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2023年3月23日 (木)

【第775回】「なぞなぞ」中村 裕行 (地歴・公民)

 昨年から、日本へ逃れているミャンマーの少数民族ロヒンギャの子どもたちの学習支援ボランティアに参加しています。曜日ごと学年別にオンライン上で教室が開かれ、ブレイクアウトルームに分かれて個別指導を行うのですが、ある時、私が担当する教室の全体ミーティングで「なぞなぞ大会?」が始まりました。その時、小学3年生の女の子が流ちょうな日本語で「1本2,000万円もする高級ワインが突然2,000円になってしまいました。なぜでしょう?」というなぞなぞを出しました。子どもたちだけでなく、私のような年配者から若い大学生までのボランティアの誰も答えられません。文字にするとわかりやすいかもしれませんが、正解は「栓(千)が抜けたから」だそうです。どこかで習ったにしても、私は「なるほど!」と感心してしまいました。

 早速、私も授業でこのなぞなぞを生徒たちに出してみたところ、ノーヒントで正解を答える生徒はいませんでした。その後、あるクラスでは倫理の授業のたびに生徒たちが私へ、なぞなぞを出してくるようになりました。最初のうちは、「トラックが野菜や果物を積んで走っていたところ、カーブを曲がる時に落ちてしまったものがあります。何が落ちたのでしょうか?」…「スピードだろ!」というように軽くいなしていたのですが、ある時、「毎月22日はショートケーキの日ですが、なぜでしょう?」と聞かれて、答えに詰まってしまいました。生徒が課題に取り組んでいる間も考えましたが、答えられませんでした。正解は、「イチゴ(カレンダーの15日)が上にのっているから」だそうです。私は大人気(おとなげ)なく、「ショートケーキの上はイチゴと決まっているのか!」、「ケーキ屋さんでショートケーキをくださいと言ったら、必ずイチゴのショートケーキが出てくるのか!」「そもそも思考とは、物事の定義付けをしっかりさせてからするものだ!」などと反論しましたが、取り合ってもらえませんでした。(笑)

20230323_5 (やっぱりイチゴか…) 

 何が言いたいかといえば、柔軟な発想としなやかな思考を身に付けたいということです。私が教える倫理の授業では、思考力や独創性を大切にしています。まさに、なぞなぞは頭脳のウォーミングアップとして最適でした。

 「押してもダメなら引いてみな」という言葉があります。倫理の授業でいえば、天動説と真逆の地動説をコペルニクス(ポーランドの天文学者 1473-1543)が唱え、「認識が対象に従う」のではなく「対象が認識に従う」のだとカント(ドイツの哲学者 1724-1804)はまさに思考のコペルニクス的転回を行いました。まさしくパラダイム(思考の枠組み)の転換です。

 押してもダメなら力ずくでこじ開けようとしている、そこのあなた! すっかり行き詰まってしまった感のある、そこのあなた! 解決策や打開策は真逆と言わないまでも、別の角度(視点)にあるのかもしれませんよ…。

2021年9月16日 (木)

【第698回】 「HANABI」中村 裕行 (地歴・公民)

 私はこの夏、ミスチル(Mr.Children)の「HANABI」という曲にハマってしまった。ほとんど聴いたことのないミスチルの曲(2008年発売らしい)がなぜ耳に入ってきたのかは思い出せないものの、詞も曲も心に染み入り、以後何回、何十回となく聴いている。恋愛をテーマにしたような歌詞だが、“誰も皆 問題を抱えている だけど素敵な明日を願っている”など、人生のツボを押さえたようなフレーズが所々に散りばめられている。

 さらに心動かされたのは、YouTubeのコメント欄に「この曲を聴いて救急救命士になろうと思った」とか、「コロナ禍で大変な中、看護師として頑張る」とか、「私は弁護士を目指しているので、“命を守る人”を守る人になる」などの声が溢れていたことである。(この曲は、救急救命士のチームを主人公としたテレビドラマのテーマ曲だったそうである。また、この文章が当初掲載されるはずだった一週前の9月9日は“救急の日”というのも、何かの巡り合わせだったのか…)

