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2023年4月 6日 (木)

【第777回】「努力し続けるという才能」西村 美恵子 (英語)

 今年三月、卒業した生徒の中にジョンソン モゲニ君がいました。彼は、当校二人目となるケニアからの留学生であり、私にとって日本語を教える初めてのケニア人生徒です。昨年の高校インターハイでは5000メートル第3位、全国高校駅伝では区間3位…その活躍は新聞に写真入りで報じられるほどでした。彼の活躍を見るにつけ、私は彼が持っている、努力し続ける意志の強さと自己管理能力の高さに驚かされ、感動させられてばかりいました。そのようなジョンソンとの日々で感じたことをお話ししようと思います。
 コロナ渦中で来日が予定通りに進まず、彼が金沢にやって来たのはもうみぞれが降るような11月でした。彼の第一印象は恥ずかしがり屋で大人しく真面目。授業にも熱心に取り組んでくれました。母語の次に、子供の時から学ばなければならなかったスワヒリ語と英語を学び、更に異国の地へとやってきて自身にとって4つ目の言語である日本語を学ぶ彼に言語を学ぶ理由を尋ねてみると「使う必要があるから」という答えが返ってきました。彼にとっては至極当然な事なのかもしれませんが、日本に住み日本語さえ使えれば生きていける私たちとの大きな差異を感じ、忘れられないほどの衝撃を受けました。
 慣れない土地での暮らしが始まって早々に金沢特有の寒さや悪天候の洗礼をうけ、彼は風邪をひいて熱を出した事がありました。幸いすぐに元気になったのですが、驚いたことに熱が下がった直後に早朝の自主練習を再開したのです。週6日、朝6時前から10kmほどのランニング。それも単に走るだけではなく、その日の目標タイムを決めたり、走り方を変えたりするような練習だということでした。そしてそのような自主練習は卒業まで続きました。又、筋力トレーニングではケニアでしていたものと日本のそれとはどう違うのかを考え、うまく両方を取り入れている姿が見られました。
 また体調管理に関する知識もとても豊富で、アスリートとして日常生活で何が大切であるかをよく話してくれました。例えば日頃白米をあまり食べないが、(実のところ、日本のお米はねばねばで好きではないとのことで)大会が近づくと糖質をたくさん摂取するために白米を食べると。長距離ランナーの常識だろうけれど、食習慣が全く違う国にいて、ストレスも多いだろうに、食べるということに関するストイックさは食いしん坊の私から見れば頭が下がるおもいでした。でも時には週末には尞でケニア風料理を作って食べているようでした。
 恥ずかしがり屋のジョンソンが2年生の頃から新聞等のインタビューを受けるようになり、大急ぎで日本語での返答の練習をしたことなどは楽しい思い出ですが、彼が気に入っていた返事は「まずまずです」で、彼の謙虚さとともに意識はもっと高いところを目指していることがわかる気がしました。
 3年生最後の京都駅伝の前に、私は彼に、「努力し続ける才能があるねー」と言いました。3年間彼を見続けて、素直にそう感じていたからです。すると彼は、「これは才能ではなくて、向上心です。毎日毎日より良い走り、より速い記録を心掛けているだけです」と答えました。私が感じた彼の“努力し続ける才能”は彼にとっては“向上心”であり、その“向上心”を支えているのは彼の自尊心と、家族に楽な暮らしをさせてあげたいという切なる願いであるからこそ、自分と家族のために向上心を持ち続ける事ができる事もまた一つの才能なのではないかと私は思っています。

2021年12月30日 (木)

【第712回】「留学生との時間の中で Part 2」西村 美恵子 (英語)

