光谷 和子(美術)

2017年9月14日 (木)

【第495回】 「21世紀美術館 de 美術部イイネ!」

 いまや、金沢といえば「21世紀美術館があるね!」と言われるほど、通称『まるびぃ』は現代アートの美術館としての知名度が高くなりました。ここを訪れる人が国内外からやってきます。美術の授業内で、学校から歩いて行ける距離にあり、とても恵まれた環境にあると思います。約3か月おきに企画展が入れ替わりますので、その度に学生を引率して最先端のアートの鑑賞を行っています。昨年から美術部は、美術館の学芸員の方から声をかけていただき、21世紀美術館にて高校生ボランティア活動を行うことになりました。ここでその活動を少し紹介したいと思います。
 昨年、2016.10月に『1day特別展示』のボランティアを行いました。金沢市では、市民がより美術に親しみ、豊かな心を育むよう、10月の金沢こども週間の最終日を『市民美術の日』と定めています(この日は市民は観覧無料の日となっています)。美術部有志は、作品名『バイサークル(作者 パトリック・トゥットフオコ)』という7年ぶりに美術館に登場した運転型のアート作品を館内で模擬運転し、作品を来場者に説明して搭乗案内をするという内容の活動を行いました。この様子はTV「隣のテレ金ちゃん」で放送されました。

2909141_3 (2016.10 テレ金ちゃん収録後 記念ショット)

 2017の今夏には、『日本・デンマーク外交樹立150周年記念展 日々の生活―気づきのしるし』という、日用品等のデザインの展覧会が開催されています。この企画展に合わせて21世紀美術館は、デンマークから様々な形の自転車を貸してもらったそうです。今回の美術部は、美術館の芝生のエリアで模擬運転するという内容の活動を行ってきました。デンマークの街中では広く安全な自転車レーンが整備されており、日常的に人々は移動手段として、また、エコを意識して自転車を使用します。自転車を電車の中にも乗り入れできます。デザインもとっても恰好いいです!ただ、この自転車は日本の公道を走れないものがあります。電動アシスト機能だけでなく、さらにスピードが出るようアクセルがついていて、30キロほどスピードが出るものもあります。この日は、ちょうどお盆の時期と重なって館内外の来場者はすごいものでしたが、その間を遊学生が颯爽とデンマーク自転車を乗りこなすさまは人目を惹いていました。夏の良い経験となったことと思います。

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2016年4月21日 (木)

【第422回】 訪れた国いろいろ

 H23年から縁あってこの学校へ来ましたが、それより前は絵描き一本生活でした。20代のある日、「日本にいては刺激が限られている、そうだ外国へいこう!」と思い立ちました。それから10年ほど、海外と日本を往復しました。訪れた国は20カ国以上、その中で留学を通して実際に住んでみた国は3カ国で、ドイツ、スペイン、メキシコでした。その後も、住むことを目的として、絵描きにとって歓迎される国・創作の刺激がある国はどこかを探し回りました。先進国は治安は良かったのですが、どこも同じような完成された刺激でした。その為、それ以外の国へ向かいました。結局はイスラム文化に惹かれてトルコの空気が肌に合い、イスタンブールでちょっとデザインの仕事をしました。というわけで、個人的に色々なところを見てきた中で、ちょっと印象に残っている国のエピソードを取り留めなく紹介します。

