2021年3月18日 (木)

【第672回】 「コロナ禍と「数理モデル」」K. N. (数学)

コロナに始まり、コロナに終わった一年であった。

思えば4月。いきなりの休校で始まった。5月の連休明けに始まるはずが、非常事態宣言の延長により休校は続いた。本格的なスタートは6月だった。何もかもが手探りの状態だった。

おそらく史上最短の夏休みを経て、たぶん史上最長の2学期を過ごした。
いくつかの学校行事は取りやめになり、あるいは簡素化して行われた。修学旅行は中止となり、卒業式も簡素なものに置き換えられた。
数年に一度の大雪にも見舞われた。大雪による休校も経験した。
不作為の休校にこんなにも見舞われた年は経験がない。

それでも、授業内容は例年と同じ内容をなんとか消化した。教員によっても生徒にとっても大変な1年であった。願わくば、これが今年だけのことでありますように。

数学の教員として興味深く感じたことは、「数理モデル」という言葉が人口に膾炙したことである。

「実効再生産数」という難しい言葉がある。
詳しい説明は別に譲るとして、この数値が1より大きいと感染爆発が起こり、1より小さいと感染が収束する。大雑把にはそういう理解でよいと思う。これは、高校の数学で習う「等比数列」のとても興味深い例になっている。

「偽陽性・偽陰性」という言葉も見かけた。
細かい言葉の定義はさておき、単純に言えば、検査が「間違える」ことである。検査は「間違う」ことがある。確率は小さいが、0ではない。しかし、その「間違い」まで込めて、「感染している確率」を計算する方法がある。その方法を、高校数学の「確率」で学習する。

いずれも、高校で習う数学で理解できる「数理モデル」の例である。機会があれば、その解説ができないかと心密かに考えているところである。

百年前には、「数理モデル」という武器はなかった。このコロナ禍の経験は、いずれ人類の大きな糧となるであろう。5年とか10年のような短い話ではなく、それこそ歴史的規模での糧である。
そして、この経験を「数理モデル」という人類の叡智とともに、後世に伝えようではないか。

2021年3月11日 (木)

【第671回】 「やってみよう!」牛腸 尋史 (英語)

 今年度の遊学講座で「野外活動」という講座を開講しました。昨年までは、受験に関係する講座に長年携わってきたので、「やったことのないことに挑戦しよう」と考え、この講座の開講に至りました。

 コンセプトは3つ。
 ①失敗してもいいから何でもやってみよう
 ②仲間と協力して作り上げる喜びを共有しよう
 ③卒業後の人生をより豊かにできるように視野を広げよう

 薪割や燻製器の制作から始まり、テント設営、デイキャンプ、野外料理などのキャンプに関係する活動を体験しました。その他にも、屋内雪合戦やペタング、スカットボールなど、おそらく1度もやったことのないスポーツにも取り組んできました。
 薪で火を起こすためのフェザースティックづくりに苦労したり、校外活動で道に迷ったりするなどのトラブルもありましたが、無事に1年の活動を終えることができました。何よりもうれしかったのは、様々な活動を経験する中で11人の生徒が学年やクラスを超えて笑顔で協力する姿を見れたことです。料理がうまくできた時やゲームに勝った時には歓声を上げ、うまくいかないことを協力と工夫でクリアしていく様子を見て、私自身も「この講座を開講してよかった」と思うことができました。これからも、「やってみよう」精神で新しい活動に挑戦していきたいと思います。

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2021年3月 4日 (木)

【第670回】 「準備」小坂 英洋 (情報)

 令和3年3月1日(月)、第25回卒業証書授与式が挙行されました。
 コロナ禍での2回目の卒業式でした。前回(令和2年度、私は3年学年主任でした・・・)は、こんな世の中になるとは思いもせず、何もかもが中止ムードの中、慌ただしく行った感がありましたが、今回は、しっかりと準備をし、簡易的ながら最大限の式ができたのではないかと思います。私も音響の係として3年生を送り出すことができました。
 私はインターアクト部の顧問を担っています。インターアクト部は、ロータリークラブの提唱を受けた、地域奉仕と国際交流を柱とするクラブです。毎年、募金活動や地域の福祉施設のお手伝い、海外研修への参加など、多くの活動を行っています。
 しかし今年度は、インターアクトの活動が全くと言っていいほどできませんでした。ボランティアにせよ、国際交流にせよ、相手が存在することで成り立つことが多く、活動を自粛または中止せざるを得ませんでした。
 それでも、インターアクトの生徒たちは「自分たちに今何ができるか」を考え、準備をしていたことに感心しました。3年生は、部員を増やし、部活動を活性化するために尽力してくれました。この3年生が、本日卒業しました。コロナ禍で、悔いの残る高校生活だったかもしれませんが、これからの彼女たちの前途を祝したいと思います。
 インターアクト部だけでなく、遊学館の3年生は、様々な準備をしていたにもかかわらず、体育祭や学園祭、修学旅行などが次々と中止や代替・縮小となり、残念な思いが残ったかも知れません。しかしこの準備は、無駄なことではなかったのです。
 「努力は人を裏切らない」という言葉がありますが、私は「準備は人を裏切らない」という言葉にして、心に持っています。
 人生には、残念なことや悔しいことは、成功したことや嬉しいことよりも多いかもしれません。しかし、これらの残念な経験は、それまで自分が行ってきた準備や努力が次に活かされることの「サイン」なのです。
 卒業生のみなさん、みなさんがこれまで遊学館高等学校で行ってきた、勉強や部活動、先生や友人との交流は、これからの人生で経験することの「準備」でした。遊学館の3年間で準備してきたことは、絶対に無駄ではなかったと、いずれ思うこととなるでしょう。臆することなかれ、何でも挑戦してください。失敗したっていい。次は必ず成功します。
 そして、成功の暁には、遊学館に報告しに来てください。もちろん、失敗して慰めてほしい時も来てくださいね。先生方一同、待っています。
 卒業おめでとう。

