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2012年2月16日 (木)

【第220回】 英語、好き?西村 美恵子 (英語)

 時々私は生徒たちに尋ねる。“英語、好き?”

”うーん、やっぱり自分で文の意味考えてわかったらうれしいし、好きかなー。“
(そうそう、できたらうれしいよね。)“好きとかじゃなくて、受験に必要だから・・・。”(現実的ですね。)“嫌い!難しい単語はたくさんあるし、意味が変わる語もあるし、文法もいろいろあって全部覚えきれない!”(まったくその通りですね。でも日本語も同じだと思いませんか?)“俺日本人だし、日本語できるからいい!”(なんて寂しいことを言ってんの。日本語の中にたくさん入っているカタカナ語、意味わかって使っているの?コンピューター用語は英語じゃないの。日本人の生活がどれほど多くの英語に囲まれていることか、ゲームだって、インターネットだって。そのうえネットでは世界と繋がっているし。)

 英語を教えている者として当然のことながら、英語がすきだと聞くとうれしいのだが、私自身中高生だった頃英語が得意科目でもなく、好きでもなかった。けれども英語の勉強は一生懸命していた。子供のころテレビでよくアメリカのドラマや映画を見ていて、ほとんどが吹き替えだったけれど予告の部分では英語が流れたりした。そんなわからない言葉がわかる人になりたいなと漠然と思っていた。高校生の頃、私の大好きだったものは洋画(もちろん字幕で見ました)と洋楽だった。当時映画はほとんど二本立てで客の入れ替えがなかったので、あるとき朝から映画館に入って大好きな映画を3回見たこともあった。(続けて5本の映画を見たことになる。家庭用ビデオはまだなかった時代ですから)。またある映画のサウンドトラックレコードを買って、歌詞カードの英語をすべてノートに写してわからない語句の意味を調べたりして覚えて口ずさんでいた。映画のせりふや歌を聞いてすぐ理解できるようになりたい・・・そんな思いだけで英語を勉強していた。せりふも歌も、学校で習う英語も、受験の英語もすべて同じ英語なのだから、英語の勉強はあまり苦にならなかった。例えば英文を読んでいて、ある歌の歌詞で覚えた語に出会うと、うれしくなって、その歌が頭の中を回りだすといった風に。英語が使われている世界と私を結ぶ道具が英語であった。好き嫌いではなく、どうしても必要な道具であった。

 言葉は習慣の一つだから、誰もが母語を何の苦労も無く身に付ける。けれども母語であっても、たくさんの言葉の意味を知り、覚え、そして使い方を学び続けるものである。まして習慣として身に付けることのない外国語である。習慣に代わる地道な努力や訓練なくして使えるようにはならない。しかし、机の前で鉢巻締めて勉強してというよりも(それも必要だけれど)見たり聞いたり読んだり口に出してみたり、五感すべて用いて楽しみながら覚えればよいのではないだろうか。言葉は道具である。道具は使うためにあるのであって、その道具を身に付ければその先に今までとは違う別の世界が広がっているといえるだろう。道具の種類は様々で、自分の望むものを身に付ければよいのである。中学の3年間で英語の基礎を学ぶ。いわゆる日常会話といわれているレベルだ。使える道具にするためには習って、慣れること・・つまりは使い続けることが肝心である。

 中学高校と6年間も学び続ける教科なのだから英語を使える道具として身に付けてほしい。そしてもっと広い世界を体験してほしい。私が生徒たちに尋ねる“英語、好き?”とは本当は“英語で何がしたい?”だったり“英語、楽しもうよ”なのである。

 そんな私でも、これまでに英語が大好きと思ったことが2度あった。大学1年で第2外国語としてドイツ語を学んだ時。英語がいかに簡略化された言語であるかを思い知ったわけだ。簡単になったから世界語になれたのかもしれない。そしてもう一度は、初めて乗った国際便の飛行機の中、周りはほとんどすべて中国人で、わけのわからない言葉にずっと囲まれていて悲しくなっていると、フライトアテンダント(当時はスチュワーデスと呼んでいたが)が英語で話しかけてくれた時。英語が懐かしく感じられて、意味がわかることがうれしくて、ありがたく思えた。そう考えてみると、好きだからここまで英語にかかわって生きて来られたのかもしれない。Yes, I love English very much!

