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2018年3月 1日 (木)

【第518回】 冬季オリンピックを観て思ったことO. M. (国語)

 「隣の芝生は青く見える」という言葉がありますよね。自分の周りのものがよく見えてしまい、比べては悩み、そしてねたんでしまう気持ちのことを言います。そんな風に、とかく私たちは何かと言えば、すぐに誰かと比較して、そして誰かのことを悪く言ったり、蹴落として自分だけがいい目をしたいと考えてしまいます。人間ってつくづく嫌な生き物ですよね。
 今回、冬季平昌(ピョンチャン)オリンピックを観ていて、ひとつ気づいたことがあります。それは代表の選手達がインタビューで「自分のために頑張った」・「自分に勝った」・「みんなのおかげで乗り越えることができた」と心から自分の頑張りを表現していることです。今までのように「国の代表として勝たなければならない」・「皆さんの期待に添うように何としてでもメダルを取りたい」といった必死感いっぱいの気負いのセリフがあまり聞こえてきませんでした。
 一方でマスコミは「宿敵〇▲国に勝て」とか「〇▲国との因縁の対決」とか「無念!!〇▲国に惜敗」とか言って、どこかの国と争い、どこかの国に勝ってメダルを取ることが全てで、相手を蹴落とし、ねじ伏せ勝つことが美徳とでも言わんばかりに、選手や私たちをあおり立てます。
 しかし本当のアスリートは、そんなちっぽけな勝ち負け感情よりも、自分に対してどれだけ満足できたかが問題で、「本当の敵は自分の中にあり。」と言いたいのではないでしょうか。フィギュアスケート金メダリスト羽生結弦くんの言った「自分に勝つことができた。右脚に感謝。」というセリフが何よりもそのことを物語っているのだと思います。
 これだけ情報が世界中を駆け巡り、選手も海外で練習して、ワールドカップを転戦していると、国や人種なんかは越えてしまって、個人・人間そのものの競い合いになってくるのでしょう。その中で互いを尊敬してリスペクトし合って高め合っているのです。羽生君が「みんな同じスケートリンクで滑っている仲間。」と語ったのは本当に印象的でした。
 確かに「隣の芝生は青く見える」けれど「うちの芝生も青いですよ」と言えたら、そして青くするために誰と比べるわけでもなく、自分が満足できるように芝生の手入れをして努力することができたらいいなあと思えた、オリンピック観戦でした。

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