 以前このタイトルでブログを書きました。その頃は英語を教える傍ら空いた時間で学校に通っていた交換留学生の日本語の勉強の手伝いをしていました。彼らはアメリカやカナダからやって来て1年間いくつかの家庭に滞在する、いわゆるホームステイをしながら遊学館に通学していました。またリファーレで行われている日本語教室にも通っている学生もいました。そのような留学生と過ごした時間の中でいろいろ感じたことなどを書いたものでした。
 現在遊学館にいる留学生は、当時の交換留学生とは異なり3年間在校し、部活動をし、寮で暮らし、卒業します。そして私自身も日本語教師として彼らと関わっています。
それで今回Part2としました。
 日本語を教えるようになってまず感じることは、日本語は音声としては簡単なほうだけれど、読み書きは3種の文字の使い分けが難しいうえに、漢字の読み方が一通りではないことが日本語を母語とする人にとってすらとても難しいということです。もしかすると日本人は語学の天才じゃないかと思うほどです。例えば、「今は12月です」「今日は月曜日です」「お月様が欠けるのですか」これらの文中の『月』の読みが違うのは小学生でもわかります。けれども同じように漢字を使う本家の中国語ではほぼ一通り、中には二つ読み方を持つ漢字も少しはあると留学生が教えてくれましたし、私が一時期はまっていた韓国語でも表記は今ではハングルでわかりにくいですが、漢字から来た単語の読みは基本一通り、中にはいくつかあるものもありますが、日本語のようにその語が伝わった当時の中国での音に近づける読み方がいくつもあるなどということはありません。ただ日本人にとっては音として幼いころから先に言葉に接しているので、後から漢字がついてくるのにたいして、日本語の学習者にはそれほどの時間的余裕がないのです。そう考えるとついつい申し訳ないような気になって、「ごめんねー、これはそう読まないの―」が口癖になってしまいます。
 私たちの、日本語学習の第一の目標は日常会話ができるようになることです。
ところがその日常会話というものは読み書きがないから簡単だと思われるかもしれませんが、文字以上に難しい日本語の特徴が詰まったものです。高校生ですから少しは敬語・丁寧語が使えるようになってほしいしのですが、目上の人はともかく、内外(うち・そと)の使い分けは日本人にとってもとても難しいものです。日常会話では、仲間との会話と挨拶の言葉とはかなりの違いがあります。挨拶は、あいさつ様式として覚えなければなりません。またものの数え方、その音の変化、例えば、鉛筆がいっぽん、にほん、さんぼんと簡単に言えるようになるにはこれらをまた覚えなければなりません。言語の習得はやはりたくさん使って慣れることが最も大切です。
 ケニア出身の留学生に教えてもらったのですが、彼の国には40以上の部族がそれぞれの地区に独自の言葉を用いて暮らしていて、つまり日本の県のようになっているそうで、学校ではいくつかの部族が集まるので、スワヒリ語と英語が公用語になる、つまり彼は日本に来る前にもう母語を含めると3つの言葉を使いこなせ、日本語は4つ目の言語になるそうです。凄いことですよね。またある留学生は日本に来る前から日本語を勉強していて、昨年日本語能力検定試験1級に合格しました。彼の努力は素晴らしいことですし、本当にうれしいことでした。
 留学生と接していると、とてもたくさんのことを私の方が教わっています。考えさせられています。私にとって彼らは、自分では気づいていない自分たち日本人のことを映す鏡のようでもあり、またもっと広い世界へと開かれた窓のような気がする毎日です。

2020年5月 7日 (木)

【第627回】 「“Stay home”の達人をめざして」西村 美恵子 (英語)

 新型コロナウィルスによる肺炎の流行により、4月には緊急事態宣言が出され、休校はもちろんのこと会社などではテレワークが推奨され、種々の業種への休業要請まで出されました。自身が感染するかもしれない、また周囲に感染させてしまうかもしれない恐怖、またそれがいつ沈静化するのか、終息するのか、先のわからない不安、日本の経済状況が日一日悪化しているらしいという心配等々今の私たちを取り巻いている状況はまさしくこのような不安や心配ばかりです。新型コロナウィルスがどのようなものなのか、病状がどんな風に推移していくのかという研究がもっともっと進展し、治療法が確立し、ワクチンや治療薬等々が作られない限りはこのような不安が解消することはないでしょう。まだ時間が必要なのだろうし、世界中の医療関係の人々がウィルスと闘いながら協力し合って研究を推し進めているところであり、私たちはただ待つことしかできないわけです。
 そしてこれからのゴールデンウィーク、日本国中の合い言葉は、”Stay home”.
さあ、どんな風に過ごしましょうか。
 これまでも外出自粛してきたうえに、ますます不安ばかりが募る中、種々のお店や映画館、劇場なども閉まっていて、また一年で一番お天気がよくなるこの時期に、家にいなければならなくて、ますますストレスばかり高めてはいませんか。先が見えない今だから、心の平静をしっかり保って暮らし、そんな日々を楽しく過ごすこと、それが免疫力を高めることにつながるそうです。今できないことを並べ立てて不平不満を言うのではなく、こんな時だから、今だからこそできることは何なのか考えてみるべきだと思います。まずは自分に向き合ってみましょう。
 では質問です。考えてみてください。
「あなたは自分の好きなことをいくつ言えますか?」
「これまでにしたことはないけれども、少し興味があることはありませんか?」
「ずっとしてみたくて、でもなかなか一歩踏み出せずにいたことはありませんか?」
「これからの自分にとって確実に必要となることは何だと思いますか?」
「将来の自分の姿を思い描いて、できたら素敵だなと思えることは何ですか?」
そして今一番の課題は
「それらの事柄の中で、家にいて一人でできることは何ですか?」
とは言っても、現代の通信機器の進歩のおかげで家にいながら様々な催しに参加したり、多くの情報を得ることもできるし、オンラインエクササイズもあります。インターネットによって家にいて一人でいてもほかの人々とつながったり、一緒に何かをしたりすることも可能になりました。ただ、便利なばかりではなく危険もはらんでいる道具であることを肝に銘じましょう。
 さあ、したいことがいくつ見つかりましたか。単に時間つぶしではなく、自身に実のなるようなことがよいですね。是非それらの事柄をStay home期間中に実行してください。そして毎日を楽しんでください。そしてそんな中から一生続く趣味・特技ができることを願っています。
それともう一つ、幸せな気分で過ごすための簡単な秘訣をお教えしましょう。”ポリアンナ”という名の少女の物語に出てきたことなのですが、「毎朝起きてから一日小さな幸せ探しをする」というもの。大したことでなくていいのです。今日もみんな元気だとか、よいお天気だとか、夕焼けがきれいだとか。これまでの日常生活の中で気づきもしなかった様々なことが今こんな状況になるとどれほどありがたい幸せなことであったかを実感できます。
 今私たちがしなければならないことの第一は自らの、そして周囲の命を守るための行動に務めること。そして同時に心身ともに健やかに過ごし続けること、そのためにも規則正しい生活をして、運動不足にならないように心がけることです。そしてその次に有意義に時間を使うこと、こんな状況でも人に与えられた時間は同じなのですから、無為に過ごさないように、楽しくいろいろなことに精を出しましょう。私としてはその中に是非とも読書を入れてほしいです。読書は人生の道連れになる一番身近な親友のようなものですから。そしてみんなで”Stay home”の達人をめざし、このコロナ禍をじっと我慢して乗り切って行きましょう。

