2024年8月29日 (木)

【第850回】「心にズキューン!」N. A. (保健体育)

私の心にズキューンと来た話を4つ聞いてください。

①先日、体育の時間に外に置いてあるバケツが倒れているのを直していると野球部2年生
左利きピッチャーの生徒が手伝ってくれました。ありがとう!と言うと彼は
「もちろんです!野球部なんで!」
と言い私の心の中にズキューンと刺さりました。
部活に所属している事に誇りを持ち胸を張って「〇〇部なので!」と言える生徒に
久しぶりに会いました。こんな生徒が是非増えてほしいです!

②昨年、卒業式の校歌斉唱をいくつかの運動部に歌ってもらいました。
甲子園や全国大会をイメージさせるような大合唱を聞いた時、私の心にズキューーンと刺さりました。エネルギーがエネルギーを呼び、部活動で高めあい、頑張って歌う事を
恥ずかしがっている方が恥ずかしい空気感に包まれていました。このパワーが日頃から発揮されれば学校はどんどん良くなる!そんな感覚にしてくれました。

③体育での体操の時に体育委員が体操をしてくれると思います。女子卓球部の生徒は体操で
「1・2・3・4!」と大きな声で掛け声をかけてくれます。皆さんは「5・6・7・8」と返ってこなかったらどんな気持ちでしょうか。恥ずかしい?つらい?面倒くさい?
女子卓球部の生徒はなんと自分で「5・6・7・8」と掛け声をかけ
私の心にズキューーーンと刺さりました。
全国制覇を狙う子供たちの対応力・頑張る姿に自分自身が学ばせてもらいました。

④サッカー部の3年生でケガをしてしまった生徒がいます。もともとキャプテンをしていた生徒で元気よく挨拶をしてくれ、活発なイメージです。他のサッカー部員は知らないかもしれませんが、その生徒は同じ部員が怒られている場に居合わせると、代わりに部員がすみませんと伝えたり、〇〇がご迷惑をおかけしました。と言っているのを何度も見たことがあります。
その彼の姿を見た時、心にズキューーーーンと刺さりました。
チームのためにプライドを捨て行動できる彼はまさに漢だなと感じます。

 「集団心理」という物があります。
大勢の意見に流されたり、周りがしていないと自分がするのは恥ずかしい・しなくていい、周りがしてるからする・周りと合わせないと恥ずかしいそんな感情になります。
この集団心理は良い方向に働くこともあれば、悪い方向に働くこともある。

嫌な事を書くつもりはないですが悪い方向に働いていることは非常に多くある。
1人ぼっちだとしても正しい選択・行動をすることが出来る。
そんな集団が増えていき、良くない行動をする人が逆に浮いてしまう雰囲気を学校に作っていきたい。そして、お互いを高めあい一生付き合っていく仲間を是非つくってほしいです。

来年もズキューンな教員ブログを書きたいと思っている。
そして、私もズキューンを与えられる教員になっていきたい。
生徒の皆さんありがとう。

2024年8月22日 (木)

【第849回】「日本語を教えていると・・・・・・」西村 美恵子 (英語)

