2012年7月19日 (木)

【第239回】 本番を控える人たちへY. M. (理科)

僕の愛読書から二つの言葉を贈ります。

「本番では頑張らない。」

 本番前に「とにかくがんばれ!」と声をかけられるのは、辛かったりします。
 練習で散々がんばってきたのに、まだがんばらなければいけないのかと思うとストレスが溜まります。
 とことん練習した人は、本番では力が抜けてリラックスできます。
 本番にがんばらないといけない人は、練習不足が原因です。
 準備不足だと、本番では練習以上の成果を上げなければならないから緊張します。緊張すると余計に結果が出なくなります。
 緊張しないためには練習でがんばることです。
「これだけ準備してダメなら清々しい」と思えるくらいの準備をしましょう。

「権力は滅びるが、学問は永続する」

 世の中には、拡大志向の人や権力志向の成功者がたくさんいます。
 これらの人たちの成功は長く続かないことがあります。
 典型的な例は、エジプト文明やローマ帝国です。
 どんなに隆盛を極めても必ず滅びる時がやってくるのは、歴史が繰り返し教えてくれています。
 ところが、深化志向の学問はどうでしょう。
 拡大志向や権力志向が栄枯盛衰を繰り返しているのに対して、深化志向の学問だけは永続しています。
 権力はいずれ滅びるが、学問は滅びません。
「もっと強く」「もっと大きく」から、「もっとふかく」へ。

(*「君の背中を押す言葉」より抜粋)

物事を深くとらえ、今できる万全な準備を!!
いつか来る本番のために!!!

2012年7月13日 (金)

【第238回】 「洋食屋Y」Y. M. (地歴・公民)

 私はこの会社に勤めて16年の月日が流れた。そのあいだは「洋食屋Y」のカツカレーに支えてもらった。大柄な身体の私にとってこのカツカレーの量は少し物足りない。たまに大盛りにして午後の仕事の活力にする時があった。このカレーはだいたい週2回ペースで食べていた。だから、いつも同じものを食べているとたまには違ったものを食べたくなる。目玉焼き付きカレー、カレースパゲティ、メンチカツカレー、カツ丼(和風のカツ丼ではありません)、そして年に数回頼む1、000円を超えるランチなど何だかんだで、定休日の木曜日以外は「洋食屋Y」に電話をして出前で持ってきてもらう。結婚するまで寮で生活していた時は寮の部屋まで出前をしてもらったこともある。そう考えると私の胃袋を支えてくれる大切なお店である。いや、お店であった。実は2年前にこの店のご主人が体調を崩され閉店することとなったのである。

 カレーがおいしかったことは確かなこと。しかし、もう「洋食屋Y」に出前を頼むことができなくなった今、気付いたことはご主人の人柄である。看板娘ならぬ“看板おやじ”とでも表現すればいいのでしょうか?出前一つを何回も受けてお店と私の職場を行ったり来たりしても嫌な態度1つ見せない笑顔、真冬の雪が降る時期で靴下も履かず素足と草履(ぞうり)で出前をすること、雨の日は決まって紫色のレインコートを着ること、大量のお釣りが準備されているパンパンに膨れ上がった小銭入れ、愛車のスーパーカブ(バイク)で出前の途中で私に気付けば笑顔で手を振ってくれるなどすべてが“おやじの味(特徴)”である。大変失礼な言い方をしてしまうが、どこにでもいそうな昼食を頼む洋食屋の店主である。しかし、その立ち振る舞いに飾らない自然体の人間性と、簡単そうでわかっていても実践できない仕事をするプロとしての姿勢を感じました。自分のペースを崩さず自分らしく生きていくということ、大きな成果を常に期待しすぎず、わずかなことも大切にして地道に積み上げていく習慣は店主そのものです。

 どうしたら利益を上げるかということと、おいしいものをつくりお客さんに喜んでもらうことはお店を繁盛させるための方向性は変わらないと思います。しかし、心の持ちようで行動も変わるのではないかと思います。人に喜んでもらえる、人に感動を与える仕事が私の目指すところです。教師となって初年度で掲げた学校に影響力の人間になることという方向性を見失わず“看板先生”を目指していきます。

