中村 ゆかり (国語)

2018年12月13日 (木)

【第558回】 「制服」

 先日、某TV局の開局記念番組を目にする機会があった。2018年に至るまでの時代の変遷が記録された画像が流された中に、ほんの一コマだが、一瞬で分かる本校のセーラー服が映った。はじける笑顔で街を歩いている女子校時代の生徒の様子は、見ている方にもさわやかな印象を与えるものであった。

 本校のセーラー服は、太い線の内側に細い線と二本の白い線が襟を縁取るように並んでいる。母子線(おやこせん)と呼ばれ、太い方が母を、細い方が子供を表している。また太い線は女性の忍耐強さ、細い線は繊細さと優しさを表していて、二つの意味を持つ。スカートの襞(ひだ)も一般的なものとは異なり、その向きが同じ方向に一周するのではなく、前に中心が来るように寄せられている。私自身の母校はブレザーにボックススカートであったため遊学館高校に着任した当初は、高校でのセーラー服が逆に新鮮でもあった。
 同様に雪の結晶の中に白梅をあしらった校章もその「いわれ」を知ると、創設者の生徒に対する溢れる慈しみの思いが伝わってくる。遊学館高校として共学になってブレザースタイルも導入されたものの、歴史ある思いのこもったセーラー服は現在でも、多くの女子生徒が選択している。

 平成もまもなく終わりを迎える。時代の流れとともに防寒として、指定のセーターを着用しているが、式典等では正装になる。生徒には「正装」ということの意味を改めて考えてもらいたい。時代は変わっても、受け継いでいくものは厳粛に受け止めていかなければならない。冒頭の女子校時代の生徒のように、ブレザー、セーラー共に制服を「着る」のではなく「着こなせる」生徒であってほしい。

2017年7月13日 (木)

【第486回】 「つなぐ」

 一ヶ月前のことになるが、6月に体育祭が実施された。本校の体育祭は3年生のクラスの数だけ色別の団があり、1,2年生も含めた縦割りの団編成になる。昨年は3年生の担任として3年生が1,2年生を上手くまとめられるか心配だったが、今年は1年生の担任として右も左もわからない彼らが、他学年の足を引っ張るようなことがなければいいなという思いでいっぱいだった。
 当日は天候に恵まれてクラスの生徒は欠席者もなく、それぞれの出場種目や同じ団の仲間たちの応援に、ちからいっぱい取り組んでいた。その姿に普段の教室での表情とは違った一面を見ることができ、嬉しさを感じた。準備期間が短いため気がかりだった応援合戦も、振り付けをしっかりと覚えてリズムに乗りながら3年生、2年生とともに頑張っている様子も微笑ましかった。振り返れば、前日の応援練習から3年生が優しく丁寧に1年生をリードしてくれていたと思う。教師の側が「大丈夫かな」と多少不安を抱いても、脈々と受け継がれている『遊学魂』― 先輩が後輩をリードし、後輩は先輩の指導を受けながら成長していく― そんな様子に反映されていることを強く感じた。
 後日1年生には朝読書の時間を使って、感想とともに3年生に向けてメッセージを書かせた。一言くらいで簡単に書いてもらうつもりだったが、予想に反してたくさんの言葉を綴ってくれた。初めての体育祭だったが、先輩が優しく教えてくれたことに感謝をする言葉や自分たちのときにも盛り上げたいという意欲的な言葉、そして受験を控えている先輩に頑張ってほしいというエールの言葉…
 3年生の活躍は大きな財産となって、確実に1年生の心に残っていることを改めて実感させられた体育祭であった。

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2016年2月18日 (木)

【第413回】 「辻占」

『足るを知る』― 今を満ち足りたものとし、現状に不満を持たない者は、満ち足りた心で生きていける。己の身の程を知り、それ以上を望まない事が、豊かに生きるということである ―

