2016年5月12日 (木)

【第425回】 5月10日本 茂通 (地歴・公民、福祉)

今日は遠足の予定・・・でも雨模様
この日の遠足は中止となった
この日に向けていろいろと準備をしてきたはずだが
なかなか思い通りにはならないものだ

・・・思い通りにはならない・・・

どれだけ準備をしても思い通りにならないことは
人生にはたくさんある
私も思い返してみると
思い通りになっていないことのほうが多いかもしれない

19日からは中間考査が行われる
1年生は高校生になって初めての定期考査
しっかりと準備をして
思い通りの結果を出せる生徒はどれだけいるだろうか
私だけかもしれないが
今からとっても楽しみだ

 

自身を見ると
「四十にして惑わず」というが、
思い通りにはいかずこの言葉のようにはなっていない
これが現実・・・

2016年5月 5日 (木)

【第424回】 勝負の不思議向江 大輔 (地歴・公民)

 現在高校野球では、第134回北信越地区高等学校野球石川県大会が開催されている。そして約2ヵ月後には第98回全国高等学校野球選手権石川大会が開催される。いわゆる夏の甲子園をかけた熱い戦いが繰り広げられることとなる。毎年感じることであるが、夏まで「あっというま」である。

 『勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし』という言葉がある。

 勝つ時というのは、例えばいい当たりではなくてもヒットになったり大事なところで相手がエラーをしてくれたりと、なぜか不思議についてる現象が起こり勝つという試合がある。

 逆に負ける時というのはヒット性のいい当たりを打つが野手の正面でアウトになったり、ミスをして欲しい場面で相手にきっちりと仕事をされて負ける。
 まさに負けるべくして負ける。そして、どうしても負けられない大事な試合であればあるほど、この傾向が強くでてくる。

 では、この差は何なのか?

 それは『普段』である。

 いつもの練習でもグラウンド以外のところでも、普段やっていることが一番大事なときに出る。自分の言動や姿勢が『不思議な勝ち』に繫がる言動かどうか。

 今から夏まで「あっというま」である。「あれをやってたから勝てたんだな。あれをしといて良かったな。」と後で振り返れることを積み重ね、まずは『連覇』そして、その先の『日本一』を全員の力で達成したい。

2016年4月28日 (木)

【第423回】 愛してるぜ、遊学!Mi. Y. (英語)

 「愛してるぜ、遊学!」これはサッカーの試合中に、その試合には選手として出場が叶わなかった部員たちが、ピッチで戦っている仲間の選手たちに向かって歌う応援歌の一節です。今回、私はこの言葉、「愛している」について話したいと思います。私は以下の話を、生徒たちとりわけ年度初めの新しい生徒たちに対して話すことがあります。日本語・英語・フランス語の共通点や相違点に目を向けさせ、言語学に対する興味を持ってもらいたいからです。
 はじめに、上記3ヶ国語(日・英・仏語)でほぼ同じ内容(言語学の用語で所記)を表している表現(言語学の用語で能記)を見てください。

 日本語   : 私はマリーを愛しています。   S+O+V
 英語    : I love Mary.           S+V+O
 フランス語 : J’aime Marie.          S+V +O

 右側に示した文の3要素から、2つのことがわかります。まず3ヶ国語とも主語(S)が文頭に在るという共通点です。次に目的語(O)と動詞(V)の関係が日本語と他の2ヶ国語では異なるという相違点です。この相違点については私の英語の授業でもよく強調するところです。大部分の生徒たちは、何もあらためて言われることでもない、と言いたげな表情をして聞いています。
 さて次に、前述の3つの文中の固有名詞を代名詞に置き換えてみましょう。

 日本語   : 私は彼女を愛しています。   S+O+V
 英語    : I love her.           S+V+O
 フランス語 : Je l’aime.           S+O +V
   ここでl’ は女性名詞 Marie を受ける女性代名詞の目的格 la が、次に続く動詞 aime が母音で始まっているためla の a が省略されたものです。

