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2018年12月 6日 (木)

【第557回】 「ビリギャル」こと小林さやかさんの講演を聞いて中村 裕行 (地歴・公民)

 先日、「ビリギャル」こと小林さやかさんの講演を聞く機会がありました。

 小林さやかさんを知っている人も多いと思いますが、「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」(坪田信貴著)の主人公で、著者の坪田さんは彼女を支え続けた塾の先生です。有村架純さんが主演した「映画ビリギャル」を見た人もいると思います。

 私はわずかな情報しかもたないまま聞いたのですが、なかなか面白く元気が出るお話でした。お話の中で、受験生に向けた「夢を叶えるための5つのルール」が紹介されていました。この5つのルールを、これから大学受験を控える本校の生徒、そして高校受験を控える中学3年生に伝えたいと思います。

301206_5<掲載許諾済み>

 ① 「ワクワクする」目標を設定しよう
 ② 根拠のない自信を持とう
 ③ 具体的な計画を立てよう
 ④ 目標や夢を公言しよう!
 ⑤ 憎しみをプラスの力に変えるべし!
   (この憎しみとは、受験を目指した時に
   「金の無駄遣い」と言われた父に対するもの)

 

 別の話になりますが、11月26日の新聞に2人のスポーツ選手の言葉が紹介されていました。
 1人はフィギュアスケートの紀平梨花選手(16歳)。シニアデビューの今年、グランプリシリーズで2連覇を果たし、トップ6選手によるグランプリファイナルへの出場を決めた。
彼女の言葉:「人生を懸けてスケートをやっている。遊んでいる暇はない」
 もう1人は大相撲の貴景勝関(22歳)。先の九州場所直前に、所属していた貴乃花部屋が消滅、他の部屋に移籍するというハンデにもめげず、九州場所で見事に優勝を果たした。
彼の言葉:(東京大に進学した小学校当時のクラスメートもいて)「みんな夢のために一生懸命勉強していた。負けたくないね」

 オジサンこと私にも夢はありますが、今は公言できません。若者のパワーに元気をもらって頑張ろうと思います。


* 本当は今回、今年1月に初めて開いた「卒業3年後の同窓会」のことを記そうと思っていました。
 2回目は、来年1月5日(土)に開催します(対象は平成28年3月卒)。多くの参加をお待ちしております。

2016年10月20日 (木)

【第448回】 「言葉の重み」中村 裕行 (地歴・公民)

 先生ブログのすき間を埋める管理人の文章にお付き合いください。

 私の最近のお気に入り番組は「プレバト」(木曜夜7時~ MRO)で、中でも俳句のコーナーを面白く見ている。1枚の写真をテーマに出演者達が俳句を作るのだが、俳人の夏井いつき先生がそれらの句を毒舌混じりで批評し、添削するのである。五・七・五の限られた十七音の中に、季語を入れることはもちろん、擬人法や倒置法などの手法を用いることや音の響きなどにも配慮して、風景の描写や作者の思いを凝縮していく技は見事と言うほかない。

 近頃は思いつくままの文章をメールに並べたり、私もついていけない絵文字や省略語がとびかう中で、この俳句の世界は実に新鮮である。ふり返って、私達は1つの事を表現するのに、どれだけ吟味して言葉を使っているだろうか。教員という立場で言えば、適切な表現でわかりやすい授業ができているだろうか、悩んでいる生徒や試合で負けた生徒に適切な言葉をかけてきただろうかと自問自答する。教員にとって、言葉とはコミュニケーション手段以上の商売道具のようなものであり、言葉で商売をするのであれば、それだけ言葉を磨かなければいけないということにもなるだろう。倫理の授業に登場するカッシーラーという人物は、まさに「人間は言葉(象徴)を操る動物」と規定している。

 話は少しそれるが、赴任して3年目、持ち上がった初めての卒業生を送り出す年、俵万智さん(福井県の高校出身 創作活動の他、当時は高校の先生でもあった)の「サラダ記念日」という歌集が大ヒットした。日常の断片を型にこだわらない言い回しで表現し、若者達の共感を集めたように記憶しているが、これにあやかり、皆で卒業文集に記念の短歌を寄せることとした。私自身も作った(であろう)歌は覚えていないのだが、ある生徒が寄せた歌を今でも強烈に覚えている。

 “先生を 育ててやった 3年間 感謝しろよと 俺達言った”(Y子)
  ― う~ん、重たい! 今でも感謝しています。

(余談)ところで、この文章にこのタイトルは適切だったであろうか。「言葉の重み」とするか、「言葉の重さ」とするか、それとも「言葉のもつ重み」とするかで結構悩みました。 他にもっと適切なタイトルがあったかもしれません…。