 私は遺跡が好きなので、2006年メキシコで個展するついでにマヤ・アステカのピラミッドに登りに行きました。そこで、メキシコ南部、チアパス州のサンクリストバル周辺にはマヤの末裔の村があると聞き、そこを訪れました。サン・フアン・チャムラ村へは、スコールの中、馬に乗って山越えをして村にたどりつきました。険しいけもの道を馬が一歩一歩ぬかるむ土の中の足場を慎重に確認しながら歩みます。すぐ下は崖です。「馬力」を実感しました。そして、スコールってのはいきなり降るんですね。今まで青空だったのが、急にどこからともなく黒雲が湧き出てきてみるみる空を覆う。それからバケツをひっくり返したような水が落ちてくる。降ると、夏でもフリースがいるくらい寒くなる。1時間ほどもすれば雨はあがり、また青空に戻る。さっきの黒雲はどこかへ消えていったのです。ああこれがスコールか、と体で納得しました。
 また、このサンクリストバルという町の近郊には、別のマヤの村(あるいはゲリラの村)が点在しています。その1つ、アクアテルという村に行きました。そこには壁画が幾つかあります。有名なチェ・ゲバラの運動(サパティスタ民族解放軍)に共感・リスペクトした住民やゲリラの手によって描かれました。軽トラの荷台に家畜と共に乗せてもらい、山頂には雲がかかっているような高い山を3つぐらい越えて見に行きました。その絵は教会や家々の壁に無造作に描かれています。画家が描いた絵ではなく技巧的ではないですが、その拙さはかえって強烈なメッセージ性をアピールしてきます。その雰囲気やインパクトは強く、はるばると見に行ったかいがありました。

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 国の貧富の差は視界に入ってきます。カンボジアに行った際には、地雷の有無とか、水を得る手段(井戸)の有無とか、もうほんとに生きるための基本が整備されてないことに胸を痛めました。先進国の協力で地雷を除去したり、井戸を掘って命を繋いでいます。地雷によって親を亡くした子供たちに少しばかり寄付をしました。すると6歳ぐらいの女の子が恥らいながら一輪のプルメリアの花を手のひらに載せてくれて「Good luck, for your life」と拙い英語で言ってくれました。それが心に残っています。ミャンマーも、生活の為の整備が徹底されていない国でしたが、仏教信仰の厚い国で、その分、豊かであると感じました。6年生ぐらいの男女には出家の義務があります。誰でも寺院にいくと食べ物やある程度の教育を無償で受けられます。飢えはありませんでした。

 各国に共通した「発展」の実感としては特に足元のアスファルトを見れば分かります。都市から離れれば離れるほど、主要道路以外は舗装されていない赤土や黄土の地面です。雨が降ると、ぬかるんで病気が蔓延する温床になり、土が乾燥すれば空気中に舞いあがって呼吸と共に肺に入り、気管支系の異常をもたらします。カンボジアでもミャンマーでも空気中に土が舞い上がって咳がでますが、行った中で一番ひどく感じたのは、ガンジス河のほとりインドのベナレスという町でした。見渡す限り、様々な動物の糞で地面が完全に覆われていました。せめて乾いた糞を選んで踏んで歩いていました。この舗装されてない土と動物の糞が混ざったものが空気中に舞いあがります。しばらく滞在すると変なカラ咳がでるのです。
 強烈なインパクトのあったインドでは2週間滞在し、たまたま2度、命の危険を感じました。乗っていたバスが爆発しそうになって虎に襲われる危険性と、ニューデリーの同時多発テロ(2006)にちょうど遭遇しました。幸い無事に帰って来れました。インド人はテロが起こった現場でも「すぐ道路を片づけるからNo problem」と言ってきます。とても前向き思考で、ざっくりしていて、パワフルな国です。
 パワフルついでに。今から10年前のことだったからかもしれませんが、インドにはカーストの職業の関係として体の部分が欠損した人達が沢山いました。両足がない、両手がない、右手しかないとか、背骨が反対側に曲がっていてブリッジしながらしか歩けないとか。初めて見た時には大変驚きました。デリーの駅前に行くと、ドワーッと寄ってきて、あっという間に囲まれます。ホームにもいますし、電車にも乗ってきます。彼らは喜捨(「貧しい人に喜捨(お金などの施し)すれば、来世は報われる」という仏教思想)をされるために、積極的に手を差し出しながら人々の間を練り歩きます。仕事としてお金はもらって当然なので、積極的に堂々と接してきます。その堂々とした積極性はたいしたもので、彼らだけではなくインド人全体がそうでした。常に交渉が必要でした。さっき交渉したのに、また金額を上乗せして請求してくる。そういうことを1時間おきぐらい毎回異なるインド人がするので、初めの数日は心が折れそうになりました。
 インドでは個人旅行で2週間ほど滞在したのですが、最後のほうは動物と自然と人間が共存する暮らしに慣れました。ハイウェイの脇の草原にはキリンの群れが見え、ベンガルトラもいる。肉食動物から逃れてきた草食動物の群れが人間のいる村に逃げ込んでくる。その向こう、マハラジャの宮殿の池では野生の象の家族が水浴びしている。近づくと踏まれて殺されるので注意が必要だ。町中に動物園のように様々な動物が住んでいる。ヒンズーの神様と関係ある動物(牛、猿、ねずみ、蛇、象など)は殺してはいけないが、放置状態。牛は人間のゴミを食べて生きている。遺跡にたむろする猿、顔が黒く白い毛に覆われた群れは目を合わせてはいけない、威嚇をしてきて大変危険。野犬は群れて、ハイウェイで死んだ動物を食べて生きている。このような、動物と人間の一種のナチュラルな共存社会がこの地球上で存在する場所があったのかと感嘆しました。しかしながら、色々と突っ込みどころのあるインドです。一生に1度は見てきてはいかがですか。

