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2023年9月21日 (木)

【第801回】「挨拶再考〜最高!」渡辺 祐徳 (英語)

朝,校門に立っていると,たくさんの生徒と挨拶をします.
家庭や部活動で身についたのでしょうか,ほとんどが「おはようございます」と言ったり,会釈をしてくれます.
もちろん中には,何か考え事をしていたり,眠そうな生徒もいたりしますが…

挨拶がしっかりとできる高校生は偉いと思います.
私自身,挨拶の意味に気づいたのは大学生になってからでした.
アメリカ留学をしていた頃に驚くことがあったのです.
遅くまで図書館で調べものをして寮に帰る途中など,学生どうしがすれ違うときのことです.
そんなときは決まって,知らないどうしでも挨拶をし合っていたのです.
“What’s up?” “Not much.” (「何か変わったことは?」「特にない」)
もちろん夜道の安全確認が主な目的ですが,お互いに励まし合っているようで,温かい気持ちになれました.
この経験から,それまでなんとなく挨拶をしたりしなかったりしていたことを反省し,挨拶に対する意識を持てるようになりました.

卒業後,会社勤めをして社員研修というものをたくさん受けました.
挨拶や自己紹介,お客様との接し方にとどまらず,多くのことを学びました.
社内には「おはようございます」とオフィスに入ると,自然と振り向いて同じ言葉を返す雰囲気がありました.
「これが社会人というものなんだ」と勝手に感動していたのを覚えています.
実際,一人でも商談の際に挨拶ができないと,会社や店の印象が悪くなり,売り上げが落ち込むことがあります.挨拶には,それほど重要な面もあるのです.
厳しい言い方をすれば,会社にマイナスになる人に費用をかけて雇い続けるほど,甘くはありません.

「おはよう」の挨拶をしない生徒については,私は特に気になりません.
友達とのおしゃべりに夢中になっているか,朝の時間帯に急いでいるからなのかも知れません.
もしくはかつての私のように,挨拶に対する意識が育つのが,まだこれからなのかも知れません.
でも友達どうしや先生に対してでも,何気ない挨拶があると,お互いの関係がスムーズに行くきっかけになるのではないでしょうか.

高校生の皆さんに,一つの提案をします.学生時代を,社会に出る前の準備期間ととらえましょう.
確かに大人にも「おはよう」と言えない人々が存在します。
しかし皆さんは,毎日の学校生活や周囲との関わりの中で,挨拶だけでなく,人との接し方について学ぶ絶好の機会にいます。

コミュニケーションが上手な人には,自分からよく発言する人,相手の話をよく聞いて言葉を添える人など様々なタイプがいると思います.
学生のうちに自分の得意なコミュニケーション方法が見つけられるといいですね.
挨拶は最も簡単に会話のきっかけを作り,他人との関係を築くのに大いに役立つでしょう.

ぜひ挨拶を習慣化してください.
一日を朝の「おはよう」から気持ちよくスタートしましょう.
きっといい日になるでしょう!

2022年5月 5日 (木)

【第728回】「これまでの思い。そしてこれから」渡辺 祐徳 (英語)

■とりあえず,ひとくぎり
この3月をもって,遊学館を定年退職しました。
これまで担任として,また授業でも関わった歴代の特進コース,コロナ禍で忍耐強く頑張ってくれた,一昨年の1年9組,昨年の1年8組の皆さんには,本当に感謝しています。
それ以外の皆さんとも,あいさつを交わすたびに毎日元気をもらっています。
4月から引き続き,あらたな雇用契約で勤務しています。
授業や他の業務に関しては,これまでと変わらない意気込みで取り組もうと思っています。

■私と遊学館
人類が滅亡するとノストラダムスが予言した1999年(平成11年),私は遊学館の教員になりました。
それまでは予備校で,副校長として学校全体の管理をしながら,講師としても授業や教材づくりに奮闘していました。
遊学館の進学クラスが,遊学講座で毎週土曜日に授業を受けに来ていましたので,遊学館との関係は,その頃から始まっていました。

■予備校での勤務
前職の予備校では,実質の学校責任者として,多忙な毎日を過ごしていました。
帰宅が翌朝になることもあり,健康には自信があったはずが体調を崩し,病院通いをしました。
しかしその頃の経験は,自分の大きな成長につながったと今でも思っています。
既存のテキストはありましたが,それができる講師は,良い授業をするために自前の教材を作成していました。
予備校は生徒が自分で講師や授業を選び,講師は毎回の授業アンケートで生徒の評価を受けます。
特に夏期講習などでは,人気講師の講座が真っ先に締切になります。
講師間のライバル意識(仲が悪いわけではありません)もあり,授業のプロとしての自覚を植え付けられた時期でした。

