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2023年6月22日 (木)

【第788回】「107歳?!」道上 ちひろ (英語)

2007年に日本で生まれた子どもは、50%の確率で107歳まで生きる。
※アメリカのカリフォルニア大学とドイツのマックス・プランク研究所が行った調査結果

 それは素晴らしい!と思うことは私にはできませんでした。むしろ、なんだかモヤモヤした気持ちになりました。「え、健康でいられる?」「何歳まで働けと?」「天変地異や凶悪事件が増えているような時代に、107歳なんておそろしいわ!」※ちなみに私は40歳を過ぎています!
 私の性格のせいなのか、いろいろと考えを巡らせても前向きな気持ちにはなれませんでした。モヤモヤの先にようやく見えたことは、3つ。

①「うん!今を前向きに生きるしかない」遠い未来を案じていてもしょうがない。
②「できるだけ、心身ともに健やかにいられるように心がけよう」健康だから頑張れる!
③「生きることはお金がかかるということ。長生きしたときにお金に困らないようにする」
  生臭い話ではあるけれど、大切なことだと思います。

 個人的な価値観ですが、精神論や友人・知人が多いだけでは幸せにはなれないように思います。また、たくさんのお金さえあれば幸せかというと、そうでもないのではないでしょうか。若いみなさんには、学校生活や部活動などを通し、学生時代に “良き人間関係” を築いてほしいと思います。
 それと同時に、自身の将来を大きく変化させるかもしれない進路や職業についても深く考え、一生懸命に学ぶことが人生107年時代?!を生き抜くために重要になるのではないでしょうか。
 私は進路指導を担当する者のひとりとして、それぞれの個性に合った進路選択や職業選択のお手伝いができれば、そのように思っています。

若いみなさん、人生はこれからです!
できることからでいいんです!
小さな一歩でいいんです!

きっと、未来は明るいです ^_^

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2021年12月23日 (木)

【第711回】「進路について考える」道上 ちひろ (英語)

 12月20日に『金城体験講座』が実施されました。金城大学コースを希望する1年生95名が金城大学を訪れ「看護」「医療健康(理学療法・作業療法)」「社会福祉」「幼児教育」「ビジネス実務」「美術」に分かれ、大学教員から直接学ぶ機会となりました。

 高校に入学して、一年も経たない段階で卒業後の進路ついて考えることは簡単なことではないかもしれません。しかし、これからの先行き不透明な時代を生き抜くためには、進路選択や職業選択がますます重要になり、早い段階から自分の将来像を描くことが不可欠だと考えます。近年、入学試験や就職試験で求められる知識や技能は高度なものになり多様化しています。それに勝ち抜く力を身につけるには多くの時間や努力が必要となります。

 金城大学コースに限らず、遊学生のみなさんには、どのような学問が存在し、それが自身の職業や将来につながるのかなど主体的に調べることも大切な力だと考えます。何よりも、生徒のみなさんに進路選択に必要な幅広い情報提供することも、教員としての大きな役割であると改めて実感させられる一日でした。

さあ、みなさんは、どんな将来像を描きますか?

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<金城体験講座(講座内容一例)>

看護 生活援助技術 ~手浴の効果を体験してみよう~
医療健康 理学療法士、作業療法士に質問してみよう!
社会福祉 他者理解は自己理解から ~自分ってどんな人間~
幼児教育 作って遊べる軍手人形
ビジネス クリスマスをコーディネートしよう
美術 絵が上手くなる勉強法?!

2020年7月23日 (木)

【第638回】 「5分間がおしえてくれたこと」道上 ちひろ (英語)

 先日、かかりつけの病院を受診したときのことです。
いつもの看護師さんが私の手に触れ「いつもより手が冷たいですが、お変わりはないですか?」
と話しかけながら、腕から手のひらをさすり温めてくれました。
“人との距離を取りなさい” “人との接触を避けなさい” これまで経験したことのない異常とも思える環境に慣れはじめている私にとって、そのためらいのない対応に温かな気持ちがわき上がりました。

 また別の場所からは、何度も優しく
「~さん、マスクを外さないでね、そのまま診察しますからね。」そんな看護師さんの声が聞こえてきました。何度もマスクを外そうとする少し耳の遠いご老人に話しかけていたのでしょう。

 さらに看護師さん同士の会話が聞こえてきました。寒くなり風邪やインフルエンザ、そして新型コロナウイルスが同時に流行しはじめた際にどのように対応すべきなのか。いろいろな意見が交わされていました。

 世界中が新型コロナウイルス感染を恐れるなか、たった5分という時間でしたが、看護師という職業の尊さを少しだけ垣間見れたように思います。

 そのような状況を目の当たりにすると、最近よく報道されている看護師をはじめとした医療従事者への待遇などがとても悩ましく思われます。

 遊学館には、看護師や理学療法士、作業療法士など医療に関わる職業を目指し学業に励む生徒がいます。いままさに、100年に一度とも言われるこの極めて困難な状況を乗り越え、こころざしを叶えようとしています。将来、そんな彼らの置かれる環境が本当の意味で輝ける場所になっていることを願わずにはいられません。

金城大学コース(看護・医療健康コース)放課後補習

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 未来の看護師です!

