メイン

2010年9月22日 (水)

【第151回】スイッチ、どれだけ持っていますか?Y. M. (地歴・公民)

 みなさんは生活の中でスイッチを持っていますか?
生活のスイッチの切り替えを私は大切にしたいと思っていますが、これがなかなかうまくいきません。
私が生活の中で意識しているスイッチをいくつか挙げてみます。

   普段のスイッチ
    朝(家から職場へ)
    放課後(教師から指導者へ)
    部活動終了後(指導者から父親、夫へ)

   家庭生活のスイッチ
    月に1度のペースで宝達山の頂上への水汲み。
    (土日に家庭サービスのない中でのコミュニケーションの場)

   1人のスイッチ
    朝の出勤前、部活終了後の出来る限りで、家の小さな庭の水撒き。
    (朝は今日1日をどう生きていくか、夕方は1日の振り返る貴重な時間。)

 上記のスイッチだけでなく他にもたくさんありますが、
生活のバランスを崩さないようにするために切り替えは意識しています。
しかし、人の心は皆さんもご存じの通り一つです。
どの場面でも心が安定しているとは限りません。
それをいかに崩さず継続して行動していくことが大変かは、だれもが経験していることと思います。

 私が顧問をしているサッカー部の部員は毎日ノートを書いています。
内容はその日の振り返りです。

 起床、消灯時間、年間目標、期間目標、個人目標、
3食の食事、間食、サッカー、日常生活、指導者へのメッセージ。
これを毎日書いています。
具体的に振り返る選手ほど勉強、部活動ともに大きな成長が見られます。

また、毎週月曜日には1週間の振り返りノートを書いています。自分自身の1週間は果たしてどうだっただろうかを確認することで、次の1週間をどのように実行すべきかが明確になります。どの場面で何を目的に取り組んでいかなければならないかの状況判断力、目標が明確になるので取り組む時の集中力、やりたいことだけではなく、必要なことへの取り組みは我慢強さが、ノートを記入することで身に付いてきています。サッカーをする時間、勉強する時間、遊ぶ時間それぞれを大切にしていく。

ただ日本一を目指している以上、サッカーの時間を最重要としながらも、それ以外の行動をいかに計画的に有効に使用するかがノートを記入する最大の目的。流れが読めてくれば、目標が明確であれば、何より自分自身を理解できれば気持ちや行動にブレがなくなり人として磨かれていく。部員も少しずつスイッチの入れ方が分かってきたようです。

 約1ヶ月後に始まる高校サッカーの集大成である全国高等学校サッカー選手権。
われわれ遊学館高等学校サッカー部は大会が迫ろうと、そして開幕してもサッカーだけに依存せず生活のスイッチを変わらず切り替えて生活していき、全国大会で大暴れします。

2009年11月18日 (水)

【第109回】情熱の勝利!!オリンピック開催地Y. M. (地歴・公民)

 2016年のオリンピック開催地はどこに決まったかご存じでしょうか?
残念ながら東京は落選してしまい、ブラジルのリオデジャネイロに決まりました。そのニュースを聞いて、ふと昔のことを思い出してしまいました。

今から15年前、私はブラジルのサンパウロという大都市から500キロぐらい離れた小さな町にいました。日本で出会ったサッカーのブラジル人コーチからもっと多くのことを学びたいと思い、ブラジル行きを決めました。自費で行くとはいえ大学在籍中ということもあり両親は反対というよりも戸惑っていましたが、1年で必ず日本に戻ってくるという約束で両親に許してもらいました。

 本来の目的はサッカー。しかし、それ以外の多くのことをブラジルという国で学ぶことができました。

 何がすごいって、国民が一生懸命なことをもっているということです。私の印象では必ずしも働くことに対しては一生懸命ではないような気がしましたが…。

 1994年にその地に降り立ったのですが、この一年はブラジル国内でいろいろなことがありました。F1レーサーのアイルトン・セナがレース中に事故死をしました。その時はすべてのテレビ番組がアイルトン・セナの葬儀を放送し、町の店も臨時休業、サッカーのプロチームも確か3日ぐらい練習が休みになりました。全国民が悲しんでいました。

 そうかと思えば7月にはアメリカで開催されたサッカーのワールドカップでブラジル代表は優勝して歓喜に包まれました。私がいた小さな町でも夜中までクラクションを鳴らし、荷台に乗っている少年がブラジル国旗を振りまわしながら走っている車を何台も見かけました。

