2013年3月22日 (金)

【第272回】 これってFlexible? (Flexible:順応性のある)Ta. Y. (英語)

 学校から帰り『○○がきもい』と言った小三の息子に『きもいじゃなくて気持ち悪い!!』と注意したら、その後すぐ、今度は『ちげーし』と言う言葉を使っていた。
『ちげーしではなくて違うし!!』と注意して、授業中の余談でその話をした。
 すると生徒は『違うし』ではなくて、その場合は『違うよ』だと言う。『???』となる私に、『ちげー』の場合はプラスは『し』、
 『違う』の場合はプラスは『よ』なのだと言う。
 その後いろいろと説明されても、まだ私にはよくわからない。
 途中から、わかるつもりも実はなくなってしまった。

 最近、特に若者を中心に言葉が乱れているとよく耳にするが、ただ言葉は生き物だから、主観的には汚く、間違った、下品な言葉でも、広く使われるようになると個人の力では止めることなんてできない。
  『まじ?ちょ~まじやばいよ~』
  『これやばくなくね~?』
  『うわ、がちはまる~!』

 テレビで何かを食べている若い男女の会話だ。聞かされる私は、不快さと怒りさえ感じる。
 日本全国で同じように、叱りつけたい!と感じる人はいるだろうし、実際にテレビ局にクレームの電話をしている人もいるかもしれない、と信じて心を静める。
 たとえ叱りつけても、本人達がある程度の年にならなければこの下品で軽薄な言葉使いは直らないだろう。
 彼らだっていつかは使わなくなるし、そういう言葉を使う自分の子に注意をしているだろう。きっとそうだ!!と、しぶしぶ自分を納得させるのであるが…

2013年3月14日 (木)

【第271回】 生命の躍動T. N. (理科)

 ヒトの体は約60兆個もの細胞でできている。
 細胞のもつ全DNA(遺伝子配列)をゲノムというが、ヒトのゲノムはアメリカ、イギリス、日本などのプロジェクトにより、2003年完全に解明された。
 驚くべきことに、ヒトの遺伝子はその21%が細菌などの原核生物と共通であり、78%が脊椎動物など他の生物と同じである。残りわずか1%が他の動物とは違うヒト独自の遺伝子でできている。
 この1%の違いの遺伝子が細胞を作り、ヒトを作っている。ヒトは高度な社会をつくり、今では完全に地球の主人公となっている。

 毎朝、駐車場に車を止め、ドアを開けて外へ出ると、まず聞こえてくるのが、吹奏楽部の朝練の音階である。そして中庭にいるバトントワリング部員から放たれたバトンに朝日が反射して眩しい。自分の健康のため、ぐるりと校舎を一回りして歩くと、講堂からバレー部の、体育館からはバスケット部や卓球部の朝連の音が聞こえ、校内に入るとサッカー部や野球部員の明るいあいさつが待っている。
 まさに他の動物とわずか1%の違いから生じた60兆個の細胞が統一された生命の躍動を感じる一瞬である。

2013年3月 7日 (木)

【第270回】 「旅立ちの日に」T. Y. (国語)

3月1日、毎年私の誕生日に卒業生が旅立っていきます。

今年度の3年生は私が初めて担任をもった学年の生徒で、感慨もひとしおでした。
まだ、入学してすぐ行われる健康診断の時の記憶が新しいように思えますが、あっという間に3年間が過ぎました。

今年度は卒業生数名と卒業記念として、ET-KINGの「さよならまたな」という曲の音声に生徒の映像をのせPVを作り、卒業式当日に職員室前の大スクリーンで上映会をしました。
PVは撮影・編集に4ヶ月かかった大変なモノでしたが、当日の卒業生の表情や感想を聞き、やって良かったと思いました。
初めて担任をもったこの3年間様々なことがありました。良いこと、悪いこと今となっては全て良い思い出になっています。

私が大学の文学部長と会った時、「生徒から多く学びなさい、教師は教えることに慣れてはダメだ。生徒がたくさんの事を教えてくれる。学ぶ姿勢はまず教師からだよ」とおっしゃっていました。
卒業生達にはたくさんの事を教わりました。彼等に成長させてもらいました。
また4月から新しい遊学生が入学してきます。今度は彼等と共にまた成長していきたいとおもいます。

卒業おめでとう、そしてありがとう。

2013年2月28日 (木)

【第269回】 『1歳児の学習』T. M. (理科)

 1月で1歳になった息子がいる。息子のお気に入りは『あかちゃんのあそびえほん・きむらゆういち作・ごあいさつあそび』の絵本で読むそれこそ毎日毎晩読み聞かせにかかりきりだ。このきむらゆういち絵本シリーズの素晴らしいところは本でありながら立体のような要素を持っているところである。

 絵本の内容は主人公の家にネコ・イヌ・トリ・かいじゅうと次々と訪ねてきてその度に主人公に「こんにちは」と元気にあいさつをするというもので、単純ながらも子供がまねをしてしっかり挨拶が出来るように工夫されている。
 息子はネコ・イヌ・トリ・・・が出てくる度に丁寧に頭をさげて絵本にあいさつをする。その姿はたまらなく愛おしいものだ。しかし、親では同じ行為をしても頭を下げてはくれない。もう少し練習が必要だと感じるところである。

 保育園ではいろいろな手遊びを教えてくれるが、私が知らないために一緒にはできないだけに残念だ。学習には復習が必要で、家でもう一度一緒にすることができないと覚えられない。
 繰り返しが息子の学習になるため、同じ時間に同じテレビを付けるように心がけている。テレビで同じような年頃の子どもが出てくるとテレビにかじりつき同じ動作し、また音楽が流れると体を揺らす。最初は何となく見ていたが、今は慣れ楽しむようになったようだ。

 学習は年齢に関係なく一生行われる。年齢があるところまでいけば、回数を少なくして行うこともできるし、また年齢を重ねたならば逆に忘れっぽくなり同じことを何度も行わなくてはならなくなる。繰り返し行うことは生まれながら離れることが出来ない学習の一部であり、その経験は応用として生かされていく。知りたい・学びたいとちょっとした姿=行動から繰り返し学習を自らしていることに改めて知らされるだろう。

2013年2月21日 (木)

【第268回】 学校は百代の過客にして、行き交う生徒もまた旅人なりS. Y. (理科)

 2月は、本校の高校入試や3年生の仮卒業式、自主講座の閉講式など行事が多い。その一方で、もうすぐ新学年を迎えることになる。毎年、1年生特進クラスを担当している私は、2・3年生特進クラスが横並びということもあり、自分が1年生のときに担任した生徒とよく階段や廊下ですれ違う。そして、必ずと言っていいほど、「もうすぐ3年生だね」、「もう卒業?早いね!」、4月になれば、「もう2年生?この間、入学してきたと思ったら」、「あっという間に3年生やな」などの言葉を生徒にかけている気がする…。中には本校の入学試験で出会ってからの付き合いの生徒もいる。こういった1年1年の生徒の成長を見届けられるのは教師をやっていて楽しい部分である。

 しかし、本当に月日が経つのは速い。それは我々に無言のプレッシャーとなって重くのしかかってくる。この短い3年間でどれだけ生徒達を成長させてあげられるか?この課題をクリアすべく私たち教員の教育活動が行われているのである。この限られた時間の中で、〈生徒の努力+教員の努力=最高の結果〉となるように今日も授業をしている。

 もうすぐ新たな旅人たちが本校にもやってくる。どんな1年になるだろうか。楽しみである。