2014年9月18日 (木)

【第344回】 身近な歴史を求めてN. M. (地歴・公民)

 金沢の街を歩くと、様々な「文字」が目に入ってきます。お店の看板、飲食店のメニュー、イベントの告知・・・実に多くの文字情報があり、道行く人々の興味を誘っているように感じます。そんな文字情報の中で私の興味を引くのが「地名」です。

 私は今年4月の本校着任にともない、金沢に住むようになりました。その前は奈良県で過ごしていました。歴史学(古代史・考古学)を専攻していた私にとって地名は現在に古の歴史を伝える身近な文化財です。  奈良や京都は古代に都が置かれ歴史の舞台となっており、奈良市大安寺町や京都市上京区晴明町といった古代の寺院(大安寺)や人物(安倍晴明)に関わる地名が現在でも残っています。宅地やビルのある場所であっても、地名を見ることでその場所がかつてどのような人々の営みがあったのかを垣間見ることができます。そのため、私は時間があるとき街を歩いて(時には自転車で)回り、地名探訪を行っています。

 金沢は江戸時代の「加賀百万石」と言われた前田氏の城下町というだけあって、実に多くの武家や町人に関わる地名が残っています。金沢城公園の北には大手町があり、この場所が金沢城の正面であったことが分かります。少し東に目をやると、材木町がありすぐ横を浅野川が流れていることから、日本海を経由したり、金沢郊外で切り出されたりした材木がこの場所に集められるか、加工場があったのではないかと推測することができます。金沢は幸いなことに、地名の由来が記された石碑が建立されており、その場所がかつてどのような人々の営みがあったのか知ることができます。

 本校の位置する金沢市本多町もその由来を探ると、江戸時代初期に加賀藩に仕えていた家老本多氏の屋敷があったことに由来しています。屋敷自体は北陸放送社屋周辺にあったようですが、屋敷周辺には本多氏を支える家臣の住居や武道を磨くための施設があったかもしれません。遊学館の地下にも江戸時代に遡る遺構(建物跡)や遺物(土器や生活用具)が眠っているかもしれません。

 歴史は博物館や遺跡で展示物を見たり、本で知識を得たりするだけではなく、日常の中の目に付くところにもあります。その最たるものが地名です。
 遊学館の生徒は毎日の登下校で金沢の街を行き交っています。通学路で通る地名や住んでいる地域の地名に目を向けて、「この地名の由来ってなんだろう?」と興味を持つ機会は生徒全員にあると思います。一度、自分の住んでいる地名の由来を調べて、地名の背後にある昔の人の生活を垣間見てはいかがでしょうか。

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本多町の由来を示す石碑(北陸放送前)

2014年9月11日 (木)

【第343回】 『日本』N. H. (保健体育)

今年も暑い夏がやってきましたが、例年とは少し様子が違った夏だったように感じます。また、毎年実施される各地における各種のイベントなど日本は、(なんと平和な国なんだ)と感謝せざるをえません。世界では、さまざまな不幸が起こっていますが、日本は世界とは何か違うような気がします。平和な毎日が当たり前になり、身勝手な言動や不平不満ばかりで、ストレスが蓄積し、自分を見失うような状況に追い込まれてしまい、残念な結果を招いてしまうことが、多くなってきているように感じます。自分のことは大切ですが、周囲に目を向け、冷静になり、他人のために自分が今何ができるかを考えることも重要ではないでしょうか。

 まだまだ未熟者ですが、平和で幸せな環境にある自分を見つめ直し、客観的な立場から物事が正しく判断できるようになっていきたいものです。

2014年9月 4日 (木)

【第342回】 奇跡の大逆転中川 光雄 (保健体育)

 今年の全国高等学校野球選手権石川大会は、星稜高校が8回まで8対0で負けている状況から9回裏に9点をとり、大逆転で甲子園出場を決めました。 奇跡の大逆転といっても過言ではありません。全国的にも話題になった試合でした。

 我が野球部はというと、善戦したものの準決勝で敗退しました。今までの先輩方からの成績から比べると今ひとつと思われる方もいると思います。しかし、この大会で我が野球部にも奇跡の大逆転がありました。