2019年2月14日 (木)

【第566回】 小さなこころ遣い道上 ちひろ (英語)

 2月1日、遊学館の一般入試が行われました。私は試験監督として、緊張した面持ちの受験生のいる教室に入り、監督補助の生徒と問題用紙をひとりひとりの机の上に配っていきました。その際、ほとんどの受験生が「ありがとうございます」と小さな声で言ってくれました。試験が終わり、解答用紙を集めるときには、「お願いします」と両手で手渡しをしてくれる受験生も多くいました。本当は緊張でいっぱいで、気持ちにゆとりなどないはずです。しかし、精一杯の気持ちを伝えてくれたように感じました。
 ブログの題材にするには取るに足りない、小さなことかもしれませんが、その小さなこころ遣いは、私の心を温かく優しいものにしてくれました。
 最近は、スマホなどの普及もあり、感謝の気持ちさえも文字で伝えることがとても多くなりました。そんな中、中学生のみなさんの姿を通し、口に出して言葉で伝えることの大切さを改めて実感させられました。そのような“小さなこころ遣い”のできるみなさんが、大きな志を持って高校生活に挑めば、どんな困難も乗り越えられるはずです。

中学生のみなさん、がんばってください!

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2017年9月 7日 (木)

【第494回】 対話道上 ちひろ (英語)

 最近SNSという言葉に触れない日はありません。高校生のみなさんもとても上手に楽しんでいますね!私もLINEというツールの便利さと楽しさを実感しています。しかし便利さ以上にトラブルの種になっていることも事実でしょう。自分が伝えたい内容と相手に伝わった内容が全く異なっていた。また、意図せず相手を怒らせてしまう、など。

 先日、金城大学で行われた教職員研修会に参加しました。その中で、対話という言葉が強く印象に残りました。改めて対話という言葉について調べてみると次のように書かれていました。


 対話:お互いを理解するために、本音と本音の話し合いをすること。
    信頼関係を築くためのコミュニケーション。

 表情やジェスチャー、声色やイントネーションを伝えられないLINEなどでは対話を成立させることは難しいように思います。それが原因で、さまざまなトラブルを招いてしまっているのでしょう。

 みなさん、『企業が新入社員に求める能力』の上位にランクインしているものは何だと思いますか?すぐに気づいた人もいるかもしれません。そうです、コミュニケーション能力なんです!

 遊学館と同じ学園の中にある金城大学や金城大学短大部では、保育士や幼稚園教諭、看護師、理学療法士や作業療法士、福祉の仕事や医療事務、ウェディングプランナーなどを目指すことができます。いずれも信頼関係を築くことが重要な職業で、そのためには高い対話力が求められます。

 中高生のみなさん、SNSオバケになっていませんか?対話によるコミュニケーションのほうが、もっとステキな人間関係を築けるのではないでしょうかheart

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SNSをしている人   対話している人heart
※9月からALTとして来られたマーク先生です!

2016年4月14日 (木)

【第421回】 さくら道上 ちひろ (英語)

先日、兼六園にお花見に行きました。日本には数え切れないほどの花があるのに、なぜ桜を愛でることだけを“お花見”と言うのだろう・・・。普段は花より団子派の私が、なぜかそう思った。

なぜ昔から、桜は日本人の心を魅了し続けるのでしょうか。「さくら」という題名の名曲も数多くある。

あの、淡く優しいピンク色、美しく咲き誇って、いつの間にか散ってしまう儚さのためなのか。そんなことを考えながら兼六園を歩いていた。

その時、友人が言った。「1995年1月17日に阪神・淡路大震災が起きたとき、西宮市の夙川という桜並木になっている花見の名所も震度7の揺れで大きな被害を受けた。川の堤防は活断層の影響で段差になり、橋が壊れるなど悲惨な状況だった。」

「震災の混乱と悲しみから、夙川の桜のことなど誰ひとり考えもしなかった。でも、その年の春、夙川の桜は、いつもと変わりない綺麗な花を咲かせた。」

そのとき、誰もが咲いてくれてありがとう・・・そう思い、とても喜んだそうです。

美しいからだけでなく、儚いからだけでもない。そこには何にも負けず、どれだけ年月を経ても、変わらず咲き誇る強さが日本人の心を打つのかもしれません。

日本人にとって桜は他の花にはない、何か特別なものであることは間違いないのでしょう。

“お花見”日本人はなぜ、桜を愛でることだけを“お花見”と呼ぶのでしょうか・・・。

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2014年11月27日 (木)