2016年2月25日 (木)

【第414回】 第一体育館の思い出中村 裕行 (地歴・公民)

  来たる3月1日(火)の卒業式が終わると、第一体育館の取り壊しが始まる。沿革をたどれば「昭和39年11月に完成し、60周年記念行事を行う」とあるから、私より少し若いが満51歳のかなり年期の入った体育館ということになる。
 リードバンド部の顧問を務めていた若い頃は、定期演奏会前のステージ練習でこの体育館をよく使った。最近でいえば、バドミントン部の顧問として3年ほど前までは部員達とこの体育館で文字通り汗と涙(?)を流した。公共施設などではよく、利用人数を集計したりしているが、練習試合などで本校の第一体育館を訪れた人も含めれば、利用人数はかなりの数になることだろう。
 遊学館高校はスポーツや部活動の盛んな学校であるが、必ずしも練習環境が充分であるとはいえない。この第一体育館も、男女バレーボール部、バドミントン部、バトントワリング部、剣道部が交代で使う他、朝練ではサッカー部、上のギャラリーでは男女駅伝競走部がストレッチ運動など、常に多くの部が混在し、かなりの稼働率となっている。大会が重なる時期には「ステージだけ使わせて」と懇願されたこともあるし、事あるごとにF教諭は「本当にどのクラブも譲り合いの精神をもちながら、切磋琢磨し高め合っている」と“チーム遊学”を強調している。
 1年後には、冷暖房や走路を備えた新体育館が完成する。7年前に新校舎(第二学館)が完成した時、初めて足を踏み入れた生徒達の歓声が懐かしく思い出される。バレー部のサーブ練習も助走が効くだろうし、高く投げ上げたバトンが天井を突き破ることもなくなるだろう。この1年間は部活動も苦しいジプシー生活を送ることになろうが、新体育館を夢に、そして舞台に更なる飛躍を期してほしい。
 最後に…、来たる3月1日の卒業式には、卒業生とともに第一体育館にも有終の美を飾ってもらいたいと願うばかりである。

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2014年3月13日 (木)

【第322回】 銀婚式中村 裕行 (地歴・公民)

 プライベートな話で恐縮だが、先日3月11日は結婚記念日だった。年を重ねていくうち3月10日とよく間違えて妻に叱られたが、3年前に東日本大震災が起こってからというもの、3・11は社会的に「鎮魂の日」となり、皮肉なことに私も結婚記念日を間違えることはなくなった。

 今年の結婚記念日は25周年という節目の年でもあった。思い返せば、結婚した1989年も昭和天皇崩御、「大喪の礼」と、社会全体が喪に服していたことを覚えている。これも皮肉なことだが、平成改元で平成元年結婚ということになったため、結婚何年目という計算だけは間違えることなく楽だった(昔、堺屋太一の「平成三十年」という近未来小説を読んだが、その平成三十年ももう間近と考えれば、また感慨深いものである)。

 平成4年、私が現在も携わっている自主講座が生まれた年に、長男が生まれた(当時は生徒会顧問も務めており、学園祭の日に生まれたことから、その年の学園祭テーマが長男命名の由来ともなった)。この年から続いている自主講座は、新年度から「遊学講座」と改称される。多少のモデルチェンジを図りながら、さらに発展させたいと考えている。

 

 年度末、「政治・経済」の授業では、国際経済を扱う。当然、日本の経済状況も紹介されるわけだが、平成になってからはバブル崩壊、「失われた20年」と、文字通り景気のいい話は聞かれなくなった。自分の実体験を交え、昭和の高度経済成長期やバブル景気の映像を生徒達に見せたりすると、それこそ驚いたような表情を示す。不幸にも、平成世代は「ぜいたくを知らない世代」とか、「夢を見られない世代」とか称されるようだ。

 ホームページ管理者という特権を使い、記念日に合わせて思い出話を重ねたが、先日の卒業式に「何か書いてください」と卒業アルバムを持ってきた生徒達へは、「日々に新たなり」と書かせてもらった。混迷の続く時代ではあるが、公私共々、そして遊学館も(となれば、日本も世界も)、夢や希望へ向かって新たな日々を刻めればと切に願う。

2013年6月 6日 (木)

【第282回】 「倫理」という授業中村 裕行 (地歴・公民)

