【第775回】「なぞなぞ」中村 裕行 (地歴・公民)
昨年から、日本へ逃れているミャンマーの少数民族ロヒンギャの子どもたちの学習支援ボランティアに参加しています。曜日ごと学年別にオンライン上で教室が開かれ、ブレイクアウトルームに分かれて個別指導を行うのですが、ある時、私が担当する教室の全体ミーティングで「なぞなぞ大会?」が始まりました。その時、小学3年生の女の子が流ちょうな日本語で「1本2,000万円もする高級ワインが突然2,000円になってしまいました。なぜでしょう?」というなぞなぞを出しました。子どもたちだけでなく、私のような年配者から若い大学生までのボランティアの誰も答えられません。文字にするとわかりやすいかもしれませんが、正解は「栓(千)が抜けたから」だそうです。どこかで習ったにしても、私は「なるほど!」と感心してしまいました。
早速、私も授業でこのなぞなぞを生徒たちに出してみたところ、ノーヒントで正解を答える生徒はいませんでした。その後、あるクラスでは倫理の授業のたびに生徒たちが私へ、なぞなぞを出してくるようになりました。最初のうちは、「トラックが野菜や果物を積んで走っていたところ、カーブを曲がる時に落ちてしまったものがあります。何が落ちたのでしょうか?」…「スピードだろ!」というように軽くいなしていたのですが、ある時、「毎月22日はショートケーキの日ですが、なぜでしょう?」と聞かれて、答えに詰まってしまいました。生徒が課題に取り組んでいる間も考えましたが、答えられませんでした。正解は、「イチゴ(カレンダーの15日)が上にのっているから」だそうです。私は大人気(おとなげ)なく、「ショートケーキの上はイチゴと決まっているのか!」、「ケーキ屋さんでショートケーキをくださいと言ったら、必ずイチゴのショートケーキが出てくるのか!」「そもそも思考とは、物事の定義付けをしっかりさせてからするものだ!」などと反論しましたが、取り合ってもらえませんでした。(笑)
(やっぱりイチゴか…) |
何が言いたいかといえば、柔軟な発想としなやかな思考を身に付けたいということです。私が教える倫理の授業では、思考力や独創性を大切にしています。まさに、なぞなぞは頭脳のウォーミングアップとして最適でした。
「押してもダメなら引いてみな」という言葉があります。倫理の授業でいえば、天動説と真逆の地動説をコペルニクス(ポーランドの天文学者 1473-1543)が唱え、「認識が対象に従う」のではなく「対象が認識に従う」のだとカント(ドイツの哲学者 1724-1804)はまさに思考のコペルニクス的転回を行いました。まさしくパラダイム(思考の枠組み)の転換です。
押してもダメなら力ずくでこじ開けようとしている、そこのあなた! すっかり行き詰まってしまった感のある、そこのあなた! 解決策や打開策は真逆と言わないまでも、別の角度(視点)にあるのかもしれませんよ…。