2021年10月21日 (木)

【第702回】 「なんでも挑戦してみる」深代 真一 (数学)

 私は大学生のとき、ヒッチハイクで西日本をまわったことがあります。「ヒッチハイクは危険」だと思っていましたし、実際に自分がするとは想像もしていませんでした。しかし、ボランティア活動で一緒になった同年代の人が、47都道府県をヒッチハイクでまわったことに感化されて挑戦することになりました。

 いざやってみると、幹線道路の道端で、スケッチブックを持って1時間待つようなこともありました。鳥取砂丘で3時間待ったことは今でも思い出の一つです。幸運にもたくさんのご縁があり、目的地すべてにたどり着くことができました。ご縁に感謝です。

 さて、ヒッチハイクが終わり、金沢に戻ると日常生活が再開されます。これまでと同じ日常でしたが、私の中の気持ちは全く別物でした。以前は「やってみたいけど、怖いしやめておこう」と思うようなことでも、「立ち止まっている暇があるならやってみよう」と考えるようになりました。その結果、新たな挑戦をすることができるようになり、様々な経験をすることができました。そして、経験が増えると、人生の幅も広がったように感じます。

 誰でも初めての挑戦は怖いものです。しかし、挑戦してみると助けてくれる人が次々と現れます。そして、ご縁が繋がり、最終的にはうまくいくようになっていると思います。令和は「どんなことに挑戦したか」が問われる時代だと、私は考えています。勉強でも、スポーツでもいいです。起業したり、ボランティア活動でもいいです。学生のうちは大人よりも時間があります。この文章を読んだ人が、何かに挑戦してくれると幸いです。

2021年10月14日 (木)

【第701回】 「「歳月人を待たず」”Time waits for no one”」H. Y. (英語)

 この時期、学校では3年生が就職や進学のためのエントリーシートの作成や面接の練習を行っている風景が見られます。私も遊学館に来てから何人かのお手伝いをしました。努力している生徒を見ると、かつての自分を思い出し応援したくなります。

 一か月ほど前にイギリスのロックバンドのThe Rolling Stonesのドラマーの方が亡くなったニュースを聞き、よく聴いていた頃(中学生~高校生)のことを思い出しました。このブログのタイトルの”Time waits for no one”は中でも大好きな曲の1つです。昔の動画をYouTubeで再生すると、当時の記憶が甦ると共に、時の流れの速さに唖然とさせられます。

 当時、田舎育ちの私は飛行機にすら乗ったことが無く、雲の中や雲の上がどうなっているのか、外国はどんなところなのか、と空を見上げて想像を膨らませていました。そして「いつか、海外を飛び回る仕事をしたい」という漠然とした夢を持っていました。

 その後、幼い頃の夢のことはすっかり忘れ、大学入学後は次の目標を失いながらも数学を学び、教員免許の取得の準備を進めていました。そんなある日、転機が訪れました。大学の先輩のリクルーターがやってきて当時人気企業だった外資系IT企業の入社試験を受けることを勧めてくれたのです。無事合格することができ、幼い頃の夢に1歩近づきました。

 入社後は英語が壁として前に立ちはだかります。最新の技術は海外から来たので英語で書かれた技術書をいち早く読んで技術を習得する必要がありました。そして憧れの海外出張に行くためにはTOEICの一定スコアが必要条件です。なんとかクリアすると、海外との合同プロジェクトに参加する機会に恵まれ、気が付くと幼いころの夢をほぼ果たしていました。IT技術力だけでなく、英語力も同時に磨くことでより多くのチャンスを得ることができたのです。そして、英語力向上はその後の別の外資系企業への転職や今の英語教師として遊学館で働く道につながりました。

 以下は私のLessons learned(教訓)です。あくまで自分用ですが皆さんと共有します:
  1. 2つ以上の武器を持つべし。時代の要求の変化への対応と精神衛生の為。
  2. 人生は選択・決断の連続。チャンスの神様には後ろ髪がないのでタイミングを逃さずに。
  3. いくつになっても勉強は必要。

”Time waits for no one”. 二度とない今という時間を大切にして日々頑張りましょう。
最後に RIP, Charlieさん。

2021年10月 7日 (木)

【第700回】 「アスリートの気持ち」H. H. (芸術)

 この夏、賛否両論の中、東京オリンピック、パラリンピックが開催されました。始まればきっとTV、ラジオに釘付けになるであろう、、、案の定、家のBGMはオリンピック一色に。私自身、8月末の展覧会に向けてアトリエに籠る日々ですが、耳はその動向を気にしながらの制作でした。
 この一年半、各種いろんな大会やイベント等が中止延期に追い込まれ、私共の美術活動も大きく影響を受けました。作品の搬入審査も終え、翌日から開催というところで美術館が閉館。そのような事態が2年連続して起こりました。もう誰のせいでも無いのですが、一年間掛けて準備した作品が東京の国立新美術館で日の目を見ることなく、自宅に帰って来るのです。中止延期の連絡がまた来るかもしれない、それでも作品は作り続ける、休む事なく作り続けなければなりません。先の日程が決まればいつでもそこに作品が用意出来る様にです。厚かましいですが、アスリート達もきっと同じ思いなのだろうと、自身と重ね合わせて。そうすると一段と胸が熱くなり、ひとりで気持ちを盛り上げてました。自分を鼓舞するみたいに、です。
 スポーツも絵画芸術活動も、それを披露して発揮する場所や機会がなければ前に進めません。多くの人に触れたり観てもらう事で、人々に勇気や感動を与え、人生の励みになるなど、社会に及ぼす影響力も大きいはずです。そうあるべきだと願っております。こんなご時世だからこそ、それらに携わっている私達は、微力ながらその大切さをお伝え出来れば、と思っています。
 コロナ以降、久しぶりに忘れていた気持ちを思い出しました。悔しがったり喜んだりと。目標や夢に向かって、人生を掛けて頑張ってきた姿に心が揺さぶられてしまいました。彼等の姿が、コロナ禍で多くの方の命を支えている医療従事者や、先の見えない困難に不安を持つ全世界の人々にとって少しでも励みになっている、と願いたいです。私自身も多いに励まされたひとりです。困難を乗り越え、そこに立ち向かった末に学んだことは、全てのアスリートが語った、お世話になった沢山の人への「感謝」という思い。この先の人生において、一番の宝物を得たのかもしれない彼等は幸せだなぁと思いました。そんなアスリートから、私も沢山のことを学ばせていただきました。季節はもう晩秋。私も絵筆を止める事なく、この先何が待ち受けてようとも、目標に向ってコツコツと前に進むのみ!です。