 年が明けると1月には新聞の1面に戦後の焼け野原のような光景の写真が掲載された記事がありました。なんと現在の日本の様子と書かれていたのでびっくりしました。
阪神淡路大震災です。この時、私の仲間たちは自分の家族を心配するかのように気遣ってくれました。

そして2月になるとみなさんもご存じだとは思いますが、カーニバルがあります。特に上記で触れたリオデジャネイロは世界中から観客が集まってきます。カーニバルは大都市で開催されるだけでなく、各都市、町ごとで規模はまちまちですが行われています。この期間は特に国民の休日でもないのですが、当たり前のように仕事を休んで大盛り上がりです。

 ブラジルは発展途上国で日本人が当たり前と思っている生活もできない人たちがたくさんいます。仕事がない人、仕事がないから食べることにも不自由し、そんな状況から生き残るために罪を犯したりと、非常に不安定な生活を強いられている人たちがたくさんいます。

 しかし、うれしい時、悲しい時に心底表現できる姿は日本人として羨ましさを感じました。
 国民性といったらそれまでですが、不安定な生活の中で、日本人の我々であればそちらのほう(苦しい生活)が気になって夢中になれることがあっても、気持ちが向けられないのではないかと思います。
 大変だけれども苦しい状況だけれども夢や希望を持つことで生きるエネルギーを蓄えて、それが支えとなって未来へ突き進んでいくことが大切だと学びました。

 最初に触れた、オリンピックを開催する予定のリオデジャネイロは治安も悪く、それ以外のこともいろいろな問題を抱えている都市ですが、オリンピック開催の熱意がどの都市よりも感じられたという報道が流された時、ブラジル人の熱意に国際オリンピック委員会も心を動かされたのだなと思いました。

 リオデジャネイロでのオリンピック開催に思うことは、生活が苦しい状況の貧しさはあっても、心が貧しくなることのないブラジル国民のパワーの強さです。
 私も含めて時間に追われて生きている日本人が持っていくことが必要な心ではないでしょうか?

2009年1月28日 (水)

【第73回】再会と原点Y. M. (地歴・公民)

 先日、金沢市においてカテゴリーを問わず全国でサッカーを指導されている方が約1000人近く集まりフットボールカンファレンスが行なわれました。この会においての講義は非常にすばらしい内容ばかりでありましたが、私自身が一番心に残ることといえば、その講義とは別のことでした。

 それは、神奈川県でサッカーを始めた中学時代、指導していただいたコーチに20年ぶりに会うことができたことです。

 カンファレンスが始まってから参加者リストに目を通すと身に覚えのある名前が載っていました。携帯電話が普及しているとはいえ連絡先がわからず1000人近くの中から探し出すのは至難の業です。講義間の休憩で見つけ出すことはできず、残されたチャンスは講義後の懇親会です。全国から指導者の方が集まっているので日ごろから親交のある方にご挨拶させていただきながら探すことにしました。

 そして、見つけました!!20年ぶりのコーチです。
昔とは比較にならないほど老けたな-っていう印象です。

 コーチは私が声をかけたときにすぐに気付いてくれました。こういう時って言葉にならないですね。「いやー、久しぶりだねー!!」お互いにその次の言葉がでてきません。普段は中学時代のことなんて思い出せもしないのにコーチの姿を見ていると次々といろいろな思い出がでてきて不思議な感じです。

 この世に生を受けてから35年の月日が流れていく中で一番と言っていいぐらいの衝撃的な再会でした。僅かな時間でしたが近況を報告し、近いうちに連絡をとって再々会を約束して別れました。

 そんな中で考えたことがあります。私が顧問をさせていただいているサッカー部の部員によくこんなことを私は言います。「良いことも良くないことも人の行動すべてが積み重ね。良い方向にも積み重なっていくし、良くないほうにも積み重なっていく。」この積み重ねがいずれ習慣とよばれることになります。この習慣をつくりだすのは人です。そして習慣が人(人格)をつくっていきます。そうやって人は成長していくのではないでしょうか?習慣をつくるのは自分自身と、周囲の人の影響です。

 サッカーを始めてから脳の中に染み付いている言葉が、「物事は必ず答えがあるから、それを探し出すこと。結果が出ないのは、結果までの過程にいるから。諦めずに目指しているうちは必ずその目標に近づく。」です。20年ぶりに再会したコーチの言葉です。