 遊学館高校でケニヤからの留学生に日本語を教え始めて4年になります。
日本語を教えるとはどんなことをしているのだろう、と思ったことはありませんか。
私の日本語教室では、はじめに、日本語の簡単な挨拶の言葉と、身の回りの事物、動作、様子を表す言葉など日常生活で出会う言葉(名詞、動詞、形容詞)を学びます。日付、時間、曜日は学生の生活ではすぐ必要となる事柄ですので、数の読み方、月の言い方、日にちの言い方(一日から十日までがとても難しい)、曜日の言い方を練習します。天気を表す言葉も暮らしには欠かせません。言葉を学ぶと同時に、それらを用いて質問に答える練習もして、簡単な文を言う練習をします。しばらくは日本語を音だけで学習します。日本語の母音は数が少ないほうなので難しくはありませんが、「っ」や伸ばす音、高低アクセントがあり学習者には難しいものです。そのあと、文字の学習をはじめます。ひらがなとカタカナを読む練習をして、文を読めるようにします。そうすれば、テキストを読んだり、問題を解いたりができます。
 ここで思い出してみてください。私たちはどうやって日本語を学んだのでしょうか。おそらくほとんどの人が小学校入学前にひらがなとカタカナを書く練習をしたのではないでしょうか。中には少し漢字を勉強している子もいたかもしれません。つまり日本に生まれ、育った私たちは、日本語の文字の練習を生まれてから5~6年で始めますが、そのころには幼いながらもみな日本語を聞いたり話したりできるようになっています。確かに語彙数はまだまだ少ないですが、日本語を使えます。どうやって身に付けたかさえも覚えていないけれども、聞いて理解できて、話すことができる、それが母語というものです。母語話者が、学習ではなく、習慣の積み重ねで(長い時間慣れ親しんで)身についてしまった言葉の使い方、これがそれを外国語として学ぶ時にはとても難しいところになります。
 日本語の初級学習者が特に難しいと感じるのは、日本語の助詞(が、の、に、を、と、へ、で、は…等々)の使い方と動詞の活用だと思います。例えば、“ わたしは かぞく(1   )とうきょう(2  )しんかんせん(3  )いきます。” 1~3に助詞を入れて文を完成させるという問題。私たちにとって当たり前すぎて考えるまでもないことなのですが、助詞は使う時の意味(何を示すためのものか)が複数あるので、初級学習者は混乱してしまうようです。また動詞の活用では 例えば“こないで”“きます”“くれば”“くる時に”“こっちにこい”。これらも日本語を母語とする私たちは難なく言えますが、型(パターン)があっても動詞の数が多いですから、学習者は何度も口にして、耳でも覚えることが必要なのです。
 日本語を教えていていつも思うことは、自分が日頃当たり前に使っている母語をいかに知らないか、言葉の説明をすることがいかに難しいかということです。日本語を教えているとたくさんのことを気付かせてもらっています。

2024年8月15日 (木)

【第848回】「出会い」中村 ゆかり (国語)

 先日、県図書館協議会主催の合同読書会に助言講師として参加する機会を得た。
合同読書会は助言講師が課題として提示した図書を読み、感想を始め、個々人の考えをぶつけ合って「読み」を楽しむ研修会である。会に参加希望をする県下の高校生が一堂に会して、それぞれ選んだ分科会にて侃々諤々(かんかんがくがく)の議論を重ねる。ここ数年は様々な事情のため、参加を希望する生徒の数が減っているのが現状である。今年度も10人程度の参加者数ではあったが、三つの分科会を設けることができ、有意義な活動となった。
 私が担当する分科会には、進学校の生徒が3人参加してくれた。3人とも課題図書をしっかり読み、読後の感想も各自がワークシートに丁寧にまとめてくれていた。もともと同学年で同じクラスの級友同士ということもあって、和気あいあいと楽しみながら話し合いを重ねていたことも印象的であった。
 まずは一人ひとりの感想を踏まえて、読み終わった直後、胸中に湧いてくる感情について話してもらった。理屈で理解して分析しながら読むのではなく、小説を作者の「物語り」として純粋に楽しんでもらいたいと考えたからであるが、それぞれが自分の言葉で自分の思いを伝達してくれた。それを皮切りに、徐々に内容を読み深めていく。話し合いの段階では極力介入しないように、私は生徒たちのやり取りを見守る。「?」や「!」も三者三様ではあるが、共感場面や登場人物の捉え方が共通することもあり、意見交換を重ね、読みをすり合わせていくうちに深みを増す。

「答えのないものに対して考察する挑戦、知の活動に(ひた)れることへの喜び」

が輪には入らなくとも空気として伝わってくる。たまたま出会った他校性とこのような機会を設けられたことは、私自身にとっても学ぶべきことや考えさせられることが多くあった。本校の生徒もこの3人のように、阿吽(あうん)の呼吸でお互いの考えを理解して話し合えるとはいかないかもしれないが、授業でアクティブ活動を展開するときは実に多様な能力を発揮してくれる。「学ぶ姿勢」が準備され活動につながるとき、「考えが深まったことへの喜び、気づいたことへの喜び」へと還元される。「知」に対する満足感、達成感は大きい。
 この夏一年生には、読んだ図書の中で心に残った「一行」を選び、自分の思いを書く課題を設けた。「どの図書を選び、どの一行に心()かれ、どんな思いを持つのか」、そしてそれを「どのように言語化し、表現してくるのか」、とても楽しみである。
 たまたま出会った「本」から多くを得られる「学びの夏」にしてほしいと思う。

