2020年7月16日 (木)

【第637回】 「おもしろく生きる」水本 勝也 (英語)

 私は普段、生活の中でいつも「面白い何か」を探しています。通勤中に見かける歩行者の行動や、スーパーに買い物に行ったとき聞こえてくる周囲の人たちの会話など、気にしなければ何でもないことでも、注意しているとその中に面白いことが転がっています。

 以前、ある海沿いの道を、日本海を横目に車で走っていると、信号機に地名が「内寄」と書かれていて、1人心の中で「いや、いちばん外側やろ」とツッコんだことがあります。

 昔から何でも観察することが好きな性格で、そんな風に視界に入っている景色の中で何かが起きないかと常に考えていました。その内、普段の自分の生活で起こる出来事をどう話せば面白く伝えられるかを考えるようになると、何か起きるのを待つ“受け身”の状態でいることがなくなりました。そうしてなんでも「面白い」にしてしまうことで、イライラしたこともストレスとして自分の中に蓄積されることが減ったのです。

 例えば些細なことで妻とケンカした後「このケンカを人に愚痴るよりも、面白く話して笑いにしてしまおう」と思うようになってから、ケンカの後のイライラがすぐに無くなるようになりました。

 おそらく誰でも生きていて「面白い」方がいいですよね。それは単に「笑える」ことに限らず、興味深いものが見つかったり、夢中で好きなことに没頭したり、「面白い」の種類は人によっても状況によっても異なります。ただ、面白いと感じることが少ない人は受け身の人じゃないでしょうか。「仕事が面白くない」と言う人は、自分から仕事を面白いものにしようとしていないだけだと私は思っています。それは学校生活や家での生活、人間関係など、色々なことに言えるはずです。

 最近何をしていてもあまり面白くない。と思っているそこのあなた。どうすれば面白くなるか、考えることから始めましょう。小さなことでもそうして考えていると、何でも面白くなってきます。

 何か一つでも普通のことを面白くしようと思いながら毎日を過ごしているので、私は自分の人生が面白くてたまらないのです。

2020年7月 9日 (木)

【第636回】 「やっと元に戻った」M. K. (数学、情報)

 コロナ禍により2月の末から緊急事態宣言が発令されて、3月から5月にかけて学校は休校を余儀なくされ、校舎は正直単なる箱にしかなかったように見えた。
 従来のように、沢山の生徒達がそろい、授業を受け、休み時間は生徒たちが元気よく騒いでいる姿は訪れるのだろうかという一抹の寂しさがあった。そして放課後の課外活動に励むことができるのか心配だった。テレビを見るとコロナ対策の番組が多く、リモート出演の番組がやたら目立っていた。
 いよいよ迎えた6月1日。分散登校とは言っても、学校に活気がみなぎったのは確かであった。学校は生徒がいないと成り立たないことを改めて感じさせられた瞬間だった。そしてそこには何か新鮮さが心の中にあった。
 6月15日。それは分散登校が終了し、全員が登校することになった日。やっと元の姿に戻れ、生徒も教職員も以前と同じ姿に戻り、小さな平和が訪れている気がしてならなかった。
 1年生にとっては高校生活の始まりで、授業においてはどこかたどたどしく、落ち着かない感じがしたが、‘宝の持ち腐れ’になることなく、自分の持ってる力を発揮してもらいたい。
 2年生は1年間を通して、長所・短所を見直し地に足をつけて、自分のやるべき道へ向かって行動してほしい。
 3年生は修学旅行がなくなり、部活動に励んでいる生徒は、高校総体・総合文化祭が中止になるなど何かぽっかりと穴が開いてしまったように感じるが、目指す進路を考えたら油断禁物である。3年生の中には空き教室で勉強している生徒もちらほら見受けられる。これからはちらほらでなく、沢山の生徒であってほしい。そうなれば学校は活性化する。自分を見失わず、目的に向かって頑張ってほしい。来年の卒業式こそ晴れやかな表情で迎えられることを願っています。
 やっと元に戻った学校がコロナ禍によってプラスに転じたと思えるように私も頑張っていかねばならない。

2020年7月 2日 (木)

【第635回】 「中学生、高校生のみなさんへ」松田 淳 (地歴・公民)