 2月10日、今年度の「遊学生の主張コンクール」が実施された。1,2年生全員が日頃考えていることや感じていることを冬休み中の課題として800字程度で主張文を書き、各クラス代表者を1名選出して発表する。今年は例年以上に素晴らしい発表内容が多く、どのクラスも本当に健闘したと感じられるコンクールであった。
 冒頭は今年の私のクラスの代表生徒の主張タイトルに続く言葉である。彼女は家族恒例としている辻占で、今年引いた『足るを知る』という言葉の意味を知ることによって、自身の十七年間を振り返った内容の主張文を書いた。
 反抗期の中学時代に「努力したら絶対いいことあるし、楽しいことたくさん待っとるよ。」と見放すこと無く声を掛け続けてくださった中学校の先生方、辛いとき悩み事を聴いてくれ、笑顔にしてくれた先輩や仲間達、そして十七年間、道を逸(そ)らすことのないように厳しくも愛情を注ぎ育ててくれた両親、これまで自分を支えてくれたすべての方々に心からの感謝を伝えたいという思いが綴られていた。
 彼女の溢れんばかりの思いの詰まった主張文。加賀の正月の縁起菓子として親しまれてきた辻占を毎年恒例とするステキな御両親のもとで育ち、たくさんの方々の支えがあってこそ今の幸せな自分があることに気づくことができた。まさに「足るを知る」である。そうした自身の思いを上手く言葉に載せて表現できたことは、授業とは別の場面での生徒の成長ぶりを見ることができて嬉しい限りである。私はここ数年、クラスの生徒達の主張文を3学期の成績表とともに保護者の方々へ送付している。生徒一人一人が今の自分を見つめ、自分の言葉でまとめた文章に目を通すことで、それぞれが考えていることを保護者の方々にも共有して頂きたいと考えているからだ。私同様、我が子の成長を実感して頂けることと思う。

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 来年、人生二度目の大きな岐路に立つ彼女は、併設校への進学を目標としている。
 文は努力を重ねて自身の目標を達成し、将来の夢を実現することで支えてくれた方々に「ありがとう」を伝えたいと締めくくられた。

2014年9月25日 (木)

【第345回】 「原点」

 9月3週目の連休に、第16回北信越高校生文芸道場に参加した。運動部と違って、競って順位がつくというものではないが、北信越地区における文芸の新人大会に当たる。二日間にわたって開催され、北信越地区(福井、富山、長野、新潟)から多くの文芸部に所属する高校生たちが一堂に会した。本校の文芸部員は人数が少なく、日頃の活動もかなり制限された形で行っているため、1年生にとっては初めての大きな大会となる。参加するためには必ず文芸作品を出品することが条件で、今回、参加するまでの準備を含めて生徒たちが得たところはとても大きかったと感じさせられた。

 大会初日は文学散歩からスタートし、近代文学館と21世紀美術館を訪問した。文学館では三文豪を始め、県にゆかりのある作家たちの生い立ちや作品集などが展示されており、改めて認識する内容も多々あった。またその後の交流会では、公立高校の実行委員である生徒たちが様々な工夫をし、二日目の研修に向けて、より一層充実した活動となるように親睦を図るプログラムを用意してくれた。毎年、開催県の実行委員となる高校生たちの企画で文学的要素を絡め、趣向を凝らしたグループエンカウンターが行われる。その活動を通して、参加者同士の距離が少しずつ近づいていく。二日目は各部門に分かれて、事前に提出した作品を評価したり、当日、課題を与えられて創作をするという活動を行った。本校の1年生二人は、日頃教室でも発言が少なく目立たない存在で、上手く活動に参加できるか不安はあったが、自分の考えを自分の言葉で第三者に伝えることが出来ていた。俳句部門に参加した生徒は、部門に参加する人数が少なかったこと、指導講師の先生が適切なアドバイスをしてくださったことが相乗効果を生み、活発に意見交換が出来ていた。何より、二人の1年生の知的好奇心に満ちた生き生きとした表情が印象的であった。本当に「いい顔」をしていた。

 同じ週の遊学講座、巡回先のクッキングスクールでの校長先生のお話に、御自宅で60年育てていらっしゃるマスカットのことを伺った。農家のように、こまめに手入れをしていないが毎年必ず実をつけるそうである。昨今は果物に限らず、甘みの強い食材が店頭を賑わわしている。どうやら物によっては甘さを引き立たせる肥料を与えてあるらしい。そんな中で、当たり外れはあるが「自然の味、おいしさ」を味わって欲しいとのお考えから、受講している生徒たちに「おすそわけ」をしてくださった。これから「食」は作ることも食べることも「原点」に戻っていくという言葉とともに。

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 文芸道場での生徒たちの自然な表情・笑顔を見たとき、創作も自分自身を掘り下げていく、原点に向かっていく活動だと再認識した。その活動を通して一回りも二回りも「おいしい」人に成長して欲しいと思う。