■今,高校生に伝えたいこと
私の仕事における最重要課題は,納得の行く授業をすることです。
といっても,実際なかなか納得の行く授業ができるようになりませんでした。
これは人によって,目標の高さをどこに置くかなどで変わると思いますが,私の場合,自分の授業に自信が持てるようになったのは,遊学館に来たあと,ようやく40歳になった頃のことでした。
高校生の皆さんは,「なんだ,遅いじゃないか」と思うことでしょう。
皆さんは何を目標としますか。高校卒業後の目標,進学や就職の目標。
起業しますか。結婚して幸せな家庭を作りますか。
「頑張れば必ずいいことがある」と私は口癖のように授業で言っています。
若い皆さんには可能性があります。自分が目指す「いいこと」を必ず手に入れてください。

■私のこれから
あと少し,遊学館の皆さんと過ごすつもりです。
私もこの年になって,まだまだ頑張りたいし,目標もあります。それが何かはヒミツですが。
意外に思うかもしれませんが,私は元々メンタルはあまり強くありません。
低い背を思いっきり伸ばして,背伸びをして生きてきた部分があります。
でも,強がりもやっているうちに身についてきました。
これからもせいぜい背伸びをして,強がって行こうかなぁと思っています(笑)。

2020年11月12日 (木)

【第654回】 「ワクワクしよう!」渡辺 祐徳 (英語)

高校生のみんな,毎日ワクワクしているか?
突然そう聞かれても,なんと答えればいいか,迷うかもしれない。

若い君たちは,自分のなりたいものや,やりたいことを決めて頑張れば,実現できる可能性がある。
私のようなおじさんでもワクワクすることがあるのだから(笑),君たちにはその何倍もワクワクを感じてほしい。

「高校生には,自分の進みたい方向を見つけ,それを実現する可能性がある。
そのために,今できること,やるべきことをしっかりとやってほしい。」
このようなことを,授業やホームルームでよく言っている。
一人ひとりが将来にわくわくしながら,高校生活を送ってほしいと思っている。

先日,1年生を対象として,コース選択調査を行った。
2年生になると,卒業後の進路希望に合わせたコースごとにクラスが分かれる。
私のクラスでは,調査用紙の提出期限まで迷った生徒もいたが,それぞれが自分の将来について考えた。

みんな,来年のクラスや卒業後の進路にワクワクしているだろうか。
将来について考えるとき,ワクワクと同時に,不安も感じるだろう。
迷ったり,考えが浮かばない時は不安のほうが大きいかもしれない。
しかし,不安をワクワクに変えるのは,自分だ。
迷ったら誰かに相談したり,調べたりしながら,進路を実現するように努力しよう。
頑張れば必ずいいことがあるものだ

私自身,クラスの生徒たちの将来にワクワクしている。
「看護師を目指す〇〇は,どの学校に進むのかな。いい看護師になってほしい。」
「□□は就職希望。真面目で勉強もできるから,会社でも頼られる人になるだろうな。」
「☆☆はクラスで一番のあわてんぼうだが,得意のスポーツで推薦されて進学できるだろう。」

思い返せば,今年度は新入生を迎えてすぐの4月10日,長い休校に入ってしまった。
あまりにも異例のスタートに,生徒たちは不安のほうが大きかっただろう。
担任の私としても,十分にクラスの名前と顔を覚える機会がない悔しさを覚えた。
電話やClassiで連絡しなければならない不便さもあった。
しかし,それでも一人ひとりの状況が確認できた時は,気持ちが明るくなった。
いつか教室でみんなと顔を合わせるのを楽しみに,ワクワクしたものだ。

「このクラスをいいクラスにしたい」この思いも私のワクワクの一つだ。
そしてまがりなりにも長く教師を務めてきた,自分への挑戦でもある。
幸いにも,生徒たちはクラスを大切に思ってくれているようだ。私の話もよく聞いてくれる。
なによりも,少しずつ変化し,成長しているのがわかる。
本当にワクワクさせてくれる生徒たちである。

