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2025年4月24日 (木)

【第884回】「猫と暮らすこと【3】」O. M. (国語)

 さて、一昨年に続き今年のネタは「猫と暮らすこと」、しかも、そのネタで第3回目です。これは当分の間続きそうなので猫好きのそこのあなた、次回も期待して待っていてくださいね。
 さて、おなじみ、我が家の猫「小太郎」手足の長いマンチカン、雄の9歳。体重は6.05㌔(最近ダイエットに成功して3㌔の減量)は、今年の8月4日でとうとう10歳になります。人間でいえば55歳くらいなので、だんだんと私の歳に近づきつつあります。
 そんな小太郎君、最近気になったことがあります。確かにお歳のせいか少し毛並みも悪くなったなあ・・・とか、あんまり走り回らなくなったなあ・・・とか、寝る時間増えたなあ・・・とか。シニア猫に特有の様子は見せてくれるので、まあこちらも「そんなもんかな・・」くらいに思っているので大して心配はしていないのですが。もちろん猫の病気保険(結構高額の商品)にも入ってるし、カリカリもちょっとお高目の体にいいグレンフリー(穀物不使用)ものなんかにしています。その辺は抜かりありません。
 しかし、最近感じる小太郎君の変化は、子供のころに比べて『一生懸命ものを考えている』ことが多くなったということです。猫が考えている~?動物は本能に従ってるだけだろう~という人も確かにいらっしゃるだろうと思いますが、我が家の猫はたしかに常にいろいろなことを考えて、「思索」しています。例えば、今まではご飯を食べるとき、新しい袋を開けると走ってきて私の足にバンバンおしりをぶつけてきて「早くくれ~」の催促をしていました。お茶碗に入れるとすぐにがっついて完食して、もちろんおなかが減ってるときも、そうでないときも同じく。ところが最近の彼は、入れたてのご飯を前に、これを今食べるべきか、後に置いておいて寝る前に食べるべきかを考えています。そんな風に見えるだけだろ・・?と、おっしゃる人もいるでしょうが、我が家の猫は、そうした損得勘定をあの小さな頭で一生懸命考えています。そして一緒に夜寝る前になって、少しだけかじってから私の足元で丸くなります。朝になってお茶碗を見てみると、きれいにカリカリはなくなっているので、こちらが熟睡している夜中の見回りタイム(猫好きの間ではニャルソックと呼ばれている)が完了した後にゆっくり残りを楽しんで、つまり仕事が終わってお疲れさんを自分自身でやっているわけですね。
 こんな風に歳を取ると「猫も考えている」んです。さて、みなさんは普段しっかりと物事を考えて生きていますか?狭い廊下を後ろに急いでいる人のことも考えずにダラダラおしゃべりしながら道幅をふさいで歩いていませんか?授業中、眠たくなったからといって何も考えずに平気で寝ていませんか?どんな状況でも「ヤバい」「エグい」「かわいい」しか言ってませんか?
 「人間は考える葦(川べりに生えている雑草)である」は、フランスの哲学者パスカルの有名な言葉で、人間は自然の中では弱い存在(葦)だが、考える能力によって、その弱さを補い、偉大な存在であるということを意味します。
 猫と暮らすということで本当にいろいろなことを考えさせられます。だから、猫はやめられないんでしょうね・・・(第4回に続く)

最近のお気に入り三角テントにて→ 20250424_2