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2019年3月28日 (木)

【第572回】 Diversity森吉 睦恵 (英語)

 「みんなちがって…?」と声を掛けると、生徒たちからいっせいに「みんないい!」と返ってきました。
 今年度の授業で最後に扱った題材がDiversity(=多様性)だったこともあり、はじめにこの言葉を投げ掛けてみたのです。
 誰もが知っているフレーズでした。
 人間はひとりひとり個性を持ち価値があります。ひとつの基準ですべての価値を決めてしまうのではなく、その違いを性別・国籍・年齢・学力・身体等に関係なく互いに認め尊重し合うことが大切です。
 そうやって各々が個性を発揮しながら多様な人間がともに生活することが、学校やクラス、部活動、家族などさまざまな社会により良い発展をもたらすことでしょう。

 

「わたしと小鳥と鈴と

                         金子みすゞ

 わたしが両手をひろげても お空はちっとも飛べないが
 飛べる小鳥はわたしのように 地面をはやくは走れない

 わたしがからだをゆすっても きれいな音はでないけど
 あの鳴る鈴はわたしのように たくさんなうたは知らないよ

 鈴と 小鳥と それからわたし みんなちがって みんないい」

                        <JULA出版局>

 

 もうすぐ新年度がスタートします。
 新しいクラスであなたの隣に座る人はきっとあなたとは違う素敵な部分をもっているはずです。
 そしてあなたも他の人にはない素敵なものをもっています。
 広い心で他を受け入れ、互いを認め合えば、よりすばらしい一年を過ごせるにちがいありません。

2017年10月12日 (木)

【第499回】 杭を見て… 森吉 睦恵 (英語)

 コーン、コーン、と中庭で杭を打つ音が響き、小さな囲いが造られていた。それを見て「あの囲いの中で動物でも飼ったらかわいらしいですね。」などと冗談交じりで話をしているとき、ふと思い出した。かつて、金城高校には愛犬部があったという話を。

― 金城高校には最盛期で親犬が6匹、子犬が13匹いたという。その頃には、高校に愛犬部があって生徒たちが世話をしていたが、シェパードは月夜に鳴くらしく、近所から「うるさい!」と苦情の電話がかかってきたそうだ。そのたびに、加藤と母の津禰が頭を下げに回った。

「加藤晃回顧録 遊学のこころ」より ―

 校舎敷地内に犬舎をつくり、生徒たちにも呼びかけ、情操教育の一環として犬舎の掃除や犬の世話、散歩、訓練などをさせた。金城女学校時代に二代目となる加藤二郎先生が、ユニークな活動で生徒たちに愛校心を植え付けたいと考え、この活動をとり入れた。ハーモニカやアコーディオンを中心としたリードバンドや大阪-金沢間の350㎞を自転車で走破する自転車隊もその活動のひとつだ。加藤二郎先生は「生徒が夢中になれるもの」を学校生活にとり入れたいと考えたそうだ。

 現在、始業前や昼休み、放課後には、当時はシェパードたちが走り回っていたのかもしれないこの中庭で、生徒たちはスペースをフル活用して部活動等に励んでいる。そう、彼らは「夢中になれるもの」を持っている!
 金城高校の生徒のときから長い年月を経ても、今も変わらぬ遊学生の姿があるとは素敵なことである。同時に、遊学生たちには学校の歴史や創始者の思いを理解し、さらなる愛校心を抱いてもらいたいと改めて感じた。

 ところで、杭を打った囲いは、中庭の中央に高く広くそびえる榎(えのき)の幹を保護するためのものだった。しかし、この榎もこの場所から長い間生徒たちを見守ってきたことであろう。

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2016年5月26日 (木)

【第427回】 新森吉 睦恵 (英語)

