【第430回】 人生の選択肢Y. T. (国語)
「人生は選択の連続である」シェイクスピアが残した格言である。これにあやかって23歳の若造が、人生を語るに値しないかもしれない。だが、たった23年の人生でも多くの選択肢に悩まされてきたような気がする。
遊学館に来てから早二年。生徒たちの姿を見て、私が当時高校時代に味わった究極の選択を思い出した。
高校二年の夏。進路に向けて考え始めた時だった。当時の私は美術を専攻していて、将来もこの方面で仕事がしたいと考えていた。そのために、美術系の専門資格の取得や素描や絵画などの技術を磨くことに力を入れていた。
研鑽していた矢先に、暗雲が立ち込める事態が発生する。来年度の時間割を決める際に進路の先生から「どうしても国公立に行きたいのなら美術は諦めなさい。」という衝撃の一言が放たれる。その理由は学校のカリキュラム上の問題から生じたもので仕方がないことと分かった。それでも、私は冷静だった。国公立は行けなくとも私立の美術系大学なら進学できるかもしれないと望みを繋ごうとしていた。しかし、現実はそう甘くなかった。両親に説得した際に猛反発を受けた。美術で生計を立てられる人は少なく、一人前になるまでに何年もかかる。そういう生活より、安定した生活が出来る仕事に就きなさい。その両親の言葉に納得してしまっている自分がいた。さらに、当時の家計は火の車で県外の私立大学に進学することは経済的に厳しいと察していた。だから余計に、どうしても美術の道に進みたいという思いを伝えられなかった自分を叱責した。そして、現実と向き合い苦渋の決断で美術の道から外れた人生を歩むことを決めた。
選択は大いに人を悩ませる。私は悩まされたうちの一人であるからこそ気付いたことがある。それは、もう一方の道の先に、素晴らしいものが待っていたことだ。
私はこの道で良かったと思えることがある。それは、遊学生との出会いである。教員になった今でも、自分はこの仕事に向いていないのだろうかと悩み、落ち込む時がある。そんな時は、昨年度の卒業生がくれた手紙や寄せ書きを見るようにしている。そこには、私が生徒と共に歩んできた一年間の証が刻まれている。激励の言葉や感謝の言葉が並べられ、その奥に成長した生徒に感動した出来事が鮮明に蘇る。この時に、生徒たちの力になれるように必死に頑張ってきてよかったと心の底から思える。
この感動は、美術の道では味わえなかったかもしれないと思うと、この道もなかなか味わい深い。むしろ、この道が好きだ。だから、私は今日もこの道を行く。