2018年12月20日 (木)

【第559回】 昭和は遠くなりにけり西村 美恵子 (英語)

 高等学校では、すべてとは言わないまでも概ね秋になると3年生が個別に面接の練習を実施していると思います。推薦制大学入試や就職試験に面接が行われることが多いので、遊学館でもそんな練習が放課後あちこちで見受けられます。面接室への入り方に始まり、椅子に座るまでと、座っている姿勢、話し方とその内容等々。どの生徒も一生懸命練習している姿はとても健気で微笑ましく、『頑張れ』と応援せずにはいられません。そんな時私が一番心配になるのは、彼らの言葉遣いなのです。誰と、どんな場面で話をするか、それによって言葉は使い分けなければならないのは当然のことですが、今どきの子供たちにとってそれが案外簡単なことではないらしいのです。私のような昭和の子供たちにとっては言葉遣いは日常生活の中で身につけて行くものであったように思われますが、いつの頃からか、それは望めないことになってしまった気がします。
 言葉、特に話し言葉で言えば、誰もが初めは自分の周囲から学ぶものです。家族であり、地域社会の大人や年上の子供たち、保育園や幼稚園に始まる学校生活の中では教師や上級生といった自分を取り巻く人たちが使っている言葉を学んでいくわけです。言葉そのものばかりではなく、どんな場面でそれらが使われているのかも一緒に学習するわけです。昭和の子供たちの頃は、地域社会が今以上に充実していたように思います。町内会・子供会などの活動もたくさんありました。近くの商店街ではどのお店の人たちもみな顔見知りでした。また年上の子供たちには一緒に遊んでもらったりして、いろいろな遊びを教えてもらいました。歌を歌いながらする遊び、てまりやお手玉などでは意味も解らないようなたくさんの歌をみんなで歌っていました。○○ごっこでは、おかあさんになったり、先生になったりと言葉で演じ分けていました。子供の世界が大人の言葉であふれていたような気がします。そうしたことで子供は語彙数を増やしたり、大人のまねをして場面による言葉の使い分けを学んでいったのだと思います。
 そしてそんな昭和の子供たちに課せられていたことがありました。それは、しっかりと挨拶をするということでした。家族・親戚はもちろんのことですし、また顔見知りの大人に道で会ってもしっかりと挨拶しなければなりませんでした。当時の私にはとても大変な作業でした。(とても内弁慶な子供だったので)。ある時、「あいさつしなきゃ、しなきゃ、・・・」と思ってる間に通り過ぎてしまったことがあったのですが、後から母にひどく叱られたことを今でも忘れられません。また小学校では、生徒は廊下などで先生やお客様に出会ったら目礼をする規則でした。そのため初めて遊学館に来た日、生徒たちが廊下でしっかりと挨拶をしてくれて、とても嬉しく、そして懐かしい気持ちになりました。
 日本語の乱れが叫ばれるようになって久しいですから、言葉遣いは単に高校生だけの問題ではなく、日本人全体のものになっていると言えます。歴史的に見ても、きっとどの時代にも日本語の乱れを嘆く人がいたような気がします。言葉は移り変わるものです。社会の変容に伴いたくさんの言葉が新しく生まれてきます。そして同時にたくさんの言葉が使われなくなっていきます。言葉はまるで命あるもののようです。言葉は変わる。でも変わらないものが必ずあると思います。遊学館高校の職員室を訪れる、とある部活の生徒たちはとても上手に敬語を使って先生と話をしています。顧問の先生方にしっかりと躾けられているのがよくわかります。身を美しくと書いて躾です。言葉遣いは人を表すものです。聞いて心地よい言葉を使いこなせることはその人を美しく見せるのは確かです。
 平成30年も師走となりました。来年春には年号が新しくなります。年号が変わることに特別な思いがあるわけではないけれど、私にたくさんの素晴らしいことを残してくれた昭和という時代に感謝して、草田男を真似て一句!