最後に蛇足だが,そろそろ自分も,次の将来を考える時期になった。
いつか教師を引退する日が来たら,新しいスタートをしようと思っている。
具体的に何をするかなど決めているわけではない。
ただ,「スポーツカーに乗れるような人生」を目指そうと思っている。
それは冗談だが,そんなことを言うことで自分を振るい立たせ,ワクワクしている。

2019年6月 6日 (木)

【第582回】 恩師の思い出渡辺 祐徳 (英語)

ある朝,職員室の電話が鳴った。
「Nさんという方からお電話です」
Nさんという名前は,自分の記憶の中ではたった一人しかいない。
小学校5年生と6年生の2年間,クラスの担任をしていただいた先生だ。
書道の師範でもあり,その達筆ぶりは,教科書の手本として載るほどだった。
第二次世界大戦時には出兵され,苦労されたお話は今でも強く印象に残っている。

「おぉ,渡辺君か!」
まさかと思ったが,受話器から聞こえたのは,紛れもない,N先生のお声だった。
もう90歳になるという先生のお声は,わずかにかすれて聞こえはしたが,あの頃と同じように力強かった。
お互いの近況を交わしながら,先生が私のことを覚えていてくださったこと,
そしてわざわざお電話をくださったことに,感謝と感動を覚えた。

私が先生のクラスの生徒になったとき,先生はすでにベテランの貫禄たっぷりだった。
悪ガキ連中もそばを通るときは緊張したものだった。
私も悪友たちと先生を手こずらせたクチだ。
運動会の練習では,いつまでもダラダラとおしゃべりをしていて,案の定,先生から目をつけられた。
こんな時先生は,まるで下っ端の兵士を懲らしめるように
「目をつぶれ!歯を食いしばれ!」
と言って,強烈なビンタを見舞われた。
それが頬を直撃したときは本当に痛かった。

いつも叱られていた私は,何度も先生の平手打ちを受けるうちに要領を覚えた。
その大きな手が当たる瞬間,大げさに体を振って,痛くないようにしていたのだ。
それも先生はお見通しだったはずだ。
だがそんなときも先生は,それ以上私たちを追い詰めることをされなかった。
厳しさの中の優しさ,暖かさを教えてくださっていたのだと思う。
先生のクラスで学んだ2年間は,私の人生の中で,貴重な思い出となっている。

先生,ごめんなさい。
今の時代で,ご自分が力で制する教師だったように受け取られると,不本意でしょう。
しかし理由があって叱られるのだから,当然ですよね。
私は先生のご指導で学び,成長することができました。
先生には畏怖の念こそあれ,嫌だと思ったことは一度もありません。
本当にありがとうございます。

N先生以外にも,素晴らしい恩師との出会いがあるが,文字数の都合上,またの機会に書きたいと思う。
学校生活で教えていただいた中で忘れられないのは,厳しい先生が多い。
どうしてだろう。
実はそういう先生は厳しいばかりではないのだ。
言い方を変えれば,本気で接してくださった先生ばかりだ。
厳しさと同じぐらいの愛情を感じられれば,生徒にとって,一生の恩師になるのだと思う。

現代の中高校生や若い世代の人たちに言いたいことがある。
道徳的な価値観や判断基準は,時代の変化に伴って,変わるものだ。
現代は非常に速いスピードで,価値観が変化している。
まさに今は過渡期と言っていい。
今は正しいと言われることが,数年のうちに変わることもあるだろう。

私は厳しいながら,本気で関わってくださる先生方に学び,成長することができた。
決して力や強い言葉による教えを肯定するのではない。
しかし,深い愛情と強い精神力が基盤となって,日本の発展の礎を築いた時代があったことも知っておいてほしい。
誤解がないように願いたいが,私が尊敬する先生方も,生徒を傷つけることは一つも望んでいなかったはずだ。
方法論は様々だが,体当たりで教育に携わる先生に,生徒が学び,成長する。
一つの理想であるかもしれないが,その状態が当然であるとも言える。

過去を知らない,声の大きな人たちと,現代の速い変化にとまどいと疑問を抱く者たち。
今はその両者が混在する時代だろう。
お互いを理解しながら,新しい時代を築いていけたら素晴らしいだろうと思う。

2017年12月 7日 (木)

【第507回】 クラシック音楽のすすめ渡辺 祐徳 (英語)