 右側の文の3要素の関係から興味深いことが明らかになります。固有名詞での場合とは違って日本語とフランス語ではOとVの前後関係が一致しているのです。すなわちこの2つの言語では目的語の代名詞は動詞の前に置かれるのです。一方英語においては3つの要素の文中での位置関係を見ると、固有名詞の場合と同様に目的語の代名詞は動詞の後に置かれます。
 以上の点から文の構造と言う点においては3ヶ国語の中で英語が最も安定していると言えるでしょう。フランス語では固有名詞と代名詞では動詞との位置関係が異なるという複雑さがある点で、特にフランス語の学習では難しい障害になります。
 ところでこの小文の表題です。「愛してるぜ、遊学!」ですが、ここには主語は表現されていません。しかも目的語(=遊学)は動詞の後に置かれています。つまり文の3要素であらわすとすれば、 ゼロ+V+O となります。これらは私がここまで述べてきたことと全く矛盾しています。そしてこのように規則性の無いこと、あるいはあってもごく限られていることが日本語の最大の特徴と言えます。日本語は通常、助詞の助けが無ければ正しい情報を伝達することは困難です。日本人が英語を勉強する際には英語の規則性を理解しなければいつまでたっても「猿まね英語」しか身に付かないだろうと考えられます。
 私は英語を教える者として、「これは試験に出るから覚えなさい。」と言って生徒に丸暗記させるようなことはしたくありません。理論的に正しい英文を組み立てられる力を付けて欲しいと考えています。現実にはなかなか難しくて苦労の連続ですが、生徒たちがやがてはわかってくれるだろうと信じています。

2016年4月21日 (木)

【第422回】 訪れた国いろいろ光谷 和子 (芸術)

 H23年から縁あってこの学校へ来ましたが、それより前は絵描き一本生活でした。20代のある日、「日本にいては刺激が限られている、そうだ外国へいこう!」と思い立ちました。それから10年ほど、海外と日本を往復しました。訪れた国は20カ国以上、その中で留学を通して実際に住んでみた国は3カ国で、ドイツ、スペイン、メキシコでした。その後も、住むことを目的として、絵描きにとって歓迎される国・創作の刺激がある国はどこかを探し回りました。先進国は治安は良かったのですが、どこも同じような完成された刺激でした。その為、それ以外の国へ向かいました。結局はイスラム文化に惹かれてトルコの空気が肌に合い、イスタンブールでちょっとデザインの仕事をしました。というわけで、個人的に色々なところを見てきた中で、ちょっと印象に残っている国のエピソードを取り留めなく紹介します。

 私は遺跡が好きなので、2006年メキシコで個展するついでにマヤ・アステカのピラミッドに登りに行きました。そこで、メキシコ南部、チアパス州のサンクリストバル周辺にはマヤの末裔の村があると聞き、そこを訪れました。サン・フアン・チャムラ村へは、スコールの中、馬に乗って山越えをして村にたどりつきました。険しいけもの道を馬が一歩一歩ぬかるむ土の中の足場を慎重に確認しながら歩みます。すぐ下は崖です。「馬力」を実感しました。そして、スコールってのはいきなり降るんですね。今まで青空だったのが、急にどこからともなく黒雲が湧き出てきてみるみる空を覆う。それからバケツをひっくり返したような水が落ちてくる。降ると、夏でもフリースがいるくらい寒くなる。1時間ほどもすれば雨はあがり、また青空に戻る。さっきの黒雲はどこかへ消えていったのです。ああこれがスコールか、と体で納得しました。
 また、このサンクリストバルという町の近郊には、別のマヤの村(あるいはゲリラの村)が点在しています。その1つ、アクアテルという村に行きました。そこには壁画が幾つかあります。有名なチェ・ゲバラの運動(サパティスタ民族解放軍)に共感・リスペクトした住民やゲリラの手によって描かれました。軽トラの荷台に家畜と共に乗せてもらい、山頂には雲がかかっているような高い山を3つぐらい越えて見に行きました。その絵は教会や家々の壁に無造作に描かれています。画家が描いた絵ではなく技巧的ではないですが、その拙さはかえって強烈なメッセージ性をアピールしてきます。その雰囲気やインパクトは強く、はるばると見に行ったかいがありました。

2804211

 国の貧富の差は視界に入ってきます。カンボジアに行った際には、地雷の有無とか、水を得る手段(井戸)の有無とか、もうほんとに生きるための基本が整備されてないことに胸を痛めました。先進国の協力で地雷を除去したり、井戸を掘って命を繋いでいます。地雷によって親を亡くした子供たちに少しばかり寄付をしました。すると6歳ぐらいの女の子が恥らいながら一輪のプルメリアの花を手のひらに載せてくれて「Good luck, for your life」と拙い英語で言ってくれました。それが心に残っています。ミャンマーも、生活の為の整備が徹底されていない国でしたが、仏教信仰の厚い国で、その分、豊かであると感じました。6年生ぐらいの男女には出家の義務があります。誰でも寺院にいくと食べ物やある程度の教育を無償で受けられます。飢えはありませんでした。