初雪や 昭和は遠く なりにけり

2017年7月27日 (木)

【第488回】 夏のにおい西村 美恵子 (英語)

  ちょっとしたことが理由で何かが癖になったという経験はありませんか。私にはそんな妙な癖があるのです。高校生の頃に見て、大好きになったある洋画の中で、主人公が「雨のにおいがする」と言うと、翌朝大雨が降るというシーンがあったのです。主人公はアメリカ開拓時代にインディアンのある部族の中で生きていたけれども元の世界に戻ろうとする白人女性で、雨のにおいはインディアンの知恵だったわけです。それ以来そんな雨のにおいってどんなだろうととても気になり、空気(大気)のにおいを嗅ぐのが癖になってしまったのです。人間の活動がまだ少ない早朝や夜に外でゆっくりと深呼吸をするのです。そして気付いたことがあります。においは長く記憶に残っているということ。
  残念ながら、雨のにおいは会得できなかったのですが、季節の移り変わりは暦とは別になんとなくわかるような気がするのです。春は桜が散り始めるころから花の香りがしはじめ、そのあとに土のにおいに変わります。そしてしばらくすると、私が一番好きな、夏の夜のにおいがするようになるのです。そのにおいがすると、「ああ、夏が来た」と思うのです。何のにおいなのかと問われても、うまく説明できないのですが、若葉が吐く息のにおいだと想像して、「夏の夜のにおい」と勝手に命名しています。
  夏の夜のにおいがすると、様々な夏のにおいが記憶の中から湧き出してきて、その時、その時の情景とともにあふれ出して、胸の中が懐かしさでいっぱいになります。草むらのにおい、海辺のにおい、プールのにおい、花火のにおい、熱くなったアスファルトのにおい・・・。懐かしい記憶の中のにおいばかりではありません。夏の夜のにおいで生じるもう一つのもの、それは子供の頃夏休みの前にいつも感じていた、これからの夏に対するわくわくする気持ち、それと同じような期待感なのです。懐かしさ、その裏側にある喪失感、そしてわくわくする期待感、それらが混在した気持ちになるのです。梅雨が明けて本格的な夏が始まると夏の夜のにおいではなく、夏のにおいが満ち溢れます。
  4月に新学期が始まる日本では、夏休みは子供にとって(もしかしたら大人にとっても)日常生活を離れ、小さな冒険をしたり、何かを集中して行ったりできる自由時間(異界への旅の時間)なのかもしれません。確かに宿題がたくさんあるだろうけれど、自分の時間ももっとたくさんあります。何をするか、どんな風に過ごすか、自分次第。夏休みが終わると元の暮らしが待っているのですから、9月から新学期になる欧米の子供たちより気楽な気がします。戻るところがあるから旅が楽しいのと同じです。
  異界への旅と言えば、私も遊学館高校で勤務しはじめた翌年の夏、そんな経験をしました。創部2年目で野球部が甲子園出場を決め、私も応援で甲子園球場に初めて訪れたのでした。テレビでは馴染みのある球場でも、実際に行ってみると、何もかも、球場の外さえも珍しく、野球の応援以外でもとても楽しいところで、野球場を英語でballparkと言う理由がわかるような気がしました。夢の世界を訪れている感じでした。私の中にある素敵な夏のにおいの一つ、それが甲子園球場での一日なのです。
  さあ、今年も夏休みが始まりました。諸々の部に所属する生徒たちにとって、日頃よりもずっと長時間の活動ができる期間である上に、高校総体・総文をはじめ、種々の大会、遠征や合宿等々でとても忙しく動き回る時期です。また受験生にとっては、受験に必要な教科の勉強に集中できる重要な時期となります。学生たちにとって、夏休みは自己の向上のための貴重な時間、挑戦のための力を蓄える、または発揮する時期とも言えるでしょう。そうしていつの日か、そんな日々を宝物のように懐かしく思い出される時がきっと来るはずです。それを信じて頑張ってほしいと切に願います。

 

2016年3月 3日 (木)

【第415回】 春よ、来い西村 美恵子 (英語)