 百聞は一見にしかず、海外に行くとあなたの価値観が変わると思います。ぜひ、若くて体力があるうちに世界を回って見聞を広げてきてください。

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2014年11月20日 (木)

【第353回】 「一生涯学習」

 私は2歳から90歳まで、幅広い世代と場所で創作活動のお手伝いを行っています。場所は幼稚園や児童館、公民館、学校、福祉施設、病院などです。
 手を動かして何かを形作るという行為は、脳にダイレクトに刺激が伝わります。脳が活性化することによって、さまざまな機能が回復することがあります。そのことを利用して医療現場にも創作活動が取り入れられているところもあり、私はそういう試みをしている病院の患者さんや、心身の回復を目的とした施設で、アート活動の講師をしていました。その時の思い出などのお話をしたいと思います。

 私が接した生徒さんの中には高齢の方が多くいらっしゃいました。例えば、脳梗塞の後遺症によって左半身まひの方もいらっしゃったのですが、その方には機能回復のリハビリで水彩画を教えました。腕を動かすこともできず、初めは筆がもてませんし、手が震えて鉛筆の線が引けません。しかしながら何度も何度も回数を重ねるごとに狙ったところに線をつなげて引けるようになり、腕が動くようになりました。同時に、麻痺していた足なども動かせるようになってきました。もちろん機能の回復は、全てが創作活動によるものではないでしょう。しかし、他の生徒さんたちとワイワイ明るい雰囲気の中でみんなで創作活動を行うという行為には心身をポジティブにする効果は確実にあったようです。
 認知症を診断された方も生徒さんにいました。その方は自己紹介で「私は脳がちょっとしびれているから、色々とごめんなさいね」と話されていました。なかなか上品で美しい言い回しだなと感心し、職員一同で「私達もボケたらそう言おう!」と和気あいあいで言い合ったものです。

 私は講師として技術を指導しに行っていましたが、生徒の皆さんは人生の大先輩方です。会話の中で人生の勉強になることが沢山ありました。その中でも印象深い言葉がいくつかありますので紹介してみますね。
「若い時はスポーツでも活躍して、仕事もバリバリこなしてさ、なんでもできると思っていたけど、それは若さゆえのおごりだった。歳をとると体が動かない、結局最後にできるのは歌か書か絵だね」「60の手習いという言葉があるように、芸術の門をたたくのに年齢制限はない。70歳の今から描き始めたけど80歳になったらプロデビューするよ」「長年、料理教室で栄養バランスを指導してきて、どんなに食に気を付けていても結局最後は病気になった。最後に残された時間は絵と祈りに」「定年退職してからやることがなくなった。趣味を見つけるために絵をはじめた。絵を描くのは高校以来だよ、先生に上手いって褒められたんだ」「長唄の先生を80歳までやってきたけれど、もうできなくなりました。足も悪いしこれからは水彩画を楽します。描いた絵を飾るために家にギャラリーも作ったの」「人の意見に聞く耳をもたんといかん。でないと自分の葬式に人が来ないよ」「絵を描いている人に悪い人はいない、みんな天国に行くよ。先生もね」などなど。面白いものもあれば、考えさせられるものもあります。

 みなさんは、高校を最後に美術と触れ合う機会がなくなる人も多いと思いますが、このように歳をとっていくと、最後のほうでまた美術と再会する場があるかもしれませんね。日々、一生涯楽しめるそれぞれの何かを模索して、人生を豊かに楽しんでください!