 最後に私を成長させてくれた「洋食屋Y」の方々へ

  おいしいカレーをありがとう

  お疲れさまでした

2012年7月 5日 (木)

【第237回】 引退試合山本 雅弘 (保健体育)

6月27日、石川県立野球場。遊学館対金沢学院東の試合をナイターで行いました。
この試合は3年生最後の大会(第94回全国高等学校野球選手権大会石川大会)で、メンバーから外れた3年生の試合でした。この試合は今回で6回目になります。

遊学館高校野球部の3年生は24名、1・2年生を加えると76名、この中から石川大会のメンバー20名が選ばれるわけなので、当然引退に追い込まれる3年生が出てくるわけです。その3年生の最後の晴れ舞台を決勝戦が行われる石川県立球場で、高校野球最後の試合を戦い、次の日からメンバーのサポートに切り替えるという引退試合です。
そして、最後の大会を戦うメンバー達がスタンドから必死に応援をします。

今回も両校の保護者、学校の友人、学校関係者、そして一般の応援していただいている方々がたくさん足を運んでいただき、スタンドに約1500人の観衆を集めて盛大に行われました。
そして、金沢東高校のチアリーダーによるアトラクションも盛り込まれました。

結果は、              得点 安打
遊学館 5 4 0 0 0 0 0 3 0  12  16
金沢東 0 0 0 0 1 0 0 0 0   1  10

得点は開きましたが、両チーム合わせて26安打の打ち合いでハラハラ・ドキドキの好試合でした。両チームとも気持ちのいいくらいフルスイングで外野のフェンスまでとどく長打や空振り、投手の決め球の厳しい球をうまくさばいての見事な安打。守備でもダイビングキャッチの超ファインプレーなど、このレベルの選手がなぜメンバーになれないの・・?と思うくらいレベルの高い試合でした。また、選手は集中し真剣な戦いの中にも笑顔を忘れず、高校野球最後の試合を楽しんでいるように感じました。
そして、打席に立つ選手の名前と選手の思いがバックスクリーンに紹介されましたが、その思いが強く胸に響きました。

「お父さん・お母さんの子供で良かった、今まで野球を続けさせてくれてありがとう」

「こんな僕を遠い石川県で野球をさせてくれてありがとう」

「お父さん一人でここまで育ててくれてありがとう」

それぞれの思いを込めた引退試合が終わりました。

これからが本番。
引退試合で戦った選手は気持ちを切り替えてサポートに全力を尽くし、遊学館野球部全員の目標である「てっぺん」に向かってスタートを切ります。

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2012年6月28日 (木)

【第236回】 『出逢い』Y. H. (英語)

 只今、1年生を対象にした英語の試験対策の講座中です。
 英語が苦手な生徒にどのように興味を持ってもらうかは、英語教師としてとても悩むところです。何か少しでも、その教科に興味を持つきっかけがあれば、自然と探究心が生まれ、勉強することが楽しくなってくるのではないかと思うのですが・・・
 そのきっかけと出会うことが本当に難しいのですよね。
 講座中に、そんなことを考えていました。

 私は、ラッキーなことに英語に興味を持つ機会がありました。それは、中学1年生の時に、とても素敵な英語の先生(O先生)に出逢いました。そのO先生はアメリカ人の男性と国際結婚をしており、初めての授業で、そのご主人を私たちに紹介してくれました。二人の会話を聞いていて、内容は全く分かりませんでしたが、その二人の雰囲気がとても素敵で、また、日本人があんなに流暢に英語を話していることに衝撃を受けました。今までに聞いたことがない発音で会話しているO先生をみて「なんてかっこいいのだろう。私もあんな風に英語で話したいな~」と思っていました。
 私が中学生のときには、今のようにALTの方もいなかったので、ネイティブの英語を聞くチャンスはなく洋楽を聞く程度でした。
 そのようなちょっとした機会があって、私は英語に興味を持ち好きになりました。

 昔から、身体を動かすことが大好きで、勉強よりスポーツばかりしていた私が、英語に目醒め、現在、教師として英語を教えていることができるのも、そのO先生との出逢いがあったからだと思います。