   童謡「春よ、来い」を知っていますか。
     春よ、来い。早く来い。
     歩き始めたみいちゃんが、
     赤い鼻緒のじょじょ履いて、
     おんもに出たいと待っている。
歌の中の女の子と同じ名前で呼ばれていた幼い私が、この歌を自分の歌だと思い込んでいたのか、おそらくは生まれて初めて歌っていた歌のように思えるのだ。じょじょという言葉は知らなくても、赤い鼻緒なら、履物だとわかる。“おんも”という語は使っていたから、おんもに出たい気持ちは共感できる。
   それが、童謡「お正月」になると、少し違う。
     もういくつ寝ると、お正月。
     お正月には、凧あげて、独楽を回して遊びましょ。
     早く来い来い、お正月
この歌は自分たちの歌ではない、と子供心にも思っていた。何が違うのかおわかりですか。
   私はここ金沢で生まれ育った。お正月は、みぞれや雪が降るのが当たり前で、凧あげは春にならないとできなかった。もちろん、歩き始めたばかりのみいちゃんよりも、大きくなった子供たちは、雪がたくさん降った後は、外を駆け回り、雪合戦、雪だるまやかまくらづくり、そりやスキーで遊んだりと雪遊びができるのだけれど、それも雪がやんでいる時だけなのだ。冬は、天気が悪くて普通なのだ。春になれば、外で思いっきり遊べる。春にさえなれば・・・。春を待つ気持ちは、日本海側の地域の人々にとって、特に強いのではないだろうか。ちなみに、「春よ、来い」の作詞者は糸魚川出身で、ほかの作品には、「都の西北」など。
   そんな春を待ち望む気持ちは、小学校から始まる学校生活の中で別の意味合いを重ねて行く。春は、卒業・進級・入学・入社などの季節である。その前には受験もある。人との別れがあり、新しい出会いがある。新しい生活がはじまる。不安や期待でパンパンに膨らんだ心に春を待つ気持ちが重なり、息苦しいほど心がざわざわする。いや、正確には、そんなときが私にもあったということなのだが、しかしながら、いまだに、春が近づくと、私にはこの症状が出るのだ。もちろん毎年、3年生が卒業し、新1年生がやって来るわけだから、私はただ見守っているだけなのであるが。
   今年は新年早々、心が一足飛びに春になったかのような素敵なニュースが届いた。
   プロ野球選手をしていた卒業生が、昨年秋、戦力外通告を受けていたのだが、この春から鍼灸学校へ進学、しかも昼間鍼灸院でアルバイトをして生計を立て、夜間部で勉強をするとのこと。けがに泣かされ続け、1軍で思うように活躍できなかった彼の、鍼灸師として選手たちの力になりたいという選択に、心からの拍手を送りたい。一人前の鍼灸師になる春よ、早く来い。
   それと、もうひとつ、正月2日の箱根駅伝で2年続けて山登りをした卒業生が、駅伝部のある企業に就職か決まったとのこと。今後は実業団駅伝にも注目しなければ。彼が社会人としてのスタートを切る春がもうすぐそこまで来ている。
   3月1日遊学館高校を卒業するみんなに素晴らしい春が来ますように。
   4月に遊学館高校に入学する生徒の皆さん、いっしょに良い春を迎えよう。
   みんなみんなにとびっきりの春よ、来い!

2014年10月 2日 (木)

【第346回】 留学生との時間のなかで西村 美恵子 (英語)

毎年ではないけれど、遊学館高校に米国やカナダからの交換留学生が約1年間通学する。お互いの都合(時間割)が合えば、私も彼(または彼女)の日本語の勉強のお手伝いをしている。日本語の勉強よりも、話し相手とか相談相手になる時間の方が長い場合もあるのだけれど。私にとっては、日本語を一つの言語として見直す興味深く、楽しい機会でもあるし、また自分の日本語力と英語力の拙さに打ちのめされたりもして、とても刺激的な時間になる。そして何よりも一人の人間と出会う素敵な時間なのだ。

 何年も前になるが、ある男子留学生が日本での生活をとてもよく心得ている気がして、不思議に思って尋ねたことがあった。彼曰く、「漫画で読んでいたから。」そしてたくさんの日本の漫画のタイトルを並べたてたのだけれど、残念ながら私の知っているものはなかった。彼に限らず、そのあとの留学生たちもみな日本に来るずっと前から日本の漫画を読んでいたとのこと。そういえば、ドラえもんやアンパンマンなどが世界中のテレビで子供たちが見ていると言われていたっけ。確かにのび太の家は平均的日本家屋だし、あんパンやカレーパン、天丼やカツ丼という言葉や形を見て育った子供たちは日本にやって来ても珍しいものは何もないのかもしれない。今や日本と言えば、TOYOTAやSONYばかりでなく、NINTENDOや漫画・アニメーションなのだ。ゲイシャ、フジヤマ、ハラキリが日本のイメージだったなんて知っている私が古すぎるのですね。漫画の彼はとても頭の良い生徒で、私にsmiles(s~sまで1マイルだから)ではない一番長い英単語を教えてくれた。映画メリーポピンズにでてくる呪いの言葉でSupercalifraglisticexpialidocious。彼はこの単語をスラスラと書いてくれた。降参!