 私は、4月初めの授業で、よく生徒達にこんな質問をします。

 「サザエさんの家を訪ねてきたお客様からいただいたお土産をあけてみると、イチゴのショートケーキが5つ入っていました。サザエさん一家は、サザエ(本人)、波平(父)、舟(母)、マスオ(夫)、カツオ(弟)、ワカメ(妹)、タラオ(長男)の7人家族です。さて、ケーキをどのように分けたらよいでしょうか?」

 初めはポカンとしている生徒達も、時間が経つにつれて頭を働かせ始めます。

 ある生徒は、「7分の5ずつ分ければいい」と答えました(数字に強い生徒かな?)。でも、ショートケーキを7分の5ずつ分けるのは大変そうです。また、5つのイチゴはどうするのでしょうか。

 別の生徒は、「ジャンケンで負けた2人が我慢する」と答えました。さらに別の生徒は、「女性や子供は甘いものが好きだから、波平とマスオが我慢すべきだ」と答えました。

 それでも、「カツオにケーキをあと2つ買ってこさせ、みんなで仲良く1つずつ食べる」とか、「大人が我慢して、イクラちゃん(いとこの子)やタマ(飼い猫)にも分けてあげればよい」という珍解答(?)には感心させられました。

 ところで、こんなバカげた質問や答えがとびかう授業とは、何の授業でしょうか?

 正解は、「倫理」です。倫理とは、「人の踏み行うべき道」をさします。 大げさな言い方をすれば、人の生き方や社会の在り方、徳や正義とは何か、などを考える授業です。決して答えは1つでなく、考え方は様々です。

 とかく白黒や○×をはっきりさせたがる中にあって、グレー(灰色)や△のゾーンは大切だと考えます。そこには、1つでは片付けられない色々なグレー、様々な△が存在します。たとえば、人の生き死にもそれぞれの社会(国)が決めていることで、人工授精や中絶の是非、臓器移植や安楽死の是非など、その考え方は様々です。

 マイナーな授業ではありますが、「倫理」は私にとって大切な、そして大好きな授業です。これからも感受性豊かな生徒達から柔軟な発想を引き出し、共に考えていければ幸いです。

2011年7月21日 (木)

【第191回】ハーフマラソン完走記中村 裕行 (地歴・公民)

 職権乱用と怒られそうですが、今週のコラムを担当させていただきます。


 私事ですが、7月17日(日)、長野県小布施町で行われた「第9回 小布施見にマラソン」に出場し、何とか完走することができました。メタボ対策や50歳記念として、ハーフマラソン出場を決めたのが約1年前、この大会にエントリーしたのが約半年前ですから、ようやく夢が半分叶ったかなという感じです(やはり目標はフルマラソンです)。

初レースの感想は、まさに「苦あれば楽あり」といった感じです。30℃を超える猛暑、参加者8000名の人波、普段とは違うアップダウンなど苦しい面もありましたが、その一方で、沿道の声援、生演奏、給水・給食(スポーツドリンクだけでなく、地点によっては現地特産のリンゴジュース、各種フルーツ、塩分摂取のための野沢菜、ゴール付近にはワインまであり)は大きな支え・励ましになりました。レース前の1週間は、疲れ・ストレス・プレッシャーなどにより体調も最悪で、体調管理の難しさや食事の大切さも学びました。

もともと走ることは好きでしたが、私にとって「走る意味」とは、格好良く言えば「自分と向き合う場をつくる」ことです。長時間走っていると、自分の事、家族の事、仕事の事など、実に様々な事が頭に浮かんできます。そして、走っているうちに不思議と、考えがまとまったり、悩みが解消されたり、新しい発想が思い浮かんだりするものです(常にノートを持ち歩き、走り終わったら忘れないうちにメモします)。加えて、汗を流す爽快感や走った後の達成感は、何事にも代え難い貴重な財産です。

 さて、遊学館の受験生諸君、高校生活最後の夏休みが始まりました。

人生はよくマラソンにたとえられますが、受験までの道のりも似ていると思います。受験までの距離(たとえばセンター試験までの時間)は誰しも一緒ですが、人によってその距離感は違います。まず、目指すべきゴールを設定し、そこまでの道筋やペース配分などを考えねばなりません。次に、必要なグッズ(君たちはランニングシューズでなく、参考書や問題集)をそろえて勉強方法を定め、あとはトレーニング(勉強)あるのみです。ペース良く進む時もあれば、「何で、こんな辛い事をしなければならないんだろう」とくじけそうな時もあるでしょう。しかし、辛い時こそ、自分に向き合う好機ととらえ、目標に対する強い意識を再確認し、目標達成後の充実した日々を思い描いてください。ちなみに、私はこの文章をレース前に少し書いています。皆さんも、理想の合格体験記を先に少し書き、それに現実の姿を近付けていくのも良いかと思います。単調に見える道のりも、工夫や仕掛けで見え方が変わってくるかもしれません。

