテキパキと仕切っていきます。

 去年、みんなで集まったとき、来年は卒業して10年目「10年目の野望…」「みんなで何かやりたいね。」そんな話をしていました。私の為に、「10年目の野望」を、使ってしまって…。ごめん!

 当日の二次会は、懐かしい卒業生が30人くらい来てくれました。みんな、しっかり大人で、とても頼もしく思えました。今までの金城・遊学館での自分の歴史を見ているようでした。

 クラスを持たない、養護教諭ですが、多くの生徒に支えられて来たのだと実感しました。「先生冥利に尽きる」、うれしく・楽しく・幸せな一日でした。

 11日8日、金沢スカイホテルで、金城同窓会総会があります。「先生、総会来ますか?」メールが届いています。「はい、みんなに会いたいから、行きますよー」卒業生のみんなに、また、会えるのを楽しみにしています。

 最後に、こんな私の野望?に付き合ってくれる、優しい夫のために、微力ではありますが「金城の良妻・賢母」の良妻をとりあえず、実践していきたいと思っています。
Viewimg_12

2007年12月26日 (水)

【第20回】金城四方山話寺山 いずみ (養護)

 今は、男女共学となり、野球やサッカーなど男子のスポーツも盛んな、我が母校ですが。
 私が通っていたころは、金城高校という女子高でした。高校入学から四半世紀が過ぎました。
思い出を少しだけ…

 私が入学した時、今の第一学館は昭和3年に建った、木造二階建ての瓦屋根の校舎でした。卓球場も木造の瓦屋根で、木の床から地面がのぞけました。木造校舎の中央には階段があり分厚い一枚板で出来ていて、手すりも一枚板でした。袴をはいた女子生徒が行きかうのが似合いそうなノスタルジアなこの階段が私は大好きでした。その校舎から今の校舎に建て替えられ、新しい教室に入ったとき、とてもうれしかったのを今でも思い出します。

 当時、一年生の授業には、「礼法」の時間がありました。遠衛是子先生が授業してくださったのですが、学務員の広瀬さんも遠衛先生に習ったそうです。礼法の授業は、学校の歴史・良妻賢母・挨拶の仕方・人として、などでした。その中で、制服の白線と校章について教えてもらいました。

本校のセーラー服の白線は、外側が太く内側が細い二本線です。これには二つの意味があります。
一つは「親子線」、細い内側の線は子供で、その周りを(守るように)囲む太い線は母親を表しています。
二つ目は「女性」を表しています。細い線は、女性の繊細さと優しさ、太い線は女性の強さと忍耐力です。

校章は校歌(詳しくは【第2回】井口先生のコラムを)の3題目にも出てくる白梅を表しています。寒い冬を乗り越えて春先一番に清い花を咲かせるのが白梅です。雪の結晶の中に咲く白梅を表したのが本校の校章です。

Viewimg_8
校章の文鎮

 余談になりますが、私が高校生のとき髪型は衿にとどくときは二つ結びに、制服の白線にとどいたら三つ編みに二つ結ぶのが、校則で決まっていました。当時からなんと、時代錯誤な!と思っていたのですが、その校則の意味が分かったのが、母校に勤めてからでした。体育館で整列する生徒を後ろから見たときです。きれいに整然と並ぶ白線!集団の美!とても、感動したのを覚えています。

 高校3年生では「教育」の授業がありました。私は、現理事長の加藤晃先生に習いました。加藤二郎著の「先生ごころ」を読んでくださったのを覚えています。
ちなみに、広瀬さんは、加藤二郎先生に習われたそうです。
そのお話は、次回機会がありましたら…

Viewimg_9
先生ごころ