【第548回】 「恩師」T. M. (英語)
7月下旬、金城大学のテニスコートで私はそのことを知らされました。どこかで覚悟していたような、それでも信じられないそんな感覚がしました。自分にとって大事な人が亡くなりました。
滝本先生は私が教員を目指すきっかけをくれた先生のそのまた先生でした。とにかく元気で明るく前向きで一度話し出したら止まらなくなる人でした。そんな先生との一番の思い出は亡くなる2ヶ月ほど前にした大喧嘩です。
きっかけは些細なことでしたが、そこから授業や英語に関する話になり、お互いに引かず言いたいことを言い合いました。大人になってあんなに本気で言い合ったのは今までなかったかもしれません。しかしその言葉一つ一つは先生から自分への叱咤激励であり、そのとき言われた言葉は今でも忘れることができません。「そんなこともわからないの」「あなたがやらないで誰がやるの」ストレートで重い言葉でした。そのときは私もむきになっていましたが、後になってそこまで自分に対して言ってくれる存在がいるということは幸せなことだと感じました。
葬儀の際、部活で応援してもらっていた生徒、遅くまで残って英語を教えてもらっていた生徒、いつもは少し突っ張っているけど本当は素直で優しい生徒、みんな泣いていました。その中に予備校時代に私を担当していた先生(滝本先生の教え子であり私にとっての先生)もいました。二人で先生の思い出を話しているときに「滝本先生は君のことをかわいがっていたと思うよ、だってあの人は興味ない人や期待していない人にはそんなこと言わないから」と言われ、生徒がいるので我慢していましたが、その言葉でいろんなことを思い出し、涙が止まりませんでした。もっと休むように強く言っておけば、もっと話を聞いてあげていれば、いろんなことを考えましたが、それでもきっとあの人は元気でいる自分を証明したくて教壇に立っていたと思います。
「人の成長に間近で関われる仕事」それが教員という仕事だと私は思っています。そして私も含め、多くの人が滝本先生に成長させられていたのだと思います。葬儀の後、予備校の先生から連絡があり、当時の資料や教材がすべて送られてきました。そして「超えてもらわないと困る」と言われました。正直、プレッシャーはありますが、少しずつ自分も誰かに影響を与えられるような存在になりたいです。
先生のご冥福を祈っております。
※この先生ブログを書いている日に、京都大学の名誉教授の本庶佑(ほんじょ たすく)さんがガン治療の研究でノーベル医学・生理学賞を受賞しました。もっと早くにこの技術が普及していれば、生きている時代が違ったらと、たられば話をしても仕方がないのですが、一人でも多くの人がやりたいことができずに終わることがないように願っています。