【第847回】「創立120周年に思う」中村 裕行 (地歴・公民)
1904(明治37)年、日露戦争が起こった年に、遊学館高校の前身となる金城遊学館が創設された。今年は創立120周年という節目の年で、私も本校に赴任して40年、つまり本校の歴史の3分の1を共有していることに改めて感動を覚える。私が着任した当時(昭和60年)は、金城高校という女子校(普通科・商業科)で、今の第1学館が新館と呼ばれ、全国でも珍しい円形学館(円筒校舎 今の円形広場はその名残り)が存在していた。
今から120年前に金城遊学館を創設したのは、加藤廣吉・せむ夫妻である。当時、県下に高等小学校を卒業(14歳)後の女子教育機関は少なかったという背景があった。創設して間もなく廣吉先生が亡くなられたため、せむ先生が女手一つで苦労を重ね、自ら金沢市立長町小学校の教員を務めながら、金策や生徒募集に奔走して学校を創り上げていく。創設当初は共学だった金城遊学館(当時の新入生は女子21名・男子数名)は、翌年から金城女学校となった(当時の新入生は女子65名)。県内では、金沢女学校(後に北陸女学校、現在の北陸学院高校)、金沢市高等女学校(後に石川県立高等女学校、現在の金沢二水高校)に続く3校目の女学校であった。先月発行された新五千円札のモデル、津田梅子が津田塾大学の前身となる私塾(女子英学塾)を創設したのが1900(明治33)年ゆえ、ほぼ時を同じくして学校の形態は違えど、中央と地方で女子教育の普及が始められたことになる。加藤せむ先生の功績は、本校のホームページ(沿革)の他、金沢ふるさと偉人館の常設展、「近代を拓いた金沢の100偉人」(北國新聞社)、「かなざわ偉人物語③」(金沢こども読書研究会)でも紹介されている。
高い志をもって様々な困難を克服した先人達の努力が積み重なって、この学校の今がある。今年の卒業式で読み上げられた卒業生代表の答辞には、“光”をテーマとして、この学校で多くの先輩達から受けてきた“光”を、卒業後は私達が発していきたいという趣旨の一節があった。この学校で学び、巣立った同窓生は28,000名を超える。私も教員の立場から、生徒達とともに*遊学人として、先人達に続いていきたい。
* 遊学の精神とは、何ものにもとらわれず、自由に広く世の中を見聞し、人格を高め磨いていくこと。
金沢ふるさと偉人館の常設展(2024年3月撮影) |
「もっと知りたい 金沢ふるさと偉人館」より |