夏休みが終わった時、皆さんはどんな調子で、どのあたりを走っているのでしょうか?
皆さんの頑張りに期待しています。私も、次の目標に向かって頑張ります。

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2010年10月 6日 (水)

【第153回】昭和19年の卒業証書中村 裕行 (地歴・公民)

 1学期も終わり近くの暑い日、校外から1本の電話が私につながれてきました。
ご年配の方からのお電話で、聞けば「家に使わなくなった琴があるので、
有効利用できないか」との内容でした。

本校では、土曜日に自主講座という選択授業が行われており、60ほどある講座の中に「お箏(こと)」という講座もあります。

そこで、学校から程近いお宅を訪ねてみました。

 勧められるまま家にあがらせていただき、いろいろなお話を伺いました。
琴は昔、奥様が使われてきたもので、奥様は金城(遊学館の前身)を卒業されたそうです。
話が進むと、奥様の卒業証書など金城にまつわる思い出の品々を見せてくださいました。

かなり古びた卒業証書でしたが、はっきりと
「昭和19年3月14日 金城高等女学校長 加藤せむ」の文字が見てとれました。

昭和19年といえば、終戦の前年です。

本土襲撃も間近い敗色濃厚な中、この卒業証書は卒業生へ手渡されたのでしょうか。

思えば、金城遊学館の創設も明治37年(1904年)という日露戦争の年ですから、
国あげての戦時体制中、金沢の地に1つの学校が生まれたこととなります。
そんなことに思いを巡らせながら、感慨深くお話を聞かせていただきました。

 11月4日は本校の創立記念日で、11月6日(土)には同窓会総会も開かれます。
このコラムを記すにあたり、快く卒業証書や当時の卒業アルバム(もちろん英語ではなく、
「卒業記念写真帖」といったのですね)を拝借させていただきました。

機会をとらえて、お預かりした思い出の品々にまつわる貴重なお話を、生徒達や若い先生方へも伝えていきたいと思います。

入院中の奥様も快方に向かわれているとのことで、改めて直接、お礼やお話ができる日を楽しみにしております。

 

【追記】

今回のコラムで、4巡目を終了しました(全153回)。
次回からは、講師の先生方にも登場していただき、 さらに広い視点から語っていただこうと思いますので、お楽しみに……。

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<卒業証書>

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<卒業アルバム>

2010年3月31日 (水)

【第127回】遊学館という居場所中村 裕行 (地歴・公民)

 我々教員にとって、年度がわりの4月は正月を迎えるようなもので、

皆が春休み返上で慌ただしい毎日を送っている。

 この時期、私がしなければならない仕事の1つに、年度ごとの退学者と退学に至った理由を県に報告するための調査がある。

先日、この調査結果をまとめて、正直驚いた。

何と、今年度の退学率(全校生徒に対する退学者の割合)が0.6%になったのだ!

 高校における退学率の全国平均は2%余りであり、校則や処分に厳しい私学はそれを上回ってしまうのが一般的な傾向である。

私も生徒指導部長だった頃、退学率を2%以内に抑えることを1つの目標としていた。
ここ数年、確かに本校の退学者は減っていたし、学校全体も落ち着いてきたように感じる。
特に今年は、3年生全員が1人も減ることなく、立派に卒業していった。

現在の生徒指導部長に言わせれば、
「退学率を下げるために、指導を甘くしたつもりもない」ということだから、この数字は個人的にすばらしいと思っている。

もちろん退学率がゼロになれば理想だし、やむなく退学に至ったそれぞれの理由もあるだろう。

しかしながら、

縁あって遊学館という学校に集まったわけだから、
生徒諸君(遊学生)にはこの居場所を大切にして、充分に活用してもらいたい。

難関校に何人合格したかという数字だけでなく、この退学率という数字や、さらにはクラブ加入率といった数字など、多方面から良い結果が出るように、これからも先生方・生徒達とともに頑張っていきたい。

2009年7月22日 (水)

【第95回】収穫の喜び中村 裕行 (地歴・公民)

 「本校グラウンド(金沢市錦町)に隣接した土地を購入したので、実習園として利用しないか?」という話が、自主講座(土曜日に年間24回開かれる選択講座)担当の私に持ちかけられたのは今年初めだったと思います。

