2024年7月18日 (木)

【第844回】「歴史を繋ぐ」永井 秀篤 (地歴・公民)

 皆さん今年の11月4日は何の日かご存知だろうか?
遊学館高校創立120周年であると同時に令和6年度石川県高校駅伝の開催日である。
この日に駅伝の聖地京都への切符を勝ち取り、学園の創立120周年記念に華を添え、12月22日に京都で勝負したい。この一心で日々活動している。
今回は我々が全力を注いで取り組んでいる駅伝について私の思いを皆さんに伝えたい。

 駅伝というのは決められた距離を決められた人数で襷を繋ぎその速さを競う競技であり、個人戦を繋ぐ団体戦である。他の団体スポーツと大きく異なるのがチーム内で同時に競技する者は1人であり、またスタートしたらメンバーの交代ができないところにある。
この個人戦であり団体戦の駅伝だからこそ面白さ、難しさが存在する。

 この面白さ・難しさは何かというと駅伝において、自身の力に+αが発生するときもあれば逆に緊張・プレッシャーにのまれ、大きくブレーキ(目標タイムより大幅に遅れてしまうことを駅伝においてはブレーキという)してしまうときがあることである。
 この違いは何か?私はこう考える。
+αが生まれるときは「少しの自信」を持っている時と「仲間のために」走りたいと思えるチーム力があるときである。「少しの自信」は日々の積み重ね(練習や学校生活、人としての成長を求める選択を日々当たり前に行うこと)が生み出す思い、「仲間のため」は競い合い、時にはぶつかりながら互いにリスペクトしあう仲間同士の関係が生み出す思いである。後半の苦しい場面で次走者のために、繋いでくれた走者のために、悔しながらサポートに回ってくれた仲間のために走りたいと思えるかどうかである。

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逆にプレッシャーにのまれるときは「少しの自信」と「仲間のために」という思いがないときである。レースのときだけの頑張りではなく日頃からこういうことが大事だと意識して取り組んでいけるかどうかが力になる。苦しいときに苦しいことから目を背けず仲間と共に壁を乗り越えようとすることが力になる。そして、襷には様々なものが染み込んでいる。(前走者の汗だけでなくチームの思い、勝負にかける思いや時間)その様々なものがしみ込んだ襷を次の走者に運ぶには入念な準備が必要なのである。
だからこそ私達は日々練習をし、自分自身やチーム、競技と向き合うのである。

 最後に。
今年で120周年を迎える遊学館高校。様々な歴史が繋がれてきている。先輩方が繋いできてくださった誇り高い遊学生の襷を今度は君たちが後輩に力強く繋いでいってほしいと心から願っている。

2024年7月11日 (木)

【第843回】「いざ出陣!!」中川 光雄 (保健体育)

 第106回全国高等学校野球選手権大会石川大会が幕をあけます。
遊学館高等学校硬式野球部は、創部から今年で24回目の夏を迎えます。
これまで23回の大会において、優勝6回、準優勝7回。すべて初戦を突破し、必ずベスト8以上の成績を残しています。
 甲子園常連校と言われるチームや前年度県大会優勝校でも、夏の初戦敗退は、野球という競技において、よくあることです。本校野球部でも、9回2アウトランナー無し、1点ビハインド、絶体絶命の時がありました。しかし先輩方は、この劣勢を跳ね返し、勝利しています。秋の大会、春の大会と初戦で敗れたことはありますが、夏は必ずベスト8以上です。
 先輩方が築き上げた、「夏には絶対仕上げてくる」「夏はしぶとい」「夏に強い遊学館」を継承していきたいと思います。
 今年の目標は、昨年のチーム成績を超えること。優勝することです。

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2024年7月 4日 (木)

【第842回】「夏の訪れ」土谷 悠成 (地歴・公民)

 7月に入り蒸し暑い日が続いておりますが、やがて梅雨が明け本格的な夏がやってきます。ニュースなどでは、今年の夏は猛暑になると言っておりますので、今から心配でたまりません。
 半月ほど前の話しですが、6月18日、18時頃、市民野球場にて遊学館高校野球部と桜丘高校野球部との壮行試合が行われました。毎年この時期に行われており、平日の夜にも関わらず、たくさんの方々が応援に来て下さっておりました。この試合では、選手がバッターボックスに立つと、その選手の言葉が電光掲示板に映し出されます。その言葉の多くが親御さんへの感謝の言葉でした。私が保護者の方々と同世代ということもあり、同じ言葉を我が子に言われたらと思うと、非常に感慨深いものがありました。
 夜になると、少し肌寒さを感じる時期ではありましたが、選手や応援に駆けつけてくださった多くの方々の熱気に触れ、一足早く夏の訪れを感じさせていただきました。

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2024年6月27日 (木)

【第841回】「人からもらう指導やアドバイス」T. T. (理科)

 人からもらう指導やアドバイスについて皆さんはどう考えますか?
 アドバイスには様々な形があり、一見アドバイスと感じないこともあります。私は注意や指導もアドバイスだと思って生活しています。

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 自分自身の視野の広さは自分が思っているよりも小さく、客観的に見ないとわからないことがこの世の中にはたくさんあると思います。注意や指導は皆さんを懲らしめたり、嫌な思いをさせたりしたくてされているものではないと私は考えます。ルールの中で生きるということは狭苦しく感じることもあります。こんなに細かく設定される必要があるの?と思うことはあります。ただ、様々なことを配慮して作られたルールは守っていくことが大切で、そのルールがなかったらなかったでもっと狭苦しいことになるかもしれません。しかしながら、すべてにおいて納得できるものではないのもまた事実だと思います。変えていけるルールなら、現状に合わせて変えていく、ブラッシュアップも必要です。
 納得できない部分を主張しルールを変えていきたいときには、まず主張するだけの信頼や行動が必要不可欠だと思います。普段からルールを守らず、自分のしたいままに生活していると、自身がしたいことを主張する場合に聞いてもらえる確率が圧倒的に減ってしまいます。主張も通りません。何かを成し遂げたいときには、何かを我慢することも必要です。生活する中で、今その瞬間にやりたいと思っていることを優先するのか、長い目で見たときに得することを優先するのか、それを決めるのは皆さん自身です。
 もっとこうなればいいのになぁ、こうしたほうが効率的だ、など、現状を変えたい人はアプローチの仕方を変えてみれば現状を変えられるかもしれませんよ!
 考え方の転換で世界は広がるかも・・・

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2024年6月20日 (木)

【第840回】「出会いを大切に!」谷口 克也 (数学)

 先日、中学生の野球の視察に小松市の弁慶スタジアムに行った。帰り際に「先生」と声をかけてくれた人がいた。元同僚の中学校教師である。「先生、先生のブログ読みましたよ。職場の机上に切り抜いて貼ってあります。」と言ってくれた。
 何気なく寄稿した文章が知人に読まれ、少しだけでも関心を持ってもらい、何か影響を感じてもらえるだけで光栄である、と思った。
 人が生きてきた証は、「出会い」だ。出会った人から影響を受けたり、感銘を受けたり・・・。それが反面教師の場合がある。もっと言えば、「出会い」によって人生まで変えてしまう。良き「出会い」もあれば、悪しき「出会い」もある。そんな「出会い」の中で、私たち人は成長する。
 学校とはまさに「出会い」の場。そんな場に41年間身を置けた半生に誇りを持ちたい。そして、遊学館高校に集う生徒たちにとって、毎日の学校生活の中で友達や教師といい「出会い」に巡り合えることを願ってやまない。