 かくなる私も先生(教員)になろうと思ったのは、当時盛んに放映されていた学園ドラマによる影響が大きい。以後、この仕事を続けて今年37年目となった。未だに教師と書けない未熟者の私だが、「倫理」の授業で教えるサルトルの言葉“実存は本質に先立つ”といったところであろうか。私は本質に迫れないまま終わってしまいそうだが、皆さんにはぜひ本質・本物を目指してほしい。

 就職に至る道筋は人それぞれで、私が携わる就職指導を通しても、生徒が様々な仕事を選んでいく様子はまさに様々である。就職に限らず、先のオリンピックやパラリンピックでも選手が競技と出会うきっかけは人それぞれで、中には“運動音痴を自認する選手が金メダル!”、“50歳女性がパラリンピック初出場で金メダル!”など、奇跡に近いようなニュースもあった。それこそオリンピックやパラリンピックの選手達は、順風満帆ではなく波瀾万丈の人生を歩んでいるのだろう。何が人を動かすことになるかはわからないゆえ、人生は面白い。たとえ事が上手く運ばなくても、「HANABI」の歌詞でくり返される、“もう一回 もう一回”と手を伸ばす気持ちで困難に立ち向かっていきたい。

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2020年4月23日 (木)

【第625回】 「4年目の遊学」中村 裕行 (地歴・公民)

 私事ですが、3月に通信制大学院の修士課程を終えることができました。

 通信制ということで、インターネットを活用した学習システムを通してレポートの添削指導などを受けます。最初の1年は、このシステムすらよく理解できず、ペースもつかめなかったため、ほとんど無駄に過ごしてしまいました。しかし、東京の大学キャンパスで行われたスクーリングは、久しぶりの学生気分を味わえたり、違う職業の方々や現役の大学生とも交流できたり、とても新鮮で有意義な時間となって、学習も軌道に乗り始めました。中でも、同じ先生に修士論文の指導を受けるゼミ友4人の皆さんとは、LINEのグループで連絡を取り合い、現状報告や情報交換を重ねました。うち1人はトルコにお住まいの方だったので、SNSに不慣れな私は、海外と気軽に連絡が取れることに改めて感動しました。

 この3年間、特に最後の1年は2万字以上で修士論文をまとめねばならず、特進の受験生に負けないくらい家庭学習を重ねました。この3年間の学びは、まさに異郷での学び、異次元・異空間の学び、遊学の学びでした。さらに、4月からは研究生として研究を続けることとなりました。これからも自らが学び続けることにより、生徒達に学ぶ姿勢や学ぶ喜びを伝えていければと思います。学びは成長につながり、世界も広がります。感染症対策で通常の授業が行えない今こそ、様々な形での学び、主体的に学ぶ姿勢が問われています。学びは、教室や学校の外にもたくさんあります。遊学館の生徒達には、今だからこそできる学びを積み重ねてほしいと思っています。

 * このホームページ上の「遊学生徒会だより」に、生徒会役員の高井さんがオンライン授業についてふれた文章を寄せています。たいへん興味深く読みました。

 

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<4月17日(金)第2学館屋上から…世の騒ぎを忘れるような清々しい朝です。
まさか、「沈黙の春」(本来は環境破壊による生態系の異変を
警告した本の書名)がこのような形で人間社会に訪れるとは…>

2018年12月 6日 (木)

【第557回】 「ビリギャル」こと小林さやかさんの講演を聞いて中村 裕行 (地歴・公民)

 先日、「ビリギャル」こと小林さやかさんの講演を聞く機会がありました。

 小林さやかさんを知っている人も多いと思いますが、「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」(坪田信貴著)の主人公で、著者の坪田さんは彼女を支え続けた塾の先生です。有村架純さんが主演した「映画ビリギャル」を見た人もいると思います。