 今、高校3年生の『倫理』では、「青年期の課題と生き方」を学習しています。この範囲は、57歳の私にもこれまでの生き方の原点を思い出させてくれること、またこれから老年に入っていく人生においても心の若さを呼び起こしてくれることから私自身にとって大好きな単元です。
 教科書(『倫理』東京書籍)の文章がとてもわかりやすく、中学生にも理解できる表現です。教科書を作った方が、青年期に生きる中学生、高校生にエールを送っているかのように感じます。

 教科書P.12の14行目~P.13の5行目

 アイデンティティ(※)の確立に際しては、自分の体験から学ぶことと、他者の経験から学ぶことがある。実際の生活やボランティア活動などの社会参加の中で、あえてこれまで体験しなかった立場や役割、活動を体験してみること(役割実験)は、自分自身を広く深く理解したり、自分の可能性を広げることに役立つ。その一方で、一人の人間が体験できることには限りがあるので、親や親友などの身近な人物の体験や考えから学ぶことも重要である。それに賛成であるか反対であるかにかかわらず、普段の活動をよく知っている人物の考え方や生き方は、自分なりの考え方や生き方を形成する上で参考になり、生きたモデルや比較の対象となる。
 ※アイデンティティ…(中学生のみなさんにわかりやすく)「主体性」、「自分らしさ」

 教科書P.15の9行目~13行目

 自分を理解するためには、自分自身を対象化することが必要である。そのためには、自分で自分をふり返るだけでなく、自分のことを進んで他人に話してみて意見やコメントを求め、他人の指摘や忠告に素直に耳をかたむけることも有効である。また、自分が他人にどう見られ、どう扱われているかによって、友人を自分を映す鏡とすることもできる。

 このように、これからの生き方のヒントになる文章がいたるところにちりばめられています。
 ストーリーの対象は、青年期を生きる中学生・高校生ですが、卒業後の生き方、社会人になって新しい環境で友をつくるヒント、老年になっても謙虚に生きるための道しるべなど、いろいろな世代への応用として大切なことを伝え想起させてくれています。
 そうなんです。人間一人ができること、知っていることには限界があります。そうそう完璧な人間がいるわけではありません。「自分はまだまだ。」「いろいろな人に支えてもらっている。」と思えたら、自然と「ありがとうございます。」という言葉が出てきます。若い高校生と接していて、時々心の中で自分の頭をコツンと叩く気持ちがあります。「人間、偉そうにしちゃイカンな…」と。
 生徒が寝そうになっていれば自分の授業が下手なわけで。生徒に時間を守らせるためには、まず自分が時間を守るべきで。生徒に服装をしっかりしなさいと言うなら、まず自分の服装がしっかりしていなければ。生徒のみなさんを自分の鏡だと意識する。まだまだ自分自身を伸ばすために謙虚であり続けること。生徒にとって鏡にならなければ。それを気づかせてくれる担当科目です。
 中学生、高校生のみなさん。反抗期はあって当然。人として健全に成長するための通過点です。みなさん一人ひとり、その階段を上って次なるステップに入ってください。親や先生を自分の味方、アドバイザーとする。耳をかたむけ、まずは聞く。それに賛成であるか反対であるかにかかわらず、いろいろな考え方を学ぶ。私自身これからもいろいろな方々から吸収したいと思います。もちろん若い方々からも。その努力する姿勢、人が見ていなくても真面目に取り組んでいるその姿勢。大人が途中であきらめてしまうことも夢を信じて頑張り続けるその姿勢、ひとつひとつが忘れかけていることです。中学生、高校生のみなさん。自分を支えるのは自分です。自分を信じて!

2020年6月25日 (木)

【第634回】 「ありがとう」干場 光将 (保健体育)

4月から遊学館高校に赴任してきた干場光将(ほしばこうすけ)と申します。
金沢市で3年間、小学校の教員をしておりましたが、この度ご縁があり、母校である遊学館高校に帰ってきました。
母校での教員生活に胸を弾ませていましたが、
4月は、緊急事態宣言が発令され休校。
5月は、緊急事態宣言延長で休校期間が延長 などで新年度のスタートが遅れました。
6月から授業が再開されると思った矢先、ある出来事が起こります。