2013年5月30日 (木)

【第281回】 「旬」

 「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」と素堂の句にありますが、さわやかな陽光のもと、目にもまぶしい青葉が「旬」の季節を迎えました。京都では秋の紅葉と並んで、床に映った5月のもみじを愛でる門跡もあるほどです。「旬」とは「季節を先取る<はしり>と呼ばれるもの、素材が一番美味しい時期」といった意味があります。<はしり>と呼ばれるものは希少性も値段も高くなりますが、日本ではこの季節の初鰹に代表されるように「初物を食べると75日寿命が伸びる」といわれ「旬」を食する習慣があります。四季に恵まれたこの国は、折に触れて私たちを楽しませてくれる花や食材があり、改めてそうした環境の中で生活できることの「有り難さ」を実感します。

 先日、サッカー界の貴公子デイヴィッド・ベッカム選手が引退を表明しました。まさにサッカー現役選手としての「旬」を終わらせようとしています。スポーツ界にありながら、彼ほど折に触れて世界を賑わした人物はいないのではないでしょうか。髪型、ファッション…職業に直接関わらないプライベートに至るまで。ともあれ第一線で活躍することは並々ならぬ精神力を必要としたことと思われます。そんな貴公子もラストゲームでピッチを去るときに、その目には涙がありました。人は一つの節目に立たされるとき、これまで歩んできた「道」を振り返るとともに、心中には様々な思いを抱くのでしょう。そして苦しかったことも、嬉しかったことも、すばらしい思い出として「一生の宝物」になるのだと思います。

 時はまさに総体・総文目前!一年生は初めての、2年生は昨年の思いを胸に秘めての、3年生は高校生活を総括する一つの節目としての大会や活動になることでしょう。ベッカム選手だけにかかわらず、人間には必ず一線を退く日がやってきます。その時にどんな思いを抱くかは、それぞれの道に「どのように取り組んできたか」にかかっていると思います。10代の一番輝かしい「旬」のときを、力いっぱい謳歌してほしいと思います。
 『 がんばれ遊学生!!』

2012年2月 9日 (木)

【第219回】 「四十にして惑わず」

 遊学館高校初任の年、「生徒指導だより」に載せる挨拶文を依頼された。

 『明るいクラス、元気なクラス、落ち着いたクラス…クラスにはそれぞれの雰囲気がある。そしてその雰囲気を作るのは、クラスの生徒一人一人である。みんながステキな顔ならば、素晴らしいクラスになる。そんなクラスを目指して、一人一人が持っている力を発揮しよう。』

といった内容のことを書いた。

 これまで数多くの生徒の「顔」と接してきた。それぞれの生きている毎日が、それぞれの表情に現れてくると日々、実感している。落ち着いた良い表情の生徒は、毎日の学校生活が充実しているのだろう。逆に、元気が無く冴えない表情の生徒は、悩み事があったり、生活習慣が乱れていたりするのであろう。個々人に色々な出来事があるのだろうが、それでも一人の生徒が入学して卒業するまでの3年間、様々な経験を積んで確実に成長を遂げていて、「大人」の顔に近づいていく。学校という場所だからこそ、そうした生徒の成長に関わることができるのである。

 あの時は、まさに生徒に向けて書いた文章だったが、この頃その初任当時の「自分」をふとしたときに、思い返すことがある。毎日多くの生徒の「顔」と接しながら、自分自身の「顔」は成長しているかどうか。孔子の言葉のように「不惑」と胸をはって言えるだろうかと。

 まもなく3年生は卒業の時を迎える。この学舎で生活した日々がそれぞれの「顔」を作ってきたことと思う。この遊学館で送った高校生活で培った経験、自信を胸に更なる飛躍を遂げてほしい。そして20年後、胸をはって「不惑」であると言えるようであってほしいと願う。

2010年5月26日 (水)

