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2023年8月 3日 (木)

【第794回】「暑い、熱い、夏!」M. M. (英語)

 夏休みに入ってまだ2週間足らずではあるが、連日のニュース等での「猛暑」「熱中症警戒アラート」の言葉を耳にしながら「暑い夏」を過ごしている。だが、生徒たちはこの夏をそれぞれの「熱い夏」にしているようだ。
 いま私は、夏休み中の教室でこのブログを書いている。目の前には2人の生徒が、受験の面接のために志望理由や自分の長所、自己PRなどを準備している。すでに3年生にとっては「熱い夏」が始まっている。
 熱いといえばやはり全国高校野球選手権石川県大会決勝であった。選手たちはもちろん、応援にかけつけた生徒たちにとっては感動をもらえる貴重な瞬間に立ち会えた。
 夏期補習が始まり、志望校合格に向けて熱心に受験勉強に取り組んでいる様子にもまた熱さを感じる。就職希望の生徒たちは、求人票を見ながら企業訪問の依頼をして、その後丁寧にお礼状を書いて投函。立派な社会人を目指してください。
 同じ3年生でも、中学3年生を迎えてのオープンスクールが2日間実施された。生徒会を中心にボランティアの生徒たちが準備や運営に励んだ。オープニングではストリートダンス部やバトントワリング部の演技が中学生たちを魅了した。またこの日にコンクール出場に向けて手際よく楽器の搬出をしている様子を中学生たちが興味深く見入っていた。実際の高校生の姿をみて期待や憧れを感じてくれたことだろう。
 遊学生たちはそれぞれ各自の進路のために時間を費やして夏休みをスタートさせている。ぜひとも「熱い夏」にしてもらいたい。
 さて、目の前にいる2人、面接練習を始めよう。この2人にとっても「熱い夏」になりそうだ。

2022年3月10日 (木)

【第720回】「校歌に触れる」M. M. (英語)

学校行事の延期や休校、感染予防対策による制限の多い学校生活でしたが、それでも体育祭や学園祭、遠足、球技大会など、工夫しながら多くの行事を実施することができ、生徒たちは高校生としての1年間を過ごすことができました。とくに行事では、喜んだり楽しんだり悔しがったり、ふだんとは違った一面を目にすることができました。

ただ心残りなことは、生徒たちが「校歌」を歌う機会がなかったことです。始業式や終業式などの学期の節目には全校が集まり、校歌を歌うことが慣例です。このごろは、全校生徒が集う場面もほとんどなく、当然校歌を聞いたり、ましてや声に出して校歌を歌う機会さえありません。

先日1年生のホームルームで、校歌に触れる時間を設けました。入学式のときに校歌の動画が上映され、それ以降校歌を聞くことさえなかった生徒も少なくありませんでした。
「植ゑけむ人もなつかしや…」
春夏秋冬の季節の移り変わりとともに、生徒たちの成長や学業の習得、良き人格の形成を願う美しい歌詞の意味を知り、改めて校歌を視聴しました。はやく全校揃って校歌を歌える日がくればいいのにと思いながら。

今月1日に「卒業式」が挙行されました。ここでもまた制限があり、式次第には「校歌斉唱」ではなく「校歌演奏」とありました。しかし卒業生たちは3年間の高校生活を思い出しながら、心の中で校歌を斉唱していたことでしょう。

限られた参列者と簡略化された式典でしたが、そのぶん在校生送辞と卒業生答辞がとても印象的でした。先輩への感謝の気持ちを述べた送辞と、涙で言葉を詰まらせながら喜びや悔しさ、そして後輩へのメッセージを伝えた答辞は大変感慨深く、この式典を引き立たせたものになっていました。

別れと出逢いの季節でもある春がやってきました。新年度に向けて胸が高鳴る時期です。みなさんにとって良い新年度となりますように。

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2020年8月27日 (木)

【第643回】 「家時間」M. M. (英語)

 今までにこれほどの長期間を家で過ごしたことがあっただろうか、と感じたのは私だけではないはずです。全国各地で緊急事態宣言が発令され、休校、休業、テレワークなど、外出自粛を強いられる日々が続きました。

 自分がマスクを手作りすることになるなんで夢にも思いませんでしたが、手に入らないので仕方ありません。パンやうどんを作ろうかと思い、スーパーに行くと小麦粉やドライイーストが売り切れです。ドラッグストアでは、毎週入荷日になると開店前からマスクや消毒液を求めて多くの人が列を作っていたこともありました。物であふれた豊かな時代に欲しいものが手に入らないという現実に直面し、不安や驚き、恐怖さえ感じました。