【第354回】 “和”な一日道上 ちひろ (英語)

 先日、本校茶道部は21世紀美術館にある、松涛庵というお茶室での催し「茶菓と箏曲を味わう」に参加した。

 そこでは、本校の土曜講座(遊学講座)のお箏の先生である、北村愛里先生が和服姿でお箏を奏で、茶道部員は、大島宗広先生のご指導のもと、お抹茶と秋を表現したお菓子で観光客の方などをもてなしました。

 秋晴れの金沢で、目で和を感じ、耳で和を楽しみ、口で和を味わう。秋を感じさせる、紅葉やとんぼの茶器やお菓子、お抹茶の味、そしてお茶室に響くお箏の音色。金沢で生まれ育った私ではあるが、初めての経験でした。まさに日本の美を五感で感じられる一日でした。

 このようなことを言うと、私が、いかにも日本が大好きで、日本の和に詳しい金沢女性だと想像するかもしれない。しかし実はそうではない。むしろ“和”からはほど遠く、西洋のものやモダンなもののほうが、だんぜんお好みの私である…。

 そんな私が、日本文化の素晴らしさや、金沢という町の良さを純粋に感じることのできる貴重な経験となった。

 お茶会が終わったとき、生徒が「あー、楽しかったぁ」と、一言。それを聞き、この和を愛する女子高生は、将来きっと、“すてきな金沢小町”になるのだなぁ、と、ほんわかした気持ちになれる一日でした。

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2013年8月 8日 (木)

【第291回】 『まっくろくろすけの応援』道上 ちひろ (英語)

今年もまた、暑い暑い夏がやってきた。

今年は梅雨明けも遅く、蒸し暑さもきつく感じる。

遊学館にとってこの時期はなんと言っても、夏の甲子園石川県予選大会である。

この時期、授業に行き野球部の生徒を見ると、

「きっと試合のことで頭がいっぱいなんだろうな」、

「いつも以上に、この時期は疲れているんだろうなぁ~」

となんとなく思う。

「この構文は大切だから必ず覚えておいてね!」

という私の言葉も、この時期の彼らには、全く聞こえていないかもしれません。smile

それでも、眠気に打ち勝とうと頑張って授業に臨んでいる姿があります。

大会が始まり、1回戦のハラハラを打ち破り、準決勝の日を迎えた。

野球部の勇姿を見るために、そして勝利を願いたくさんの生徒が応援にやってきた。

応援団の先生や生徒たちは汗だくになりながら朝から準備をしている。

体育会系でもなく、スポーツ観戦からもほど遠い私も、この時ばかりは万全の紫外線

対策で応援に臨む。

頑張っている野球部の生徒や応援の生徒には大変申し訳ないが、

応援時の私の服装は、黒いズボンに黒いTシャツ、黒いつば広帽子に、黒いロング

手袋、そして真っ黒サングラス。

まさに、“まっくろくろすけ”である。catface

応援に来る途中にコンビニに立ち寄った。

遊学館の対戦チームの応援Tシャツを着た人達を目にしたとき、なんとなく力が入り、

まっくろくろすけも「頑張って、負けないで!」

という気持ちになる。

試合が始まり、スタンドでは真っ黒に日焼けした野球部員たちが汗だくになりながら、

応援ダンスと共に惜しみないエールを送り続けている。

これぞ、正真正銘“まっくろくろすけの応援”である。炎天下4時間もの間、

勝利のため、仲間のために応援し続ける。とても素晴らしいことである。

同点のまま13回を迎えた。勝ちたいという選手たちの頑張りと応援する人たちの

気持ちがひとつになったのか、さよならホームランで勝利することができた。

試合が終わり、球場に止めてある車に乗り携帯電話を見ると、友人や兄から

メールが届いている。

「遊学館勝ったね、よかったね!あの応援面白いね!」、

「明日、仕事休みやしテレビで応援するわ!」など。

決勝戦では星稜高校には一歩及ばなかったけれど、野球部のみんなの頑張っている

姿を通し、きっとたくさんの遊学生が、

「自分も部活動がんばろう」、「私も受験勉強がんばろう」

「僕も頑張れるものを見つけないと!」と思ったはずです。

野球部のみなさんお疲れさまでした。また来年も頑張ってください。

遊学館の人たち、そして遊学館以外のたくさんの人たちが、野球部のみんなのことを

応援しています!!