2021年9月23日 (木)

【第699回】 「拾う」中村 ゆかり (国語)

 コロナ禍に見舞われ約一年半、日々暗いニュースが続く中、オリンピック・パラリンピンクでの日本人選手団の活躍ぶりに、多くの感動と勇気を貰った夏となった。
 これまでの競技人生を4年に一度の祭典にかける各国選手のことを思うと、感染拡大の懸念はあったが、一年の延期を経て実施されたことは本当に良かったと思える。私個人としては国内開催というメリットもあってか、想定外のメダルの獲得数に正直驚いた。ただ前評判が高かった競技でメダルがとれなかったことはとても残念ではあるが…。それでも朝夕もたらされる選手の勇姿に沸く国内の様子を目にするたび、スポーツの持つ「不思議な力」を改めて感じるとともに、世界と戦うための並々ならぬ努力が実を結んだのだなぁとしみじみ思う。
 スポーツ界で輝く日本人の中でも今、もっとも注目されているのはメジャーリーグに所属する「大谷選手」であろう。高校野球は別だが、プロ野球に強く興味がない私ですら日々のニュースでその活躍ぶりを目にすると「すごいな」と感心する。つい先日、実践での活躍とは異なるところでの称賛を耳にし、勝手ながら強く親近感を覚えた。彼は試合中であっても、フィールドやベンチのゴミを拾う。「他人の落とした運を拾う」という。高校球児であったころの習慣をいまだに実践しているとのことであった。海外メディアもその振る舞いを、こぞって称えていた。
 本校の部活生たちも運動部、文化部に関係なく練習前後に校内外で清掃活動をしている。大谷選手同様、「運を拾っている」のである。大会や練習もままならず、いろいろと制限が続く中、それでも生徒たちは「元気」である。練習帰りの生徒たちに出会ったとき、私との遭遇に驚きながらも「先生、さようなら」としっかり挨拶をしてくれる。そんな生徒たちのガンバリが収束に繋がってくれたら…と願うばかりである。
 「他人が落とした運を拾う」ことで自分たちのウンキを高め、コロナに負けない学校生活を送ってほしい。

2021年9月16日 (木)

【第698回】 「HANABI」中村 裕行 (地歴・公民)

 私はこの夏、ミスチル(Mr.Children)の「HANABI」という曲にハマってしまった。ほとんど聴いたことのないミスチルの曲(2008年発売らしい)がなぜ耳に入ってきたのかは思い出せないものの、詞も曲も心に染み入り、以後何回、何十回となく聴いている。恋愛をテーマにしたような歌詞だが、“誰も皆 問題を抱えている だけど素敵な明日を願っている”など、人生のツボを押さえたようなフレーズが所々に散りばめられている。

 さらに心動かされたのは、YouTubeのコメント欄に「この曲を聴いて救急救命士になろうと思った」とか、「コロナ禍で大変な中、看護師として頑張る」とか、「私は弁護士を目指しているので、“命を守る人”を守る人になる」などの声が溢れていたことである。(この曲は、救急救命士のチームを主人公としたテレビドラマのテーマ曲だったそうである。また、この文章が当初掲載されるはずだった一週前の9月9日は“救急の日”というのも、何かの巡り合わせだったのか…)

 かくなる私も先生(教員)になろうと思ったのは、当時盛んに放映されていた学園ドラマによる影響が大きい。以後、この仕事を続けて今年37年目となった。未だに教師と書けない未熟者の私だが、「倫理」の授業で教えるサルトルの言葉“実存は本質に先立つ”といったところであろうか。私は本質に迫れないまま終わってしまいそうだが、皆さんにはぜひ本質・本物を目指してほしい。

 就職に至る道筋は人それぞれで、私が携わる就職指導を通しても、生徒が様々な仕事を選んでいく様子はまさに様々である。就職に限らず、先のオリンピックやパラリンピックでも選手が競技と出会うきっかけは人それぞれで、中には“運動音痴を自認する選手が金メダル!”、“50歳女性がパラリンピック初出場で金メダル!”など、奇跡に近いようなニュースもあった。それこそオリンピックやパラリンピックの選手達は、順風満帆ではなく波瀾万丈の人生を歩んでいるのだろう。何が人を動かすことになるかはわからないゆえ、人生は面白い。たとえ事が上手く運ばなくても、「HANABI」の歌詞でくり返される、“もう一回 もう一回”と手を伸ばす気持ちで困難に立ち向かっていきたい。

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