2009年4月 1日 (水)

【第81回】卒業H. J. (英語)

1年前の4月。3年6組。

「43人で始まったクラスを、43人で卒業させたい」

そう言って始まったクラスでした。

高校に入って高校を卒業する。
当たり前のことかもしれませんが勉強が苦手、スポーツが苦手、人付き合いが苦手、それでも親御さんの多大なる支援を受け、やっとの思いでがんばって学校に来ている生Viewimg0_2 徒もたくさんいることでしょう。43人43色、色々な生徒がいる中で親御さんの多大なるご理解とご協力によって支えられながらみんなそろって卒業するということは、実は大変なことなんだと思います。

誰かと比較してではなく、とにかく自分なりに努力をして卒業して巣立ってほしいというのが担任としての正直な思いです。もっと正直なことを言うと、巣立っていくのが寂しいという思いもありますが・・・

毎朝顔を合わせて掃除の時間などには取りとめのない話をして遠足では一緒にバーベキューを焼いて食べ体育祭では一緒に買出しに行き 同じTシャツ着て 優勝までしちゃって学園祭では「ひらたこ」なんてうれしい名前で「たこせん」を売ってくれて球技大会でも授業で見せないくらいの(?)イキイキした顔見せてくれて気づけばみんなの写真、1000枚以上撮ってました(笑)

1年間早かったです。
3年6組の担任として、多くのものを得ることができました。みんなとの思い出はもちろん、ことあるごとにもらったみんなからの色紙やプレゼントは一生大切にするでしょう。

3月2日。
43人で始まったクラスは願いどおり43人で卒業していきました。みんな 卒業おめでとう。そして ありがとう。

この文章が読まれるころにはもう新しい学年に向けて準備しているころでしょう。『去年はいいクラスだったなぁ』は、すでに禁句です。

今年のクラスのみんなにも『本当にいいクラスだった』って思ってもらえるように、自分自身がしっかりとがんばっていきたいと思います。卒業していったみんなも新しい世界でがんばっているはずです。自分もがんばらないわけにはいきません。

卒業していったみんな!
校舎も新しくなったし、この文章もまだ慣れない新しい職員室で作成してるんだけど、すごくきれいな校舎でびっくりするよ!またいつでも遊びにおいで!!

みんなのちょっぴり成長した姿を見られるのが、とても楽しみです。

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2009年3月25日 (水)

【第80回】ラッキーマンになろう植木 大 (保健体育)

 みなさんの周りには「あいつラッキーだな」とか「運がいいな」など、何かとツキのある人を見かけませんか?同じことをしているのに「成功する人」と「失敗する人」がいるように、世の中には解明できない「不思議な力」が存在します。

私のように勝負の世界に長くいるとその力をすごく感じます。ただ、それがどのくらいの割合を占めているかはわかりません。しかし、大きな「力」があって色々な影響を受けているのではないでしょうか?不可解ではありますがその「力」を運とかツキなどと呼んで自分に有利に使いたいと思うはずです。

私もその一人で、試合に勝つためや自分を有利にするにはどうすればいいかを常に考えています。では、「ラッキーマン」になるにはどうすればいいのでしょう。私が思うにはそれぞれ異なった特徴があります。

 「ラッキーマン」は
 ・性格が明るい
 ・プラス思考
 ・否定的ではない
 ・忘れやすい(失敗してもくよくよしない)など・・・

 「アンラッキーマン」は
 ・性格が暗い
 ・マイナス思考
 ・悲観的、否定的
 ・失敗を人や環境のせいにする  など・・・

 あくまでも私の考えですが、成功している人で不満や愚痴をこぼしてばかりの人を見たことがありません。心が満ち足りた人はうまくいくものです。

 もともと不可解なものですから、理屈で考えてもダメで一つ一つ経験するしかありません。もちろん世の中や勝負は運で決まるものではありません。その前に実力の勝負をしなければいけません。ですから成功したいと思うなら実力をつけることが一番です。それから運やツキを味方にすることです。まったく実力もないのに運やツキばかりに頼っていても成功はしません。やはり勉強でも練習でも、することはしないといけません(笑)

 ところで「ラッキーマン」になるにはどうしたら良いのでしょう。一番は「ラッキーマン」と付き合うことです。「運のいい人」や「成功した人」と付き合い、物真似をしてみることが「ラッキーマン」になる近道です。また、自分は「ラッキーマン」だと思うことです。「運がいいな」とか「ついてるな」と思える人は様々なことに感謝できる人間にもなれます。

 これからの人生に「ラッキーマンになる」という目標を一つ入れてみてはどうでしょうか?