年度が始まり、はや2ヶ月が過ぎようとしている。
入生にとっては、しい環境での学校生活や、起床時刻、通学方法、帰宅時間など生活面でも様々な変化があるが、もう慣れてきただろうか。
1年生を見ていると、お互いに出身中学を尋ね合ったり、いっしょにお弁当を食べたりと、クラスや部活動のしい仲間たちとずいぶん打ち解けている様子だ。
また1年生と接していると、小・中学校やご家庭での良い習慣が身についていると感心することがいくつも見られる。
授業中に配付物を渡すと必ず「ありがとうございます」と軽く頭を下げて受け取る、集めたノートを返却しようとすると「手伝います!」と2,3人がすすんで出てくる、授業が終わると「ノートのとり方はこれでいいですか?」と確認にくる、休み時間に当番生徒が黒板を消しているとその友だちが反対側から黒板消しを手伝う...すてきな光景だ。
1年生には、これまでの良い生活習慣・学習習慣を保ちつつ、この高校3年間で先生や先輩、仲間、家族から多くを学び、さらにしい習慣を身につけてほしい。
ところで、現在1学期中間考査の真っ最中である。
1年生からは、初めての試験に緊張しつつも、目標点数を決めたり、学習方法を尋ねてきたりと意気込みが感じられた。
私は採点用のしい赤ペンを準備し、期待しながらみんなの答案を待っているところだ。
がんばれ遊学1年生!

2015年1月22日 (木)

【第362回】 強く生きる森吉 睦恵 (英語)

 1月17日、阪神大震災から20年が経ったことがテレビや新聞等で報道され、当時の被災地の様子や現在の様子が伝えられました。この震災は多くの犠牲者を出し、街は変わり果てた姿になりました。震災当初は、「復旧(壊れたものなどが、もとの状態に戻ること。)」という言葉がよく使われていましたが、徐々に「復興(一度衰えたものが、再び盛んな状態に戻ること。)」という言葉を用いるようになりました。この震災で、人々がつらく、悲しく、恐ろしい思いをしたにもかかわらず、「教訓」として、防災や耐震、隣人とのかかわり方など多くのことを学び、前向きに考え、懸命に生きる人間の強さを感じさせます。
 十数年前に卒業した生徒たち数人と年末に会うのが恒例になっています。彼らの大学生活や仕事の話、苦労話などを聞かせてもらっていましたが、最近は父親、母親になった彼らからの新しい話題が増えて、ますます毎年会って話を聞くのが楽しみです。同時に、悩みや心配事を抱えながらも自分や家族のために一生懸命に生きている彼らの姿も印象的です。この数人の卒業生のひとりは、もともと神戸に住んでおり、阪神大震災のあと避災して金沢で生活していました。彼女は卒業後、家族で神戸に戻り、生まれ育った町で暮らしています。そのため、彼女とは毎年会うことはできませんが、会ったときには明るい笑顔で元気に頑張っている姿を見せてくれます。彼女もまた、自分のやりたいことを見つけ、家族や兄弟の世話をしながら懸命に生きています。
 高校3年間の学校生活をともに送り、卒業後はひとりひとりがそれぞれの道に歩みだしています。在校生のみなさんにもこの遊学館高校での出会いや経験をいつまでも大切にして、自分の歩むべき道を見つけ、困難を乗り越えて前進し、強くたくましく生きてほしいと願っています。

2013年9月19日 (木)

【第299回】 Challenge森吉 睦恵 (英語)

2学期が始まり、本校にこの9月からアメリカ人留学生がやってきた。彼女は2年生に在籍している。
 これまでも何人もの留学生が、本校で日本の高校生活を体験している。留学生たちは、さまざまな思いや期待、目的を持って日本への留学を決意したのであろう。積極的に友人を作ろうとする者もいれば、徐々に打ち解けていく者もいた。もちろん苦労もあったようだ。自国の学校生活との違いに、初めは戸惑ったり、疑問を持ったりする留学生もいた。校則の違いを理解することができず、「Why not?」という声もたびたびあった。
 しかし、彼らは授業や行事、部活動、友人たちとの交流を通して理解を深め、日本での高校生活になじんでいった。帰国する頃には、まるで日本人の高校生と変わらない様子で、見事にクラスの一員となっている。中には、帰国後に自分の在籍していた学年の卒業式にわざわざ本校に戻ってきてくれた留学生もいた。彼らはまさしくチャレンジを成し遂げたのである。
 一方、受け入れる側の本校の生徒たちの様子はというと、もちろん興味津々である。ただ、いざ交流しようとすると、何を言えばいいのか、英語ができないから声を掛けられないなど、どうしたらよいかわからない。しかし知っている限りの英語を使って話しかけたり、身振り手振りのジェスチャーを使ったりしてコミュニケーションをとろうとしている。その時の表情は、何かを伝えたいという気持ちが顔や体中に表れ、目が生き生きとしているのが印象的である。本校の生徒にとってもこれはチャレンジである。
 留学生との交流を機会に、彼女だけでなく本校の生徒たちも互いに実りのある経験をし、広い視野で物事を考え、何事にもチャレンジできる人になってほしいと願っている。