2012年4月13日 (金)

【第227回】 時間という宝物道上 ちひろ (英語)

 今年度は402名の新入生を迎え入学式が行われました。真新しい制服に真っ白なシューズ、ちょっとだけ緊張した表情で受付けにやって来る新入生の姿に微笑ましさを感じました。入学式のたびに時間というのはなんと瞬く間に過ぎてしまうのだろうか・・・と思うのです。新入生のみんなの初々しい姿を見ると、みんなはこれからどんな高校生活を送るのだろうか、自分の高校時代はどんなだっただろうなど、いろいろと思いを巡らせてしまいます。そして毎年、みなさんの姿を通し“時間という宝物”に気付かされるのです。

“Time is money”このことわざは誰もが耳にしたことがあると思います。「時は金なり」書いて字のごとく時間はお金と同じくらい大切であるという意味になります。しかし、私には時間はお金以上に大切なもののようにも感じるのです。お金は努力によって増やすことができます。しかしながら、過ぎ去ってしまった時間は決して取りかえすことが出来なければ、過去に戻ることもできないのです。時間は全ての人間が平等に与えられた宝物なのです。その宝物を輝くものにするのも、そうでないものにしてしまうのも自分自身なのです。

 使えばあっという間に無くなってしまうのがお金。それに対し、時間という宝物は大切に使えば使うほど自分に輝きを与え、自分自身に身に付けたことは決して自分から消えて無くなることはないのです。こんなことを言っている私も、無駄に費やしてきた時間が沢山あり、今もなおそんな時間を過ごしてしまうことも多くあります。こんな当たり前の事実であっても、常に心に留めて努力することは想像以上に難しいことだと感じます。入学式はそんな私に“時間は宝物”と気付かせてくれるのです。それを教えてくれる新入生の皆さんに感謝し、私もこれからの自分を輝かせるべく1日1日を大切に過ごしていきたいと思います。

 自分を輝かせる方法は、みんなそれぞれ違います。限りある時間を大切にし、「私が高校で過ごした時間はかけがえのない宝物になった」と自信を持って言える3年間を送ってください。高校生活pricelesswink

Michigami

2010年6月30日 (水)

【第139回】アシュリー道上 ちひろ (英語)

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アシュリー

前回(第99回)のコラムでカナダからの留学生であるアシュリーについて書きました。あれから、1年近くが経ち、別れの時が近づいてきました。
日本に来た当初は、日本語が全く分からなかったのですが、日々向上する彼女の日本語力には驚かされるばかりです。今では、英語を一切使うことなく自然にコミュニケーションを取っています。そんな彼女を外国人として接しているクラスメートは一人もいないでしょう。

 とはいえ、何の障害も試練もなくここまできたわけではありません。
いつも明るく前向きで、努力家である彼女であっても日本独特の文化が理解できず、クラスメートとの関係がこじれ、涙を流すこともしばしばありました。ある時、クラスの中で、小さなもめごとが起きました。

 「アシュリーが自分たちの言うことを理解してくれない。」
「もうこれ以上私達にはどうにもできない」そんな言葉が飛び交っていました。
そんな会話の中で、ひとりの生徒が言いました。
「みんな、私達がアシュリーの立場だったら、自分の思いを英語でちゃんと伝えられる?」
「伝えようとしても正しく伝える事が出来ないのに、ひとりも日本人がいない中でそんなに強くいられるの?」といったものでした。

 その瞬間、生徒達は無言になり「そうやよね、あたしアシュリーにもう一度メールしてみる。」
「私も電話してみるし、それでも上手くいかなかったら、先生を含めて英語と日本語でみんなで話し合えばいいよね。」などと前向きで彼女を思いやる言葉がたくさん出てきたのです。

 彼女の気持ちを汲み取ろうとする生徒たち、みんなと仲直りがしたいという気持ち、そして日本文化に少しでも馴染もうと努力するアシュリーのこころがひとつになり問題は自然に解決へと向かったのでした。

 あの時、両者がお互いに歩みよることなく、もうどうでもいい…となっていたなら、
彼女にとっての日本での生活は大きく変わっていたかもしれません。
このように、彼女にとってこの留学は、決して楽しいばかりではなかったはずです。

 別れの日が近づいたある日、私が「アシュリー、あと一月だね」と言うと、「まだ帰らないから別れのことは言わないで。」と答えたのでした。
そんなさびしそうな表情の彼女を私はいとおしく感じました。
今の彼女にとって、一番辛く悲しいことは、大好きになった日本を離れ、何よりも日本で出会ったかけがえのない友人と別れることなのです。しかしながら、アシュリーが感じているこの悲しみは、いかに日本での生活が充実し、思い出深いものであったかを物語っているのではないでしょうか。

 アシュリーが帰国の途につき、あの明るい笑顔が教室で見られなくなった時、私たちはこの別れのさびしさを強く実感するのかもしれません。