2011年12月 1日 (木)

【第210回】 「大切に思う人のために」竹田 剛 (理科)

Takeda1 先日、学習塾の先生にお会いする機会ありましたので、私が中学生の頃に通っていた塾のことについて書いてみます。

 私が通っていたのは先生一人の個人の塾で、母の勧めで1年生の5月頃から通塾したような気がします。塾の先生(もう泉下の人となられましたが)を表現すれば、見た目が苦虫をかみつぶしたような顔をした大変厳しそうな先生で、3年生になった後も親しくお話しすることが憚られました。

 塾のある月・水・金曜日は、先生の自宅のある武蔵が辻まで、上野本町からバスに乗り約30分かけて通っていました。鞄の中には常に、5教科の教科書とガイド、ノート、問題集2冊等が入っており、鞄も1年ほどで壊れるような重さでした。

 塾の学習方式は基本、自学自習形式です。しかし、先生が決めたその日のノルマに合格するまではTakeda2帰ることが許されないため(もちろん私語も飲食も一切禁止)、張り詰めた雰囲気の中での集中学習です。ですから、そのとき一緒に机を並べて勉強した人のことはほとんど記憶に残っていません。

 帰りは夜10時半を過ぎることがよくありました。遅くなって終バスがなくなり親に迎えに来てもらったことや、警官に呼び止められたことなど大変なことも多かったです。特に、塾のない日に出される宿題が不完全の場合には、帰りが遅くなりました。

 好きでとか、楽しんでとか、そういう気持ちで塾に行ったことは一度もなかったと思います。また、途中一度だけですが、どうしても塾に行きたくない日さえもありました。

 それでも、どうして最後まで塾を続けることができたのかは、今振り返って思うと、自分が第一目標の進学校に合格したいという気持ちはもちろんありましたが、それよりもその高校へ進んだ自分を、たぶんとても喜んでくれる親の顔が見たいがために頑張り抜けたのだと思います。

 「自分自身のためになるから努力しなさい」とよくいわれます。ただ、それだけではなかなかできないこともあります。踏ん張りが利かないこともあります。そのようなときには、「自分が大切に思う人のために頑張る」と少し視点や心の置きどころを変えてみるのもいいかと思います。

 私はどうかというと、おかげで努力が実り、中3の12月の模試では校内で1番を取り、目標の進学校へ合格することができました。もう35年以上も前のだいぶん昔のことにはなりますが、自分の中では小さな勲章になっています。

2011年11月24日 (木)

【第209回】 ピグマリオン効果についてTa. Y. (英語)

 簡単に言えば、「お前はいい子だ」と言い続ければいい子になり、「お前は悪い子だ」と言い続ければ悪い子になる、という説のことです。

 ハーバード大学の有名な博士とその弟子たちが、ある学校で数ヶ月にわたって子供たちを診察しました。そして、1枚のリストを学校に渡しました。そのリストには、診察の結果判明した【将来学力を大きく伸ばすに違いない子供たち】の名前がありました。

 しかしその中にはどう考えても学力的に難しい子もたくさん入っていたので、学校の先生たちは首をかしげながらも、一流博士の言葉を信じて子どもたちに接していきました。そして1年後、学力テストが行われると、リストに載っていた子供たちは全員、例外なく学力が著しく向上していたのです。

 学校の先生たちは非常に驚き、博士の素晴らしい眼力と診察の奥深さに、畏敬の念を持ってそのことを報告したのです。ところがです。実は、そのリストはでたらめで、適当に名前を並べただけのものだったと知らされたのです。

 この子達の学力を向上させたもの、それは間違いなくその子を見続ける他人の目だったと言っていいでしょう。1年間教師たちはこの子達を「才能のある優秀な子」として見てきたわけです。ただそういう目で見ただけで学力が向上したのですから、驚きです。

 私は時々このことを思い出すたびに、これが逆に「学力が落ちる子」だったらどうなっていただろうと考え、そして実際私は生徒や息子にどちらの態度で接しているか、振り返って恐ろしくなるのです。

 「叱るよりほめよ」「信じないより信じるほうがいい」等の考え方はよく言われます。
しかし、わかっちゃいるけどついつい…というのが人間というもの。時々はピグマリオン効果を意識して、学校でも家でも指導していきたいものです。

2011年11月17日 (木)

【第208回】 「一生稽古」T. Y. (国語)

遊学館に来て三年目になりました。
クラス担任、剣道部顧問、漢字検定担当、教務部と仕事も増え毎日悪戦苦闘しております。
大学で剣道はもう終わりかなと思っていたのですが、小学校一年生から始めた剣道を今でもできる環境に感謝しています。

「一生稽古」という言葉は、私が高校を卒業する時に恩師から頂いた言葉です。
「剣道ができるという環境はこの先なかなか無いかもしれない。だが、人生というのは剣道をしてようがしてまいが、毎日死ぬまで稽古の連続である。

日々の生活をより良くする稽古
人の助けになる稽古
礼儀や身なりを整える稽古
おもいやり、おもわれる稽古

人生まだまだ先は長い失敗も成功も全て稽古だ!
精進せよ!向上心をもて!」

今もこの言葉は自分の励みになっています。
生徒、部員ともに毎日精進していきたいと思います!!