2009年2月25日 (水)

【第77回】イレブンバックI. I. (国語)

 卒業式が近づいてきました。

 本校が「遊学館高等学校」となって、13年になります。僕はこの間、平成11年卒業の第1期生と、今回卒業の第11期生の2回だけ、1年から3年へと持ち上がりました。そのぶん、この二つの学年には多くの思い出があります。

 第1期生は、明朗快活で積極的な生徒が多く、自分たちが「遊学生」としての伝統をこれから作るんだという、強い意気込みが感じられました。それまで「金城高等学校」という女子校であったわけですから、先生方は男子を指導する経験がありません。男子生徒は、もしかしたら、そういった先生方の指導に少し戸惑っていたかもしれません。それでも、とても明るく自然に高校生活を送っていたように思います。学園祭や体育祭といった学校行事も、生徒主体となり、ずいぶん様子が変わりました。

 そして、大学進学を希望する生徒が急増しました。「自分で自分の道を切り拓いていけ」また「自分の道が分からなくても、道を探すことを止めてはいけない」という僕の指導方針を、生徒たちは真剣に受け取って、自分はどうすればいいかを考えてくれていました。現在、第1期生たちは、三十歳を前にして、それぞれ社会で活躍していることを耳にしています。その中の一人は、本校の先生として頑張っています。

 今回卒業の第11期生は、素直で優しい生徒たちでした。
ですから「自分で自分の道を切り拓いていけ」という言葉には少し抵抗があったようです。

 1年次は、なかなか自分の道が見つからず、悩む生徒が多かったような気がします。僕は、様々な場面で、指示しがちになりそうでしたが、失敗があろうとも、生徒たちの判断・決断を我慢強く待ちました。指示過多になると、過保護に育った子供と同じように、自分で考えようとせず、指示待ちをするようになり、自分自身の人生に関わる重要な決断も人任せになります。そうなると自分の人生にも責任を持たなくなります。

 しかし、心配は杞憂に終わりました。2年次からは、ちゃんと自分の進むべき道を見つけ、目標を持って、努力を始めました。そして、現在。ほとんどの生徒たちが自分の夢を叶えつつあります。中でも、バトントワリング部は、とうとう念願の全国優勝を成し遂げたのです。

 第11期生たちは、人生の荒波にもまれながらも、岐路に立ったとき、自分で考え、自分で判断・決断し、自分の信じた道を進んでいくでしょう。

 「イレブンバック」はこの第11期生たちの同窓会名です。ちょっと変わったネーミングですが、いつの日か、志を果たして、「第11期生ここにあり」と誇らしげに、母校を訪ねてくるものと信じています。

 少し早いけど、卒業おめでとう!
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2009年2月18日 (水)

【第76回】敗北から何を学ぶか、次の一歩が大切松田 淳 (地歴・公民)

2月7日(土)いしかわ総合スポーツセンター、春高バレー石川大会女子決勝“遊学館VS金沢商”覇者・金商バレー部に、わが遊学館がどこまで一矢を報いるか…胸が高まる。金商バレー部の伝統と厚み、類まれな素質を開花すべく日々厳しく練習を積み重ねてきた彼女達は、遊学の反撃にぶれることなく、自分たちのゲームを進めていく。動じることなく自分たちのペースで。

結果、3セット連取され完敗。さすが金商バレー部。石川県の代表として“全国大会”という舞台で金商バレーが躍動されることを心から祈りたい。一県民として心からエールと期待を送りたい。彼女達には今日はひとつの通過点であろう。彼女達の視線はもっとその先にある大きな目標を見据えている。

バトントワリング部の顧問としての私や、スタンドでチアとして応援していた部員も今日の試合からいろいろなことを学ばせてもらった。スポーツは勝利からも敗北からも学ぶべきことが多くある。わがバトン部は全国大会に19年連続出場するなかで、何度涙を流してきただろう。何度悔しさと非力さを痛感させられ、すすり泣きで沈痛な雰囲気のバスの中、帰ってきたか…。その都度、突きつけられたのは、「自分たち以上に努力していたチームがいた」という事実。勝負は冷たいまでに客観的で非情である。勉強もスポーツも、入試もすべてそうだろう。

『夢はかなえるためにある』というが、人並み以上の努力と練習を継続してしてこそかなうもの。『やればできる』というが、やらなければできない。できなかったのはやれていなかったという事実。「バトンに関しては未経験者集団、そんな自分たちが必死に努力してきたんだ…」全国大会覇者のチームにはそんなことは全く関係ない。ひたすら高いレベルで王道を走り続けていた。しかし、忍耐と挑戦の積み重ねから何が必要で何が足らないか少しずつ見えていたことも事実だった。