2021年2月25日 (木)

【第669回】 「初めての冬」K. R. (地歴・公民)

2020年8月22日、錦町に人工芝のサッカーグラウンドが完成し、「竣工式」が行われた。
「自分たちの専用グラウンドができとことに常に感謝を忘れず、行動で表現していこう」
と選手たちに伝えた。
「感謝を表現する」とは、試合結果やチームの練習前後のグラウンド清掃だけでなく、各々が学校生活でも感謝を表現していこう、とも伝えた。

約4か月後、錦町グラウンドは初めての冬を迎えた。
この冬、石川県内の天気予報は「雪」マークが多かった。
人工芝は地面の熱が伝わりづらいため雪が溶けにくく、また雪掻きをすればするほど、芝の痛みが早いとも聞く。

「初めての冬」に備えて、100mのブルーシートを10枚購入し、敷いてみることにした。水を撒いたり、ブルーシートの上を雪掻きしたり…。
「警戒レベルの寒波到来」というフレーズがニュースで流れるたびに、サッカー部のスタッフは朝、昼、夜と時間帯を決めて、手作りのホースで水を撒いたり、ブルーシートを引きなおすためにグラウンドへ向かった。

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ブルーシートをはがすと、綺麗な人工芝が見える。
初めての冬を乗り越えた錦町グラウンド。
あの大雪を乗り越えたグラウンドが逞しくも思えた。
雪の中、選手たちも私自身も「感謝」忘れずに一生懸命に練習に励み、
この錦町グラウンドのように、どんな苦難も乗り越えて強く逞しく戦っていきたい。

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2021年2月18日 (木)

【第668回】 「ランドセルを知らない子どもたち」K. M. (英語)

 みなさんは「ランリック」というものを知っていますか?知っているあなたは京都府あるいは滋賀県出身の人でしょう。あるいはかなりのカバン通?
 そうです。これはカバンの一種です。ではどのようなカバンでしょうか。名前を見て何となく想像がつきませんか?正解は「ランドセル+リュック=ランリック」です。ちなみに「ランリック」は商標登録された商品名で、私たちは「ランリュック」と呼んでいました。
 去年私の息子が小学校に入学しました。入学前にランドセルを買うことになり、お店に行ってまず値段にびっくり!そして実際に手にしてみてその重さにびっくり!噂には聞いていたけれど、こんな重たいものをこんな小さな子どもに持たせるなんて!!「ランリュック」なら軽くて安いのになあと、思わず「ランリュック」を思い出しました。あの頃はあんなに嫌だった「ランリュック」だったのに…。
 実は京都府内の多くの人がランドセルを使ったことがありません。その代わりに「ランリュック」なるものを使っていました。それが学校指定のカバンだったのです。「ランリュック」は阪神タイガースカラーの柔らかい素材でできたリュックサックです。確かに軽くて使いやすいのですが、ダサい。とにかくダサい。テレビドラマなどに出てくる小学生が背負っているツヤツヤのランドセルがとてもうらやましかった。なんで私たちはこんな変なカバンなんだろう。そもそもランドセルは本当に実在しているのだろうか。実在しているならなぜ私たちは使えないのだろうか。6年間もやもやしながら「ランリュック」を使っていました。
 大人になり、誰かと話している時に「ランリュック」は全国でも京都府と滋賀県でしか使われていないことを知り衝撃を受けました。あんなダサいカバンを使っていたのはやはり私たちだけだったのか、と。

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 そして、いよいよ自分がわが子のために通学用のカバンを買う番になり、「ランリュック」の素晴らしさに気づかされました。安くて軽い、その上丈夫。なぜこのような良品が全国に広まらないのか。とはいえ、他の子とはまるで違うカバンをわが子に強要するのもいかがなものかと思い、本人の意向を尊重して、結局はランドセルを購入しました。ちょっとしょんぼり。
 調べてみると、今ではちょっとおしゃれなタイプも売っている様子。しかもここ最近は埼玉県や福岡県などでも採用している小学校があるのだとか。
 いつも身近にあって便利だけど、なんだかぱっとしなくて好きになれないもの。そこにあるのが当たり前すぎて、ありがたみを感じられなくなったもの。皆さんの周りにもそういうもの、ありませんか。子どものころの私にとって「ランリュック」はまさにそのようなものでした。
 若い子たちと話していると、石川県は田舎だから嫌だ、方言がダサい、という子がいます。私も若いころはそうでした。けれども、自然豊かな石川県だからこそできることや食べられるものがあります。「~まっし」や「~じ」といった金沢弁特有の柔らかな語尾などは心地よい響きです。
 自分にとっては当たり前にそこにあるけれど、何だかカッコ悪いもの。視点を変えて見てみると、その中に「良さ」や「美しさ」「カッコよさ」が潜んでいるかもしれませんよ。そういうものに気がつくと、人生が今よりちょっとおもしろいものになるかもしれませんね。