2011年2月 9日 (水)

【第170回】私のなかの遊学館高校西村 美恵子 (英語)

 第一印象
 遊学館高校に初めて野球部ができた同じ年に私もこの学校で講師として勤務を始めた。
もう10年も前のことになる。その時にこの学校の印象はと尋ねられ、私は、生徒たちがとても生き生きしていると答えたように記憶している。
けれども実はそれが私のこの学校に対する第一印象というわけではない。
その頃の私は懐かしさでいっぱいであった。

 私には5歳年上の姉がいる。
その姉が金城高校に入学した時、私はまだ小学生であった。
つまり生まれて初めて身近に感じた高校が金城高校だった。
姉はよく学校の話を家族にしてくれた。
ニロウ先生と校長先生を呼んでいたので、名前で呼んでもいいのかと子供心にもびっくりした。
そのニロウ先生が突然お亡くなりになり、それでアキラ先生が次の校長になられた。
やっぱり名前で呼ぶのだと妙に納得していた。

またクラスメイトの話もよくしてくれた。
石川県中から生徒が集まってきているのでそれぞれ方言やちょっとした習慣文化が違っていたりする。
それを楽しんでいた。話をしながら笑いこけている姉を見て私も楽しかった。
休みになると大勢の友達が家に押し掛けてきたりしていた。
姉はたくさんの友達に囲まれていた。みんなとても仲が良かった。
またある年の文化祭には、母に連れられ食堂みたいなところでうどんを食べた。
もちろんウエートレスとしてうどんを運んできたのは姉であった。
姉だけではなくどの生徒も生き生きしていて立派な大人に見えた。

 第二印象
 それから30年以上の月日が流れ、私は、男女共学の遊学館高校になったこの学校と縁があって再会をした。
姉と同じ制服姿を見るだけで懐かしかった。
そしてあの頃姉を通してぼんやりと感じていたのと同じものが今なおこの学校にあることを実感した。
それはこの学校が一つの大きな家であり、生徒も職員もみんなが家族の一員だという雰囲気である。
この学校に勤め始めてから一番驚かされたのは、訪ねてくる卒業生の多さであった。
まるで故郷の実家である。赤ちゃんを連れてくる卒業生もたくさんいる。

 毎日の大切さ
 高校受験を控えた子供を持つ人に、遊学館高校の良いところはと尋ねられたことがある。
私は迷うことなく“生活指導が徹底して行われているところです”と答えた。
教育現場の荒廃などと言われ始めて久しいけれども、この学校にはそれを感じさせるものは全くと言えるほどない。
何十年たっても変わらない雰囲気がその証である。
そしてそのために諸先生方が親身になって生徒たちと向き合って下さっているのである。
指導は地道に続けなければ効果は出ないものである。
一日一日を大切にするという姿勢が徹底しているのである。
その結果として、みんなが快適に、安全に、学び、生活する学校という環境が築かれている。
そんな場所だからこそ、いろいろな分野で活躍する生徒たちが出てくるのである。

 たくさんのスーパー高校生たち
 私の今年の初感動は、お正月の箱根駅伝に初めて遊学館出身の選手が出場したことである。
年末に京都の高校駅伝大会を観戦し、選手たちの活躍を観たすぐ後だったので、本当にうれしかった。
駅伝ばかりでなく、いろいろな分野で卒業生も活躍しているのを知るとうれしいものである。
遊学館には日頃の厳しい練習に頑張るたくさんのスーパー高校生がいる、いろいろな試合、大会、発表会等々でいつも私に感動を与えてくれる。
そして毎日私に元気を与えてくれる、明るく溌剌としたスーパーな高校生たちがいる。
“うちの生徒はみんないい子で”と、私は親ばかぶりを発揮しているこの頃である。