「おはよう!」
朝の校門で,生徒たちに声をかける。
今は期末テスト期間中ということで,いつになく緊張した表情の生徒が多いように思う。

ところで,みんなはテスト勉強の合間はどうやって息抜きをしているのだろう。

今の時代はスマホでSNSやブログの閲覧などが多いだろうか。
好きな歌を聴いたりマンガを読んだりという人もたくさんいるだろう。

私も中高生のころから,邦楽や洋楽が好きで,よく聴いていた。
またクラシック音楽やジャズも大好きで,ネットがない時代は,FMラジオを録音したり,お小遣いをためてLPレコードを買っていた。

クラシックと聞くと,古臭くて堅苦しくて,とっつきにくいものと思うかもしれない。
しかし,その時代のヒット曲であり,エンターテインメントなのだから,本来は楽しんで聴けるものだ。
誰にでもどこかで聴いたメロディーが心に残っているということがあるのではないだろうか。

前置きが長くなったが,ポピュラーなものをいくつか紹介するので,気楽に聴いてみてほしい。

★交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』(リヒャルト・シュトラウス作曲)
1960年代に「2001年宇宙の旅」という映画に使用されてから,いろいろなところで耳にされて来た。
全体で30分を超える曲だが,冒頭約2分間の「序奏」が特に有名。
長い暗闇を思わせる,地響きのような重低音から曲がスタートする。
その中から太陽が登るように,トランペットが奏でるテーマが現れる。
次第にその音色は明るく高らかに響き,エネルギーが頂点に達する。
最後は力強い重低音で締めくくられる。

★組曲『惑星』(ホルスト作曲)
「火星」「金星」「水星」「木星」「土星」「天王星」「海王星」を表す,7つの楽章から成っている。
映画「スターウォーズ」のテーマは,この曲の影響を強く受けていると言われている。
まるで宇宙にいるような雰囲気を持ち,クラシックにもこんなに現代的な物があるのかと驚くだろう。
特にポピュラーなのは「木星」で,平原綾香の「ジュピター」のモチーフになっている。
個人的には,ダイナミックな「火星」が,ストレス発散にちょうどいいのでおすすめである。

★バレエ組曲『くるみ割り人形』(チャイコフスキー作曲)
「白鳥の湖」「眠れる森の美女」と並ぶ,チャイコフスキーの三大バレエ音楽のひとつ。
欧米ではクリスマスになると,コンサートや舞台公演が開かれる。
「小序曲」「行進曲」「金平糖の踊り」「ロシアの踊り」「アラビアの踊り」「中国の踊り」「葦笛の踊り」「花のワルツ」を抜粋した組曲版がおすすめ。
ディズニー映画「ファンタジア」でも取り上げられ,かわいい妖精たちが踊る場面を見た人も多いだろう。
非常に親しみやすい曲なので,リラックスして聴くといい。

★大序曲『1812』年(チャイコフスキー作曲)
これもチャイコフスキーの作品だが,フランス軍に自国ロシア軍が勝利する様子を描写した曲だ。
バレエ音楽とはまったくカラーが異なる。
なにしろ,100人を超える大編成オーケストラに加え,ファンファーレ隊が競い合うように鳴り響く。
そして圧巻は,軍隊用の大砲や教会の鐘が加わり,耳をつんざくような盛り上がりを見せるフィナーレだ。
指揮者の指示によって,合唱隊も加わることがある。
小銃を乱射し,馬車の鈴や鐘を打ち鳴らした演奏もある。
もうこれは現代のヘビメタどころではない。
チャイコフスキーはもしかしてアブナイ作曲家だったのか?

以上,他にもおもしろい曲,ぜひ聴いてほしい曲はたくさんあるが,ほんの一部を挙げてみた。

2016年7月28日 (木)

【第436回】 遊学館の特進コース渡辺 祐徳 (英語)

遊学館の教員として教壇に立ってから,そのすべての期間を特進コースの生徒たちと過ごしてきた。
今年も私は特進コース3年生の担任である。
クラス全員が国公立大学や有名私大など,それぞれの進学目標に向けて,毎日励んでいる。

しかし時々思うことがある。遊学館の特進コースについて,どれだけ知られているのだろうか。
コマーシャル等では,当校の取り組みを伝えきれていないのではないだろうか。

たくさんの中学生の皆さんが,特進コースで学ぶことを目標に,当校を選んでいただきたい。
そう願いながら今回のブログでは,遊学館の特進の様子をお伝えしようと思う。

特進コースは,各学年1クラスのみの,いわゆる「少数精鋭」の学級だ。
人数が少ないために,外からはあまり目立たないのかもしれない。
最初から1クラスに限定しているわけではないので,
高い進学希望の生徒が増えれば,何クラスできてもかまわないと思う。