 各国に共通した「発展」の実感としては特に足元のアスファルトを見れば分かります。都市から離れれば離れるほど、主要道路以外は舗装されていない赤土や黄土の地面です。雨が降ると、ぬかるんで病気が蔓延する温床になり、土が乾燥すれば空気中に舞いあがって呼吸と共に肺に入り、気管支系の異常をもたらします。カンボジアでもミャンマーでも空気中に土が舞い上がって咳がでますが、行った中で一番ひどく感じたのは、ガンジス河のほとりインドのベナレスという町でした。見渡す限り、様々な動物の糞で地面が完全に覆われていました。せめて乾いた糞を選んで踏んで歩いていました。この舗装されてない土と動物の糞が混ざったものが空気中に舞いあがります。しばらく滞在すると変なカラ咳がでるのです。
 強烈なインパクトのあったインドでは2週間滞在し、たまたま2度、命の危険を感じました。乗っていたバスが爆発しそうになって虎に襲われる危険性と、ニューデリーの同時多発テロ(2006)にちょうど遭遇しました。幸い無事に帰って来れました。インド人はテロが起こった現場でも「すぐ道路を片づけるからNo problem」と言ってきます。とても前向き思考で、ざっくりしていて、パワフルな国です。
 パワフルついでに。今から10年前のことだったからかもしれませんが、インドにはカーストの職業の関係として体の部分が欠損した人達が沢山いました。両足がない、両手がない、右手しかないとか、背骨が反対側に曲がっていてブリッジしながらしか歩けないとか。初めて見た時には大変驚きました。デリーの駅前に行くと、ドワーッと寄ってきて、あっという間に囲まれます。ホームにもいますし、電車にも乗ってきます。彼らは喜捨(「貧しい人に喜捨(お金などの施し)すれば、来世は報われる」という仏教思想)をされるために、積極的に手を差し出しながら人々の間を練り歩きます。仕事としてお金はもらって当然なので、積極的に堂々と接してきます。その堂々とした積極性はたいしたもので、彼らだけではなくインド人全体がそうでした。常に交渉が必要でした。さっき交渉したのに、また金額を上乗せして請求してくる。そういうことを1時間おきぐらい毎回異なるインド人がするので、初めの数日は心が折れそうになりました。
 インドでは個人旅行で2週間ほど滞在したのですが、最後のほうは動物と自然と人間が共存する暮らしに慣れました。ハイウェイの脇の草原にはキリンの群れが見え、ベンガルトラもいる。肉食動物から逃れてきた草食動物の群れが人間のいる村に逃げ込んでくる。その向こう、マハラジャの宮殿の池では野生の象の家族が水浴びしている。近づくと踏まれて殺されるので注意が必要だ。町中に動物園のように様々な動物が住んでいる。ヒンズーの神様と関係ある動物(牛、猿、ねずみ、蛇、象など)は殺してはいけないが、放置状態。牛は人間のゴミを食べて生きている。遺跡にたむろする猿、顔が黒く白い毛に覆われた群れは目を合わせてはいけない、威嚇をしてきて大変危険。野犬は群れて、ハイウェイで死んだ動物を食べて生きている。このような、動物と人間の一種のナチュラルな共存社会がこの地球上で存在する場所があったのかと感嘆しました。しかしながら、色々と突っ込みどころのあるインドです。一生に1度は見てきてはいかがですか。

 百聞は一見にしかず、海外に行くとあなたの価値観が変わると思います。ぜひ、若くて体力があるうちに世界を回って見聞を広げてきてください。

2804212

2016年4月14日 (木)

【第421回】 さくら道上 ちひろ (英語)

先日、兼六園にお花見に行きました。日本には数え切れないほどの花があるのに、なぜ桜を愛でることだけを“お花見”と言うのだろう・・・。普段は花より団子派の私が、なぜかそう思った。

なぜ昔から、桜は日本人の心を魅了し続けるのでしょうか。「さくら」という題名の名曲も数多くある。

あの、淡く優しいピンク色、美しく咲き誇って、いつの間にか散ってしまう儚さのためなのか。そんなことを考えながら兼六園を歩いていた。

その時、友人が言った。「1995年1月17日に阪神・淡路大震災が起きたとき、西宮市の夙川という桜並木になっている花見の名所も震度7の揺れで大きな被害を受けた。川の堤防は活断層の影響で段差になり、橋が壊れるなど悲惨な状況だった。」

「震災の混乱と悲しみから、夙川の桜のことなど誰ひとり考えもしなかった。でも、その年の春、夙川の桜は、いつもと変わりない綺麗な花を咲かせた。」

そのとき、誰もが咲いてくれてありがとう・・・そう思い、とても喜んだそうです。

美しいからだけでなく、儚いからだけでもない。そこには何にも負けず、どれだけ年月を経ても、変わらず咲き誇る強さが日本人の心を打つのかもしれません。

日本人にとって桜は他の花にはない、何か特別なものであることは間違いないのでしょう。

“お花見”日本人はなぜ、桜を愛でることだけを“お花見”と呼ぶのでしょうか・・・。

280414