2024年8月 8日 (木)

【第847回】「創立120周年に思う」中村 裕行 (地歴・公民)

 1904(明治37)年、日露戦争が起こった年に、遊学館高校の前身となる金城遊学館が創設された。今年は創立120周年という節目の年で、私も本校に赴任して40年、つまり本校の歴史の3分の1を共有していることに改めて感動を覚える。私が着任した当時(昭和60年)は、金城高校という女子校(普通科・商業科)で、今の第1学館が新館と呼ばれ、全国でも珍しい円形学館(円筒校舎 今の円形広場はその名残り)が存在していた。

 今から120年前に金城遊学館を創設したのは、加藤廣吉・せむ夫妻である。当時、県下に高等小学校を卒業(14歳)後の女子教育機関は少なかったという背景があった。創設して間もなく廣吉先生が亡くなられたため、せむ先生が女手一つで苦労を重ね、自ら金沢市立長町小学校の教員を務めながら、金策や生徒募集に奔走して学校を創り上げていく。創設当初は共学だった金城遊学館(当時の新入生は女子21名・男子数名)は、翌年から金城女学校となった(当時の新入生は女子65名)。県内では、金沢女学校(後に北陸女学校、現在の北陸学院高校)、金沢市高等女学校(後に石川県立高等女学校、現在の金沢二水高校)に続く3校目の女学校であった。先月発行された新五千円札のモデル、津田梅子が津田塾大学の前身となる私塾(女子英学塾)を創設したのが1900(明治33)年ゆえ、ほぼ時を同じくして学校の形態は違えど、中央と地方で女子教育の普及が始められたことになる。加藤せむ先生の功績は、本校のホームページ(沿革)の他、金沢ふるさと偉人館の常設展、「近代を拓いた金沢の100偉人」(北國新聞社)、「かなざわ偉人物語③」(金沢こども読書研究会)でも紹介されている。

 高い志をもって様々な困難を克服した先人達の努力が積み重なって、この学校の今がある。今年の卒業式で読み上げられた卒業生代表の答辞には、“光”をテーマとして、この学校で多くの先輩達から受けてきた“光”を、卒業後は私達が発していきたいという趣旨の一節があった。この学校で学び、巣立った同窓生は28,000名を超える。私も教員の立場から、生徒達とともに*遊学人として、先人達に続いていきたい。

* 遊学の精神とは、何ものにもとらわれず、自由に広く世の中を見聞し、人格を高め磨いていくこと。

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金沢ふるさと偉人館の常設展(2024年3月撮影)
202408082「もっと知りたい 金沢ふるさと偉人館」より

2024年8月 1日 (木)

【第846回】「縁」中川 都 (国語)

 今年度、女子バレーボール部の副顧問になりました。運動音痴なので運動とは全く関わらずに過ごしてきたのですが、副顧問という新しい役割は、私に新鮮な気持ちをもたらしてくれました。
 副顧問となって、大会に行くと、後輩の応援に来た卒業生に会うことがあります。また、応援に来ている部員の保護者の方から、「職場で一緒の〇〇さんが、『先生に教わった』と言ってましたよ。」と、かつての生徒の名前を聞き、懐かしく思い出されます。7月の大会では、他の学校の先生から、私が昔お世話になった先生のお話を聞くこともできました。このように、副顧問になったことで、何か新しい「縁」ができて、嬉しくなります。

 7月29日に加藤晃学園長先生の「お別れの会」がありました。たくさんの方がおいでになりました。退職され、久しぶりにお会いする先生方もいらっしゃいました。元気なお姿を拝見でき、当時のことを思い出しました。これも、学園長先生がつなげてくださった「縁」だと、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 人との「縁」は、そんな簡単にできるものではありません。遊学館の教員であったからこそできた「縁」がたくさんあります。これからも一つ一つの「縁」を大切にしていきたいと思います。