2012年6月21日 (木)

【第235回】 『麗子像』と歴史ロマン

 ちょうど私のデスクが第二職員室の英語の先生方の隣にあります。
そこでちょっと小耳にはさんだところによると、3年Rの教科書にでてくる岸田劉生の作品『麗子像』が「とても不気味だ!」という評判でもちきりだそうですね。
本物の作品はもっと油絵の質感と色味が美しいのですが・・・。
それにしても麗子さん、なんだか人間味のない表情をしていると思いませんか?
――――はい、実はその感想で正解なんです。
なんでそのような表現になったのか2つの視点から見てみましょう。

【その1 謎の微笑について】

 岸田劉生が麗子像の手本としたのはレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた『モナ・リザ』という説があります。では、この有名な『モナ・リザ』の表情に着目してみましょうか。無表情の中に口元だけが微笑していますね、このような微笑を“アルカイックスマイル”といいます。これは我々日本人も日々の中で見たことがある笑みなんですよ、そうです、仏像の笑みです。
 この仏像の表情の様式はどこから来たかというと、シルクロードを通って日本に伝わったんです。紀元前300年代にマケドニア国(現ギリシャ)の王様・アレキサンダー大王という人が、ギリシャからインドにまで遠征にいったんです。これでギリシャの文化がオリエントの文化と混ざることになりました。オリエントはラテン語で「日が昇る方角」を意味するオリエンス(Oriens)が語源ですから、西側諸国からみて東側(アジア)がオリエント地域にあたります。というわけで西の文化が東に伝来した結果、ギリシャ彫刻の様式が仏像の様式になったわけです。この仏像の微笑の様式は、紀元前6世紀頃のギリシャ時代のアルカイク美術に見られる特徴でした。このアルカイク美術においては、いかに静止像に動きを与えるかが造形課題でしたので、生命感と幸福感を演出するためのものとしてアルカイックスマイルが流行したんですね。
 さてさて、では、これらギリシャ時代における彫像の主なモデルは誰だったのでしょうか?――――それは、ギリシャ神話の神々と英雄達でした。
想像してみてください、人間が神様の表情を作るのはさぞかし大変だったと思いませんか。神様は誰も見たことありませんから、像を制作する職人はさぞかし悩んだでしょうね。
「神様の顔?きっと生命感と幸福感に満ち溢れた表情だけどもどこか人間離れした表情だろうな・・・」と。
そう思い悩んだ末にアルカイックスマイルという様式にたどり着いたのでしょうね。

【その2 技法からの視点】  

 岸田劉生に影響をあたえた画家に、デューラー(15-16cドイツ)とゴヤ(18-19cスペイン)がいます。デューラーは“キアロスクーロ”という技法を用いました。これは光と影の対比によって画面中に劇的な効果を生み出す技法で、日本語でいえば“明暗法”にあたります。ゴヤは晩年、聴覚を失い『黒い絵』シリーズと呼ばれる明暗法をも使用した劇的で恐ろしい内容の作品群を生み出し、人間の持つ偽りない内面を表現することを重要視しました。
 さて、『麗子像』に話を戻しますと、あの皆さんに不評だった人間味のない表情は、元を辿ればギリシャの神々のものだったんですね。そりゃあ、人間味のない表情だったわけです。人間が神様の表情を想像して作り上げた不自然な笑みでした。さらに岸田劉生は“明暗法”という技法も使用しつつ、内面性(美や神聖さ)を表現しようとしていました。このなんでも「劇的なように」見せることができる技法の効果によって、もともと不自然だった笑みがより一層と劇的に不自然な笑みに見えたのでしょうね。

 このように、作品の背景に思いを馳せてみるとなんだかロマンを感じませんか?
ただただ不気味で不評だった『麗子像』が、なんだか一種の神秘的な雰囲気の中、静けさの伴う美しさや、一種の神聖を帯びてキラキラと輝いて見えてきたりは・・・しませんかね???

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