 私はわずかな情報しかもたないまま聞いたのですが、なかなか面白く元気が出るお話でした。お話の中で、受験生に向けた「夢を叶えるための5つのルール」が紹介されていました。この5つのルールを、これから大学受験を控える本校の生徒、そして高校受験を控える中学3年生に伝えたいと思います。

301206_5<掲載許諾済み>

 ① 「ワクワクする」目標を設定しよう
 ② 根拠のない自信を持とう
 ③ 具体的な計画を立てよう
 ④ 目標や夢を公言しよう!
 ⑤ 憎しみをプラスの力に変えるべし!
   (この憎しみとは、受験を目指した時に
   「金の無駄遣い」と言われた父に対するもの)

 

 別の話になりますが、11月26日の新聞に2人のスポーツ選手の言葉が紹介されていました。
 1人はフィギュアスケートの紀平梨花選手(16歳)。シニアデビューの今年、グランプリシリーズで2連覇を果たし、トップ6選手によるグランプリファイナルへの出場を決めた。
彼女の言葉:「人生を懸けてスケートをやっている。遊んでいる暇はない」
 もう1人は大相撲の貴景勝関(22歳)。先の九州場所直前に、所属していた貴乃花部屋が消滅、他の部屋に移籍するというハンデにもめげず、九州場所で見事に優勝を果たした。
彼の言葉:(東京大に進学した小学校当時のクラスメートもいて)「みんな夢のために一生懸命勉強していた。負けたくないね」

 オジサンこと私にも夢はありますが、今は公言できません。若者のパワーに元気をもらって頑張ろうと思います。


* 本当は今回、今年1月に初めて開いた「卒業3年後の同窓会」のことを記そうと思っていました。
 2回目は、来年1月5日(土)に開催します(対象は平成28年3月卒)。多くの参加をお待ちしております。

2016年10月20日 (木)

【第448回】 「言葉の重み」中村 裕行 (地歴・公民)

 先生ブログのすき間を埋める管理人の文章にお付き合いください。

 私の最近のお気に入り番組は「プレバト」(木曜夜7時~ MRO)で、中でも俳句のコーナーを面白く見ている。1枚の写真をテーマに出演者達が俳句を作るのだが、俳人の夏井いつき先生がそれらの句を毒舌混じりで批評し、添削するのである。五・七・五の限られた十七音の中に、季語を入れることはもちろん、擬人法や倒置法などの手法を用いることや音の響きなどにも配慮して、風景の描写や作者の思いを凝縮していく技は見事と言うほかない。

 近頃は思いつくままの文章をメールに並べたり、私もついていけない絵文字や省略語がとびかう中で、この俳句の世界は実に新鮮である。ふり返って、私達は1つの事を表現するのに、どれだけ吟味して言葉を使っているだろうか。教員という立場で言えば、適切な表現でわかりやすい授業ができているだろうか、悩んでいる生徒や試合で負けた生徒に適切な言葉をかけてきただろうかと自問自答する。教員にとって、言葉とはコミュニケーション手段以上の商売道具のようなものであり、言葉で商売をするのであれば、それだけ言葉を磨かなければいけないということにもなるだろう。倫理の授業に登場するカッシーラーという人物は、まさに「人間は言葉(象徴)を操る動物」と規定している。

 話は少しそれるが、赴任して3年目、持ち上がった初めての卒業生を送り出す年、俵万智さん(福井県の高校出身 創作活動の他、当時は高校の先生でもあった)の「サラダ記念日」という歌集が大ヒットした。日常の断片を型にこだわらない言い回しで表現し、若者達の共感を集めたように記憶しているが、これにあやかり、皆で卒業文集に記念の短歌を寄せることとした。私自身も作った(であろう)歌は覚えていないのだが、ある生徒が寄せた歌を今でも強烈に覚えている。