 カナダからのある女子留学生は、泉野図書館の英語のペーパーバックを全部読み切りたいと言うほどのbookworm(本の虫:読書家)で小説の話でよく盛り上がったものだが、大学ではフランス語を専攻して教師になりたいと話していた。ただカナダも大学卒業後の就職は簡単ではないらしく、イギリスで就職するかもと言っていた。自分の将来をしっかり見定めている、とてもしっかりした考えをもっていた。それとよく弟の話をしてくれた。字が汚くて、単語のスペルを覚えないとお姉さんらしく心配していた。やはりカナダでも小学生は日本の漢字ドリルのように単語の練習をさせられているのだ。彼女の話の中で一番驚かされたのは、なんと彼女の母方の先祖は、海賊からイギリス海将になりSirの称号をエリザベス1世から与えられたドレイクだったことかも。(高校の世界史の教科書には必ず載っている有名人!)

 コロンビア出身で、母語はスペイン語、幼くして米国に移住して英語はもちろん堪能な女子留学生は日本語の勉強も熱心で、要領よく学習するタイプ。日本語の上達が速い生徒だった。周囲の生徒たちと仲良くなるにつれ、会話は特にメキメキ上手になり、外国語の上達には同年代の友達との付き合いが一番という典型的な例だと痛感した。彼女はバスケットボール部の部活動にも参加していたし、修学旅行や運動会等々の行事を楽しんでいた。仲間がいて初めて楽しめるものだから。私の方は、彼女の日本語クラスのテスト勉強のために、冷や汗流して漢字の書き順を示したり(電子辞書には書き順も載っています)、動詞の活用の練習を手伝ったりしたのだが、「切る」と「着る」はなぜ活用形が違うのかと質問され、絶句!(質問されるまでそのことに気付きもしなったなんて!)また彼女の質問に対して”金沢弁“だからと説明しているうち、彼女は日本語のテキストの問題を解きながら、答えは○○だけど金沢弁だと△△なんて言えるくらい金沢弁の達人になった。そんな彼女がある時「自分はこれまでコロンビア人でスペイン語を話すことに何の不思議もなかったのに、スペインと言う名の行ったこともない知らない国の言葉なのだと思ったら妙な気がした。」とポツリと話したことがあった。どうにも返事のしようがなく切ない!もうひとつ、日本からのお土産には是非ともニンジャブーツを買って帰りたいからどこに売っているかと尋ねられたことがあった。米国の彼女の周りは今ニンジャブームだとは聞いていたので驚きはしなかったけれど、忍者は何をはいていたのだろう???

2013年6月13日 (木)

【第283回】 言葉と言語、そしてワード。西村 美恵子 (英語)

  何かの心理テストなのか、“あなたはこれから無人島に行きます。水や食料など最低必要なもの以外に、何か一つだけ持って行くことができます。あなたなら、何を持って行きたいですか”という問題があった。私は、あれこれ考えることもなく、“本”と答えていた。でもそのあとから、一冊だけなら何にしようとか、せめて数冊は必要だとか、真剣に悩んだりして。でも、今なら迷うことなく答えるだろう、“電子辞書”。

  私の持っている電子辞書は、一つは英語専門のものだが、もう一つはいつも授業に持って行く高校生向けのもの。それは日本語、英語関連の辞書ばかりでなく、社会や理科の各教科の用語集や小辞典、数学の公式集、百人一首にクラッシック音楽の一節、百科事典、ラジオ英語会話に数か国語のトラベル会話集等々、書ききれないくらい盛りだくさんの電子辞書である。私が高校生の時にこれを持っていたなら、もっと勉強していただろうに。

  その電子辞書の中で一番のお気に入りは、広辞苑。24万項目以上とかで、動植物の写真や図、野鳥などは鳴き声までも収録されている、もはや百科事典である。何か気になることがあると、まずは広辞苑から。例えば、自分自身が知っているつもりの日本語がどうも怪しいと思うとき。それに日々漢字も危うくなっているし。また広辞苑に載っていなければ金沢弁なのだと納得したり、流行りの言葉が載っていたら、ついに日本語になったかと複雑な気持ちになったり。カタカナ語もたくさん載っている。英語をそのままカタカナにしたものもあれば、いわゆる和製英語も載っている。そういえば、私はずっとワイシャツはTシャツのようにYシャツのことで、このYは襟の形なんだと思い込んでいた。宮永先生に“それは音からですよ。”と教えられた。white shirtが、ホワイトの強く発音される部分のワイだけが聞こえてできた言葉なのだ。広辞苑にもそのような説明が載っていた。同じ例は、かなり前になるが、小麦粉をメリケン粉と呼んでいたことがあった。メリケンはAmericanからきたのだろうと想像がついた。広辞苑によると、国産の小麦から作ったものはうどん粉、アメリカ産の小麦からのほうはメリケン粉と区別したとか。言葉は時代とともにあるものなのだとしみじみ感じさせる。言葉に限っても、知っているつもりでも、実は未だに知らないことはたくさんある。知らないことに気付いていないことはさらにたくさんあるだろう。だから知ることは邂逅であり、うれしいこと、幸せなことなのだ。