20回目の全国大会で、ようやく全国優勝…。大きな夢を設定するということは、すべてをそれに投入するという覚悟と不断の努力を要する。歴代の先輩達が歯を食いしばり、目標を下げることなく挑戦し続けてくれたことに心から感謝したい。忍耐と挑戦の歴史がわがバトン部にとって、最高の財産となっている。

がんばれ!遊学館バレー部 !!今日の敗北から何を学ぶか、次の一歩が大切…君達が全国をめざすなら、金商バレー部以上の練習をするしかない。彼女達の素質と努力を超えるには、それ以上の練習をするしかない。答えは明確。優勝は石川県一の練習の証し。金商バレー部の練習がそれを証明したのだ。彼女達は県大会優勝が目標なのではなく、全国大会優勝が目標なのだろう。

がんばれ!遊学館バレー部 !!高校時代に、とてつもない大きい目標を掲げ、圧倒的に強い者に挑戦できることはとて意義深い。次の一歩をどのように踏み出すかだ。悔しさというモチベーションだけでは、夢を追えない。希望もないと夢を追えないだろう。しかし、悔しさも大切な原動力になる。チーム一丸となって、今回の敗北について苦しみ、悩み、研究し、検証する。チーム一丸となっての高い目標設定、不屈の練習姿勢、環境をカバすべく知恵と工夫を絞り出す。自分達だけに通ずる理由を作った瞬間に敗北が決まる。翌日から再び飽くなき挑戦が続くだろう。君達が再び決勝への舞台に躍り出たときに、私達はまた必ずスタンドに集う。王者に対しどれだけの戦いを挑むのか、どれだけの覚悟で努してきたのか、その証しを見るために。

がんばれ!遊学館バレー部 !!七転び八起き。部活動を通じて、将来の人生のいくつもの指針や生き方を学んでいる。君達のチームの持つ明るさと元気よさ、遊学らしさを大切に。遊学のスポーツクラブはとにかく明るい。挨拶がしっかりしている。明るく元気な校風の下、部活動を通じての先生と生徒達の日々の“遊学”が、明日からまた体育館で、そしてグランドにと、途切れることなく続けられる。

遊学館バレー部!がんばれ!!

(終)

2009年2月11日 (水)

【第75回】バドミントンと私中村 裕行 (地歴・公民)

 この学校に勤めて、また、県外から石川県に来て良かったと思うことの1つに

バドミントンとの再会があります。

 私が金城高校(遊学館の前身)に赴任した時、バドミントン部は全国大会の常連でした。
(さらに昔の昭和33年には、全国大会の個人戦で単複二冠を果たしています)。

しかし、様々な事情が重なり、次々と顧問が変わっていくうちに、活動も低迷していったようです。

いよいよクラブ存続の危機が訪れ、当時の部員からラブコール(おそらく誰でも良かったのですが…)を受けて、私は中学時代の経験とバドミントン好きだけを頼りに、自ら手を挙げて(同時に3つ目となる)顧問を引き受けました。

石川県は「バドミントン王国」とよばれるほど、バドミントンが盛んです。

自分の勤務校からバドミントン部がなくなる、そんな寂しいことだけは避けたい、
というのが当時の気持ちだったと思います。

 あれから、10年以上の年月が流れました。

私が顧問になってからの卒部生も今年度で 100名を超え、クラブも少しは強くなりました
(先日、卒部生有志により、クラブに電光掲示の大型タイマーが寄贈されました。
ありがとうございます)。

今では、卒業後も大学や社会人のクラブでバドミントンを続け、時には現役の部員を指導してくれるようなOG・OBも増えてきました。

また、私も愚息と通って世話をしたジュニアクラブの子どもたちが、本校でバドミントンを続けてくれるようにもなりました。

地縁のない私にとって、職場以外の人間関係はほとんどバドミントンつながりですが、
部員共々お世話になってきたケースも多く、この場を借りてお礼申し上げます。

指導者としてはまだまだ未熟な私ですが、本校には手本としたい名監督や名選手が
たくさんいるので、年齢や立場を超えていろいろと勉強になります。

 高校で部活を続けなかった私が、今さら思い出したように、バドミントンにハマっている、

自分でも不思議です。

仕事の合間や休日しか面倒みることはできませんが、このような環境へ身を置けることに感謝しつつ、部員達とバドミントンの奥深さをもう少し追い求めていければ、と思っています。
(2/5記)

2009021101

 ところで、この「先生コラム」も私で2巡目を終え、75回を数えるに至りました。
世話役として、読者の皆様と執筆者である先生方に感謝ひとしおです。
次回からの3巡目にも、ご期待ください!