2018年7月26日 (木)

【第538回】 挑戦S. M. (数学)

数年前。
本屋で衝動買いをした。
迷わず手に取り、レジに持ち込んだ。

「ピザ窯作り」の本だった。

当時の職場で本を見せると、あっという間に作ってみることになった。「ピザ窯」を!煉瓦があった。薪があった。焼き場も調理台もあった。そして、一緒に考えてくれる協力者もいた。

「ピザ窯でピザを焼こう!」
ゴールをイメージし、様々な条件を考えて試行錯誤する。目標に向かって道筋を考える時間が、実は好きだったりする。楽しく考える時間の始まりだった。

まず初めに、パン作りについて考えた。やはり、おいしいものが食べたい。勢いで通い始めたパン教室だが、やってみると難しくて面白い。こねて、焼いて、何度か繰り返すことで手際はよくなったと思う。次は、発酵機がない野外ではどうするかを考えた。発酵機で発酵させたものと、日向に置いて発酵させたもの両方を作ってみることにした。

自分一人では三日坊主になることも多いが、協力者がいれば別だ。「ピザ窯」のイメージを膨らませてくれた人、サポートしてくれた人など、協力者の力を借り当日を迎えた。改善点を考えながら、とてもおいしく、楽しい時間だった。

さて、もう夏休み。
あなたは何か考え、行動していますか?

一度しかない高校生活。
やりたいこと、やってみたいこと、沢山挑戦してほしい。
目標に向かう道筋に迷ったら、一緒に考えましょう!

2018年7月19日 (木)

【第537回】 守破離S. J. (地歴・公民)

 私が剣道部の顧問をしていた時に、「守破離(しゅはり)」という言葉を知りました。その意味は

守破離(しゅはり)は、日本での茶道、武道、芸術等における師弟関係のあり方の一つ。

 ① まずは師匠に言われたこと、型を「守る」ところから修行が始まる。

 ② その後、その型を自分と照らし合わせて研究することにより、自分に合った、
   より良いと思われる型をつくることにより既存の型を「破る」。

 ③ 最終的には師匠の型、そして自分自身が造り出した型の上に立脚した個人は、
   自分自身と技についてよく理解しているため、型から自由になり、型から
   「離れ」て自在になることができる。

武道等において、新たな流派が生まれるのはこのためである。

個人のスキル(作業遂行能力)をレベルで表しているため、茶道、武道、芸術等だけでなく、スポーツ、仕事、勉強、遊び等々、世の中の全ての作業において、以下のように当てはめることができる。

 ① 「守」=支援のもとに作業を遂行できる ~ 自律的に作業を遂行できる
 ② 「破」=作業を分析し改善・改良できる
 ③ 「離」=新たな知識(技術)を開発できる

(ウィキぺディアより抜粋)

 何事においても、いきなりオリジナルのものを生み出すのは難しいものです。まずは模倣からはじめればよいのです。指導者の教えを守り、上手い人の技術を真似るのです。次に自分独自の創意工夫を行い、最後には自分で新しいものを作りだす。

 今年、1年生の学年主任となり、この「守破離」を総合学習の時間のテーマにしました。まずは文章の表現力をあげるために、いい文章を何度も読み、いい文章をまねて何度でも書いてみることからはじめています。いきなり自分の意見を書ける人は多くありません。そこで、同じ高校1年生が書いて、賞を獲ったような素晴らしい文章を読み、そのまま作文用紙に写して書いてみます。そのようなことを繰り返していくうちに、自分の文章が書けるようになったり、最終的には自分の意見が言えるようになることを目指しています。

 まだはじまったばかりの「守」の段階ですが、3年間続けることにより、「破」「離」の段階へと進みたいと思っています。

 卒業するころには
「 青は藍(あい)より出でて藍より青し 」 =弟子が師匠を超えること  となってほしいと思っています。

「青は藍より出でて藍よりも青し」は「出藍の誉れ」とも言う。青色の染料は草の藍からとるが、それはもとの藍草よりももっと青くなる。そのことから、親や先生よりも優れた才能を示したり、仕事をしたりしたときに使われる言葉である。ここでは学問というものはどんどん発展していくのだから、自分で「ここで終わり」という制限をかけて努力をやめることをせず、学び続ける大切さを説いている。

 遊学館で自分の新しい可能性を生み出し、社会で活躍できるような人間に成長して欲しいと願っています。

2018年7月 5日 (木)

【第536回】 夢や目標の実現S. E. (保健体育)

皆さん、こんにちは。初めてなので、軽く自己紹介をさせていただきます。今年度から遊学館高校に参りました。三納英莉佳と申します。「えりか」は花の名前なんです。ちなみに、花言葉は、、、、「こどく」だそうです。だからといって「こどく」が好きな訳ではないです。どうぞ、よろしくお願いします。


自己紹介はこれくらいにして、
さっそく、今回のテーマ「夢や目標の実現」について考えていきたい。

今、ワールドカップで世界は盛り上がっている。私もその1人だ。応援している中で、感じることが2つある。1つ目は、1人ひとり、選手が「目標」に向かって戦っている姿は、鳥肌がたつほどかっこいい。そして、もうひとつは、「目標」や「夢」を叶えることって難しいと・・・。