  もともと日本語は外国語である漢字を文字として使用したのだから、言葉(中国語)もたくさん入ってきた。和語がもともとの日本語、漢語が中国語から来た言葉(音読み)。それに和語に同じ意味の漢字を当てて表した言葉(訓読み)。また日本に入った時期により漢字の音も漢音、呉音,唐音などがありそれも忠実に読み方に取り入れた。(漢字一文字を一音だけに限定して用いた韓国語がうらやましくなるところだが)日本で作られた漢語もある。そのうえ外来語である。古いものは漢字が当てられていたりするがほとんどがカタカナ語である。特に文を書くとき、漢字、ひらがな、カタカナと3種類の文字を使い分けなければならない。その上アルファベット文字も用いられている。留学生に日本語を教えていて一番気の毒に感じるのはこの使い分けである。言葉の由来を想像できないとわけられないだろう。英語のカタカナ語は英語を母語にする人にすぐに理解してもらえる気がするが、実際はアクセントや音が違いすぎて元の英語に気付いてもらえないようだ。でもこのことは日本人の学生も実は大差ないことのように思える。生まれた時から多くの外来語の物と言葉に囲まれて生きてきて、どれが元々の日本語か、外来語かなどと音だけで判断できるだろうか。それは学生に限らず、日本人すべてに言えることだろう。

  言葉は誰にとってもはじめは音である。しかしながら、成長するにつれて文字を学び、いわゆる読み書きができるようになっていく。つまり母語でさえも、しっかり学習しないと、正しく言葉を使うことはできないのだ。日本語では漢字の読み書きに加え、カタカナ語の意味を正確に把握する必要がある。カタカナ語検定なんてどうでしょう。

  英語を教えていて、英語と日本語の間を行ったり来たりしていると、言葉遣いのちょっとした違いが気になってしようがない。一種の職業病かも。そのため増々重くなっていくのでしょうか、私の電子辞書依存症!

2012年2月16日 (木)

【第220回】 英語、好き?西村 美恵子 (英語)

 時々私は生徒たちに尋ねる。“英語、好き?”

”うーん、やっぱり自分で文の意味考えてわかったらうれしいし、好きかなー。“
(そうそう、できたらうれしいよね。)“好きとかじゃなくて、受験に必要だから・・・。”(現実的ですね。)“嫌い!難しい単語はたくさんあるし、意味が変わる語もあるし、文法もいろいろあって全部覚えきれない!”(まったくその通りですね。でも日本語も同じだと思いませんか?)“俺日本人だし、日本語できるからいい!”(なんて寂しいことを言ってんの。日本語の中にたくさん入っているカタカナ語、意味わかって使っているの?コンピューター用語は英語じゃないの。日本人の生活がどれほど多くの英語に囲まれていることか、ゲームだって、インターネットだって。そのうえネットでは世界と繋がっているし。)

 英語を教えている者として当然のことながら、英語がすきだと聞くとうれしいのだが、私自身中高生だった頃英語が得意科目でもなく、好きでもなかった。けれども英語の勉強は一生懸命していた。子供のころテレビでよくアメリカのドラマや映画を見ていて、ほとんどが吹き替えだったけれど予告の部分では英語が流れたりした。そんなわからない言葉がわかる人になりたいなと漠然と思っていた。高校生の頃、私の大好きだったものは洋画(もちろん字幕で見ました)と洋楽だった。当時映画はほとんど二本立てで客の入れ替えがなかったので、あるとき朝から映画館に入って大好きな映画を3回見たこともあった。(続けて5本の映画を見たことになる。家庭用ビデオはまだなかった時代ですから)。またある映画のサウンドトラックレコードを買って、歌詞カードの英語をすべてノートに写してわからない語句の意味を調べたりして覚えて口ずさんでいた。映画のせりふや歌を聞いてすぐ理解できるようになりたい・・・そんな思いだけで英語を勉強していた。せりふも歌も、学校で習う英語も、受験の英語もすべて同じ英語なのだから、英語の勉強はあまり苦にならなかった。例えば英文を読んでいて、ある歌の歌詞で覚えた語に出会うと、うれしくなって、その歌が頭の中を回りだすといった風に。英語が使われている世界と私を結ぶ道具が英語であった。好き嫌いではなく、どうしても必要な道具であった。

 言葉は習慣の一つだから、誰もが母語を何の苦労も無く身に付ける。けれども母語であっても、たくさんの言葉の意味を知り、覚え、そして使い方を学び続けるものである。まして習慣として身に付けることのない外国語である。習慣に代わる地道な努力や訓練なくして使えるようにはならない。しかし、机の前で鉢巻締めて勉強してというよりも(それも必要だけれど)見たり聞いたり読んだり口に出してみたり、五感すべて用いて楽しみながら覚えればよいのではないだろうか。言葉は道具である。道具は使うためにあるのであって、その道具を身に付ければその先に今までとは違う別の世界が広がっているといえるだろう。道具の種類は様々で、自分の望むものを身に付ければよいのである。中学の3年間で英語の基礎を学ぶ。いわゆる日常会話といわれているレベルだ。使える道具にするためには習って、慣れること・・つまりは使い続けることが肝心である。