 そのような中で、我が家には唯一の癒しがありました。昨年秋から飼っている愛猫の存在です。外出もできず、家で過ごす時間が長くなると、当然会話相手は家族だけです。そんなとき、この無邪気で自由奔放なねこがどれほど私たち家族を癒してくれたか、感謝してもしきれません。 202008271_2▲のんびり姿に癒やされます
 先日、実家の母が部屋の掃除をしていると、あるメモ書きが出てきたと言って見せてくれました。おそらく何年も前のものです。「幸せになりたければねこと暮らしなさい」と母の字で書いてありました。そのときは、ねこがいるから幸せになれるといいね、と話して終わりました。あとで気になって調べてみると、ねこの世話をすることで自分の生活習慣が確立する、責任感や思いやりが生まれる、ねこを撫でると疲れを癒す効果がある、といったねこ啓発本のタイトルだったのです。確かにねこのおかげで心穏やかに、笑顔が絶えない家時間を過ごすことができています。 202008272▲いたずらしても許せます

 さて、そんな家時間も少しずつ減り、ようやく日常生活をとり戻しつつあります。学校再開の6月1日、2学期開始の8月20日、登校した生徒たちの元気いっぱいの笑顔や久しぶりに会った友だちと嬉しそうに話す姿がとても印象に残っています。彼らも長く家時間を過ごしていたからこそ、登校できるありがたさや友だちに会える喜びをより実感できたのではないでしょうか。

 何はともあれ、2学期がスタートしました。まだまだ暑い日が続きますが、健康には十分注意しながら楽しく学校生活を送りましょう。きっと、当たり前のことが幸せに感じられますね。

2019年3月28日 (木)

【第572回】 DiversityM. M. (英語)

 「みんなちがって…?」と声を掛けると、生徒たちからいっせいに「みんないい!」と返ってきました。
 今年度の授業で最後に扱った題材がDiversity(=多様性)だったこともあり、はじめにこの言葉を投げ掛けてみたのです。
 誰もが知っているフレーズでした。
 人間はひとりひとり個性を持ち価値があります。ひとつの基準ですべての価値を決めてしまうのではなく、その違いを性別・国籍・年齢・学力・身体等に関係なく互いに認め尊重し合うことが大切です。
 そうやって各々が個性を発揮しながら多様な人間がともに生活することが、学校やクラス、部活動、家族などさまざまな社会により良い発展をもたらすことでしょう。

 

「わたしと小鳥と鈴と

                         金子みすゞ

 わたしが両手をひろげても お空はちっとも飛べないが
 飛べる小鳥はわたしのように 地面をはやくは走れない

 わたしがからだをゆすっても きれいな音はでないけど
 あの鳴る鈴はわたしのように たくさんなうたは知らないよ

 鈴と 小鳥と それからわたし みんなちがって みんないい」

                        <JULA出版局>

 

 もうすぐ新年度がスタートします。
 新しいクラスであなたの隣に座る人はきっとあなたとは違う素敵な部分をもっているはずです。
 そしてあなたも他の人にはない素敵なものをもっています。
 広い心で他を受け入れ、互いを認め合えば、よりすばらしい一年を過ごせるにちがいありません。

2017年10月12日 (木)

【第499回】 杭を見て… M. M. (英語)

 コーン、コーン、と中庭で杭を打つ音が響き、小さな囲いが造られていた。それを見て「あの囲いの中で動物でも飼ったらかわいらしいですね。」などと冗談交じりで話をしているとき、ふと思い出した。かつて、金城高校には愛犬部があったという話を。

― 金城高校には最盛期で親犬が6匹、子犬が13匹いたという。その頃には、高校に愛犬部があって生徒たちが世話をしていたが、シェパードは月夜に鳴くらしく、近所から「うるさい!」と苦情の電話がかかってきたそうだ。そのたびに、加藤と母の津禰が頭を下げに回った。

「加藤晃回顧録 遊学のこころ」より ―

 校舎敷地内に犬舎をつくり、生徒たちにも呼びかけ、情操教育の一環として犬舎の掃除や犬の世話、散歩、訓練などをさせた。金城女学校時代に二代目となる加藤二郎先生が、ユニークな活動で生徒たちに愛校心を植え付けたいと考え、この活動をとり入れた。ハーモニカやアコーディオンを中心としたリードバンドや大阪-金沢間の350㎞を自転車で走破する自転車隊もその活動のひとつだ。加藤二郎先生は「生徒が夢中になれるもの」を学校生活にとり入れたいと考えたそうだ。