人生において「夢」や「目標」を持っている人は多いであろう。しかし、「夢」を実現させるために何をすべきなのかを常に考えながら行動している人は、あまり多くないのではないか。特に「夢」の実現が難しいものである場合、無理だと思って何もしないパターンや「夢」で終わらせがちである。しかし、決して多くはないかもしれないが、その「夢」を実現させる人は世の中に必ずいるはず、その人たちの人生を紐解いていっても、常人離れした能力を最初から持っていたわけではなく、極めて普通の人間だったことが分かる。
ただ違うのは、自分の「夢」を「自分の夢の実現」させる努力を続けていた結果として、その「夢」を叶えることができるのではないか。

私自身、みんなと同じ年齢の時は、「目標」を達成できた経験はない。いつも目の前で、掴み取ることができない。そんな人生を送っていた。でも、後悔はしていない。自分の中で達成させるための努力は怠ったことはない。「やりきった」という思いがあるからだ。

だから私は思う。1度きりの人生だ。自分のやりたい事をとことん実現させる努力を続けてほしい。もし、達成できなくても、努力した分が自分の「財産」になる。そして、「夢」や「目標」がまだ見つかっていない人は、これから見つけていけばいい。そのためにも、目の前のことと向き合っていけたら、きっと新しい自分、新しい「目標」「夢」を見つけることができるかもしれない。みんなで、一緒に頑張ろう。

2018年6月28日 (木)

【第535回】 失敗から学ぶS. T. (数学)

今年のNBA final が終わり、レブロン・ジェームスの超人的活躍も空しく、GSWが優勝しました。
個人的にデュラントが加入してしまったGSWは支持できないので、非常に残念です。

そしてこの時季になると、教員ブログの順番が回ってくる気がします。

さて、最近ではいろいろな炎上事件がニュースで取り上げられています。
その大半が事件発覚後の当事者の対応によって大事になっているように私は感じます。
明らかに非があるにも関わらず開き直った態度をとるが故に炎上する。

どこかでよく見る構図だと思えば…。

最近遊学館で指導を受けている生徒の大半がこの内容ではないでしょうか。
課題の提出が遅れたり、休み時間に携帯電話を使ったり、掃除をサボったり…
注意されて当然の行動にもかかわらず、注意されれば言い訳をしてさらに注意される。

人間、誰しも失敗する。
ただ、失敗を受け入れて、反省することで次に進むことができると私は考えます。
何故、失敗したのか、どこが悪かったか分からないままでは決して成長したとは言えない。

勉強も、スポーツも同じことが言えると思います。
出来なかったことを出来るようにすれば活躍のチャンスが増える。
苦手な科目を減らせば目指せる大学が増える。

自己を律した上で、楽しい学校生活を送って下さい。

2018年6月21日 (木)

【第534回】 数学って役に立つの?K. N. (数学)

この間、テレビを見ていたら、
「科学や文明の発展に貢献した人に贈られる「京都賞」に、京都大学数理解析研究所の柏原正樹さんら3人が選ばれた」
というニュースを聞いた。柏原先生について、私はまったく存じ上げないのだが、
「数学のひとつの分野である代数解析学の要となる理論を確立したことが評価された」
という。その、代数解析とかD加群とかいう言葉に微かに記憶があった。調べてみたら、1988年に出版された本(堀田良之:加群十話、朝倉書店)の編集者短評に、
「さて、最後のほうが、最近に佐藤スクールを中心に発展しているD加群の話題になっていくのは、これはまさに現代的といえる。彼らはそれを「代数解析」と呼ぶのだが・・・」
とある。
そう。30年前は「最近・・・発展している」「現代的」な話題だったのだ。この分野がどう発展したのか、不勉強で知らないのだが、数学という学問が、30年経って、やっと評価される学問であることを実感した。

数学の授業をしていると「それ、役に立つの?」と生徒に聞かれる。「一生、使わんし」とも言われる。いや、役に立つから、科目にあるのだし、使う(かもしれない)から、勉強するのだ。

例えば、2000年以上前に確立された「三平方の定理」は、スマートフォンなどのナビ機能の実現に用いられている。中学校で習う「素因数分解」も、現代のセキュリティを守る要の理論だ。素因数分解に時間がかかること、がセキュリティの要になっている。
何年か前、テレビゲームを作りたくて、そういう専門学校に進学した生徒がいた。入学を決めたあと、彼は「ベクトルと三角関数は勉強しておけと(専門学校の先生に)言われた」と言っていた。
数学を使う場面は、結構あるのだ。
ただ、「役に立つから勉強する」のは、数学に関しては、ちょっと違うような気がしている。
一度確立されると、2000年以上も使われることがあったり、ちゃんと評価が確立されるまで、30年もかかったりするものを、「役に立つ」かどうかで測っていいのだろうか。

最後に、どこで読んだのか忘れてしまったが、深く共感した言葉があるので、ここにあげておく:
(数学が)役に立つか、と聞かれると自信はないが、
必要か、と聞かれると、自信をもって「はい」といえる