 “先生を 育ててやった 3年間 感謝しろよと 俺達言った”(Y子)
  ― う~ん、重たい! 今でも感謝しています。

(余談)ところで、この文章にこのタイトルは適切だったであろうか。「言葉の重み」とするか、「言葉の重さ」とするか、それとも「言葉のもつ重み」とするかで結構悩みました。 他にもっと適切なタイトルがあったかもしれません…。

2016年2月25日 (木)

【第414回】 第一体育館の思い出中村 裕行 (地歴・公民)

  来たる3月1日(火)の卒業式が終わると、第一体育館の取り壊しが始まる。沿革をたどれば「昭和39年11月に完成し、60周年記念行事を行う」とあるから、私より少し若いが満51歳のかなり年期の入った体育館ということになる。
 リードバンド部の顧問を務めていた若い頃は、定期演奏会前のステージ練習でこの体育館をよく使った。最近でいえば、バドミントン部の顧問として3年ほど前までは部員達とこの体育館で文字通り汗と涙(?)を流した。公共施設などではよく、利用人数を集計したりしているが、練習試合などで本校の第一体育館を訪れた人も含めれば、利用人数はかなりの数になることだろう。
 遊学館高校はスポーツや部活動の盛んな学校であるが、必ずしも練習環境が充分であるとはいえない。この第一体育館も、男女バレーボール部、バドミントン部、バトントワリング部、剣道部が交代で使う他、朝練ではサッカー部、上のギャラリーでは男女駅伝競走部がストレッチ運動など、常に多くの部が混在し、かなりの稼働率となっている。大会が重なる時期には「ステージだけ使わせて」と懇願されたこともあるし、事あるごとにF教諭は「本当にどのクラブも譲り合いの精神をもちながら、切磋琢磨し高め合っている」と“チーム遊学”を強調している。
 1年後には、冷暖房や走路を備えた新体育館が完成する。7年前に新校舎(第二学館)が完成した時、初めて足を踏み入れた生徒達の歓声が懐かしく思い出される。バレー部のサーブ練習も助走が効くだろうし、高く投げ上げたバトンが天井を突き破ることもなくなるだろう。この1年間は部活動も苦しいジプシー生活を送ることになろうが、新体育館を夢に、そして舞台に更なる飛躍を期してほしい。
 最後に…、来たる3月1日の卒業式には、卒業生とともに第一体育館にも有終の美を飾ってもらいたいと願うばかりである。

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2014年3月13日 (木)

【第322回】 銀婚式中村 裕行 (地歴・公民)

 プライベートな話で恐縮だが、先日3月11日は結婚記念日だった。年を重ねていくうち3月10日とよく間違えて妻に叱られたが、3年前に東日本大震災が起こってからというもの、3・11は社会的に「鎮魂の日」となり、皮肉なことに私も結婚記念日を間違えることはなくなった。

 今年の結婚記念日は25周年という節目の年でもあった。思い返せば、結婚した1989年も昭和天皇崩御、「大喪の礼」と、社会全体が喪に服していたことを覚えている。これも皮肉なことだが、平成改元で平成元年結婚ということになったため、結婚何年目という計算だけは間違えることなく楽だった(昔、堺屋太一の「平成三十年」という近未来小説を読んだが、その平成三十年ももう間近と考えれば、また感慨深いものである)。

 平成4年、私が現在も携わっている自主講座が生まれた年に、長男が生まれた(当時は生徒会顧問も務めており、学園祭の日に生まれたことから、その年の学園祭テーマが長男命名の由来ともなった)。この年から続いている自主講座は、新年度から「遊学講座」と改称される。多少のモデルチェンジを図りながら、さらに発展させたいと考えている。

 

 年度末、「政治・経済」の授業では、国際経済を扱う。当然、日本の経済状況も紹介されるわけだが、平成になってからはバブル崩壊、「失われた20年」と、文字通り景気のいい話は聞かれなくなった。自分の実体験を交え、昭和の高度経済成長期やバブル景気の映像を生徒達に見せたりすると、それこそ驚いたような表情を示す。不幸にも、平成世代は「ぜいたくを知らない世代」とか、「夢を見られない世代」とか称されるようだ。

