【第437回】 社会福祉施設への訪問に際して、バトン部員に必ず話すこと松田 淳 (地歴・公民)
この夏から秋にかけて、本校のバトントワリング部には各方面から多くの出演の依頼をいただきます。夏まつり、創立記念、PTA主催行事、スポーツ大会の開会式、文化祭、学会のオープニングセレモニーなど様々な行事にお伺いして演技を披露します。その多くのシーンの中で、社会福祉施設への訪問も部員たちにとって意義ある場面と考えます。ご高齢の方々、身体的・知的障がいを持たれた方々との出会いは、普段、健康で何不自由なく部活に打ち込める自分たちの生活の中で、ふと忘れていること・気づかされることが多くあり、大切な学びの場、気づきの場となっています。
バトン部は1年間に30回を超える出演をこなします。3年間で100回以上の出演となります。上級学年になっていくと、度胸もすわってきて、演技にも余裕が出てきます。1年生はまだまだ演技すること自体に心がいっぱいで余裕がありません。社会福祉施設の出演では知的障がいを持たれたお子さんや大人の方が曲に乗って、リズムを取り、時には演技の中に入ってこられることがあります。1年生部員はびっくりして身を引いてしまいます。3年生ぐらいになると、演技を止めて笑顔で接し、手を引いて客席まで誘導したりします。
さて、タイトルになっている「社会福祉施設への訪問に際して、バトン部員に必ず話すこと」とは、“認知症のおじいちゃん、黙ってうつむいているおばあちゃん、車椅子の男の子、知的障がいを持たれた女の子を、自分のおじいちゃん、自分のおばあちゃん、自分の兄弟、姉妹と想像しよう。みなさんを自分の家族だと想像しよう”と。これは代々の部員に言い続けていることです。心にバリア(偏見)を持ったままで、本当の笑顔の演技はできない。まず、心のバリアフリーがあってこそ、みなさんの心の中に入っていくことができる。共にその時間を楽しむことができる。おじいちゃんが手をたたき始める。おばあちゃんが笑顔になり始める。男の子が車椅子のまま前へ前へと出ようとする。女の子が嬉しそうに演技の中に入ってきて一緒に踊ろうとする…この瞬間、部員たちは自分たちの演技を通して“心”を伝えることができたのではないかと思い始める。自分たちに何ができるのか…ずっと一緒に過ごすことはできない。しかし、このひととき、少しでも楽しい時間を過ごしていただければ…という思いが深まり、より一層演技に力がこもります。施設に到着したときの緊張した表情は、施設からの帰路にはとても優しい笑顔に変わっています。
このストーリーを早くこのブログでお伝えしたかったのです。先月7月26日、相模原市の知的障がい者施設で起こった事件はあまりにもショッキングであり、怒りをおぼえました。私自身、夕方のニュースを家族と見ながら、わが家の子どもたちにこの事件の異常なところ、また、犠牲となった方々の無念、ご家族の方々の悲しみを想像しながら、心から真剣にこの事件の理不尽さを伝えました。そのときに、遊学館高校バトン部のお姉さんたちはどのような気持ちでいろいろな施設に行っているか…という先の話もしました。
私は現在、3年生の「現代社会」を教えています。障がいを持って生きることが不幸とは思わないような社会をつくりあげていく大切さ、高齢者も障がいを持った人も共に社会の中で同じように生活を送ることができる、そのような社会を実現することの大切さを生徒と共に、その学びの場を共有しています。
そのような中で、あの狂気のような事件は絶対に許せない。決してスマートフォンが悪いのでなく、時として話題になっているゲームアプリのキャラクターが悪いのでない。ただ、今の世の中は確実に、人を思いやる、人の痛みを想像することに無頓着(むとんちゃく)になっており、便利なことや流行させることだけを追いかけているような気がしてなりません。人間は画面の中にいるのでなく、温かさとふれあいがあってこその存在なのです。何か“人”が置いてきぼりになっている気がしてなりません。
社会福祉施設への訪問に際して、バトン部員に必ず話すこと…これからも言い続けていきます。バトン部の活動を通して、人としての優しさ・思いやりを純粋に素直に表現できる女性になってほしい、“障がい”を“障害”と思わない家族をつくってほしいという思いを込めて。
追伸 相模原市の事件で犠牲になった方々のご冥福を心よりお祈りいたします。