中学生のみなさん、剣道経験者、未経験者問わず遊学館高校で剣道をしてみませんか?
一緒に精進、稽古しましょう!!

Takahashi

Vol.4 どこで学んだか…でなく、何を学んだか松田 淳 (地歴・公民)

自分の過去を振り返ると、まさにこの言葉を実感できます。
多くの先生、多くの友人、多くの知人、多くの書物、多くの場面。

多くの人に出会ってこそ学び、体験し、吸収したことがいっぱいあります。
自分で言うのも何ですが、反発して批判するより、まず素直に吸収してみる性格です。
そして、時間をかけて自分に合うようにアレンジして、自分の考え方や生き方の一部にしてしまいます。

中学生、高校生のみなさん。みなさんは今、若い。
がゆえに、自我の目覚めとともに、“自分”の考え方・生き方を強く意識する。
そのような今だからこそ、学び、吸収するということも同じくらい意識してほしい。
いろいろな人に出会って、いろいろな考え方に触れ、素直に吸収する。
心の扉を一杯に広げて、耳を傾けじっくりと聞き入る。
「へぇ~」「本当に!?」「なるほど…」。
知らなかった世界がどんどん見えてくるようになります。
世界が広いことに気づくと同時に、自分がいかに小さな存在かわかるようになります。

待ち姿勢ではだめなのです。時間は刻々と過ぎていきます。積極的に、前向きに。
トライアル・アンド・エラー(試行錯誤)。失敗も経験です。誰も保証してくれない。
自分への保証は自分自身でするのです。だから失敗しても自分に納得ができる。
未熟な自分がチャレンジして失敗したのだから、責任は自分にある。人のせいでない。
中学3年間、高校3年間、そこにいれば与えてくれるという考え方でなく、
自分自身が積極的に学ぼうとする、その前向きな姿勢が大切なのです。
どこで学んだか…という思い出やプライドも支えになると思いますが、
何を学んだか…という中味が、将来の自分を支えることになるのです。
人生を豊かに、人生を理知的に、人生を前向きに生きましょう。

2011年11月10日 (木)

【第207回】 『未来の自分からありがとう』S. Y. (理科)

 10月末、1~3年生の特進クラスを対象とした進学講演会に東京からわざわざ中村一郎先生にお越しいただきました。そこでは、生徒たちもメモを必死にとるくらい非常に貴重なお話が聞けました。それは『大学受験10大(重大)原則』という、日頃から実践できる成績向上に役立つお話を簡潔にまとめたものでした。

 思わず、なるほどと頷けるものもあれば、耳にしたこともある内容も含まれており、やはり勉強方法はある程度共通部分があるのだと再び実感しました。

 中でも印象的だったのは、最初に言われた『素直さ』が大切だということでした。何事にも、まず言われたとおりにやってみるという実行力が必要不可欠であり、毎日顔を見ている先生より東京から来ていただいた先生のほうが生徒も素直に話が頭に入っていったような気がします。

 最後に一番印象的だったのは、10大原則の最後のお話の中で『40歳の自分にありがとうと言われる高校生活を送る』という言葉でした。中村先生は実体験も踏まえながら、『今、タイムマシンがあったら、浪人時代の自分に会いに行って、よく頑張ってくれた、ありがとう!と言いたい』とおっしゃっていました。その言葉に生徒同様、私自身も少し耳が痛くなりました。

― 過去に頑張った自分がいるから、現在の自分がいる ―

 この話を聞いた直後から生徒の様子に変化が現れました。勉強方法で悩んでいる生徒が多かったので、すっきりした顔で何かに向かって走り始めたようです。恐るべし、中村一郎パワー。ただし、継続できなければ結果はついてきません。これから先、我々に出来ることは、中村先生に作り出していただいたこの勢いをより大きく、長く続けられるように生徒の背中を後押しすることなのだと思います。

 ある人は大学受験をこう言いました。『たった3年間の我慢でその後の人生がほとんど決まってしまう。そんなにおいしい話は他にないだろう。』確かに・・・。

 最後に中村一郎先生、お忙しい中、本校に来ていただき本当にありがとうございました。そして、受験を迎える中学3年生、高校3年生の皆さん、あとわずかですが、頑張ってください。未来の自分からありがとうと言ってもらえるように。