特進の1日は,朝学習から始まる。
月曜から金曜まで,英語または数学の課題に取り組んでいる。
私は英語担当だが,プリントと音声素材を用意し,速読とリスニングの練習を行っている。
朝の10分間という短い時間だが,毎日続けることで確実に効果が現れている。
英語が苦手な生徒が多かったが,6月の全国模試では,平均の成績が数学にほぼ並んだ。
英検2級や準2級に合格する生徒も増えた。

月,火,木,金の4日間は,7限まで授業がある。
3年生だから,言うまでもなくすべての授業が大学入試に対応したものだ。
生徒は,授業の徹底理解のため,予習をして授業に臨み,集中して授業を受け,
その日のうちに復習をすることを心がけている。

野球やサッカー,剣道,バレーボール,吹奏楽といった部活動をしている生徒もいる。
全国や県レベルの優勝と,志望校合格の両方を果たそうと,頑張っている。

強い意志と,継続力,そして計画性や時間の管理が必要だ。
しかし,やり遂げることが自分の目標に近づくことなのだ。

クラスメートががんばれるよう,声をかけている場面を時々見る。
担任の私や,教科の先生方も応援している。
クラスメートたちは仲がよく,教室の雰囲気は和やかだ。
体育祭などの学校行事ではみんな楽しそうだ。

授業が終われば,次は補習の時間だ。
生徒は学習に関しては気が抜けない。

特進は部活動に例えてみれば,勉強部であると言える
朝学習から補習終了までずっと活動が続く。
その後の自主学習は,自主練と言える。

担任である私は,勉強部の監督かな?
彼らの進路志望や成績の分析,授業やプリントの準備,補習の計画,添削,
学習手帳のチェックなど,ほとんどおしゃべりしたり,休んでいる暇はない。

彼らが進路目標を実現して,目を輝かせて卒業できるように。
そして自分が達成したことが,その後の人生において大きな自信となるように。
毎日そう願いながら,彼らの背中を押しているつもりである。

時の経つのは本当に早いもので,私は企業や他校での勤務を経て遊学館に来たせいもあり,
いつの間にかもう定年後の生き方を考える歳になった。
だが,退職するまでのんびりと過ごしたり,特進の取り組みを緩めるつもりはない。
まだまだ老けるには早い!(笑)

以前勤務していた学校では,2年連続して東大合格者を輩出することができた。
おそらく県内私立高校では,初の快挙だったのではないだろうか。

遊学館特進においても,それに負けないほどの成果を挙げたいと思っている。
もちろん,学校のため,自分のためというより,
生徒一人ひとりの夢を応援する過程において得られる結果だ。

今年はかつて担任をしていた生徒が3人,教育実習生として訪れ,
母校の後輩たちを前に,ぎこちないながらも,努力している姿を見せてくれた。

数年後には,今のクラスの生徒たちの成長ぶりを見るのが楽しみである。

2015年3月19日 (木)

【第370回】 娘たちへ~パパのひとりごと渡辺 祐徳 (英語)

    平成4年の冬,出産を控えた妻を乗せて病院へと急いだ。
立ち会おうか迷う間もなく分娩室に通され,我が家の歴史的瞬間の目撃者となっ た。
生まれた子はやや細身であったが,頭の形や髪の生え際など,まぎれもなく自分 の娘だった。
腹を痛めた妻ほどすぐには実感がわかなかったのは,男である以上仕方のないこ とだろうか。
わが子を抱き,母乳を与える妻に惨敗である。
新生児室の外から寝顔を見つめながら,この子と家族を守らなければならないと いう,責任感というか,父親になったことの重さを知った。

    この日から,家の中では「パパ」と呼ばれるようになった。妻は「ママ」である。
なんだか背中がむず痒く感じた。 我が家で「お父さん」は,おじいちゃんになった父であり,「お母さん」は母 だ。

    次の朝が早い時も,夜泣きがやまなければ,ずっと抱っこをして寝かしつけた。
そのまま朝をむかえることもあった。
なぜ泣くのだろう。どうしてほしいのだろう。パパの弱音も聞いてくれヨ。
言葉を理解できるようになるのが待ち遠しかった。

    そのあと次女も生まれ,ゆっくりと休める日はまたお預けになった。
だが不思議なことに,へとへとに疲れながらも,そんな毎日が嫌ではなかった。
日々違った表情を見せる二人の成長に,家族は喜び,時には泣いた。