2012年6月 7日 (木)

【第233回】 F2F森吉 睦恵 (英語)

 めまぐるしくデジタル化が進んでいる。私は携帯電話での通話やメールが精一杯であるが、パソコンや携帯電話などは現代人にとってなくてはならないものになっている。

 本校でも携帯電話の持ち込みが許可され、高校生たちにとってもますます肌身離さず持ち歩く必需品となっているようだ。(もちろん校内での使用は禁止です。)

 確かに、いつどこにいても連絡がとれる携帯電話や、用件のみを簡潔に相手に知らせることができるメールなどは大変便利である。

 F2F。Face to face(面と向かって、向き合って)の略語であるが、これが本来のコミュニケーション手段ではないだろうか。

 先日、県高校総体サッカーの決勝戦を全校応援で観戦することになった。当日、朝から生徒たちは目を輝かせて「サッカー決勝だね!」「がんばってほしいね!」と激励の言葉が飛び交っていた。午後、生徒たちは試合会場へ向かい、目の前の選手たちに大きな声援を送った。そして試合後、選手たちはまっすぐに観客を見てお礼を言った。

 本当に伝えたいことはやはりF2Fで伝えたい。パソコンの普及により、さまざまな情報伝達手段はあるが、目の前にいる相手の表情、口調、声のトーン、身振り手振りなどを見ながら自分の気持ちを正しく伝え、お互いに理解しあえる人間関係を築く術を身に付けていきたいものである。

2011年3月16日 (水)

【第175回】春、卒業生へ森吉 睦恵 (英語)

 3月上旬になっても雪が降り、いつになったら暖かくなるのかと思っていたが、
ようやく春らしい日が続くようになった。

 春は別れの季節であり、出会いの季節でもある。
慣れ親しんだ場所で、気心の知れた仲間と別れることはとても名残惜しいに違いない。
しかし、新しい環境での新たな出会いに希望や期待で心ふくらんでいることだろう。

 3月1日、338名の卒業生が遊学館高校を巣立った。
3年間共に過ごした仲間と別れ、それぞれの道へと進む。
その道の先には新たな出会いが待っている。
「遊学」という言葉は、「故郷を離れ、よその土地や外国に行って勉強すること」を意味する。
このとおり、遊学館高校を卒業したみんなは、
これから新しい場所でさまざまな人と出会い、多くのことを学んでほしい。
そして、いつかまた成長した姿を見せに母校へと足を運んでほしい。

 もうしばらくすると、遊学館高校の校舎は見事な桜の花に包まれる。
こんな話を聞いたことがある。
花というのは太陽に向かって咲くが、桜の花は人に向かって下向きに花を咲かせる。
人はその桜の花を見上げて春の訪れを実感する。

 卒業して母校を離れても、
遊学館高校に咲く桜の花はこれからもみんなを見守ってくれるだろう。お元気で。

2008年12月24日 (水)

【第69回】誇り森吉 睦恵 (英語)

 先日、金城大学コースに在籍する1年生と福祉コース・美術コースに在籍する2年生対象の金城大学交流授業の引率をした時のことである。

 生徒は、福祉、幼児教養、ビジネス、美術など、それぞれの希望する分野における講義や実習を体験した。私も各活動の様子を順に見学して回った。

 美術学科の教室に入ると、生徒たちは先生のお話を聞き、鉛筆デッサンを始めるとこだった。たくさんの画材や作品が置かれた広い教室では、数人の学生たちが、作品制作にとりかかっていた。その時、ふとひとりの男子学生と目が合った。3年前に本校美術コースから金城大学短期大学部美術学科に入学した卒業生であった。彼が高校2年のときに担任をしていたということもあり、思いもよらぬ再会にとても懐かしさを感じ、話に花が咲いた。

