【第359回】 ステレオタイプM. K. (国語)
二年生の現代文の教科書にステレオタイプという言葉が出てきた。ステレオタイプは、ある集団の中で共通に受け入れられている単純化された固定的イメージを指す。
たとえば、外国人が日本人に抱くステレオタイプには「日本人女性はやまとなでしこ」「オタク」「寿司を握れる」などがある。しかし、最近は三歩下がって歩くどころか、三歩前を歩くような頼もしい女性も多いし、すべての大人がアニメや漫画に萌えるわけではない。すべての日本人が寿司を握れるとするならば、寿司屋は商売上がったりである。ステレオタイプは、複数ある要素の中から一番イメージしやすい要素だけを取り出して単純化したものにすぎないのだ。
11月下旬、このステレオタイプについて考え直す出来事が起きた。米ミズーリ州黒人青年射殺事件不起訴の報である。これにより米国社会に根差す人種差別の問題が浮き彫りになった。
米国の映画やドラマに、黒人と白人のカップルや家族が登場することは少なくない。画面の中の彼らは親しく対等に見える。そのようなものに触れるうちに、無意識に「人種差別はない」というステレオタイプを作り上げてしまっていたのであろう。私はこれを受けて驚くと同時に自らの浅慮を恥じた。
さて、このステレオタイプを遊学館高校に当てはめるとどうなるだろうか。きっと多くの人は「運動部が強い」「部活動が盛んだ」と答えるだろう。しかし、ステレオタイプに包含されない部分にも努力し活躍している生徒はいる。
部活動だけではない遊学館高校。これを世に伝えるためには教師生徒相互の努力が必須であろう。
共に頑張ろう、遊学生!