 ホームページ管理者という特権を使い、記念日に合わせて思い出話を重ねたが、先日の卒業式に「何か書いてください」と卒業アルバムを持ってきた生徒達へは、「日々に新たなり」と書かせてもらった。混迷の続く時代ではあるが、公私共々、そして遊学館も(となれば、日本も世界も)、夢や希望へ向かって新たな日々を刻めればと切に願う。

2013年6月 6日 (木)

【第282回】 「倫理」という授業中村 裕行 (地歴・公民)

 私は、4月初めの授業で、よく生徒達にこんな質問をします。

 「サザエさんの家を訪ねてきたお客様からいただいたお土産をあけてみると、イチゴのショートケーキが5つ入っていました。サザエさん一家は、サザエ(本人)、波平(父)、舟(母)、マスオ(夫)、カツオ(弟)、ワカメ(妹)、タラオ(長男)の7人家族です。さて、ケーキをどのように分けたらよいでしょうか?」

 初めはポカンとしている生徒達も、時間が経つにつれて頭を働かせ始めます。

 ある生徒は、「7分の5ずつ分ければいい」と答えました(数字に強い生徒かな?)。でも、ショートケーキを7分の5ずつ分けるのは大変そうです。また、5つのイチゴはどうするのでしょうか。

 別の生徒は、「ジャンケンで負けた2人が我慢する」と答えました。さらに別の生徒は、「女性や子供は甘いものが好きだから、波平とマスオが我慢すべきだ」と答えました。

 それでも、「カツオにケーキをあと2つ買ってこさせ、みんなで仲良く1つずつ食べる」とか、「大人が我慢して、イクラちゃん(いとこの子)やタマ(飼い猫)にも分けてあげればよい」という珍解答(?)には感心させられました。

 ところで、こんなバカげた質問や答えがとびかう授業とは、何の授業でしょうか?

 正解は、「倫理」です。倫理とは、「人の踏み行うべき道」をさします。 大げさな言い方をすれば、人の生き方や社会の在り方、徳や正義とは何か、などを考える授業です。決して答えは1つでなく、考え方は様々です。

 とかく白黒や○×をはっきりさせたがる中にあって、グレー(灰色)や△のゾーンは大切だと考えます。そこには、1つでは片付けられない色々なグレー、様々な△が存在します。たとえば、人の生き死にもそれぞれの社会(国)が決めていることで、人工授精や中絶の是非、臓器移植や安楽死の是非など、その考え方は様々です。

 マイナーな授業ではありますが、「倫理」は私にとって大切な、そして大好きな授業です。これからも感受性豊かな生徒達から柔軟な発想を引き出し、共に考えていければ幸いです。

2011年7月21日 (木)

【第191回】ハーフマラソン完走記中村 裕行 (地歴・公民)

 職権乱用と怒られそうですが、今週のコラムを担当させていただきます。


 私事ですが、7月17日(日)、長野県小布施町で行われた「第9回 小布施見にマラソン」に出場し、何とか完走することができました。メタボ対策や50歳記念として、ハーフマラソン出場を決めたのが約1年前、この大会にエントリーしたのが約半年前ですから、ようやく夢が半分叶ったかなという感じです(やはり目標はフルマラソンです)。

初レースの感想は、まさに「苦あれば楽あり」といった感じです。30℃を超える猛暑、参加者8000名の人波、普段とは違うアップダウンなど苦しい面もありましたが、その一方で、沿道の声援、生演奏、給水・給食(スポーツドリンクだけでなく、地点によっては現地特産のリンゴジュース、各種フルーツ、塩分摂取のための野沢菜、ゴール付近にはワインまであり)は大きな支え・励ましになりました。レース前の1週間は、疲れ・ストレス・プレッシャーなどにより体調も最悪で、体調管理の難しさや食事の大切さも学びました。