 彼は現在、研究生として3年目の学生生活を営んでいる。彼との会話の中で、遊学館高校美術コースの卒業生でOB会を発足し、いつか作品展を開きたいという思いを語ってくれた。というのも、美術コースという名称のコースは、現3年生と2年生で終わるのだ。しかし、彼は美術コースに在籍していたことにとても誇りを持っており、現在の2年生が卒業したあと、すなわち最後の美術コースの生徒が卒業したら、いよいよこのプロジェクトを実行したいと話している。

 卒業生のこんなにも熱い想いを知り、ほんとうにたのもしく、そして嬉しく感じた。実現する日がとても楽しみだ。

 今年度、私は3年生福祉コース・美術コースの混合クラスの担任をしている。昨日2学期終業式を終え、冬期休暇初日の今日も、美術コースの2人が登校し、2月の卒展に向けての作品制作に励んでいる。彼女たちの背中を見ながら、卒業してからも先輩たちのように、いつも誇りと夢を持って自分のやりたいことに全力で取り組む人でいてほしい、そう思った。

2008年4月 2日 (水)

【第33回】古き良き校舎で森吉 睦恵 (英語)

 昨年度私が受け持ったクラスは、2年9組の福祉コースと美術コースの生徒が在籍するクラスであった。そのため、教室にはボランティア活動を募集する掲示物や生徒自身が設置した空缶のプルタブ回収を呼びかける箱があり、福祉コースらしさを感じた。私が教室に飾った花を喜んでくれ、頼まずとも水替えをしてくれる生徒がいる。

一方、教室の隅には、画材のつまった大きなカバンや製作途中の作品が目に付いた。落ち着くのだろうか、授業中も無意識に練りゴムをこねながら話を聞く姿、放課後に教室の机を4つあわせて大きな画用紙を広げ制作に励む姿が見られた。中庭に出てイーゼルを置き、校舎や植物をスケッチしているのも私が好きな光景のひとつである。

 ところで、この生徒たちの教室というのが、実は生徒玄関から最も離れた場所にある。第2学館3階のいちばん隅にある教室だ。朝、玄関で靴を履き替え、息を切らせて教室に飛び込んでくる生徒も少なくない。そこは、板張りの床、今ではアンティークともいえるドアノブやねじ式の窓の鍵など、長い歴史を感じさせる古い校舎の教室である。

 現代の子ども達は、物に恵まれとても便利な環境で育っている。しかし、この教室は違う。朝日の差し込む気持ちの良い朝を迎えられるのだが、夏はとにかく暑い。エアコンや扇風機を回してもいっこうに涼しくならない。冬は今時めずらしい煙突つきの大きな石油ストーブで暖をとる。これは指一本で、というわけにはいかない。1階から灯油を運び、ストーブに給油をし、3段階のスイッチ操作をしてようやく着火する。それでも教室が暖まるには1時間はかかる。金属製のたらいに水を入れ、ストーブの上に乗せておくことも忘れてはならない。そして、水が蒸発して少なくなっていることに気付いた生徒は、ちゃんと水を足してくれる。

 ボタンひとつで瞬時に何もかもが満たされる時代に育った子どもたちでも、与えられた環境に順応していくのだなと感じる。時には不便さも必要なのではと思える。

 私がいつも生徒たちに言っていることがある。「古いのと汚いのは違う。どんなに新しい校舎でも使い方が悪く掃除をしなければ汚いし、どんなに古い校舎でも大切に使いこまめに掃除をすればきれいになる。」と。

 しかし、この古い校舎ももうすぐ取り壊され、新しい校舎へと生まれ変わる。2年9組の生徒たちは、この1年間自分たちが最後の生徒だという特別な気持ちと愛着を持って、大切にこの教室を使ってくれた。ありがとう。そして、これまで生徒たちを温かく見守ってくれた校舎にありがとうと言いたい。

 毎年この季節になると、第2学館の長い廊下の窓から校舎の横に咲いている桜の花を見ることができる。まるで雲の上を歩いているかのように桜を見下ろせるのだ。日毎に花を咲かせ、そして散ってゆく。教室に向かうときに毎朝変わる桜の様子を見るのが好きだった。今年はその景色がおあずけになるが、来年の春がとても楽しみだ。