それは、父の死です。
約7年前に「多発性骨髄腫」と診断され、医者から「余命2年」と言われていました。
当時、大学生だった私は「余命2年」と聞いて泣いたのを覚えています。
しかし、父の病気は悲しいことだけではありませんでした。
父の病気をきっかけに家族との時間が増え、1日1日を大切にしようと思えました。
それから父は、抗がん剤、輸血、ドナーなど、様々な手段の治療をし、入退院を繰り返しましたが、5月に再入院しました。
そこで医師から「今週が山場です」と伝えられます。医師の言葉に家族が出した答えは、
「最後は自宅で家族みんなに見届けさせてください」でした。

病院から自宅までの道中で息を引き取ってもおかしくない状況でしたが、
父は無事、自宅に戻ることができました。
病院では寝たきりで喋ることもやっとだった父が、久しぶりの自宅で家族がいることに気づいたのか、自分の力で起き上がり話かけてきました。
その姿に私は、父に最後まで父親であるべき姿を見せられました。
そんな父が私に言った最後の言葉は「ありがとう」でした。


6月が始まり、少しずつ新しい環境での教員生活に慣れてきました。
新しい環境でもすぐに溶け込めるのは、遊学館高校の先生方と元気に登校してくれる生徒がいてくれるからです。
そんなみんなに「ありがとう」という感謝の気持ちを持ちながら、これからの教員生活を過ごしていきたいと思います。

20200625

2020年6月18日 (木)

【第633回】 「スタート」星  郁恵 (理科)

 今年の4月、茨城県から石川県金沢市に移住して3か月が経ちました。
初めての日本海側、初めての西日本、初めて見たご当地キャラの石川さん、初めての学校、多々、生活環境が変わる4月からはりきってスタートしようと思っていたのにコロナ自粛。新しくスタートする事が先延ばしになると、根拠のない、よくわからない不安みたいなものが日を追うごとに大きくなったのは、きっと今の高校1年生と同じ心境だったのではないかと思います。そして、学校が始まったとしても元の生活のリズムに戻れるのか、そんな不安を抱えたまま、学校生活がスタートしました。しかし、出勤初日、廊下ですれ違った遊学館高校の生徒さんが元気よく挨拶をしてくれました。そのたびに、そんな不安も少しずつ軽くなっていきました。
 そして、この遊学館高校には優しい先生がたくさん勤務されていることもわかりました。ある時、教員用の回覧板が回ってきて、どの先生に回していいかわからず、職員室のドアに貼ってある先生方の座席表を眺めていたら「私受け取りますよ」と言って受け取ってくれた先生がいました。事務用品がどこにあるのかわからず、職員室をうろうろしていたら、「先生の動きでサッチしました!何か探していますか?」と声をかけてくれた先生がいました。職員の健康診断の時、先に終わった先生が「次の検診場所がわからないだろうから待っとったよ」と言って一緒に行動してくれた先生がいました。
 知らない事や、わからない事は自分から聞いて動かないといけないのですが、困っている状況を察して声をかけてくれる先生方が、この遊学館高校にはいらっしゃいます。きっと、声をかけてくれた先生方は、ほんの些細な何気ない一言だったかもしれませんが、不安を抱える側にとってはとても大きな事で、これからの学校生活頑張ろうと思えるような出来事でした。過去には宮城県、神奈川県、茨城県と、それぞれの学校を勤務してきましたが、私にとって、石川県で初めて勤務する学校がこの遊学館高校で良かったなと実感した出来事でもありました。
 また、学校以外でも、金沢市に来て感じたことは、やはり「優しい人がたくさんいる」です。車を走らせても、みなさん安全運転でウインカーを出せばすぐに入れてくれるような、とても暖かい県民性を感じました。また、近所を流れる鞍月用水や、朝6時になると、どこかのお寺から聞こえてくる鐘の音、近代的な建築様式と古き良き町並みが混在していて、全国人気のない県ランキング1位の茨城県出身の私からすると、とても魅力ある場所だと思いました。
 引っ越した時には、すでに石川県は自粛ムードになっていたので、まだどこにも観光に行っていませんが、今後もっと、石川県の魅力に触れていきたいと思うと同時に、この遊学館高校の良さをたくさん見つけて楽しい学校生活が送れるように頑張っていきたいと思います。高校1年生のみなさんも、いまだ不安でいっぱいの学校生活を送っていることと思いますが、不安を抱える者同士、一緒に頑張っていきましょう。