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2011年3月16日 (水)

【第175回】春、卒業生へM. M. (英語)

 3月上旬になっても雪が降り、いつになったら暖かくなるのかと思っていたが、
ようやく春らしい日が続くようになった。

 春は別れの季節であり、出会いの季節でもある。
慣れ親しんだ場所で、気心の知れた仲間と別れることはとても名残惜しいに違いない。
しかし、新しい環境での新たな出会いに希望や期待で心ふくらんでいることだろう。

 3月1日、338名の卒業生が遊学館高校を巣立った。
3年間共に過ごした仲間と別れ、それぞれの道へと進む。
その道の先には新たな出会いが待っている。
「遊学」という言葉は、「故郷を離れ、よその土地や外国に行って勉強すること」を意味する。
このとおり、遊学館高校を卒業したみんなは、
これから新しい場所でさまざまな人と出会い、多くのことを学んでほしい。
そして、いつかまた成長した姿を見せに母校へと足を運んでほしい。

 もうしばらくすると、遊学館高校の校舎は見事な桜の花に包まれる。
こんな話を聞いたことがある。
花というのは太陽に向かって咲くが、桜の花は人に向かって下向きに花を咲かせる。
人はその桜の花を見上げて春の訪れを実感する。

 卒業して母校を離れても、
遊学館高校に咲く桜の花はこれからもみんなを見守ってくれるだろう。お元気で。

2008年12月24日 (水)

【第69回】誇りM. M. (英語)

 先日、金城大学コースに在籍する1年生と福祉コース・美術コースに在籍する2年生対象の金城大学交流授業の引率をした時のことである。

 生徒は、福祉、幼児教養、ビジネス、美術など、それぞれの希望する分野における講義や実習を体験した。私も各活動の様子を順に見学して回った。

 美術学科の教室に入ると、生徒たちは先生のお話を聞き、鉛筆デッサンを始めるとこだった。たくさんの画材や作品が置かれた広い教室では、数人の学生たちが、作品制作にとりかかっていた。その時、ふとひとりの男子学生と目が合った。3年前に本校美術コースから金城大学短期大学部美術学科に入学した卒業生であった。彼が高校2年のときに担任をしていたということもあり、思いもよらぬ再会にとても懐かしさを感じ、話に花が咲いた。

 彼は現在、研究生として3年目の学生生活を営んでいる。彼との会話の中で、遊学館高校美術コースの卒業生でOB会を発足し、いつか作品展を開きたいという思いを語ってくれた。というのも、美術コースという名称のコースは、現3年生と2年生で終わるのだ。しかし、彼は美術コースに在籍していたことにとても誇りを持っており、現在の2年生が卒業したあと、すなわち最後の美術コースの生徒が卒業したら、いよいよこのプロジェクトを実行したいと話している。

 卒業生のこんなにも熱い想いを知り、ほんとうにたのもしく、そして嬉しく感じた。実現する日がとても楽しみだ。

 今年度、私は3年生福祉コース・美術コースの混合クラスの担任をしている。昨日2学期終業式を終え、冬期休暇初日の今日も、美術コースの2人が登校し、2月の卒展に向けての作品制作に励んでいる。彼女たちの背中を見ながら、卒業してからも先輩たちのように、いつも誇りと夢を持って自分のやりたいことに全力で取り組む人でいてほしい、そう思った。

2008年4月 2日 (水)

【第33回】古き良き校舎でM. M. (英語)

 昨年度私が受け持ったクラスは、2年9組の福祉コースと美術コースの生徒が在籍するクラスであった。そのため、教室にはボランティア活動を募集する掲示物や生徒自身が設置した空缶のプルタブ回収を呼びかける箱があり、福祉コースらしさを感じた。私が教室に飾った花を喜んでくれ、頼まずとも水替えをしてくれる生徒がいる。

一方、教室の隅には、画材のつまった大きなカバンや製作途中の作品が目に付いた。落ち着くのだろうか、授業中も無意識に練りゴムをこねながら話を聞く姿、放課後に教室の机を4つあわせて大きな画用紙を広げ制作に励む姿が見られた。中庭に出てイーゼルを置き、校舎や植物をスケッチしているのも私が好きな光景のひとつである。

 ところで、この生徒たちの教室というのが、実は生徒玄関から最も離れた場所にある。第2学館3階のいちばん隅にある教室だ。朝、玄関で靴を履き替え、息を切らせて教室に飛び込んでくる生徒も少なくない。そこは、板張りの床、今ではアンティークともいえるドアノブやねじ式の窓の鍵など、長い歴史を感じさせる古い校舎の教室である。

 現代の子ども達は、物に恵まれとても便利な環境で育っている。しかし、この教室は違う。朝日の差し込む気持ちの良い朝を迎えられるのだが、夏はとにかく暑い。エアコンや扇風機を回してもいっこうに涼しくならない。冬は今時めずらしい煙突つきの大きな石油ストーブで暖をとる。これは指一本で、というわけにはいかない。1階から灯油を運び、ストーブに給油をし、3段階のスイッチ操作をしてようやく着火する。それでも教室が暖まるには1時間はかかる。金属製のたらいに水を入れ、ストーブの上に乗せておくことも忘れてはならない。そして、水が蒸発して少なくなっていることに気付いた生徒は、ちゃんと水を足してくれる。

 ボタンひとつで瞬時に何もかもが満たされる時代に育った子どもたちでも、与えられた環境に順応していくのだなと感じる。時には不便さも必要なのではと思える。

 私がいつも生徒たちに言っていることがある。「古いのと汚いのは違う。どんなに新しい校舎でも使い方が悪く掃除をしなければ汚いし、どんなに古い校舎でも大切に使いこまめに掃除をすればきれいになる。」と。

 しかし、この古い校舎ももうすぐ取り壊され、新しい校舎へと生まれ変わる。2年9組の生徒たちは、この1年間自分たちが最後の生徒だという特別な気持ちと愛着を持って、大切にこの教室を使ってくれた。ありがとう。そして、これまで生徒たちを温かく見守ってくれた校舎にありがとうと言いたい。

 毎年この季節になると、第2学館の長い廊下の窓から校舎の横に咲いている桜の花を見ることができる。まるで雲の上を歩いているかのように桜を見下ろせるのだ。日毎に花を咲かせ、そして散ってゆく。教室に向かうときに毎朝変わる桜の様子を見るのが好きだった。今年はその景色がおあずけになるが、来年の春がとても楽しみだ。