【第682回】 「総体」S. Y. (理科)
昨年、コロナによる休校で石川県高校総体は開催されなかった。卒業していった先輩達は、その悔しさとどの世代も経験したことのないような想いを胸に巣立っていった。その様子を間近で見ていた後輩たちが最上級生となり、1週間後の大会に向けて日々粛々と練習に励んでいる。
スポーツは文化的な側面も持っており、文化や芸術はその文明がいかに豊かだったかを測る物差しとしても時折、活用される。一度衰退し、失ったものは簡単には取り戻せないからである。
そして今、人類はコロナ禍において、オリンピックや各種エンターテイメントが衰退の一途を辿る中、我慢の時とばかり、我々は足掻き、抵抗している。
命の重さの前には、文化や芸術は意味を成さない、無駄なものだという人もいる。しかし、一見無駄に見えるものこそ、育まれるためには長い年月を要すること、簡単には元に戻せないということを痛切に感じながら、私は日々を過ごしている。
私たちの社会には楽しいことがたくさん溢れている。そのたくさんのことが失われても命を落とすことはないだろう。でも、そんな世の中では幸せに暮らしていくことはできないだろう。
今、この時代に生きていることに感謝して、競技をしているその瞬間を精一杯楽しんでくれることを願っている。