「先生、素敵な出逢いをありがとう!!」

 今、行なわれている講座の中で、「先生、少し解るようになってきたよ」と言ってくれる生徒がいると、やはり嬉しいものです。これを励みに、この講座で何かを生徒に与えられるように頑張りたいと思っています。
 私が、O先生からもらったように・・・・

2012年6月21日 (木)

【第235回】 『麗子像』と歴史ロマン光谷 和子 (芸術)

 ちょうど私のデスクが第二職員室の英語の先生方の隣にあります。
そこでちょっと小耳にはさんだところによると、3年Rの教科書にでてくる岸田劉生の作品『麗子像』が「とても不気味だ!」という評判でもちきりだそうですね。
本物の作品はもっと油絵の質感と色味が美しいのですが・・・。
それにしても麗子さん、なんだか人間味のない表情をしていると思いませんか?
――――はい、実はその感想で正解なんです。
なんでそのような表現になったのか2つの視点から見てみましょう。

【その1 謎の微笑について】

 岸田劉生が麗子像の手本としたのはレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた『モナ・リザ』という説があります。では、この有名な『モナ・リザ』の表情に着目してみましょうか。無表情の中に口元だけが微笑していますね、このような微笑を“アルカイックスマイル”といいます。これは我々日本人も日々の中で見たことがある笑みなんですよ、そうです、仏像の笑みです。
 この仏像の表情の様式はどこから来たかというと、シルクロードを通って日本に伝わったんです。紀元前300年代にマケドニア国(現ギリシャ)の王様・アレキサンダー大王という人が、ギリシャからインドにまで遠征にいったんです。これでギリシャの文化がオリエントの文化と混ざることになりました。オリエントはラテン語で「日が昇る方角」を意味するオリエンス(Oriens)が語源ですから、西側諸国からみて東側(アジア)がオリエント地域にあたります。というわけで西の文化が東に伝来した結果、ギリシャ彫刻の様式が仏像の様式になったわけです。この仏像の微笑の様式は、紀元前6世紀頃のギリシャ時代のアルカイク美術に見られる特徴でした。このアルカイク美術においては、いかに静止像に動きを与えるかが造形課題でしたので、生命感と幸福感を演出するためのものとしてアルカイックスマイルが流行したんですね。
 さてさて、では、これらギリシャ時代における彫像の主なモデルは誰だったのでしょうか?――――それは、ギリシャ神話の神々と英雄達でした。
想像してみてください、人間が神様の表情を作るのはさぞかし大変だったと思いませんか。神様は誰も見たことありませんから、像を制作する職人はさぞかし悩んだでしょうね。
「神様の顔?きっと生命感と幸福感に満ち溢れた表情だけどもどこか人間離れした表情だろうな・・・」と。
そう思い悩んだ末にアルカイックスマイルという様式にたどり着いたのでしょうね。

【その2 技法からの視点】  

 岸田劉生に影響をあたえた画家に、デューラー(15-16cドイツ)とゴヤ(18-19cスペイン)がいます。デューラーは“キアロスクーロ”という技法を用いました。これは光と影の対比によって画面中に劇的な効果を生み出す技法で、日本語でいえば“明暗法”にあたります。ゴヤは晩年、聴覚を失い『黒い絵』シリーズと呼ばれる明暗法をも使用した劇的で恐ろしい内容の作品群を生み出し、人間の持つ偽りない内面を表現することを重要視しました。
 さて、『麗子像』に話を戻しますと、あの皆さんに不評だった人間味のない表情は、元を辿ればギリシャの神々のものだったんですね。そりゃあ、人間味のない表情だったわけです。人間が神様の表情を想像して作り上げた不自然な笑みでした。さらに岸田劉生は“明暗法”という技法も使用しつつ、内面性(美や神聖さ)を表現しようとしていました。このなんでも「劇的なように」見せることができる技法の効果によって、もともと不自然だった笑みがより一層と劇的に不自然な笑みに見えたのでしょうね。

 このように、作品の背景に思いを馳せてみるとなんだかロマンを感じませんか?
ただただ不気味で不評だった『麗子像』が、なんだか一種の神秘的な雰囲気の中、静けさの伴う美しさや、一種の神聖を帯びてキラキラと輝いて見えてきたりは・・・しませんかね???