 現在、始業前や昼休み、放課後には、当時はシェパードたちが走り回っていたのかもしれないこの中庭で、生徒たちはスペースをフル活用して部活動等に励んでいる。そう、彼らは「夢中になれるもの」を持っている!
 金城高校の生徒のときから長い年月を経ても、今も変わらぬ遊学生の姿があるとは素敵なことである。同時に、遊学生たちには学校の歴史や創始者の思いを理解し、さらなる愛校心を抱いてもらいたいと改めて感じた。

 ところで、杭を打った囲いは、中庭の中央に高く広くそびえる榎(えのき)の幹を保護するためのものだった。しかし、この榎もこの場所から長い間生徒たちを見守ってきたことであろう。

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2016年5月26日 (木)

【第427回】 新M. M. (英語)

年度が始まり、はや2ヶ月が過ぎようとしている。
入生にとっては、しい環境での学校生活や、起床時刻、通学方法、帰宅時間など生活面でも様々な変化があるが、もう慣れてきただろうか。
1年生を見ていると、お互いに出身中学を尋ね合ったり、いっしょにお弁当を食べたりと、クラスや部活動のしい仲間たちとずいぶん打ち解けている様子だ。
また1年生と接していると、小・中学校やご家庭での良い習慣が身についていると感心することがいくつも見られる。
授業中に配付物を渡すと必ず「ありがとうございます」と軽く頭を下げて受け取る、集めたノートを返却しようとすると「手伝います!」と2,3人がすすんで出てくる、授業が終わると「ノートのとり方はこれでいいですか?」と確認にくる、休み時間に当番生徒が黒板を消しているとその友だちが反対側から黒板消しを手伝う...すてきな光景だ。
1年生には、これまでの良い生活習慣・学習習慣を保ちつつ、この高校3年間で先生や先輩、仲間、家族から多くを学び、さらにしい習慣を身につけてほしい。
ところで、現在1学期中間考査の真っ最中である。
1年生からは、初めての試験に緊張しつつも、目標点数を決めたり、学習方法を尋ねてきたりと意気込みが感じられた。
私は採点用のしい赤ペンを準備し、期待しながらみんなの答案を待っているところだ。
がんばれ遊学1年生!

2015年1月22日 (木)

【第362回】 強く生きるM. M. (英語)

 1月17日、阪神大震災から20年が経ったことがテレビや新聞等で報道され、当時の被災地の様子や現在の様子が伝えられました。この震災は多くの犠牲者を出し、街は変わり果てた姿になりました。震災当初は、「復旧(壊れたものなどが、もとの状態に戻ること。)」という言葉がよく使われていましたが、徐々に「復興(一度衰えたものが、再び盛んな状態に戻ること。)」という言葉を用いるようになりました。この震災で、人々がつらく、悲しく、恐ろしい思いをしたにもかかわらず、「教訓」として、防災や耐震、隣人とのかかわり方など多くのことを学び、前向きに考え、懸命に生きる人間の強さを感じさせます。
 十数年前に卒業した生徒たち数人と年末に会うのが恒例になっています。彼らの大学生活や仕事の話、苦労話などを聞かせてもらっていましたが、最近は父親、母親になった彼らからの新しい話題が増えて、ますます毎年会って話を聞くのが楽しみです。同時に、悩みや心配事を抱えながらも自分や家族のために一生懸命に生きている彼らの姿も印象的です。この数人の卒業生のひとりは、もともと神戸に住んでおり、阪神大震災のあと避災して金沢で生活していました。彼女は卒業後、家族で神戸に戻り、生まれ育った町で暮らしています。そのため、彼女とは毎年会うことはできませんが、会ったときには明るい笑顔で元気に頑張っている姿を見せてくれます。彼女もまた、自分のやりたいことを見つけ、家族や兄弟の世話をしながら懸命に生きています。
 高校3年間の学校生活をともに送り、卒業後はひとりひとりがそれぞれの道に歩みだしています。在校生のみなさんにもこの遊学館高校での出会いや経験をいつまでも大切にして、自分の歩むべき道を見つけ、困難を乗り越えて前進し、強くたくましく生きてほしいと願っています。

2013年9月19日 (木)

【第299回】 ChallengeM. M. (英語)