土いじりに無縁の私は戸惑うばかりでしたが、快く協力を引き受けてくださった近隣の農家に何度か足を運び、「菜園づくり」という新しい講座が誕生しました。

 「農業実習」ではきついイメージがあるため、「菜園づくり」と名付けたわけですが、果たして生徒が集まるのか不安でした。

ところが、フタを開けてみると、20名もの生徒が希望してきたのです
(1年生:男子2名・女子6名、2年生:女子7名、3年生:男子2名・女子3名)。

当初の流れから、私も引率として参加することになり、「菜園づくり」講座がスタートしました。

 文字通り、土おこし、畝づくりから始めたわけですが、私を含め生徒達は、シャベルや桑といった農具を持ったことすら、ほとんどありません。協力農家の指導のもと、まさに見よう見まねの実習となりました。

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実習の様子

菜園らしきものが出来上がると、ジャガイモ、サトイモ、枝豆、サツマイモの種まき・苗付けをしました。地表に芽が出て伸び始めると、これまでの労働が目に見える形で報われるようになったため、生徒達の間にも活気が出てきました。

ただ、それ以上に雑草達も伸び始め、日差しも強くなる中で、汗だくになっての除草作業などが続きました。

 そして、先日7月18日の土曜日午後、初めての収穫となりました。
この日は午前に終業式が行われ、午後から夏休みスタートとなったわけですが、
「菜園づくり」の受講生徒達は、畑に集まってくれました。

次々と掘り起こされるジャガイモに驚き・歓声をあげながら、ジャガイモの山はどんどん大きくなり、最終的には20kg入りの肥料袋10袋分ほどになりました。

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収穫の喜び

収穫されたジャガイモは、生徒達の各家庭へ持ち帰られた他、オレンジハウス(学生寮)や教職員にも分けられ、ここ数日は「ジャガバターにして食べたら美味しかった!」、

「うちはカレーライス!」、「うちはコロッケ!」、
とジャガイモ話に花が咲いています。(学生寮では味噌汁に入るそうです!)

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学生寮に届けられたジャガイモ

 この「菜園づくり」の講座を通して、生徒達は普段の教室では学べないことをたくさん得たと思います。不思議なもので、最近は私も通りすがりの畑や、「地産地消」という言葉に、目をとられるようになりました。

こつこつと作物を育てる経験が、各自の成長にもつながってくれればと願っています。

2009年2月11日 (水)

【第75回】バドミントンと私中村 裕行 (地歴・公民)

 この学校に勤めて、また、県外から石川県に来て良かったと思うことの1つに

バドミントンとの再会があります。

 私が金城高校(遊学館の前身)に赴任した時、バドミントン部は全国大会の常連でした。
(さらに昔の昭和33年には、全国大会の個人戦で単複二冠を果たしています)。

しかし、様々な事情が重なり、次々と顧問が変わっていくうちに、活動も低迷していったようです。

いよいよクラブ存続の危機が訪れ、当時の部員からラブコール(おそらく誰でも良かったのですが…)を受けて、私は中学時代の経験とバドミントン好きだけを頼りに、自ら手を挙げて(同時に3つ目となる)顧問を引き受けました。

石川県は「バドミントン王国」とよばれるほど、バドミントンが盛んです。

自分の勤務校からバドミントン部がなくなる、そんな寂しいことだけは避けたい、
というのが当時の気持ちだったと思います。

 あれから、10年以上の年月が流れました。

私が顧問になってからの卒部生も今年度で 100名を超え、クラブも少しは強くなりました
(先日、卒部生有志により、クラブに電光掲示の大型タイマーが寄贈されました。
ありがとうございます)。

今では、卒業後も大学や社会人のクラブでバドミントンを続け、時には現役の部員を指導してくれるようなOG・OBも増えてきました。

また、私も愚息と通って世話をしたジュニアクラブの子どもたちが、本校でバドミントンを続けてくれるようにもなりました。

地縁のない私にとって、職場以外の人間関係はほとんどバドミントンつながりですが、
部員共々お世話になってきたケースも多く、この場を借りてお礼申し上げます。

指導者としてはまだまだ未熟な私ですが、本校には手本としたい名監督や名選手が
たくさんいるので、年齢や立場を超えていろいろと勉強になります。

 高校で部活を続けなかった私が、今さら思い出したように、バドミントンにハマっている、

自分でも不思議です。

仕事の合間や休日しか面倒みることはできませんが、このような環境へ身を置けることに感謝しつつ、部員達とバドミントンの奥深さをもう少し追い求めていければ、と思っています。
(2/5記)

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 ところで、この「先生コラム」も私で2巡目を終え、75回を数えるに至りました。
世話役として、読者の皆様と執筆者である先生方に感謝ひとしおです。
次回からの3巡目にも、ご期待ください!