 中学高校と6年間も学び続ける教科なのだから英語を使える道具として身に付けてほしい。そしてもっと広い世界を体験してほしい。私が生徒たちに尋ねる“英語、好き?”とは本当は“英語で何がしたい?”だったり“英語、楽しもうよ”なのである。

 そんな私でも、これまでに英語が大好きと思ったことが2度あった。大学1年で第2外国語としてドイツ語を学んだ時。英語がいかに簡略化された言語であるかを思い知ったわけだ。簡単になったから世界語になれたのかもしれない。そしてもう一度は、初めて乗った国際便の飛行機の中、周りはほとんどすべて中国人で、わけのわからない言葉にずっと囲まれていて悲しくなっていると、フライトアテンダント(当時はスチュワーデスと呼んでいたが)が英語で話しかけてくれた時。英語が懐かしく感じられて、意味がわかることがうれしくて、ありがたく思えた。そう考えてみると、好きだからここまで英語にかかわって生きて来られたのかもしれない。Yes, I love English very much!

2011年2月 9日 (水)

【第170回】私のなかの遊学館高校西村 美恵子 (英語)

 第一印象
 遊学館高校に初めて野球部ができた同じ年に私もこの学校で講師として勤務を始めた。
もう10年も前のことになる。その時にこの学校の印象はと尋ねられ、私は、生徒たちがとても生き生きしていると答えたように記憶している。
けれども実はそれが私のこの学校に対する第一印象というわけではない。
その頃の私は懐かしさでいっぱいであった。

 私には5歳年上の姉がいる。
その姉が金城高校に入学した時、私はまだ小学生であった。
つまり生まれて初めて身近に感じた高校が金城高校だった。
姉はよく学校の話を家族にしてくれた。
ニロウ先生と校長先生を呼んでいたので、名前で呼んでもいいのかと子供心にもびっくりした。
そのニロウ先生が突然お亡くなりになり、それでアキラ先生が次の校長になられた。
やっぱり名前で呼ぶのだと妙に納得していた。

またクラスメイトの話もよくしてくれた。
石川県中から生徒が集まってきているのでそれぞれ方言やちょっとした習慣文化が違っていたりする。
それを楽しんでいた。話をしながら笑いこけている姉を見て私も楽しかった。
休みになると大勢の友達が家に押し掛けてきたりしていた。
姉はたくさんの友達に囲まれていた。みんなとても仲が良かった。
またある年の文化祭には、母に連れられ食堂みたいなところでうどんを食べた。
もちろんウエートレスとしてうどんを運んできたのは姉であった。
姉だけではなくどの生徒も生き生きしていて立派な大人に見えた。

 第二印象
 それから30年以上の月日が流れ、私は、男女共学の遊学館高校になったこの学校と縁があって再会をした。
姉と同じ制服姿を見るだけで懐かしかった。
そしてあの頃姉を通してぼんやりと感じていたのと同じものが今なおこの学校にあることを実感した。
それはこの学校が一つの大きな家であり、生徒も職員もみんなが家族の一員だという雰囲気である。
この学校に勤め始めてから一番驚かされたのは、訪ねてくる卒業生の多さであった。
まるで故郷の実家である。赤ちゃんを連れてくる卒業生もたくさんいる。

 毎日の大切さ
 高校受験を控えた子供を持つ人に、遊学館高校の良いところはと尋ねられたことがある。
私は迷うことなく“生活指導が徹底して行われているところです”と答えた。
教育現場の荒廃などと言われ始めて久しいけれども、この学校にはそれを感じさせるものは全くと言えるほどない。
何十年たっても変わらない雰囲気がその証である。
そしてそのために諸先生方が親身になって生徒たちと向き合って下さっているのである。
指導は地道に続けなければ効果は出ないものである。
一日一日を大切にするという姿勢が徹底しているのである。
その結果として、みんなが快適に、安全に、学び、生活する学校という環境が築かれている。
そんな場所だからこそ、いろいろな分野で活躍する生徒たちが出てくるのである。

 たくさんのスーパー高校生たち
 私の今年の初感動は、お正月の箱根駅伝に初めて遊学館出身の選手が出場したことである。
年末に京都の高校駅伝大会を観戦し、選手たちの活躍を観たすぐ後だったので、本当にうれしかった。
駅伝ばかりでなく、いろいろな分野で卒業生も活躍しているのを知るとうれしいものである。
遊学館には日頃の厳しい練習に頑張るたくさんのスーパー高校生がいる、いろいろな試合、大会、発表会等々でいつも私に感動を与えてくれる。
そして毎日私に元気を与えてくれる、明るく溌剌としたスーパーな高校生たちがいる。
“うちの生徒はみんないい子で”と、私は親ばかぶりを発揮しているこの頃である。