2学期が始まり、本校にこの9月からアメリカ人留学生がやってきた。彼女は2年生に在籍している。
 これまでも何人もの留学生が、本校で日本の高校生活を体験している。留学生たちは、さまざまな思いや期待、目的を持って日本への留学を決意したのであろう。積極的に友人を作ろうとする者もいれば、徐々に打ち解けていく者もいた。もちろん苦労もあったようだ。自国の学校生活との違いに、初めは戸惑ったり、疑問を持ったりする留学生もいた。校則の違いを理解することができず、「Why not?」という声もたびたびあった。
 しかし、彼らは授業や行事、部活動、友人たちとの交流を通して理解を深め、日本での高校生活になじんでいった。帰国する頃には、まるで日本人の高校生と変わらない様子で、見事にクラスの一員となっている。中には、帰国後に自分の在籍していた学年の卒業式にわざわざ本校に戻ってきてくれた留学生もいた。彼らはまさしくチャレンジを成し遂げたのである。
 一方、受け入れる側の本校の生徒たちの様子はというと、もちろん興味津々である。ただ、いざ交流しようとすると、何を言えばいいのか、英語ができないから声を掛けられないなど、どうしたらよいかわからない。しかし知っている限りの英語を使って話しかけたり、身振り手振りのジェスチャーを使ったりしてコミュニケーションをとろうとしている。その時の表情は、何かを伝えたいという気持ちが顔や体中に表れ、目が生き生きとしているのが印象的である。本校の生徒にとってもこれはチャレンジである。
 留学生との交流を機会に、彼女だけでなく本校の生徒たちも互いに実りのある経験をし、広い視野で物事を考え、何事にもチャレンジできる人になってほしいと願っている。

2012年6月 7日 (木)

【第233回】 F2FM. M. (英語)

 めまぐるしくデジタル化が進んでいる。私は携帯電話での通話やメールが精一杯であるが、パソコンや携帯電話などは現代人にとってなくてはならないものになっている。

 本校でも携帯電話の持ち込みが許可され、高校生たちにとってもますます肌身離さず持ち歩く必需品となっているようだ。(もちろん校内での使用は禁止です。)

 確かに、いつどこにいても連絡がとれる携帯電話や、用件のみを簡潔に相手に知らせることができるメールなどは大変便利である。

 F2F。Face to face(面と向かって、向き合って)の略語であるが、これが本来のコミュニケーション手段ではないだろうか。

 先日、県高校総体サッカーの決勝戦を全校応援で観戦することになった。当日、朝から生徒たちは目を輝かせて「サッカー決勝だね!」「がんばってほしいね!」と激励の言葉が飛び交っていた。午後、生徒たちは試合会場へ向かい、目の前の選手たちに大きな声援を送った。そして試合後、選手たちはまっすぐに観客を見てお礼を言った。

 本当に伝えたいことはやはりF2Fで伝えたい。パソコンの普及により、さまざまな情報伝達手段はあるが、目の前にいる相手の表情、口調、声のトーン、身振り手振りなどを見ながら自分の気持ちを正しく伝え、お互いに理解しあえる人間関係を築く術を身に付けていきたいものである。

2011年3月16日 (水)

【第175回】春、卒業生へM. M. (英語)

 3月上旬になっても雪が降り、いつになったら暖かくなるのかと思っていたが、
ようやく春らしい日が続くようになった。

 春は別れの季節であり、出会いの季節でもある。
慣れ親しんだ場所で、気心の知れた仲間と別れることはとても名残惜しいに違いない。
しかし、新しい環境での新たな出会いに希望や期待で心ふくらんでいることだろう。

 3月1日、338名の卒業生が遊学館高校を巣立った。
3年間共に過ごした仲間と別れ、それぞれの道へと進む。
その道の先には新たな出会いが待っている。
「遊学」という言葉は、「故郷を離れ、よその土地や外国に行って勉強すること」を意味する。
このとおり、遊学館高校を卒業したみんなは、
これから新しい場所でさまざまな人と出会い、多くのことを学んでほしい。
そして、いつかまた成長した姿を見せに母校へと足を運んでほしい。

 もうしばらくすると、遊学館高校の校舎は見事な桜の花に包まれる。
こんな話を聞いたことがある。
花というのは太陽に向かって咲くが、桜の花は人に向かって下向きに花を咲かせる。
人はその桜の花を見上げて春の訪れを実感する。

 卒業して母校を離れても、
遊学館高校に咲く桜の花はこれからもみんなを見守ってくれるだろう。お元気で。