    今年長女は無事に就職が決まり,大学の卒業式を終えた。
春から念願のホテル勤務が始まる。
何度も就活セミナーに通って努力した甲斐があった。

    次女は,このブログを書いている今日現在,大学入試の発表待ちだ。
穏やかな表情の中に,行き先がまだ決まらない不安と,ひととおりの戦いを終え た解放感がうかがえる。
今朝も朝食には,得意の玉子焼きを作ってくれた。

娘たちへ~パパのひとりごと…
パパはお前たちがかわいいから,特に小さかったころは鬼のように厳しくした。
ママとも約束をしていたんだ。
「ワシは雷オヤジになるから,お前はやさしく話を聞いてやってほしい。」
それがパパの教育方針というか,パパ流のやさしさだよ。

パパに似ず,やさしく素直に育ってくれてありがとう。
雷のようなオヤジを続けようと思っていたが,あまり必要がなくなってしまった じゃないか(笑)。
本当にありがとう。

今までよく頑張ったな。
これからまた新しい生活が始まるが,変わらずに頑張ってくれよ。
いろんな困難にもあたるだろうが,そんなもの,あるのが当然だ。
時にはパパたちに相談してくれ。ちょっとはヒントが見つかるかもしれないよ。

これだけは忘れないでほしい。
パパは家族には決して不自由な思いだけはさせないようにしてきたつもりだ。
だから,やむを得ず職場が変わった時でも,収入は一度も途切れさせたことはな い。
その他の面でも,ママといっしょにお前たちを守ってきたつもりだ。

これまで贅沢なことはあまりしてやっていないが,パパたちは決してケチなん じゃないんだよ。
白状するが,実はお金はたくさんあるんだよ(笑)。
お前たちが大学を卒業するまで,一円の借金もしなくてもいいように,ママと相 談して貯金をしてきたんだから。
だが,お金の大切さやありがたみは忘れないでいてくれよ。

お前たちの花嫁姿や子どもの顔を見るまでパパは元気でいるから,あんまり待た せないでくれよ。
実は,孫と遊ぶのを楽しみにしている(笑)。
英語だって教えてやろう!

以上,自分勝手なパパのひとりごとでした。
終わり!

2013年10月31日 (木)

【第304回】 【映画&歌で英語】E.T.の残した5つの言葉渡辺 祐徳 (英語)

「先生は映画の字幕がなくても分かるの?」
「先生は英語の歌の歌詞が分かるの?」
生徒からよく聞かれる質問である。

 教科書に書いてあることはとっつきにくいが,英語の映画や歌がそのまま理解できるようになりたいと思う生徒は多いようだ。私自身もそうだったが,字幕や歌詞カードを見なくても少しずつ分かるものが増えてくると,英語が面白くなった。ついでに学校の成績も上がった。挙句の果てにはいつの間にか,英語を教える仕事に就いている。

 生徒が将来英語を一生の仕事として選ぶとは限らないし,むしろそれはごく少数派に違いない。しかし私の場合,英語が好きになれたことがきっかけとなって,自分の進むべき道を決めることになった。そうして今度は自分の生徒たちと顔を合わせながら,教科書を読ませ,英単語テスト等で追い立てながら,なんとか英語の楽しさ,面白さを伝えたいと密かに思っているのだ。できれば自分の授業が,生徒がそれぞれの将来について考えるきっかけの一つになれば嬉しいと思っている。

 今の高校生たちにも,自分の好きなものを選んで,楽しみながら英語に慣れ親しんでほしい。たとえば映画などはもってこいの教材である。字幕を出したり隠したりできるDVDなどがある時代である。それを利用しない手はない。映画と言っても数えきれないほどあるが,今回は1つだけ紹介しようと思う。

◆『E.T.』(イーティー、E.T. The Extra-Terrestrial)◆

 古い映画で申し訳ないが,「面白くてわかりやすい」ということを優先すると,真っ先に思い浮かぶのがこれだ。

 E.T.は遠い星からやってきた宇宙人だ。地球上の植物採取をしているうちに人間に見つかり,大慌てで宇宙船まで逃げ走る。ところが目の前まで来た時に,宇宙船は飛び去ってしまう。この作品は,一人地球に残された彼が,エリオット少年や兄妹らとの友情を育みながら故郷へ帰るまでを描いている。