【第134回】発見

 新緑が目にまぶしい季節を迎え、梅雨入り前のさわやかな風が校内にも吹き渡っている。
少し前のことになるが、ゴールデンウィークに帰省をした。
この時季に実家に帰るというのは、ここ十年余りかなえることができないでいた。
親に言わせれば、こちらの事情など関係ない。
「二日も三日も休みが続くのに、なぜ帰ってこられない?」なのである。
申し訳ないかぎりであるが「忙しい」の一言で済ませてきた。
とは言うものの、「たまに帰る」というのはいいもので、新しい発見が数々あった。
我が家の庭に「しだれ桜」が一本。いつのまにか、父が植えたらしい。
兼六園の桜はとうに散ってしまったが、気温の差もあってか、今がまさに満開である。
五月の陽の光りを浴びて、小さく可憐な花びらは、やわらかな桃色を放つ。
そして透き通る青い海。やはり自分の生まれ育った場所はエネルギーを与えてくれる。

 「桜」といえば遊学館の通りに面した旧木造校舎があった敷地内に、その木が数本あった。
ある朝早く通勤の途中で通りかかり、目の前に起こっている光景にただただ驚いた。
桜が軸ごと五弁の花びらその形のままに、くるくると散っているのだ。
桜の花の散り方といえば、花びら一枚一枚が風に乗って散ってくるものだと思い込んでいた私には心が躍るような発見であった。
「なんて美しいんだろう!」
花にとっては当たり前の営みなのだろうが、
私にとっては自然の凄さを改めて思い知らされる出来事であった。

 本校には、親元を離れて学校生活を送る寮生が多数いる。
野球、サッカー、卓球、駅伝…とそれぞれの分野で日々、鍛錬を重ねている。
早朝から放課後遅くまでの練習に加えて、休日の大会・遠征など、
いつ休んでいるのだろうと思うくらいだ。
たまには家族と何気ない会話を交わし、くつろいだ時間を過ごしたいと思うこともあるだろうに、
自分の夢に向かって邁進(まいしん)する『若い力』は私たち教員にも力を与えてくれる。
 時に自分の思い通りに事が運ばず、いら立つこともあると思うが、仲間がいることを忘れず、
家族を初めとして支えてくれている多くの人々への感謝を胸に頑張ってほしい。
そして「遊学」しているこの土地・歴史ある学舎でたくさんの発見をして、
一回りも二回りも大きな人間に成長してほしいと思う。

2009年10月21日 (水)

【第105回】希望

 一雨ごとに寒さが増す季節を迎えた。
高校3年生にとっては、それぞれの進路を選択しなければならない人生の岐路に立たされる時期でもある。

 先日上陸した台風は列島を縦断し、各地に様々な爪あとを残した。
予測していたほどではなかったにしろ、農作物には大きなダメージを与え、交通機関はマヒした。県内でも突風にあおられ、樹木が倒れたり、小中高のほとんどの学校が休校の措置をとった。昨年の浅野川の氾濫といい、近年の災害は温暖化の影響もあってか集中的な豪雨や、竜巻といった激しい様相に変化しているように思われる。

 1991年に日本を襲った「台風19号」は、津軽地方全域にわたって大きな被害を与えた。特産品を生産しているリンゴ農家にとっては、死活問題となるほどの打撃であった。手塩にかけて育ててきたリンゴの実が、あたり一面に無残な姿で転がっている。その様子を目の当たりにした人々の気持ちは、どんなに辛かったことであろう。

実際に再建を断念して生産農家を辞める人もあったそうだ。しかし、その危機を救ったのは、ほかならぬ「リンゴ」であった。台風の後、木に残ったものを「落ちないリンゴ」と銘を打ち、
全国の受験生に向けて販売したのである。「リンゴ」は飛ぶように売れ、農家に希望が生まれた。窮地に立たされても負けることなく、努力と工夫を重ねる姿勢には頭が下がる。

 本校の3年生もそれぞれに本番を迎えつつあり、就職試験や、推薦入試に向けての準備に余念がない。終礼後に面接練習をしたり、志望動機を文章にしたりと、遅くまで残って奮闘している。

早朝、放課後と時間を惜しんで毎日質問をしに職員室にやってくる生徒には先のリンゴ農家ではないが、本当に頭が下がる。自分自身の進路なのだから当然のことをしているわけではあるが、先生方の指示を仰ぎ、努力を重ねる姿を見るたび、晴れて自分達の希望する進路に進んでほしいと強く感じる。

 ともあれ、台風一過の青空は、まさしく秋晴れそのものである。
これから本番を迎える受験生達の前途にエールを送ってくれているかのようで清々しい。
彼らの努力が報われ、朗報をもたらしてくれることを心から祈りたい。

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