 私の原点がそこにあり、原点には新しいことを身につけた喜びだとか、楽しさがあります。この言葉を今でも忘れることなく思い続けていることができるのはサッカーを始めた時の感動を忘れないからでしょう。思い続けた目標は、選手としては到底そんなレベルも行かずに現役が終わってしまい、指導者としても12年が過ぎました。それでも目標は変わっていません。その変わらない目標こそがサッカーを始めた原点にあります。その目標がなければ、続けることができなかったでしょう。

 今回の再会は目標を見失うことなく生きてこられたこと、これまでサッカーに関わることができたことは原点にコーチの言葉があったからに他ならないことを再認識できました。人の行動すべてがうまくいくなんてありません。だから時には立ち止まることもあります。そこで壁を乗り越える人もいるでしょう。でもみんながその場面は大変な思いをします。うまくいかないことがあったとしても、自分自身がやってみようと思った原点に心が戻ることができれば、進むべき方向が見えてくる気がしませんか?

 そんな戻る場所が必ずあるということをたくさんの人たちに伝えていきたいです。(今の私の立場としては遊学生に)失敗をしてもその失敗したところに戻れば正しい道に進むことができます。今、何かを諦めようとしていませんか?うまくいかず苦しんでいませんか?戻るところがあれば問題なし!!人は人にたくさんの影響を与えてもらっていること、そして与えていること。そこから自分がつくられていることを…。振り返ってみるといろいろな人に出会い、そして影響を受けています。皆さんも原点に戻れば何か見えてくるのではないでしょうか?まだ、2009年も始まったばかりです。戻るところを見失わずお互い前に進んでいき、よい1年にしていきましょう!!

2008年4月23日 (水)

【第36回】サウナで始まる私の習慣Y. M. (地歴・公民)

 とある公立高校の先生とスポーツクラブのサウナでよくご一緒させていただきます。一緒に身体を動かして汗を流すわけでもなく、時間を合わせてサウナに入るわけでもないのですが、そこでお話できる時間が楽しくてたまりません。そんなある日にその先生が毎朝、門の前に立ち指導をされているということを伺いました。

 朝の忙しい時間に自分にはとてもできないと思っていましたが、ちょうどその話を聞いた頃に小さなことでもいいので何か継続して新しいことを挑戦してみようと思っていたので、生徒の登校時間に私も校門に出てみようと思いました。

 1000人を超える生徒のうち、自分が日常的に関わっているのは担任を持つクラスの生徒、授業に出るクラスの生徒、部活の生徒ぐらいで他の生徒とは廊下ですれ違い様に挨拶を交わすぐらいである。全校生徒というのは難しいかもしれませんが、私も登校してくる生徒と挨拶を交わすことでまた生徒に対して違った見方ができるのではないだろうかと思いました。

 私自身、生徒指導を担当しているので指導ばかりの時間になってしまうという気持ちも持っていましたが…。

 校門に立ち始めてからはや半年以上が経ちます。当初予想していたものとは全く違う感覚でした。

 一番感じていることは登校してくる生徒の変化を日々感じることができることです。服装が乱れている生徒が少しずつきちんとしてくること、挨拶もしなかった生徒が自ら挨拶をしてくること、毎日慌てて登校してくる生徒がわずかながら早く校門を通過してくることなど数えればきりがないほど上げられます。沢山の生徒がわずかながら成長をしていく姿を感じる時間として校門に立つのは毎朝、非常に楽しみです。その僅かな成長を本人に伝えて自分自身の成長を感じてもらえるようにこれから声をかけられたらと思っています。

 この朝の光景は私の幼少時代を思い出します。学校に通う朝、家を出ると近所のおじさん、おばさんに出会い何気ない挨拶、何気ない会話を交わしていきます。時には身なりで注意されたりと…。そのコミュニケーションが気分の乗らない時など「がんばってきなさいよ!!」と背中を押してもらっていたような気がします。

 私は生徒を迎える立場としてではありますが「今日も一日がんばってこい!!」という近所のおじさんオーラを出せるような時間にこの朝の校門指導でできればと思っています。

 気持ちは私がこの学校にいる限り毎日、校門に出たいと思っていますが口で言うほど継続していくことは簡単なことではありませんが、言ったからにはやることと、生徒の成長する姿を楽しみながら朝の時間を過ごしていきたいと思います。

 最後に、このきっかけを与えてくださった「サウナ先生」ありがとうございます。
先生に負けないよう朝の校門指導を務めていきます。