 我が野球部の初戦。4対3で勝利。9回表に逆転して辛勝。その試合です。初戦の相手は金沢西高校。序盤はこちらのチャンスが多いものの点が入らす、中盤の6回表にようやく先制点を奪ったが、その後はずっと相手のペース。6,7,8回と点数を奪われ逆転。攻撃できるのはわずか最終回を残すだけとなりました。ここで代打攻勢にでます。先頭バッターが初球にセフティーバントを試みるも相手の好フィールディングでアウト。二人目の代打は止めたバットにボールが当たり、ボテボテゴロのアウト。簡単にツーアウトをとられてしまい、完全に相手の流れで最後のバッターを迎えました。

 我が野球部は創部以来夏の大会の初戦敗退はありません。創部から13年間で決勝進出が10回(うち5回優勝)。準決勝敗退2回。準々決勝敗退が1回。初戦で苦しみながらの勝利は何回か経験したことがありますが、大会序盤で姿を消したことはありません。この試合は9回ツーアウト、ランナー無しという絶体絶命の窮地に陥りました。

 ここで最後となるかもしれない場面で代打に起用されたのが左打者の3年生です。この選手の特長は真ん中からインコースの球をおもいっきり引っ張ってライトにホームランを打つことができることです。しかし、外の球や落ちる球、どんな球でも強引に引っ張ってしまい、凡打を重ねてしまうという悪い癖もありました。この選手は2年生の時から決勝戦でも先発メンバーとして起用され、このチームでも期待していた選手です。これまで数多く出場していたことから対戦相手チームにもよく研究され、彼をアウトにするための配球が確立されていました。この1年間、彼はこの悪い癖をなくすため、全体練習はもちろん自主練習でも打撃練習に力を入れてきました。
 この場面、相手バッテリーも最後のバッターを慎重に打ち取るリードをしてきました。絶対に長打を打たせたくない。ましてやホームランで同点は絶対に避けたいので、この選手の得意である真ん中からインコースへはストライクを絶対に投げない。打たれても最低限のヒットで済むアウトコース中心という最高の配球で勝負してきました。ツーストライクと追い込まれ相手スタンドの応援は「あと一人」コールから「あと一球」コールに変わりました。

 これまで野球を経験したことがある人はわかると思いますが、最終回に点差が離れて負けていてもノーアウトやワンアウトであれば自分がアウトでもまだゲームセットではない、ということで自分の力を発揮することが可能です。しかし、これがツーアウトしかもツーストライクまで追い込まれ、さらに周りからあと一球コールが鳴りやまない中の打席で、最大限の力を発揮させることは並大抵のことではありません。

 この選手は粘りに粘って、最後は外のストレートをいつもならひっかけるところを自然と逆方向のレフト方向に打ち返しました。結果はレフトオーバーのツーベースヒット。あと1本ヒットが出るとたちまち同点という場面に持ち込みました。

 極限の状態に追い込まれた場合は今まで積み重ねてきたことが自然と出るものです。というか自然と出るほどまでに、彼はこの1年で見事自分の悪い癖を修正し、この場面で成果を出してくれました。まさしく大逆転です。さらに言えば、この選手が夏の大会でメンバーに入るために与えられたチャンスは大会直前の練習試合における代打での1打席のみ。この場面でも彼は真ん中の球を逆らわずにセンターオーバーのツーベースを打ち、大逆転でメンバー入りを果たしています。

 「練習とはできないことをできるようにするために努力すること。できることばかりを続けることが練習ではない」と常々選手たちは私達指導者から言われ続けています。
 この選手がこの夏に出した結果はまさしくこのことであり、野球部全員が彼のプレーを称賛しました。この2打席の結果はこれまで彼を支え続けた3年生のサポーターや一緒にプレーしてきた3年生、さらにはその苦悩と努力を見続けてきた下級生の心に響くものでした。
 この試合はその後、執念で他の選手も彼に続き、見事に誰一人アウトになることなく、大逆転で勝利しました。今後の遊学館野球部にとって価値のある戦い方をしてくれました。