 映画の画像を勝手に載せると著作権侵害になるので,webリンクを張っておく。映画の詳細についてはそちらを見てほしい。
・E.T. - allcinema <http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=1709>
・E.T. - KINENOTE <http://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=675>
・20周年アニバーサリー特別版公式ホームページ (英語)  <http://www.universalstudiosentertainment.com/et-the-extra-terrestrial/>

 ちなみにE.T.とはエリオットが,かわいらしくもありグロテスクな宇宙人につけた名前だ。本来はExtra(外)-Terrestrial(地球)の略で,単純に「宇宙人」を意味する語だ。

 主人公のE.T.は宇宙人であり,当然英語が話せない。エリオットらとコミュニケーションをとるうちに,徐々に人間の言葉を覚えていくが,それでも最終的に話せる言葉は5つほどなのだ。この映画の英語がわかりやすい理由はここにある。

1. "Ouch" 「痛い」
 E.T.は故郷の星と通信をしようとして,エリオットの家のガレージにあるものをかき集める。"Ouch"は,その中にあったノコギリの刃でエリオットが指にケガを負った際に発した言葉だ。E.T.はそれをまねて"Ouch"と言いながら,不思議な力でエリオットの傷口を治してしまう。

2. "E.T. phone home." 「E.T.ウチにデンワする」
 エリオットは家のキッチンで,E.T.に「ここがボクの家(home)だ」と教える。E.T.はあちこちを歩きまわり,置いてあるものに興味を示し,やたらと触りまくった。その中で特にE.T.の目を引いたのが電話機だった。これがあれば故郷の星と連絡が取れると考えたのだ。エリオットが"phone"という言葉を教えるとE.T.は,"E.T. phone home"と言って,故郷からの迎えを呼びたい気持ちをとエリオットに伝えた。

3. "Be good." 「いい子でね」
 E.T.は家中を歩きまわって,エリオットの手に負えない。このままでは家族に見つかって,大騒ぎになってしまう。そう思いながら必死のエリオットは,E.T.に「おとなしくいい子にしていて」と言うのが精一杯だった。

4. I'll be right here. 「すぐに戻るからね」
 この表現は「ターミネーター」で有名になった"I'll be back."「また来る」と意味はほぼ同じだ。ここでは,エリオットが「すぐに戻るからね。待ってるんだよ」とE.T.をなだめようとしている。エリオットがE.T.に手を焼いている間に,お母さんが帰ってきてしまったのだ。  この表現は直訳すると,「私はまさにそこにいるでしょう」ということになるが,場合によっては「ボクはずっとここにいるからね」という意味で使うこともできる。

5. "Come." 「おいで」
 街はハロウィーンの仮装をする人々で賑わっていた。エリオットたちはE.T.に衣装を着せ,外に連れ出した。今日こそE.T.の故郷と交信をしよう。「おいで。」エリオットはE.T.を連れて山の方へと向かった。そこには怖い野生のコヨーテが住んでいるのだが…

◆そして感動のエンディング◆
 ここまでかなりネタバレ的に説明をしてきたが,エンディング,つまりE.T.との別れの場面を,せひ字幕なしで観てほしい。E.T.が地球で覚えた言葉を,実に絶妙なタイミングで使うのだ。きっと内容がほぼわかると思う。そして少しでも感動できたり,字幕や吹き替えなしの英語のままで映画が観れたことを喜んでもらえたら,私もとても嬉しいと思う。

2012年7月26日 (木)

【第240回】 新教育課程に向けて渡辺 祐徳 (英語)

 来年度から新教育課程が始まる。高校1年生の英語のうち,従来の「英語Ⅰ」が「コミュニケーション英語Ⅰ」,「ライティング」が「英語表現Ⅰ」という科目に変わり,教科書も新しいものに変わる。

 わが校でも英語科の教員がチームを組み,新課程における授業方法を研究し,教科書の選定にあたった。数ある教科書の中からわが校に最適の一冊を選ぶことは,来年度からの授業の内容を左右する重要な作業であるため,一つの方針を立てた。それは,「中学校の復習をしっかりすることができ,必要な文法をきちんと学べるものを選ぼう」というものだった。

 科目名にわざわざ「コミュニケーション」という言葉をつけ,新学習指導要領の最後のページに「授業は英語で行うことを基本とする」と書き加えた文科省の意向(注)に反すると思われるかもしれないが,これには理由がある。