もともと走ることは好きでしたが、私にとって「走る意味」とは、格好良く言えば「自分と向き合う場をつくる」ことです。長時間走っていると、自分の事、家族の事、仕事の事など、実に様々な事が頭に浮かんできます。そして、走っているうちに不思議と、考えがまとまったり、悩みが解消されたり、新しい発想が思い浮かんだりするものです(常にノートを持ち歩き、走り終わったら忘れないうちにメモします)。加えて、汗を流す爽快感や走った後の達成感は、何事にも代え難い貴重な財産です。

 さて、遊学館の受験生諸君、高校生活最後の夏休みが始まりました。

人生はよくマラソンにたとえられますが、受験までの道のりも似ていると思います。受験までの距離(たとえばセンター試験までの時間)は誰しも一緒ですが、人によってその距離感は違います。まず、目指すべきゴールを設定し、そこまでの道筋やペース配分などを考えねばなりません。次に、必要なグッズ(君たちはランニングシューズでなく、参考書や問題集)をそろえて勉強方法を定め、あとはトレーニング(勉強)あるのみです。ペース良く進む時もあれば、「何で、こんな辛い事をしなければならないんだろう」とくじけそうな時もあるでしょう。しかし、辛い時こそ、自分に向き合う好機ととらえ、目標に対する強い意識を再確認し、目標達成後の充実した日々を思い描いてください。ちなみに、私はこの文章をレース前に少し書いています。皆さんも、理想の合格体験記を先に少し書き、それに現実の姿を近付けていくのも良いかと思います。単調に見える道のりも、工夫や仕掛けで見え方が変わってくるかもしれません。

夏休みが終わった時、皆さんはどんな調子で、どのあたりを走っているのでしょうか?
皆さんの頑張りに期待しています。私も、次の目標に向かって頑張ります。

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2010年10月 6日 (水)

【第153回】昭和19年の卒業証書中村 裕行 (地歴・公民)

 1学期も終わり近くの暑い日、校外から1本の電話が私につながれてきました。
ご年配の方からのお電話で、聞けば「家に使わなくなった琴があるので、
有効利用できないか」との内容でした。

本校では、土曜日に自主講座という選択授業が行われており、60ほどある講座の中に「お箏(こと)」という講座もあります。

そこで、学校から程近いお宅を訪ねてみました。

 勧められるまま家にあがらせていただき、いろいろなお話を伺いました。
琴は昔、奥様が使われてきたもので、奥様は金城(遊学館の前身)を卒業されたそうです。
話が進むと、奥様の卒業証書など金城にまつわる思い出の品々を見せてくださいました。

かなり古びた卒業証書でしたが、はっきりと
「昭和19年3月14日 金城高等女学校長 加藤せむ」の文字が見てとれました。

昭和19年といえば、終戦の前年です。

本土襲撃も間近い敗色濃厚な中、この卒業証書は卒業生へ手渡されたのでしょうか。

思えば、金城遊学館の創設も明治37年(1904年)という日露戦争の年ですから、
国あげての戦時体制中、金沢の地に1つの学校が生まれたこととなります。
そんなことに思いを巡らせながら、感慨深くお話を聞かせていただきました。

 11月4日は本校の創立記念日で、11月6日(土)には同窓会総会も開かれます。
このコラムを記すにあたり、快く卒業証書や当時の卒業アルバム(もちろん英語ではなく、
「卒業記念写真帖」といったのですね)を拝借させていただきました。

機会をとらえて、お預かりした思い出の品々にまつわる貴重なお話を、生徒達や若い先生方へも伝えていきたいと思います。

入院中の奥様も快方に向かわれているとのことで、改めて直接、お礼やお話ができる日を楽しみにしております。

 

【追記】

今回のコラムで、4巡目を終了しました(全153回)。
次回からは、講師の先生方にも登場していただき、 さらに広い視点から語っていただこうと思いますので、お楽しみに……。

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<卒業証書>

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<卒業アルバム>