 もうすぐ新チームが秋の県大会を迎えます。この試合を経験し、夏のリベンジに燃えている選手達。自分もこの先輩のように課題を克服し大逆転でメンバーに入りたいと、この夏必死になって練習してきた選手達。いつかはメンバーに入ってやると地道に課題練習を取り組む選手達。そんなメンバー達をしっかりバックアップしてくれているマネージャー達。
 この集団で遊学館野球部の新たなる挑戦が始まります。

2014年8月28日 (木)

【第342回】 夏休みを振り返って中川 都 (国語)

 今日は8月27日、もうすぐ夏休みが終わります。 今年の夏休み、勉強合宿に参加しました。2年生の特進クラスの生徒を対象にした毎年恒例の合宿で、今年は7月30日から3泊4日の日程で、実施されました。

 暑かった・・・。訪れた合宿先にはエアコンがなく、扇風機があるだけです。生徒たちは玉の汗をかきながら、午前中は9時から12時まで、50分の昼休憩をはさみ、午後は5時まで授業を受けます。夕食後は7時から10時まで自主学習に取り組みました。  厳しい暑さの中、勉強に取り組む生徒たちを見ていて、勉強は自分でするものですが、自分と同じように共にがんばる友達がいる環境であったからこそ、暑い中でも、当たり前のように勉強に取り組めたのだと思いました。  そして、この経験を通して、クラスの親睦を深め、お互いに切磋琢磨しながら、自分たちの進路目標を達成していってほしいと思いました。

 夏休み、毎日学校に来て勉強している生徒たちがいます。部活動に取り組む生徒たちがいます。その中で、毎日学校を掃除してくれた生徒たちがいます。遊学館には素敵な生徒がたくさんいます。 この夏休みに一生懸命に取り組んだ彼らの努力は、良い結果につながると信じています。

2014年8月21日 (木)

【第341回】 シンボルツリーを見あげて・・・鳥畠 正明 (理科)

 初めて本校を訪れたとき、中庭(丁度校舎の中心辺り)に大きな木が聳えているのが目に入った。見た瞬間に榎(エノキ)だと思った。そう樹名に詳しい訳ではないのだが、偶然、前々任校の校木が榎でその姿は見慣れていた。
 ただこれ程までに大きい榎は初めてだった。葉っぱを落とした枝を一杯に広げて悠然とたたずんでいる。即座に、シンボルツリーと言う言葉が頭に浮かんだ。
 言葉だけなら、当然ずっと以前から知っていた。けれども、実際にそれにぴたりと符合する風景を見た事はなかった。
 それが目前に現出していた。
 年若い生徒諸君には、ただ、中庭にある大きな木か・・・ぐらいにしか思えないかもしれない。けれども、ちょっと考えて見て欲しい。この木はいつからここにいるのだろう。
 最初から大木であったはずはない。植えられたときには、せいぜい、人の背丈くらい。ひょっとしたら、もっと小さかったかも知れない。それから何十年、おそらくは、百年近い年月を経てこの大きな木に育った。そして、初めてこの地に根を広げ始めたとき、そこにすでに本校はあったのだ。
 そして、本校と共に育ってきた。ずっと生徒を見守り続けてきた。あなたの祖母を、母を、ひょっとしたら曾祖母を見ていたかも知れない。

 木が育つのは、まことに人の育つのと似ている。一月や一年程度では、しっかりとその成長を見ることは難しい。けれども、生きている限り、少しずつ少しずつ天に向かって伸びている。そして、いつの間にか、仰ぎ見るばかりの大木となる。
 人も同様に、少しずつ少しずつ成長する。一ヶ月やそこらでは、成長は目に見えない。だけれども、確実に成長し続けている。
 ましてや、年若い頃は一番伸び率が大きい。だからこそ、しっかりと自分に栄養分を与え、大きく育たさねばいけないときだろう。他の木と比べる必要はない。昨日の、いや一年前の自分からどれだけ伸びたかが、勝負だ。少し長いスパンで物事を考え、自分を放り出さずにコツコツと学び続ける。それを大切にしていって欲しい。

 決して広くはない校地だが、本校には随分と多くの木々(それも年を経た)がある。緑を大切にしてきた先人の想いに崇敬の念を禁じ得ない。

260821