 入学してくる1年生の,英語に対する苦手意識が年々強くなっている。特に文法の知識が不足しているために,教科書の文を読み理解することが困難な生徒が増えている。私が担当する特進コースの生徒でさえ,最初の授業で「英語は好きか?得意か?」といった問いかけには,ほぼ全員が首を横に振る。「英語Ⅰ」の教科書の最初の数レッスンは,中学校で習ったことの復習が中心となっているが,丁寧に確実に進める必要性を感じる。

 金沢市は英語教育特区に認定され,平成16年より小学校から英語教育を行なっている。その小学校英語を受けた最初の生徒たちが高校に入学する平成20年,私たちは期待に胸が躍っていた。英語が得意,もしくは好きな生徒がたくさん来るだろう。興味のわく楽しい授業をして,ますます英語を好きにしてやろう。ところが実情は,前述の通りである。

 近年の英語教育の考え方に「文法排除」「和訳排除」というものがある。文法的な説明は行わない,もしくは最低限に抑えて,英語の表現をパターン練習をたくさんしようというものだ。また英文の意味は日本語に訳すのではなくて,英語のまま理解させようとする。英語教育の理想のように聞こえるかもしれないが,これを成功させるためには,多くの時間をかけて何度も繰り返し練習しなくてはならない。おそらく今の中学校の英語の授業は,多かれ少なかれ,この日本語排除の考え方に則っているのではないだろうか。

 日本の英語教育が,和訳・文法・作文ばかりを重視し,音声を伴ったコミュニケーションを疎かにしてきたのは事実だが,学校の授業の時間だけでは会話ができるようにならないのもまた事実である。高校の数学や国語の授業には,基本的な計算や読み書きを中心として,高校生としての教養と,大学受験や就職試験においても進路を開く学力を身につけさせるという役割がある。もちろん,英語も同じである。生徒たちの進路希望を叶えるためには,会話の練習をしている余裕はあまりないというのが素直なところである。

 「中学校の復習をしっかりすることができ,必要な文法をきちんと学べるものを選ぼう」という方針のもと,私たちが選んだ教科書が,たまたま他校での採用も多く,シェア1位になる勢いだそうだ。やはり同じ問題を他校の先生方も感じておられるということだろうか。

 新課程になっても,全力で授業に臨むつもりである。

(注) 文部科学省は2009年,当初の意向をトーンダウンさせた。「(前略)言語活動を行うことが授業の中心となっていれば,文法の説明などは日本語を交えて行うことも考えられる。(中略)授業のすべてを必ず英語で行わなければならないということを意味するものではない。英語による言語活動を行うことが授業の中心となっていれば , 必要に応じて , 日本語を交えて授業を行うことも考えられるものである」

2010年9月29日 (水)

【第152回】母のいるうちに渡辺 祐徳 (英語)

 母は今、病魔と闘っている。
医者から2か月の余命宣告を受けたのは今月の初めのことだ。
ガンが肝臓や肺から転移して、ターミナルケアの段階に入ってしまった。
もうまともに食事ができなくなってからずいぶんになる。
体力のない母に施すことのできる治療法にも限りがある。

 物心ついたときには、母はいなかった。
同じ屋根の下で暮らしたことがないから、息子らしいことはほとんどできていない。
残された少ない時間で、母のために何ができるだろうと考えるようになった。

 肩をたたいてやりたい。もっと話をしたい。いっしょに旅行もしたい。
「おかあさん」と呼ぶ声を、何度も何度も聞かせたい。 

 どうして一番必要なときに自分には母親がいなかったのか、そんな境遇を恨んだことがなかったといえば嘘になる。社会人になってから自由に行き来するようになり、ようやく私も、これが母が一生懸命に生きた足跡なのだと理解できる歳になった。

 会いにいくと必ず「元気?」「みんな仲良くしとる?」と言ってくれる。
50になろうとしている私が一瞬、小さな子どもに戻る。
母はいつも人のことばかり気遣っている。一番辛いのは自分なのに。

 孫や可愛がっていた犬の話をすると笑顔になる。
普段はできない食事も、私がいれば食べられるという。

 ずっといっしょにいたい。長生きしてもらいたい。孫の晴れ姿を見せたい。奇跡よ起これ。

 豪快で強がりで、寂しがり屋で泣き虫で、優しかった母が今、ひとりで行こうとしている。

 「何もしてやれなかったね」「お前にすべて押し付けた」と悲しそうに言う母の言葉が胸に食い込む。
 そんなことはないよ。今あるのはお母さんのおかげです。

 せめて最後は、少しでも多くの時間をいっしょに過ごしたい。